入門その頃のバス

帝国自工→日野車体(観光バス)

ボディ 1960年代〜70年代にかけて、観光バスは路線バスのバリエーションとして製造された側面が強く、これが1980年代に入る頃から分離して行った傾向にあります。これはボディについても同様で、路線バスの前後の窓をルーフラインまで大型化し、側面をメトロ窓にしたものが観光ボディの基本でしたが、徐々に観光バスとしての独自性を持ったスタイルに変わってきています。
帝国自工は、路線バスの前後を大型窓にしたタイプと高速バス用ボディの流れを汲む傾斜窓のタイプを並行生産するという構成で、外観に変化がないまま1975年に日野車体工業に合併します。その後、1977年に業界に先駆けてスケルトン構造のバスを世に送り出し、観光バス業界に革命を起こしました。1980年代にかけて、各メーカーが窓の大きい角張ったバスの開発にしのぎを削るきっかけを作ったのです。


1964−1967

長野電鉄 日野RB10P
長野電鉄

撮影:板橋不二男様(須坂営業所 1976)

大井川鉄道 日野RB10P(1967年)
大井川鉄道

撮影:静岡県(2017.12.2)

帝国ボディでの観光タイプのボディは、高速バス用シャーシに架装されたボディをベースとするもので、1964年に国鉄バスのRA120Pに架装されています。
前面は丸みのある傾斜窓で、後面も同じイメージの連続3枚ガラスとなっています。このスタイルは、初期の高速バス会社である日本高速バスなどでも採用されたほか、各地のデラックス志向の観光バスにも採用されたようです。
なお、前後のスタイルの組み合わせは、通常スタイルも含めて複数ありました。

日本国有鉄道 日野RC100P(1967年)
国鉄バス

撮影:板橋不二男様(様似営業所)

元富士急行 日野RB10P
富士急行

撮影:山梨県(1977.8.12)

前面窓を傾斜させず、ルーフラインまで大きくしたタイプも末期には作られるようになりました。これは、次世代のスタイルに引き継がれています。
前後のスタイルの組み合わせは様々あるようです。
側面の窓は、通常のメトロ窓と斜めのメトロ窓の2種類がありますが、初期の斜めメトロ窓には大きなRがつくのが特徴です。最終年度の1967年には、四隅のRは小さくなりました。

シャーシの組み合わせ・・・日野、いすゞ

1967−1982

標準床車(上拡大窓型)
富士急行 日野RC300P(1972年)
富士急行

撮影:御殿場駅(1986.1.7)

岩手県交通 日野RC320P(1974年)
岩手県交通

撮影:一関駅(1985.8.17)

1967年のRE系登場に伴い、観光バスもこれをベースにしたスタイルに変わりました。路線バスの前後の窓をルーフラインまで拡大し、側面はメトロ窓になっています。後面窓は路線バスでは3枚ガラスですが、観光タイプでは2枚ガラスになります。このボディスタイルは、基本構成を変えないままモノコックボディ末期の1982年まで製造されています。ただし、フロントのライト周りのグリル形状は、初期には単純な造形でしたが、1973年頃から工夫を凝らした成形に変わってきています。

日本国有鉄道 日野K-RC721P(1981年)
国鉄バス

撮影:盛岡支所(1986.5.25)

1978年から、路線バス同様に前面窓上のヒサシが浅くなりました。初期の一部を除いて、型式の末尾に12が付くものと考えていいと思います。
これ以降、フェンダの形状が変更されています。

シャーシの組み合わせ・・・日野、いすゞ

標準床車(高速型)
岩手急行 日野RC300P(1972年)
岩手急行

撮影:盛岡市(1986.7.25)

路線バスのボディを基本にしたタイプと並行して、高速バス用の流線形ボディの系譜を引き継ぐ傾斜窓タイプも生産されています。
当初は丸みのあるスタイルでした。1973年頃までこのスタイルで、またライトを含むマスク形状も写真のような形状のものが多く見られます。
国鉄バスの日野RA900Pは1975年までこのスタイルで生産されています。

東京急行電鉄 日野RV550P
東急バス

撮影:双葉SA(1986.8.18)

1973年からはおでこの丸みが少なくなるマイナーチェンジが行われました。
ほぼ同じタイミングで、マスク形状やバンパー形状も変わりました。

セミデッカー 1973−1982
東京近鉄観光バス 日野RV
東京近鉄

撮影:双葉SA(1986.8.18)

富士急行 日野RV
富士急行

撮影:河口湖駅(1986.8.19)

1973年よりセミデッカーが設定されました。傾斜窓タイプを基本に、前ドア後ろから屋根に段差をつけたものですが、後に富士重工と同様、段差が後ろ寄りのものも加わっています。

全高・・・3,265mm

近畿日本鉄道 日野RV
近鉄バス

画像:近畿日本鉄道カタログ(1988)

近鉄で導入されていたセミデッカーの前部が盛り上がったタイプ。セミデッカーとパノラマデッカーの中間的存在でしょうか。なお、日野車体でもパノラマデッカーは存在しましたが、写真がないのでここでは省略します。

全高・・・3,365mm

フルデッカー 1978−1982
岩手県北自動車 日野RV561P(1979年)
岩手県北バス

撮影:岩手県庁(1985.7.23)

標準床車のマイナーチェンジと同時に、フルデッカーが設定されました。傾斜窓タイプを基本に床を高くしたもので、側窓の大きさが標準床車と変わらないため、かなり背の高い威圧感のある印象です。事実、この時期のハイデッカータイプでタイヤハウスが完全になくなったのは、日野のフルデッカーのみです。
日野ではこの時期にスケルトンバスを発表し、上級車種として並行生産していたせいもあり、他のボディメーカーのハイデッカータイプに比べて地味な印象を与えます。実際のところ、日野RVに架装できるフルデッカーボディには富士重工R1型フルデッカーなど派手なスタイルも選択できるため、こちらは日野のヘビーユーザー中心の導入にとどまっていたようです。

ミドルデッカー 1978−1982
東礼自動車 日野RV
おしどり観光

撮影:双葉SA(1986.8.18)

フルデッカーと同時に、車高の若干低いミドルデッカーも設定されました。ミドルデッカーは日野独特の車格で、比較的低出力の貸切バスや高速バスに用いられるボディとして、隙間市場を埋めています。
セミデッカーの系譜を継いでいるということなのか、最前部の側窓を大型化したものが多く見られます。扉上の明かり窓も特徴の一つ。

JRバス東北 日野RV531P(1982年)
JRバス東北

撮影:左党89号様(二戸駅)

傾斜窓タイプはフルデッカーとの見分けが困難ですが、扉上の明かり窓の大きさが異なります。

この時期のマスクについて
1960〜80年代の帝国自工、日野車体では、同一の基本スタイルでの生産を続けていましたが、マスクの形状には若干変化があり、顔つきで大まかな製造年代を見分けることが出来ます。
また、これらには複数のバリエーションがあり、グレードなどでも使い分けられていたようです。

丸型ベゼル
マスク 1960年代から1970年代前半に掛けて見られた丸型のライトベゼルと社名表示窓を一体化したマスクです。

角型ベゼル
マスク 同じく1960年代から1970年代前半に掛けて見られたマスクですが、角型のベゼル(初期にはオーバル形ライト)を配置したため、両脇が角張っています。

吊り橋状
マスク やはり1960年代から1970年代前半に掛けて見られたマスクで、角型のベゼル(初期にはオーバル形ライト)を吊橋状の飾りで結び、社名表示窓(方向幕)をその上に配置したもの。

吊り橋状(傾斜窓タイプ)
マスク 吊り橋状のタイプの中で、前面傾斜窓のボディにはこの形が用いられていました。

1970〜80年代タイプ
マスク 1973年頃からシャーシの一部モデルチェンジとほぼ同じくして登場したものは、彫りの深い存在感のあるマスクになりました。

1970〜80年代タイプ(釣目状)
マスク 上記と同じく1973年頃から登場したものの一つで、両サイドを釣り目状にしたタイプ。富士重工製ボディのものとよく似ています。
国鉄バスに用いられたものをベースとしていると思われます。

1977−1985 スケルトン・ブルーリボン

1977年に日野自動車と日野車体では、初めてのスケルトン構造のバスを発表しました。リベットのない角張った車体と大きな窓は、その後の観光バスのスタイルに大きな影響を与えました。商品名にもなった「スケルトンバス」という名称も、構造自体はともかく、角張った観光バスの代名詞になりました。
標準 1977−1985
日野RS120P(1977年)
スケルトン

画像:日野自動車カタログ(1978)

1977年に登場した日野「スケルトン」の最初のモデルは、直線美の中にも上部を内側にすぼめたり側窓の四隅にRをつけたりと、優雅な曲線を取り入れたスタイルでした。設定は標準床のみでした。また、両開きのスィング・アウトドアはその後も日野だけに見られる仕様となりました。

全高・・・3,100mm

十勝バス 日野K-RU637AA(1983年)
十勝バス

撮影:左党89号様(本社営業所 1999.8.1)

1978年の量産タイプから、より角張ったスタイルに変わりました。1980年代には角張ったバスが流行し、他のメーカーも後に続くことになります。標準床の場合、側窓の上に幕板スペースがあります。

全高・・・3,120mm

フルデッカーⅠ 1978−1985
伊那バス 日野K-RS360P(1982年)
伊那バス

撮影:伊那本社(1988.11.27)

1978年からフルデッカーも設定されました。
試作車で用いられた両開きのスィングドアは、日野にしかないこともあり、差別化のため導入するユーザーも多かったようです。

全高・・・3,250mm

川中島バス 日野P-RU637AA(1984年)
川中島バス

撮影:長野営業所(1993)

1982年にRU(ブルーリボン)にモデルチェンジされ、並行生産されていたものコックボディが終了します。ブルーリボンでは、両開きのスィングドアはオプションとなり、1枚スィングドアが標準設定となりました。

全高・・・3,250mm

フルデッカーⅡ 1980−1985
日野K-RU638AA
日野ブルーリボン

画像:日野自動車カタログ(1982)

他メーカーの影響か、1980年には前面上部のガラスを分割して強い傾斜をつけたフルデッカーⅡもオプションで追加されました。
特徴あるスタイルですが、導入する事業者は少なかったようです。
なお、両端が上がったメッキのバンパーは、最上級クラスに採用されたタイプで、この時期の特徴的なパーツです。

全高・・・3,250mm

ミドルデッカー 1982−1985
岩手県北自動車 日野P-RU638AA(1985年)
岩手県北バス

撮影:盛岡駅(1985.5.23)

1982年に標準床車とフルデッカーの間に、中堅クラスのミドルデッカーが設定されました。
外観上の区別は、前ドアの上のスペースや側面のフェンダとリッドの位置関係などから判別することができます。
なお、1984年から昭和58年排ガス規制に対応したマイナーチェンジで型式がK-からP-に変わりますが、その際、前ドア次位の窓柱が太くなりました。

全高・・・3,175mm

1985−1990 ブルーリボン

1985年にボディのモデルチェンジを実施、1984年に発売したダブルデッカー「グランビュー」の特徴を取り入れた丸みのあるスタイルになりました。前面窓は傾斜窓となり、フロントグリルは角型2灯でバンパーと一体感のあるデザインになりました。後面は垂直ながら丸みがつき、クローバー形のテールライトが特徴です。
1990年の「セレガ」登場まで生産されました。
スタンダード 1985−2000
自家用 日野U-HU3KMAA
ブルーリボン

撮影:長野県(2013.6.23)

路線バスと同じ床面高の標準床車については、このモデルから路線バスシャーシとの組み合わせのみになり、基本的に自家用バスか中距離路線バスに使用される前提となっています。
外観からの見分けは、側面のリッド線がフェンダで途切れている点です。
なお、路線バスのバリエーションになるため、観光バスが「セレガ」へモデルチェンジした後も、2000年までこのスタイルで製造が続きました。

全高・・・3,120mm

ミドルデッカ 1985−1990
島原鉄道 日野P-RU606B(1986年)
島原鉄道

撮影:口之津営業所(2006.9.30)

ミドルデッカーは、前モデルでの標準床車とほぼ同等です。貫通式の床下トランクは設置できません。
廉価版の貸切バス、高速バスや自家用バスなどに採用されるグレードとなっています。

全高・・・3,180mm

スーパーミドルデッカ 1985−1990
日ノ丸自動車 日野P-RU638BB
日ノ丸自動車

撮影:鳥取駅(2006.8.27)

スーパーミドルデッカーは、前モデルでのミドルデッカーとほぼ同等です。ミドルデッカーとフルデッカーの中間に位置し、外観上の見分けは難しく、前ドアの上のスペースや側面のフェンダとリッドの位置関係などから判別することができます。

全高・・・3,250mm

フルデッカ 1985−1990
小豆島バス 日野P-RU638BB(1988年)
小豆島バス

撮影:土庄町(2005.9.3)

伊予鉄道 日野P-RU638BB(1988年)
伊予鉄道

撮影:松山駅(2016.5.29)

フルデッカーは前モデルのフルデッカーを引き継ぐ、最も標準的なグレードです。貸切バス、高速バスなどに幅広く採用されます。
前面が傾斜窓になったため、両開きのスィングドアはなくなり、1枚のスィングドアと折り戸の設定が残りました。
このシリーズは、テールランプがクローバー形に配置されているのが特徴です。

元熊野御坊南海バス 日野P-RU638CB
熊野御坊南海バス

撮影:長野県(2018.8.12)

スィングドアの窓は、末期には角にRのある1枚ガラス風のものに変わっています。

全高・・・3,250mm

グランデッカ 1985−1990
名阪近鉄バス 日野P-RU638BB
名阪近鉄バス

撮影:諏訪市(1986.8.18)

1985年のモデルチェンジと同時にスーパーハイデッカーがラインナップに加わりました。まず最初に登場したのはグランデッカと呼ばれるもので、フルデッカーを縦に伸ばしたスタイルです。
上部でガラスが2枚に分かれているのが標準仕様ですが、後期にはカタログ、実車ともに1枚ガラスが主流になります。

全高・・・3,550mm

グランシアター 1986−1990
つつじ観光 日野P-RU638BB
つつじ観光

撮影:farewell song様(仙台市 1994)

1986年には床が後部に向かって傾斜している劇場型シートのグランシアターが加わりました。
このタイプは国産車では日野のみの設定で、差別化を図りたい事業者に重宝されました。


全高・・・3,550mm

グランジェット 1987−1990
美ヶ原高原バス 日野P-RU638BB(1989年)
美ヶ原高原バス

撮影:安中市(2016.5.28)

1987年には2階建てバス風の2分割窓としたグランジェットが加わりました。
主に車両を大きく見せたい貸切バスとしての導入が多く見られました。

全高・・・3,550mm

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