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HHJ

 

 

 

 

 

VOL.43  1995.11.14  

特派員報告  

 

リヴァー・ユートピア妨害工作

 

編集長 長谷川喜作

 

1

―中岳と言えば、米代川の水源があるところだ。

 

大文字マーク

撮影;2007.2.1

 

《環十和田プラネット構想》が〈環境文化学園都市〉を〈中岳周辺の丘陵地帯〉に建設すると公表した記事は、米代川ドキュメンタリーを知っている人達にそんな記憶を蘇らせたはずだ。              

 米代川ドキュメンタリーは中岳に発する源流のひとつ瀬ノ沢川を選んで、もっとも距離の長い米代川の撮影を決めた。目の前を流れる川の全体像を掴むことが必要だったからだ。中岳の名は、それで撮影班と米代川流域の住民特に大館市民の多くに知られることになった。

 ぼくが1993年の夏に撮影した中岳の源流を想い出したのは言うまでもない。第1部はその年の冬完成したが、米代川の残り半分はまだほとんど撮影しないままだ。大館の外れからゴムボートに乗れば、23日で日本海に出られるのだが、運が悪く2年過ぎた。来年はどうか…ぼくは楽観的に考えていないが、それも中岳の名で想い出させられたことが他にもあるからだ。そのひとつは水源の滝を登りながら瞬間的に見たイヌワシ。もうひとつは〈丘陵地帯〉が青森・岩手・秋田の三県に跨がる四角岳の東にあるという地理的な事実だ。正確さを無視して、あえて〈中岳周辺〉という言い方を選んだ理由を考えると、リヴァー・ユートピア構想を逆手に取ったような対立感情が感じられた。これは、リヴァー・ユートピア構想発表の前から米代川流域地方拠点都市整備計画の指定を県知事から受けるために秋田県の他のブロックと激しい競争をしていた背景を重ねれば、簡単に理解できたことだろう。指定は、地元の新聞によれば「構想づくりがカギ」と言われていた。ぼくは、そんな大規模な計画の存在さえ8月中句に指定されるまで知らなかった。しかし、悪意に近い対立感情にあぶり出されて、忘れていた出来事が明確な意味を帯びて浮かび上がってきた。

 それは米代川ドキュメンタリーの半分の撮影を終えてまもなく、9月中旬アトリエのすぐそばを流れる長木川に架かる大館橋で起きた。上流側の勾欄に変なマークをペンキで塗る作業が始まったのだ。1014日発行のHHJ22号に、米代川ドキュメンタリー撮影の記録の前に〈EN PASSANT〉で、それを取り上げて簡単に批判している。〈この間、完成した装飾を見たら、緑色の山に赤い色の大文字焼きの幼稚なマークだった。幾つあるか、まともな人間なら数える気もしないだろう。愚かしい醜悪さが見え隠れしている。誰が発案したのか?〉それまでの時間的な背景を詳しく語れば出来事の全体が分かりやすいが、今月は先にそのマーク計画の不可解なプロセスについて考えたい。

 

2

大館橋は、奥羽本線の駅と高台の古い繁華街を結ぶ往来の激しい大通りにある。80年代の初期コンクリー卜の橋の上流側に歩道が付けられ、勾欄が金属製に換えられた。下流側の老朽化が進んで鉄筋が剥き出しになると、その補修工事が着手された。これは国の補助金を使った事業として県北秋田土木事務所が計画した。発注は97日で、同じ日に上流側の勾欄の塗装業者も決まっていた。19943月のHHJ26号は、〈大文字焼きの漫画(注;7個)〉と〈下流側の茶色の鉄骨の勾欄〉の粗雑さに憤りを感じて、《大館橋改修の実態》に触れた。

〈鷹巣の土木事務所に尋ねると、こういう返事だった。〉

〈上流の方は、県の単独事業で、県が計画して県予算でやった。下流の補修工事は、市の道路建設課の要望を受けて、土木事務所が計画。国の補助を半分貰って、計画の具体案を市の道路建設課に事前に通知するわけです。そこから、これはまずいなんていう反対意見が出るか?いや、そういうことはありませんね。絵柄の発想は勾欄業者に任せました。ええ、町おこしの御時勢ですから。…(以下省略)〉

国の補助事業と県単独事業が平行してほぼ同じ時期に行なわれているのだから、どちらも前年度に予算が組まれた計画だと誰もが思うに違いない。しかし、そうではなかった。1023日の夕方、再び北秋田土木事務所に電話でマーク計画について訊いてみると、担当した道路維持係の主査がこう答えた。

 ☆マーク計画はいつ、どのようにして始まったか?

9月から10月中旬(?)工事で、補修を始めた方とのバランスが取れないという批判があった、市当局の要望だった、と思うが、記憶は定かでない。記録はない。〈県単事業名目の予算枠の中から70万円使用〉した。

 ☆すると、マーク計画はあらかじめ予算を組んで行われたのではないのか?

―そうだ。

 去年電話で話をした人と同じかどうか覚えていないが、彼は狼狽を隠せない口調だった。ぼくは、県単独事業がそのときの状況に応じていつでもできると知って、驚いた。マーク計画が思いつきで始まったのなら、米代川ドキュメンタリー完成予定に合わせた嫌がらせじゃないかという直観は、正しかったことになるかもしれない。ぼくはもう一度よく考えてみようと思って、電話を切って、それから市の道路建設課に訊いてみた。市役所に電話すると、道路建設課はないという答が返ってきた。建設部土木課に回してもらい、担当者だった土木課長浅野允と話をした。

 ☆マーク計画はいつ、どのようにして始まったか?

―「美化をお願いしたい。旧態依然は良くない」と要望した。9月発注前に下流側のパネル図案選択について建設部土木課(部長、課長、係長、 浅野[課長補佐])と土木事務所(課長補佐、主査)と協議会を開いた。

 

 

3

彼は土木事務所の担当者と同じく上流側と下流側を混同していた。

―大文字マークは頼んだ覚えがない。上流側補修の要望は、記憶が定かでない。記録はない。

 翌日の夕方、彼は〈意思の疎通を欠くので〉と言って、わざわざアトリエを訪れてくれた。ぼくは、県単独事業でも地元の自治体が計画に係わりを持つと思い込んでいたので、こう訊いた。

☆マークを入れる県単事業計画の通知は協議会の後か?

―(少し考えた後で)市では前年橋全体の補修を要望した。

☆悪い箇所を言わないとすれば、土木事務所は直接それを調べに来たのか?

―補修するべきところを言った。県は全体でセットして計画した。

☆しかし、上流側の県単事業は補修事業計画に入っていなかったのだから、

それはおかしい。

―市にあらかじめ上流側工事計画実施の通知はなかった。

 すると、土木事務所が黙ってマーク計画を実行したということか…民主主義の社会で、地域の自主性を無視したそんな封建的なやり方がまかり通っていいはずがない。

27日ぼくは土木事務所の主査に電話で質問した。

☆県単事業計画の通知を市当局にしなかったのは、なぜか?

―あらかじめ建設部土木課の課長補佐(浅野允)に話をした。7月か8月に。

☆マークの選択について?

―マークは、川の上流に大文字焼きがあるので、それにした。図案はパネルと同じ業者(秋田ディックライト)に相談して決めた。パネルの協議会はなかった。上司の課長補佐と一緒にパネルの図案を持って行き、それから、土木事務所に返答が来る。

☆県単独事業について具体的に教えてほしい。

―県単事業は2月頃予算の箇所付けをする。大雑把に。予算の残りは事務所の裁量で使える。これには県庁の許可を得なければならない。

土木事務所が独断でできるわけではなかった。しかし、三日後、文書で事実を確認できるかと思って、こう訊いた。      

     予算の残りを使う場合の県単独事業の手続きは?

―県土木部にはあらかじめ電話報告するだけでいい。あれは例外で、書類手続きは不必要。予算が足りない場合を除いて。精算書は年度末に送る。

 行政事務は文書で行なうという常識に反して、マーク計画は県土木部に電話で報告しただけ市の土木課に話をしただけで行なわれた…通知の有無で食い違いがあるように、その手続きも信じられないことだ。

 

ぼくは行政の実際的な仕組みに疎いのを痛感した。市の土木課長が発注のシステムについて教えてくれると前に言ったので、市役所を訪ねることにした。彼は市内の道路工事の関係書類と図面を見せながら、簡潔に説明した。必要な書類は地方自治法で決まっているのか、と訊くと、土木課長は戸惑って、隣の職員に確かめた。地方自治法ではなく、建設業法という聞いたことのない法律だった。ぼくは、事業計画がどのような経緯で始まったか、書類に記録されるべきだと考えた。地域住民の請願とか、政治家の強要とか、圧力団体の要求とか…そうすれば、どんなに多くの不正が防げるだろうか?マーク計画は誰が発案したのか、ぼくはまだ分からなかった。〈追加変更〉の印を押された一枚の文書を開くと、土木課長が言った。

―これはまずい例ですが。途中で工事を変更しなければならないことに気づいて。こういう風に理由を書きます。

―なるほど、理由を書いて…当然ですね。

下の欄にはずらりと印が並んでいた。ぼくは、行政機構の力関係と内部の人間の力開係を考えないわけにはいかなかった。なぜなら、質問に対する答え方にそれが反映していると感じていたからだ。118日、県庁の土木部道路維持課に電話して、規則について訊いた。最近、公共事業費の食料費への転用問題で揺れている所なので、警戒されないように一般論から入った。

☆市(建設部土木課)は県単事業の計画に関与する権限のない場合があるのか?

100%協議・連格するとは限らない。必要に応じて、予算額の大小に関係なく、行なわれる。規則で定まってはいない。

☆県単事業の枠で自由に使える予算額と用途は規定されていないのか?

―予算額が大きければ、県定例議会で補正予算を組む。予算額の小さい応急処置は途中で土木事務所の裁量でできるが、緊急の場合でも、道路維持課に文書で状況報告を付けて許可を得なければならない。

☆国の補助事業に県単予算で追加変更できるか?

―県議会の承認と、場合によっては建設省の許可が必要だ。

 話し方のニュアンスなどは省いたが、若い職員は専門知識を標準語で妙に丁寧な言葉遣いで話してくれた。大館橋の補修工事と具体的に名前を言うと、相手は現実の問題に対する疑惑なのだと気づいて動揺したらしかった。ぼくは、県単独事業が地元の自治体の知らない問に行なわれても規則違反でないことに、唖然としていた。それが事実だとしたら、法の欠陥である。しかし、もっと意外なのは、マーク計画は県議会の承認と建設省の許可を得なければ、できない事業だったのではないか、ということだ。

 

4

これまでの関係者の話で明らかになったことと主な疑問点を整理してみよう。

1 マーク計画は誰が発案したのか、不明である。北秋田土木事務所の薄葉茂前課長補佐は〈土木事務所の判断だ〉と言うが、ただ計画する権限があるという意味である。猿田明善主査は〈市当局の要望だったと思うが、記憶が定かでない〉。大文字焼きマークは二人の話がだいたい土木事務所の着想という点で一致している。

2 問題は、前年から国の補助金を受けて計画した補修事業にどうして急に新しくマーク計画が追加されなければならなかったか、だ。担当者達は大館橋の補修について熟慮したはずではなかったか?その疑問を解く鍵は土木事務所の主査が言った〈バランス批判〉にあると思う。つまり、下流側の勾欄に白鳥のパネルと杉のパネルを取り付けるが、片一方の勾欄とのバランスが取れないという批判だ。これは,パネルの取り付けを計画の段階で知っている者の批判だろう。しかし、その〈バランス批判〉が偏っていることは、橋の表面の工事が終わった今、誰の目にも明らかだ。下流側の鉄骨のバルコニーから街灯が取り払われてしまった、フォルムや色彩が上流側の勾欄と

全然違う、歩道が相変わらず片側だけだ…勾欄のクリーム色は最近下流側と同じ茶色に塗り替えられたが、もともと全体のバランスが配慮されていなかった橋において、土木事務所はなぜ《絵》に関してだけバランスを重視する気になったのか?計画の追加変更は自分の過ちを、少なくとも怠慢さを認めることだが、役人にすなおに反省させる力を持った人間とはどんな人物だろうか?     

3 その結果、土木事務所はマーク計画の手続きの間違いを犯した。主査は,県庁の許可を得るのに〈書類手続きは不必要〉で電話報告だけでいいと言うが、本当は〈予算額の小さい応急処置は途中で土木事務所の裁量でできるが、緊急の場合でも、道路維持課に文書で状況報告を付けて許可を得なければならない〉のだ。この間違いは単なるミスではない。計画の決定には土木事務所の所長と課長と課長補佐の承認が必要だからだ。関係者がみな思い違いをしていた、とは考えられない。この異常さは発端の曖昧さと密接に繋がっている。正常でない不自然な始まりが不正なレールを延ばしてしまった、と言えるだろう。主査がうろたえながら言った〈あれは例外〉という表現は、計画そのものについての感想を漏らしたように聞こえた。橋という公共性と危

険度の高い建造物では特に、市の浅野土木課長の言葉通り〈市では橋全体の補修〉を考慮して〈県は全体をセットして〉計画を練るのが理性というものだ。しかし、それはなぜか最終的には下流側だけの事業計画になった。

4 手続きの過ちはそれだけでないようだ。マーク計画が国の補助(国庫支出金)を受けた事業の追加変更なら、〈県議会の承認と、場合によっては建設省の許可を〉得なければならない。つまり、土木事務所が思いつきで勝手に予算を使うことはできない、ということだ。前課長補佐は当然のことながら、追加変更ではないと否定した。                                 

しかし、道路法によれば、〈道路に関する工事により必要を生じた他の工事〉の費用は本来の事業の費用負担者(つまり、国と県)が負担しなければならない1

 

1 第4章;[付帯工事に要する費用]第591

 

 

 

5 ともあれ、そうして愚かしいマーク計画が始まった。時期は、いつだろうか?土木事務所の主査の記憶によれば、〈7月か8月〉には市の土木課に通知している。下流側の勾欄とパネルを請け負うことになる秋田ディックライトの担当者の話では、〈営業所長が土木事務所へのPRのついでに、入札前に、マークの図案について相談した。7月、ということにしてください。〉無関係な入札前の業者に相談するとはおかしな話だが、肝心の事業地域の土木課と協議をしないのはそれ以上に奇怪である。ちょうど7月中旬には衆議院選挙が行われた、と世の中の背景を一言付け加えておこう。

6 マーク計画が市の土木課にあらかじめ通知されたかどうかについては、双方の主張が完全に対立する。県土木部道路維持課は地元の自治体が県単独事業の計画に関与する権限について〈規則で定まっていない〉と言う。しかし、〈必要に応じて、予算額の大小に関係なく〉協議・連絡する。その必要性は実際の事業計画で担当者が判断する。大館橋の場合、市の土木課にせめて通知ぐらいはするべきだと判断したようだ。一般住民の常識では文書による通知だと思うが、実際は口頭で何かの折りにどうでもいいような情報を伝えたといった感じだ。反対に、市の土木課の課長は〈通知はなかった〉と明言している。それは、土木事務所の担当者が嘘をついていると告発すると同時に、市当局がマーク計画に関与しなかったと主張することである。そうだとすれば、あとで知ったとき上流側の計画に関して例外的に自治体の主体性を無視されたことに苦情を言ったか?民主主義の基本的な精神に反する違法なプロセスを批判しないで、マーク計画を追認した市当局の無責任な姿勢が問われなければならない。なぜなのか?この疑問は、時間的な背景の中に置き直してみると、自然に解けるだろう。

7 国の補助を受けた大館橋補修事業の入札は97日行なわれ、ショーボンド建設と秋田ディックライトに決まった。同じ日に県単独事業計画の塗装業者も決まった。これを思うと、マークの図案決定に市の土木課の意思がどうして反映されなかったのか、分からない。図案の相談はマーク計画を知らせることである。発注前に行われたパネル図案の協議の際にも黙っていたのは、習慣的な秘密主義よりもっと暗い何かを想像させる。県単独事業計画そのものに違法性があるから、他の行政機関で同じ領域を専門とする担当者に知られると困るのだ、と考えられないか…

8 上流側勾欄のマーク塗装は10月前に終り、住民の感受性を傷つけた。下流側の補修工事は橋桁解体の着手が11月初め、基礎工事が11月後半、中間までの勾欄取り付けが12月の末頃。雪の降る寒い風の季節に、節くれ立った曲線の勾欄が。土木事務所の前課長補佐は、〈大館市民の大多数に喜んでもらっていると思っています〉と言った。しかし、上流側の美しいマークの装飾はなぜその時にそんなに急がなければならなかったのか?〈バランス〉批判があったとしても、それでは単なる口実でしかあるまい。土木事務所が誠実に反省したなら、下流側勾欄の鋳物のパネルに見合ったもっと芸術性の感じられる製作品を取り付けたはずだろう。そのためには十分な資金が獲得できる補正予算を組むとか、国の補助事業の追加変更として次年度に実行するように取り計らうのが正しい方法だったのだ。それができなかった理由はマーク計画の動機と目的に関係がある。

9 土木事務所は年度末に県庁に精算書を送った。土木部は何とも思わなかったのか?

 

12月の初め、米代川ドキュメンタリー第1部の試写会をスタッフだけで開いた。予定では8月に日本海までの撮影を終えて完成していたはずだった。地下室で見ながら、ぼくは憂鬱な気分だった。予期しなかったわけではないが、ヴィデオ・カメラと編集機器および河川情報を提供してくれた小坂町の測量会社の社長との関係が奇妙に悪化して、来年再び機械を貸してもらえるか、怪しくなっていた。11月のHHJ23号で〈人は二度と同じ川の流れに入れない〉と言った通り、それはやがて現実になった1

 H

 

 

1 古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの言葉

 

 

 

 

 

 

 

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大館市役所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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