絵葉書でめぐる日本バス紀行(熊野交通)
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戦後の観光ブームの際、南紀(紀伊半島)は紀勢本線の全通とともに新婚旅行のメッカとなるなど、同社エリアにも大量の観光客が訪れるようになります。この地区の交通は、南海と近鉄による争奪戦に巻き込まれ、熊野交通には南海資本が入ります。
ここでは、昭和30年代を中心に、元気のあった熊野交通が自社発行した乗車記念絵葉書を紹介します。
一の瀧を見る登山道
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撮影時期:1940年代後半
一の滝を見上げる登山道を走る2台のボンネットバスです。
車両はトヨタのボンネットバスのようです。
吉野熊野国立公園
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撮影時期:1950年代前半
バスは遠目でかつ手彩色に塗りつぶされているので詳細は分かりませんが、フェンダが側板でガードされているように見えるので、いすゞBX92かも知れません。
一の瀧を見る登山道
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1950年代中盤(1953年以降)
バスに乗って、那智山の麓に達すると、右手に千古斧を入れない原始林が鬱蒼と生い茂っている。この原始林のつきる辺りから、車窓の右に左に待望の那智の大滝が見え隠れする。晴れた日、霞の日、霧の日、雪の日、いずれの日を問はず、大滝の遠望は美しさと神秘さを失はない。やがてバスは滝前に到着−所要三〇分−する。バスを降りてこれより亭々と聳える老杉の樹陰にしきつめられた、鎌倉造りの石畳を踏んで那智滝壺に至り、その電気にうたれるのである。
トヨタのエンブレムをつけたバスはテレビ形の角張った窓からトヨタ車体製ボディと思われます。このエンブレムの時代のトヨタのリアエンジンバスは、ガソリンエンジンのFR(1953年式)があっただけです。
ナンバーは2-2037。
後ろのボンネットバスはいすゞBX。
吉野熊野国立公園 妙法高原より勝浦温泉周辺を望む
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撮影時期:1960年代前半
正面窓に日よけがついているため、三菱ボディにも見えますが、スタンディウィンドウがプレスで出っ張っている形状から、安全車体製ボディのようです。三菱MR480でしょう。
ナンバープレートには2009の文字が見えます。
妙法山上より見た勝浦温泉周辺
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撮影時期:1960年代前半(1962年以降)
熊野交通も見覚えのある明るい色のデザインになりました。
多分、三菱MR480(安全車体)でしょう。
ナンバープレートは563。緑ナンバーなので、1962年以降の撮影です。
吉野熊野国立公園 潮岬観光タワー
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撮影時期:1960年代前半(1960年以降)
潮岬観光タワーは1960年の建設。完成間もない頃の撮影かもしれません。手彩色。
新日国ボディのリアエンジンバスで、いすゞのエンブレムの形状からBB341(1957〜59年式)のようです。
恐らく下の絵葉書の車両と同形車。
吉野熊野国立公園 潮岬
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撮影時期:1960年代前半
潮岬・本州最南端に在る望楼の芝・下村海南記念館このあたりになると、本物のカラー写真になります。
正面連続窓、後面2枚窓というありがちのスタイルですが、側面最後部の固定窓の形状から、新日国ボディに見えます。
シャーシは、後面中央の通気孔形態などから、いすゞBA系ですが、フレーム付のBB341(1957〜59年式)のようです。(注1)
吉野熊野国立公園 妙法山上より見た勝浦温泉周辺
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撮影時期:1960年代前半(1962年以降)
バスの方向幕には「観光」とあり、車掌さんやお客さんの姿も見えます。
いすゞのエンブレムが輝く車体は、新日国ボディ。ヘッドライトは特注のライトベゼル。
いすゞBA系ですが、フレーム付のBB541(1960年式)と思われます。(注2)
緑色のナンバープレートなので、撮影は1962年以降。
勝浦・潮岬を結ぶ海岸線
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撮影時期:1960年代後半
三菱の前ドア車で、貸切バス仕様のためメトロ窓。側面後部のエンジン通気孔が小さめで、屋根上のダクトが左側なのでB800系列だと思われます。ただし、おでこの丸い三菱ボディは1967年まで、B800系列は1967年からなので、この組み合わせは初めて見ました。
ナンバープレートの数字は669と読めます。
吉野熊野国立公園 妙法山より勝浦方面の展望
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撮影時期:1960年代後半
三菱の前ドア車で、貸切バス仕様のためメトロ窓。上の絵葉書の車両とはよく似ていますが、こちらはサブエンジン冷房付。また、側面後部のエンジン通気孔が大きく、屋根上のダクトが右側なのでMAR470と思われます。
ナンバープレートの数字は663と読めます。同じ頃の導入で、冷房付のMR系と冷房なしのB8系を並行導入した理由は何でしょう。
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