旧型客車、東北本線で最後の活躍
1980年代の東北本線は、電化されてはいるものの、普通列車は客車によって運用されていました。こういった状況は、日本全国どこへ行っても大差なく、架線の下を走る客車列車が見られたものです。国鉄では、1970年代後半から「レッドトレイン」というひいき目のニックネームで呼ばれた50系客車をこういった路線に投入し、輸送の近代化を図って来ました。しかし、蒸気機関車時代を彷彿とさせる旧形客車は、相変わらず輸送の一端を担っていたのです。
そうした中で盛岡鉄道管理局は、1985年3月14日のダイヤ改正を機会に、これら旧形客車を一掃すると発表しました。
夜明け前に
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撮影:盛岡駅(1984.12.27)
早朝の盛岡駅で待機中の旧形客車。
開け放たれたままの貫通扉が、郷愁を誘います。旧形客車は、側面の客用扉さえ開け放ったまま走っていたものです。
発車前
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撮影:北上駅(1984.12.27)
早朝の北上駅の中線に停車中の客車列車。これからラッシュ時に入る時間帯のため、11両の長大編成です。
メモによると、543列車。平日のみ運行の北上発盛岡行きの通勤・通学対応列車です。
10両編成で
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撮影:前沢−陸中折居(1984.12.27)
国鉄の普通列車というのは、こういった長大編成で走っていました。長いのは編成だけでなく、運行区間も同じで、青森から上野まで、通しで乗る乗客の有無に関係なく設定されていました。
メモによると、1536列車、盛岡発仙台行きです。
束稲山を横目に
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撮影:前沢−平泉(1984.12.27)
長く東北本線筋など交流区間の牽引機として活躍を続けるED75形電気機関車。機関車と客車の経年の違いが、その後客車列車の前に立ちはだかる問題となります。
1538列車。
衣川合戦場を行く
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撮影:前沢−平泉(1984.12.27)
雪の衣川合戦場を行く旧型客車。中尊寺へ向かう坂道の途中から、北へ向かう223列車が小さく見えました。
仙台行10両編成
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撮影:有壁−一ノ関(1985.1.7)
この時期の客車列車はほとんどが青色の車両で構成されていましたが、一部にブドウ色の車両が混じることもありました。この編成では5両目がブドウ色。それも丸妻の車両でした。
客車の車内
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撮影:沼宮内駅(1984.12.9)
乗客もまばらな青森発盛岡行き普通列車。帰宅時間帯を過ぎた窓の外は真っ暗です。
化粧板は塗装されていますが、木製の床板や白熱灯などのパーツが「汽車」を物語ります。
かつての難所を行く
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撮影:奥中山−御堂(1984.12.9)
東北本線盛岡以北で最大の難所であった奥中山を行く客車列車。牽引をする機関車は蒸気から電気に変わっても、客車は昔のままの姿です。
青森行223列車。
遠くに見えるのは、すれ違って盛岡へ向かう特急列車。
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撮影:奥中山−御堂(1984.12.9)
ED75型電気機関車と荷物車と客車が編成される普通列車の最後尾には、扉を開け放した貫通路に人影が見えます。今なら危険な行為とみなされますが、当時は珍しくもない光景で、座れないなら開放的な後ろの風景を見ながらの移動も乙なものでした。
50系客車も活躍
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撮影:奥中山−御堂(1984.12.9)
旧型客車に混じって“レッドトレイン”などと呼ばれた50系客車も姿を見せます。
かつて長大編成が普通だった客車列車も、3両編成などの短編成が増えてきました。
おもかげ色の汽車
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撮影:野内−浅虫(1985.3.9)
青森湾が見えると、終点青森はもうすぐです。
4両編成の青森行521列車。
バトンを渡す相手と
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撮影:渋民−好摩(1985.5.19)
山頂が尖った姫神山を背景に青森に向かう533列車。
機関車の次位には、間もなく旧型客車を置き換える12系スハフ12形を連結しています。
青一色に塗り替えられた12系がいよいよ姿を現しました。
岩手山との別れ
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撮影:渋民−好摩(1985.5.24)
水田にその威容を映してそびえる岩手山。もう余命いくばくもない旧型客車が通り過ぎて行きます。この稲が実る頃、もうその姿を見ることは出来ません。