SELECTION Yamada river 駅の東 右側の水路は下川沿駅の東から来る。 Station Canal at the
right side comes from east of Shimokawazoi station. 駅の西 そこで小川が合流する。 West of station A brook joins
there.
RIVER PORT HOUR 2
神明社の裏 国道7号線わきのかんがい用水路。 撮影; 2011年5月11日 Behind Shrine Irrigation canal beside
Route 7. Filming; May 11 2011
山田川 : 秋田県大館市を流れる川。米代川に注ぐ。長さ10km。 Yamada river :
It streams in Odate city, Akita prefecture, and flows into the Yoneshiro
river. 10.0 in length.
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川口 下川沿 ▽ 山田 ▽
☆。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
△ 横岩 △ 米代川合流地点 Its junction with the Yoneshiro river
▼ Yamada
river 2008.4.23 --- West source 西の水源
下川沿駅の南で野菜ジュースを飲んだ。 下川沿の西の踏切りわきに農業記念碑が2本。 線路の架線と畑などを見る。
踏切りから国道に出て、山田川を撮影。米代川が近い。 左の場所で、山田川の横岩橋と米代川の真中橋跡を遠望する。 山田橋から線路沿いに岩瀬に行く。セメント工場がある。
Updated 2011.5.16 撮影レポート 下川沿の用水路から横岩の古い洋館まで ☆5月11日朝ラッシュアワーのあと国道7号線の餅田橋を越えて、川口のかんがい用水路から撮影。藤島鉄工所のわきにある分水路には赤石沢と長木川の水が勢いよく集まり国道に沿って流れていた。水路は下川沿の台地の下を通る。古い時代の風景が残っている。しかし、この地域は大館の旧市街の入口なので、支店が並び、大型車の通行量が非常に多い。 下川沿の街に入る立花の交差点は懐かしかった。昔と変わらない。見なれた下川沿駅周辺を用水路から見ると、どんな眺めか?楽しみなコースだった。これはヴィデオでじっくり見てもらいたい。 説明を添えると、下川沿駅の目印は杉林である。マークを見て、ほっとした。水路の小橋を渡り、駅の裏側、踏切りのそばに通じる坂道がある。畑仕事をしていた女性が通りすがりに聞いた。 ―何してるんですか? ―撮影。川の流れの調査です。 木蓮の花が咲く畑はめずらしかった。 それから、山田橋に行った。大型車が走ると、橋が揺れた。Y字路の前に大館市の観光案内標識が立っていた。下川沿駅前にある小林多喜二生誕の碑、二井田太子内のハチ公の生家、など。今、こうして眺めると、奥深い歴史のリアリティが迫ってきた。 山田川の右岸を歩いて岩瀬に抜けた。鉄橋の向こう側に川口の用水路の終端があるが、それは数年前に撮影した。今日のひそかな目的は、岩瀬の歴史的な古い鉄工所を撮影することだった。この建物は少年時代から車か秋北バスで国道を通るたびに見た。しかし、たぶん鉄工所という性格が印象を薄れさせていた。空っぽの建物になったあとも、絵の対象としては関心を引かなかった。それが洋館と呼べる建築物のような美しさを見せたのは、山田川が米代川にそそぐ辺りで遠望したときだ。歴史的な事柄については、あいかわらず分からない。明治時代に創業したというあいまいな記憶があるだけだ。[1] 建物に近づいて撮影して、感心したのは外壁に亀裂がないことだった。大震災と4月の内陸北部が震源の震度5逆断層型地震のあとなので、これはむしろ感動的な、と率直に言わなければならない。セメントと砂と水が良質で構造的に優秀な建物は強いが、それだけではないと思う。 外観の特徴は、鉄工所の事務所らしく水平と垂直を基本にしてシンプルそのものである。窓を囲む縁取りが少し浮き彫り風なのが唯一の装飾。 2階の窓には、白い天井に吊りランプ盤が見えた。円形のクリーム色がロマンチックな印象を与えていた。内部に入って見なければ、撮影は中途半端になると思うのは当然だった。 正面のドアを試しに開くと、音もなく開いた。そのドアだけが現代的なアルミ製で、あとは年代的な材料が残っていた。壊れているのは窓ガラスぐらいだ。正面に事務室があるが、窓と細長いカウンターが左右に広がり、入口は左奥に回らなければ見えなかった。事務室は暗く、机などが埃をかぶっていた。 2階に通じる階段は正面の右側にあった。木造の階段で黒っぽい色だった。欄干はワイン・レッドで、2階の広いアコーディオン式ドアも同じ色。それを開くと、意外なことにホールだった。奥にワイン・レッドの三つのドアと演壇。白い漆喰塗りの壁と天井。すみれ色の円形吊りランプ盤には蛍光灯が下がっていた。おいしそうなクリーム色は階段わきの小部屋にタイプなどのクラシックな事務機器と一緒にあった。窓ガラスの向こうを見ると、明るい風景に哀愁が漂った。 父が2000年の秋死んでから、母は夕食のとき2度田村鉄工所の昔話を言いかけた。しかし、なぜかすぐに黙ってしまった。長谷川一族と何か関係がありそうだと初めて歴史の1ページに気づいた。 旧田村鉄工所のある横岩から自転車で約5分、米代川の真中橋跡に立ち寄った。そこから鉄工所の建物が見えた時代があったにちがいない。それは不思議なほど上品なロマンチシズムを浮かべている。 ☆ 1 大館市史によれば、明治14(1881)年、岩瀬村に田村鉄工場が創設された。 国道7号線と下川沿駅の杉のあいだのかんがい用水路。 撮影:2011年5月11日 Irrigation canal between Route 7 and cedars at
Shimokawazoi station. Filming:May 11 2011 |
旧田村鉄工所 右側の2階の窓 真中橋の歴史について |
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