1970年代奥の細道
弘南バス4(三菱・譲受車)
板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の弘南バスの写真を掲載します。ここでは、三菱車の中で、他社からの譲受車と思われる車両を紹介します。
青2く2020
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱MR470(1965年式)
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
川崎ボディの三菱車で、1970年にどこからか譲受した車両。中ドアは増設されたもののようなので、元は前ドア車。川崎ボディでは、三菱MRの場合、側面最後部の窓が横引き窓になるなど、いすゞ車とは異なる特徴があります。雨樋もスタンディウィンドウの上にあります。
方向幕には「急行五所川原」と表示。
車番は3588-3。
型式は推定です。
青2く2032
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱MR490(1966年式)
運転台横の窓の次に縦長の固定窓があるので、MR490であることが分かります。1966年式を1970年に譲受しているのですが、前所有者が4年で放出した理由は分かりません。
側面窓下の紺色のラインが太く、そこに車番を書いているのが特徴。更にそのラインが正面に向けて、いびつな曲線を描いているのが、この車両の個性です。
車番は3669-3。
青22か46
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撮影:板橋不二男様(青森営業所 1977.3.11)
弘南バス 三菱MAR470(1966年式)
呉羽ボディのメトロ窓車ですが、中ドアが増設されてワンマンカーになっています。1966年式を1971年に青森ナンバーで登録していますので、譲受車。
方向幕脇のスピーカーが貸切バスとして使用されていたことを物語ります。冷房がないので、早めに放出されたのかも知れません。
車番は3672-3。
青22か125
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱MAR470(1967年式)
川崎ボディの三菱車。中ドアは増設のようです。1967年式を1972年に譲受した模様。正面窓の上には横長の明り窓がありますが、この手の川崎ボディではあまり見ないような気がします。
車番は3762-3。
青22か182
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱MAR470(1966年式)
富士重工ボディの三菱車。この時期の富士重工の観光タイプは、側面最後部の窓が丸くなっていました。正面窓上の明り窓もかつての観光バスの面影を残します。
この時点ではツーマンの路線バスに格下げされています。ドアの前の後ろ姿は女性車掌さんで、お客様が財布から小銭を出そうとしているようです。営業所の入口では、子供たちが座り込んで遊んでいます。のどかな光景です。
車番は3680-3。
青22か403
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱MAR470(1967年式)
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
上の青22か182とほとんど同じ富士重工製ボディですが、年式は1年違います。1967年式を1973年に譲受しています。側面には丸い社紋があり、翼をモチーフにしたデザインですので、当初は貸切バスとして使用していたのだと思いますが、今が明り窓の中に「五所川原」と方向幕を入れています。
車番は3766-3。
青22か624
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱B805L(1968年式)
自社発注車にも見られる呉羽ボディの観光タイプですが、1974年頃に登録されていますので、譲受車。方向幕脇にはスピーカーがついています。
車番は3877-3。
青22か629
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撮影:板橋不二男様(五所川原営業所 1977.8.12)
弘南バス 三菱B805L(1969年式)
三菱ボディの観光バス。“ヒゲ”スタイルのデラックスタイプですが、1969年式を1974年に譲受しています。冷房がないため、早めに放出されたのだと思います。
他の写真では、丸形の3連テールで「B8」のプレートが見えますので、型式を推定しています。
車番は3965-3。
青22か762
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撮影:板橋不二男様(十和田湖子ノ口 1977頃)
弘南バス 三菱B805L(1968年式)
1974〜75年に登録されている富士重工製ボディの観光車。この時点でも「弘南観光」と表示されていますので、貸切登録だと思われますが、十和田西線の急行バスとして使われています。
車番は3884-9。
青22か1179
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撮影:板橋不二男様(青森営業所 1977.3.11)
弘南バス 三菱B805M(1970年式)
弘南バスでは見慣れた呉羽ボディの観光タイプですが、メトロ窓が斜めになっています。1970年式を1976年に登録していますので、冷房がないため早目に廃車になった貸切車を譲受した模様。
中ドアを増設されてワンマン化されていますが、カラーデザインは翼のモチーフが入る観光タイプ。正面の社名表示は方向幕に改造されず、正面窓内に行き先を表示しています。
車番は3053-3。型式は推定。