バス廃車体全国版

富山県1(富山地方鉄道)

富山県の廃車体のうち、富山地方鉄道とその系列会社のものをご紹介します。
富山県内の交通企業はほぼ富山地鉄系列といっても過言ではなく、現存する加越能鉄道、立山黒部貫光や、過去に存在した富山観光バス、立山観光バスは系列会社です。

廃車体
RB10

撮影:富山県(2007.7.7)

富山地方鉄道 日野RB10

民家の庭に置かれた富士重工製ボディの日野車。
富山地鉄では、日野車の富士重工ボディというのを、系列会社含めて多く導入していました。地元の呉羽自工が三菱にしか架装しないようになり、隣接県の金産自工とはそう密接な関係でもなかったようです。

廃車体
MR490

撮影:富山県(2007.7.7)

富山地方鉄道 三菱MR490

農家の脇に置かれた廃車体。
呉羽ボディの丸形車体で、前照灯4灯ですので1966〜67年式。
正面に系統幕を持つワンマンカー。

廃車体
BD15

撮影:富山市(2007.7.7)

富山地方鉄道 日野BD15

正面分割窓の呉羽ボディですが、日野のエンブレムがついています。シャーシは日野のセンターアンダフロアエンジン車。呉羽ボディの地元だけあって珍しい組み合わせです。
普通このボディの後面は2枚窓ですが、非常口が後ろにつくセンターアンダはどんなスタイルになるのか興味のあるところです。しかし残念ながら、雪の重みで後ろ側がつぶれており、原形が保たれていませんでした。
型式は推定です。
(撮影場所が思い出せませんが、恐らく撤去済み)

廃車体
RB10

撮影:富山県(2018.9.2)

富山地方鉄道 日野RB10
RB10

撮影:富山県(2018.9.2)

金産ボディの前ドア車が置いてありました。白地に水色が入ったデザインは見慣れないもので、側面に丸い社紋を付けたような跡、後面には方向幕があります。よく見ると、運転席窓の脇には、小さな表示板入れのようなものがあり、「乗合」「貸切」の区別をしてきたようにも見えます。
更に仔細に見てみたところ、後面窓の下に平仮名の「せ」のような文字が見えました。富山地鉄が所属営業所を示すために使う平仮名文字のようです。西部営業所所属車だったということでしょうか。(注1)

廃車体
5RA104

撮影:富山県(2016.9.3)

富山観光バス 日産デ5RA104
5RA104

撮影:富山県(2016.9.3)

富山観光バスの貸切車両。水色系のカラーで、窓下に赤いラインが入ります。
富士重工の1970年までのボディで、リアにエアサスのUDバッジがついています。丸形の3連テールも時代を反映しているようです。
側面に愛称名の「かもめ」の文字が見えます。
(情報提供:Kj様)

廃車体
4R106

撮影:富山県(2017.5.5)

富山観光バス 日産デ4R106

富山観光バスは、以前は富山市内で路線バスを運行しており、富山地鉄の市内線の水色の部分をオレンジ色にしたカラーデザインでした。
そんな時期のUD車で、前後ドア。側面最後部窓が横引き窓になっています。
型式は推定です。

廃車体
RC320P

撮影:富山県(2018.9.2)

立山開発鉄道 日野RC320PT

立山高原バスに使用されていたターボ付高出力車。やはり富士重工製ボディで、同社の日野車はこの後もしばらくは富士重工製ボディで増備されます。
倉庫として使用されていたようで、中央部に大型の鉄製観音開きドアが付けられ、また全体にモルタルが塗られていたようです。今ではそのモルタルが剥がれかけ、元のカラーが見え始めています。車番の立山10も見えてきました。
(情報提供:Kj様)

注意事項
本ページは、「廃車体は文化遺産である」と言う趣旨によって作成しております。当サイトを訪れる方は、この趣旨を御理解いただける方だと思いますが,万が一,本ページの悪用による廃車体への損傷等があった場合は,本ページ及び関連する事項は即刻削除いたします。
(注1)
ぽると出版(2002)「金沢ボデーのアルバム」の巻末表によると、富山地鉄では1967年に金産ボディのRB10を入れています。
ページ上部へ戻る
メニュー

80s岩手県のバス“その頃”