方向幕50連発
岩手県北バスの
“その頃”の方向幕をひたすら並べてみました。
県北バスの場合、方向幕のスタイルはかなり統一されていて、趣味的なおもしろさには欠ける気がします。しかし、こうして並べてみると、その土地土地の名前が思い出され、懐かしくなります。
101〜104 盛岡市内線
撮影:盛岡市内(1984)
101
1984年に運行を開始した盛岡市内線のうち運動公園線の方向幕。
国道106号線沿いにある川目から市内を通り抜けて運動公園北口に至る路線は、それまでの県北バスの路線を巧みにつなぎ合わせて市内線を組み立てた感じです。
市内線専用車の大型方向幕。
撮影:盛岡バスセンター(1986)
102
盛岡市内線のうち滝沢川目線の方向幕ですが、減便や短縮が行われた後のもので、滝沢駅〜盛岡バスセンター間の系統です。こちらの路線は運動公園線と異なり、盛岡駅口を通らず、岩手高校前などを経由して市内を通り抜けます。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
103
運動公園線のうち、小型方向幕にはただ「運動公園」とだけ書かれていました。
実は、市内線専用の大型方向幕車両も、就役当初は枠を狭めて小型幕を入れていましたが、そのときの写真はありません。
撮影:盛岡市(1984)
104
運動公園線の「川目行」小型方向幕。シンプルですが、盛岡市北部で「川目」とだけ書かれても、盛岡駅を通るのかとか、市内中心部はどこを通るのかとか、不安がられるということもあるでしょう。視認性と情報量のどちらをとるかという難しい選択です。
105〜110 盛岡近郊線
撮影:盛岡バスセンター(1985)
105
岩手県北バスの盛岡からの路線バスの中では、観光的色彩の強い国道282号線方面の路線(八幡平方面)に比べて生活路線的色彩が強かったのが、国道4号線を走る沼宮内線です。車両的にも路線タイプが中心で、地味な印象でした。
撮影:滝沢村(1985)
106
何の変哲もない「盛岡バスセンター」の方向幕ですが、沼宮内線のもの。
滝沢村の「分レ」から南側は、県北バスの様々な方向から来た「盛岡バスセンター行」が輻輳して走っていました。
撮影:盛岡バスセンター(1986)
107
盛岡バスセンターから滝沢村一本木にある運転免許センターに向かう路線。運転免許センターは、西根、八幡平に向かう国道282号線の途中にあります。
当時、私たち学生は、運転免許センターに免許取得に行くことを「一本木に行く」と言うことで会話が通じていました。
撮影:盛岡バスセンター(1985)
108
国立岩手山青年の家に向かう青年の家線。滝沢村一本木にあり、八幡平方面の路線から途中で分岐します。
撮影:盛岡バスセンター(1985)
109
西根町のいこいの村に向かういこいの村線です。
この路線も八幡平方面の途中から分岐する路線で、岩手山麓の観光施設へ向かいます。盛岡バスセンターからは、これら山岳観光地をイメージさせる行き先のバスが代わる代わる出発していました。
撮影:盛岡市(1986)
110
八幡平方面へ向かう路線の途中系統という位置づけだと思いますが「平舘駅前行」です。
111〜119 八幡平方面路線
撮影:盛岡バスセンター(1986)
111
盛岡から八幡平方面に向かう八幡平線の中で、八幡平頂上から岩手県側に少し折り返した所にある蓬莱荘行が、最も奥に向かう系統です。
この方向幕には急行の文字が見えますが、この路線は基本的に全便が急行便。国道を行く急行便と高速道路を行く急行便の2種類がありました。
撮影:松尾村(1986)
112
八幡平線のうち「八幡平頂上行」です。やはり急行です。
八幡平の頂上は岩手県と秋田県の県境にあり、岩手県北バスのバス停は岩手県側に、羽後交通のバス停は秋田県側にあったと記憶しています。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
113
盛岡から東八幡平にある「八幡平リゾートホテル」に向かう路線。同じようなエリアに「松川温泉」「プータロ・ムラ」もあり、バスの行き先も様々でした。1987年発行の県バス協会の路線一覧によると松川線としてひとくくりにしてあります。
八幡平線が全便急行であるのに対し、こちらは普通便です。
撮影:盛岡バスセンター(1986)
114
やはり「八幡平リゾートホテル行」ですが、幕が大きくなったせいで文字の大きさが統一されました。
なお、県北バスの路線の中で、八幡平線とこの松川線は盛岡駅前に乗り入れていました。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
115
「八幡平リゾートホテル行」方向幕の中で、「田頭経由」と書かれたもの。東八幡平方面の路線には「平館経由」があるため、区別したのだと思います。
ちなみに「田頭」を「でんどう」と読むことは、当時、盛岡バスセンターの構内放送で知りました。
撮影:盛岡バスセンター(1984)
116
「八幡平リゾートホテル行」のうち、冬季に運行されていた急行で、「東八幡平スキー場」が併記されています。
撮影:西根営業所(1986)
117
こちらは「平館経由」と書かれたもの。「東八幡平交通センター行」は基本的に平館経由でした。また、盛岡駅前には入らず「盛岡駅口」経由でした。それも「盛岡駅口」バス停は盛岡バスセンター行は開運橋の対岸にあり、観光客には甚だ分かりにくい場所でした。
撮影:盛岡駅(1987)
118
冬季に運行されていた急行の「安比高原スキー場行」です。安比高原スキー場は、松尾村と安代町にまたがる一大リゾートで、“その頃”に人気が急上昇しつつありました。
この時期、岩手県北バスは東京からのスキー直行バスも設定しています。
撮影:松尾村(1986)
119
八幡平頂上という方向幕はいくつもありますが、これは春スキーシーズンにボンネットバスを用いて運行していたリフト代行バスのもの。
冬の松川温泉と並んで、ボンネットバスの代表的な働き場所でした。
120〜123 西根地区路線
撮影:西根営業所(1986)
120
「西根営業所」という方向幕。
手元に残っていた観光時刻表によると、プータロ・ムラからの西根営業所行が1本あったようですが、地元のローカル路線としても存在したかもしれません。
撮影:西根営業所(1986)
121
「大更・田頭」という方向幕。「大更経由田頭行」よりも「田頭経由大更行」の方がありえると思うのですが、いずれにせよ観光路線の時刻表には載ってない系統です。
撮影:西根町(1986)
122
焼走線の「焼走キャンプ場行」。岩手山の西根町側にある焼走り溶岩流に近い地区に向かって走ります。
撮影:西根町(1986)
123
「大更駅行」がどのくらいの路線に存在したかは覚えていませんが、これは焼走線のもの。岩手山麓の山荘やリゾートに向かう路線の多くは盛岡から出ていましたが、この路線だけは大更駅からの短い路線でした。
124〜127 一戸・九戸地区路線
撮影:北福岡駅(1985)
124
九戸町に「伊保内営業所」というローカル営業所があり、そこから北福岡駅に向かって走っていた路線です。ちなみに北福岡駅は後に二戸駅に改称しました。
撮影:伊保内営業所(1985)
125
伊保内営業所と軽米大町を結ぶ軽米線の方向幕。
伊保内営業所にはこのほかにも路線がありましたが、廃止代替バスは「貸切」表示でした。
撮影:一戸営業所(1985)
126
「一戸営業所−根反」という両矢印の方向幕。矢印の上に小さく「一戸駅経由」と書いてあります。根反という場所は、一戸駅から南下し、小鳥谷駅に近い場所にあるようです。
撮影:一戸営業所(1985)
127
県北バスの「貸切」表示。これは近距離団体のようですが、一戸や伊保内の管内では、廃止代替バスは「貸切」と表示されていました。道路運送法上は貸切事業なのですが、そういうことがよく分かっていない当時、違和感を感じました。
128〜129 宮古地区路線
撮影:宮古駅(1984)
128
宮古駅から茂市を結ぶ路線です。
撮影:宮古駅(1984)
129
宮古駅から山田町の四十八坂へ向かう四十八坂線の方向幕。終点の四十八坂(しじゅうはっさか)は大槌町との境にあるかつての難所。釜石から来た岩手県交通とも顔を合わせる場所です。
130〜135 高速バス
撮影:盛岡駅(1985)
130
盛岡と宮古を結ぶ106急行です。
撮影:盛岡駅(1985)
131
106急行の盛岡駅行。
撮影:盛岡駅(1985)
132
高速バス「とわだこ号」の方向幕。
県北バスの高速バスの方向幕の多くが特急や急行を縦書きにしていますが、これは初期の車両だからか横書きです。
撮影:盛岡駅(1986)
133
やはり高速バス「とわだこ号」ですが、縦寸法が小さくなった関係で、文字の配置も異なります。
撮影:盛岡駅(1987)
134
高速バス「みちのく号」の大館駅前行。そういえば、これらの高速バスの方向幕は、どれも「○○駅前」と表現されています。
撮影:盛岡駅(1987)
135
高速バス「あすなろ号」の青森駅前行。その下に小さく「観光物産館」と書かれていますが、当初の「あすなろ号」は青森駅を経由して終点は観光物産館アスパムでした。
136〜144 フロント窓内側の表示板
撮影:盛岡バスセンター(1986)
136
八幡平急行線や安比高原線で見られた高速道路を経由する急行は、方向幕は通常の急行と同じですが、フロントガラスの中に「高速道急行」と表示していました。
文字色は青色です。
撮影:盛岡バスセンター(1987)
137
こちらは一般道を通る急行便です。
フロントガラスの下側に表示していますが、このような位置のものもありました。どうやら「ワンマン」表示と共通のもののように見えます。
撮影:盛岡バスセンター(1986)
138
八幡平急行線など盛岡駅を経由する便について、区別のため「急行盛岡駅経由」と表示していました。
撮影:盛岡バスセンター(1985)
139
松川温泉線など盛岡駅を経由する普通便に使用すると思われる「盛岡駅経由」の表示板。
ただし、サイズが異なるため、電光の表示板ではないようです。
撮影:盛岡(1986)
140
106急行の窓の中に表示されていたもの。岩手県北バスでは、高速バスなどの愛称はフロントガラスの中に表示していました。
撮影:盛岡(1986)
141
高速バス「とわだこ号」のフロントガラス内表示ですが、「とわだこ75号」と号数まで書かれています。75号といってもそんなに本数があったわけではなく、国鉄バスが「バス指定券」販売上の都合でつけた号数です。
ちなみに「とわだこ1号」からの号数を付けられていたのは秋田県側(大館)から入る系統でした。盛岡側が70号台まで離れている理由は分かりません。
撮影:盛岡駅(1985)
143
高速バス「ヨーデル号」の運行開始直後には、「高速道特急」という表示をしていました。
撮影:盛岡駅(1985)
144
高速バス「ヨーデル号」も運行開始からしばらく経つと、愛称名を表示するようになりました。また、国鉄バスのボディサインやパンフレット類に使われているのと同じロゴが使用されています。
145〜150 友情出演 〜共同運行会社〜
撮影:盛岡市(1985)
145
秋北バスの「とわだこ号」の方向幕。
撮影:盛岡市(1985)
146
秋北バスの「とわだこ号」の方向幕。
撮影:盛岡市(1985)
147
秋北バスのフロントガラス内の愛称表示板には「とわだこ号」と表示されています。岩手県北バスや国鉄バスでは号数まで表示されていましたが、秋北バスは愛称名だけのようです。
撮影:盛岡駅(1985)
148
弘南バスの「ヨーデル号」の運行開始初期には、貸切車の暫定転用車で運行しており、社名表示板をこのような行き先表示板に差し替えて運行していました。
ボディカラーとも共通するイメージの青地にクリーム色の文字が入っています。
撮影:盛岡駅(1985)
149
弘南バスの「ヨーデル号」の方向幕。
運行開始からしばらく経ち、高速バス専用の新車が入ると弘南バスもちゃんとした方向幕になりました。
撮影:盛岡駅(1985)
150
弘南バスの「ヨーデル号」の方向幕。
この時期の高速バス車両は、車両メーカーによって方向幕のサイズが異なります。