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1985年3月14日
Re:1985年3月14日
年は違いますが地元の新花巻駅開業と高校入試がともに3月14日だったので、1年の中で忘れ難い日の1つになっています。
新花巻駅開業直前に駅の見学会が行われて出掛けてみたところ、思ってた以上の洒落た外観に加えて改札口やホームの発車案内板がLED式だったのには驚きました。
新幹線駅といえばどこも“パタパタ式”の案内板でしたのでここでもそれが設置されるものと思ってましたから。
「花巻にすげぇナウいもんができた!」と一人喜んでいました。
30年経って、駅の発車案内板でLED式ではないものはほとんど見かけなくなりましたし、県内でもバスの行先表示はLED式のものが増えています。こんなところも変わってきているんですね。
ちなみに、花巻空港も到着・出発案内板は“パタパタ式”だったのが6年前ターミナルビルが新しくなった際に
液晶式のものに変わりました。
“パタパタ式案内板”ときいて新幹線駅、空港、「ザ・ベストテン」を連想するのはオジサンになった証拠でしょうか(苦笑)。
Re:1985年3月14日
新花巻駅と水沢江刺駅もこの日開業でしたね。
特に水沢江刺駅は、駅名でもめた結果、水沢市と江刺市を合わせた駅名に落ち着いたという産物でした。
「200系を探せ」のコーナーでも書きましたが、その水沢市と江刺市が、今は同じ市になっていしまったというのも、時代の移り変わりを感じます。
そして、パタパタ式の案内板からLEDになったのもこの時代だったんですね。
当時のTVドラマとかで羽田空港とかが出てくると、パタパタと出発状況が変わる場面が出てきて、空港を印象付けていました。
私にはなぜか鉄道駅でのパタパタの記憶は残されてなく、とまりますさん同様に「ザ・ベストテン」が最初に思い浮かんでしまいます。
写真を見て懐かしく感じたのは「あおば」の列車名です。「あおば」の盛岡行きと言うのは朝の仙台発便でしょうか。
各駅停車便なので「あおば」だったんだと思いますが、今はなぜか「はやぶさ」がその役割を担っていますね。
「はやぶさ」と「はやて」の定義が私にはよくわかりません。
Re:1985年3月14日
>水沢江刺駅
時代を先取りしたような(?)駅名ですが、市町合併の際に「奥州駅」に改称しようという動きがありました。
費用の面で断念したとのことですが、「奥州」という駅名ではどこにある駅なのか分からないようで・・・
「奥州○○km」という道路案内板見ても「盛岡も花巻も北上も“奥州”だよな」とツッコミを入れたくなります。
>パタパタ案内板
81年秋だったと思いますが北上駅改築を伝えるニュースで「県内初のデジタル式案内板を設置」と報じられた記憶がありますし、同じ頃仙台駅の改札口そばには大型の発車案内板があって、作動している様は「ザ・ベストテン」のランキングボードそのものでした(笑)。
(10列車分を表示していたように思うのですが記憶が定かではありません。)
「ザ・ベストテン」のプロデューサーによる回想録によると、羽田空港の案内板を見てこれを使おうと思ったそうです。
>仙台−盛岡間
秋田新幹線開業まで仙台発朝一の盛岡行と盛岡発仙台行最終が「あおば」で、その後「やまびこ」となり、八戸延伸後は「はやて」に変わり青森延伸後は「はやぶさ」のようですね。
しかし各駅停車の「はやぶさ」ってナンか変だなと思ってしまいます。
区間便は下りと上りで愛称を変えればいいのにと思っているのですが、そうもいかないのでしょうか。
仙台→盛岡は「やまびこ」、仙台→青森は「はやて」、青森・秋田・盛岡→仙台は「あおば」みたいに。
この際、停車パターンに関係なく東京−仙台は「あおば」、東京−盛岡は「やまびこ」、東京−青森は「はやて(「はつかり」と改称したい!)」としてしまったほうがスッキリするように思っています。
往年の「1M・2Mはつかり」のような便だけが「はやぶさ」を名乗るとか(笑)。
Re:1985年3月14日
1985年の3月に大宮上野間が開通したんですね・・私はその頃埼玉の中学生でした。校舎は埼京線&新幹線が見える位置だったので、開通前、授業中に黄色い新幹線が試験走行しているのをよく見たものです。最初は通るたびに興味津々だったのですが、頻繁に通るのでそのうち空気のような存在になってしまいました。
パタパタ式案内板は埼京線開業時に採用されたのですが、当時近隣の他の国鉄路線では案内板自体が無かったと思うので、とても新鮮だった覚えがあります。結構最近まで使われていたような気がしますが?歳とると時間の感覚が分からなくなるので、実はだいぶ前かもしれません^^;
LEDの案内板ってこの頃からあったんですね。当時のコンピューターの性能からすると、表示するだけのシステムでもそれなりにお金がかかったのではないでしょうか。色々想像できて面白いです。
Re:1985年3月14日
こんばんは。
>水沢江刺
最近の似たような例では、来年開通予定の北海道新幹線の「新函館北斗」駅がありますね。
仮称「新函館」だったものの、建設される場所が函館市ではなく北斗市だったので、このような名前に決まりました。
広い視野でとらえた場合、函館の代わりの駅なのだから「新函館」が妥当なような気もします。
しかし、北斗市の立場としては、コストの負担などを含め、それなりに妥当な主張であったのだと思います。今は無名(全国的には)でも、新幹線の駅ができたことで、大きく発展する可能性もありますし。
水沢江刺のケースでも、「江刺と言っても北海道の江差のほうが知られている。東北新幹線の駅名になるのは飛躍のチャンス」と捉えられていた記憶があります。
>奥州市
平成の大合併で、納得できない名前の市がたくさんできました。
山梨県では、甲州市とか甲斐市とかがあります。
>仙台−盛岡間
多分新幹線の列車名の意味が、当時と今では変わっているんでしょうね。
各駅停車なら「あおば」だった当時と比べると、今は各駅停車の「なすの」は郡山以南の列車という定義になるでしょう。
「やまびこ」はと言えば、盛岡以南の列車という定義になるんでしょう。
そうすると、新青森に行く列車は、各駅停車であろうとも「はやぶさ」を名乗るという結論なんだと思います。
どうして「はやて」ではいけないのかはよくわかりません。なんだか北海道新幹線内の区間列車名が「はやて」に決まったと報道された覚えがありますので、よけい混乱しています。
Re:1985年3月14日
ご無沙汰しております。
パタパタ案内板の写真が見つかりましたのでUPしてみます。
場所は北上駅で東北新幹線暫定開業時に撮影したもので在来線優等列車名が表示されていますが、「1985年3月14日」以降は列車名表示のほとんどが「普通」のまま動かなかったので寂しい思いもあったものです。
余談ですが、この当時は「ザ・ベストテン」の他に「クイズ100人に聞きました」でもクイズの答えが表示される「パタパタ」がありましたね。TBSはこの「パタパタ」を好んで使っていたのかもわかりません。
新幹線の愛称ですが、私もやはり定義がよくわからなくなって来ています。
最初「はやぶさ」の愛称には九州ブルートレインのイメージから違和感を覚えたのですが、今度は区間列車の名前にも使われていることから別の意味で違和感がありますね。
ちなみに新青森開業前に行った愛称の一般公募では「はつかり」に投じましたが…
当時は速達性をイメージするために応募数1位の「はつかり」ではなく「はやぶさ」を採用したのかもしれませんが、「はやて」という似たような愛称も引き続き使っている訳ですから、そろそろ整合性を持たせた方が…と考えてしまいます。
Re:1985年3月14日
オペレッタ601号さん、こんばんは。
これは懐かしい雰囲気の写真ですね。こういう何げない光景を撮影しておくと、後年になって貴重な記録になりますね。
「急行もりおか」というのも懐かしい名前です。
後のLEDなど電光表示と違って、ダイヤ改正の時には物理的に表示板の差し替えが必要になり、手間はかかったんでしょうね。今みたいな「〇分遅延」とかの臨機応変な情報も流せませんし。
「クイズ100人に聞きました」はあんまり見てなかったなあ。どちらかと言えば「世界丸ごとHOWマッチ」を見てました。
100万円単位の金額というのは実生活で触れたことがありませんでしたが、「世界丸ごとHOWマッチ」で感覚的に身近な数字になりました。
列車名の話に戻りますが「はつかり」や「ひばり」などの名前がなくなって、「はやぶさ」や「はやて」といったなじみのない名前が速達列車に使われるのは、ちょっと残念ですよね。
いつか何らかの形で復活するのを望みます。
Re:1985年3月14日
数年前に、ある鉄道ショップで「60-3」改正時の東北版ポケット時刻表を入手しました。
盛鉄局が配布したものですが、東北新幹線上野開業が売りだっただけに表紙の写真は200系(ただし写真をよく見ると240km/hに対応していないE編成ですが)
余談ながら表紙右上のロゴは全国で使用されましたが、当時連載していた「キャッツ・アイ」にも似ているな…と思ったりも。
Re:1985年3月14日
連投失礼します。
改正では地方線区でも増発も行われましたが、一部の列車では「利用状況によっては来年の春以降の運転を取りやめる列車」という「α列車」となりました。
前記の時刻表の花輪線部分です。急行「よねしろ」を格下げした快速「八幡平」2往復がα列車となっています。
(α列車については翌年の改正では一部を除いて生き残ったとか)
地方路線はこのときからJR発足直後が増発などの積極策に取り組んでいたと思います。
花輪線も「国鉄最後」の1986年11月改正で盛岡〜松尾八幡平の区間運転が設定されたものの徐々に本数を減らし現在は全廃されました。
花輪線に限らず全体的に運転本数が減少しており、快速「八幡平」も登場から30年となった今年の改正と共に姿を消しました。
Re:1985年3月14日
こんばんは。
快速「八幡平」は今回の改正で消えたんですか。
「α(アルファ)列車」というのは、「増やしてくれって言うから増やすけど、乗らなかったらやめちゃうからね」という、分かりやすい施策だったと思います。
当時「シティ電車形ダイヤ」が各地で流行り始め、本数を増やすことで利用者が国鉄へ戻ってきたという、目に見える効果が出た時期でした。
まあ、そのせいで国道を走っていたような路線バスは割を食ったわけですが、国鉄がやる気を見せると怖いという一つの実例でした。
添付した画像は、1985年3月14日の改正チラシです。「その頃の出来事」のコーナーで下のほうに載せている画像ですが、色々なキャッチフレーズが当時の国鉄の意気込みを表しています。
女優の叶和貴子さんがメインキャラクターとして使われていますが、左党89号さんの入手した時刻表の表紙も、よく見ると叶和貴子さんでしたね。
このパンフレットには、ネコ耳のダイヤ改正マークはありませんが。
Re:1985年3月14日
非常に見難くて申し訳ないのですが、「ダイヤ改正マーク」で思い出しまして・・・
左は鉄道ジャーナル85年8月号59ページ、広島シティー電車のルポの写真の1つですが、ダイヤ改正の宣伝ポスターに「キラリ、100万カラット 便利さ光る今度のダイヤ」というコピーが書かれています。個人的になかなかうまいコピーと思っています(100万は広島都市圏の人口か)。
右は鉄道ジャーナル86年4月号118ページ、北陸鉄道の時刻表の案内ですが、よく見ると表紙のモデルが国鉄広島のポスターと同一人物で服も髪型も一緒(左目に垂れ下がった髪に注目)、表情は微妙に違うので同じ写真ではないものの同じ時刻に撮ったものと思われます。
同じ写真を使ったところで実害は無いですし21世紀今頃気づいても「だから何?」なのですが、こんなことってあるんだなぁ・・・と思ったのでした。
Re:1985年3月14日
確か国鉄秋田鉄道管理局のダイヤ改正チラシだったと思いますが、男女が後ろ向きで小指を絡ませている画像に、「しゅっぱつ親交」というフレーズを書いたチラシを持っていたのですが、今回は見つかりませんでした。
イメチェンを狙っていた国鉄は、いろんなことをやっていました。
あと、全く違う場面で同じ写真が使われる例ですが、私も見たことがあります。
高速バスのチラシとドラッグストアのチラシが同じ写真とか。
これは、印刷業者がレンタル写真から選んで使った結果だと思います。
似たようなアングルでも10数種類あったりするので、全く同じ写真が使われる確率は低いのだと思いますが、たまにヒットしてしまいます。
これも実例を持っていたはずなのですが、今回は見つけられませんでした。
今年も3月14日がやってきました。
何の日かと言うと、今年は北陸新幹線や上野東京ラインの開業がTVニュースを盛り上げていますが、30年前の1985年には、東北新幹線の大宮〜上野間が開通した日なのです。
大宮暫定開業から上野発着となったことで、首都圏と東北の時間距離が大幅に短縮され、最速の通称「スーパーやまびこ」で上野〜盛岡間は2時間45分で結ばれました。
これに合わせて、盛岡駅から弘前を結ぶ高速バス「ヨーデル号」も運行を開始し、盛岡からの高速バスの全盛期の幕開けとなりました。
写真は、岩手県北バスの初便でのテープカット風景。このあと、国鉄バス便で運行4社共同の出発式も行われました。
今日のTVニュースで各地の盛り上がりを見ていると、30年前の盛岡での興奮が蘇ってきました。
上野〜盛岡間2時間45分で興奮した時代から30年たって、いまでは最速の「はやぶさ」では2時間10分を切るんですね。時代は確実に進んでいます。