中仙道(其の一 三条大橋から鳥居本まで)


2005年10月29日(土)

東海道走破から二年、ようやく中仙道旅のスタートだ。
東海道を走り始めたときから『次は中仙道』『京から日本橋へ』と決めていた。

こんなにも間があくとは思っていなかったが、なにせスタート地点が遠い。
懐具合やら天候やら気分やら、一人旅の気軽さゆえの我がままな
諸条件のどれかが折り合わなかっただけのこと。
宿まで予約しておいて、直前にキャンセルしたことも一度や二度では無い。

それほど走る条件にこだわっていたのに、今日最新の天気予報は雨である。
昨日までの予報は、明け方まで雨。 そのうち朝のうち雨に変わって、
それならなんとか京都から走れるか、と思っていたのだ。
これが午前中雨に変わり、夕方までの降水確率も高い。

午前9時半、京都駅に到着するが、音を立てて降る雨に戦意喪失。
相棒を一時預かり所に預けて、晴れ待ちをすることに決めた。
予報よりも早く雨が上がれば、計画どおり三条大橋から走り始められる。
 雨の京都駅前(本降り)

とりあえず地下鉄を乗り継いで三条大橋へ行ってみる。
京都の地下鉄は1981年(昭和56年)に開業し、以降営業区間を
伸ばしながら、まだまだ成長過程にあるのだが、今回初めて乗ってみた。

自家用車の増加による利用者減と地下鉄建設のため、という理由で、
1978年(昭和53年)に廃止された路面電車だが、環境にやさしい交通手段
ということで、再び脚光を浴びているらしい。

なつかしの弥次喜多像は地下鉄の出口から三条大橋を渡ったところにある。
秋本番だが、枝垂桜の葉がまだ青々と茂っていて、二人がちょうど
桜の木の下で雨宿りをしているようにも見える。
 『お久しぶり』の弥次喜多像

雨は依然として強く、鴨川の流れも少しばかり威勢がいい。
 こちらもなつかしの三条大橋。

一旦京都駅に戻って、梅小路蒸気機関車館に行ってみることにした。
こちらは実に25年以上も前、中学の時に来て以来のことになる。
 旧二条駅舎の梅小路蒸気機関車館入口

昔はもっと煙臭くて勢いがあったような気もするが、
油臭い機関庫は、雨のせいもあってどこか寂しげである。
デフのツバメマークが誇らしいC62−2。
私のお気に入りが静かに煙を吹き上げている。
 C62 手前は2号機向こうは1号機

懐かしさとチョイ鉄の地が出て、のんびり見学していたら、いつの間にか12時。
三条大橋からのスタートはあきらめるしかないか。
どこから走るか考えながら機関車館を後にすると、ちょうど雨が上がって、
西の空も明るくなってきた。
天気予報はズバリ正解ということだ。

急ぎ京都駅に戻り、スタート地点の第二候補、草津へと向かう。
途中、京都を通り過ぎた雨雲に追いついたらしく、車窓を流れる雨。
まあ、そのうち上がることはわかっている。

二年前、東海道旅最後の宿泊地はここ、草津。
その頃からあったのだろうか、2階にある改札口から
ペデストリアンデッキに出ると、追分道標を模した石碑があった。
 草津駅にて(追分道標の字体を模してある)

草津は東海道と中仙道の追分にあたる宿場なのだ。
東海道旅のとき、ここから三条大橋までの道は走行済。
できれば今回もきちんと三条大橋から走り始めたかったが、
走行線が途切れないから、スタート地点の第二候補としていた。

駅前で相棒を組み立てている間に、雨は上がった。
さていよいよ中仙道旅の実走開始である。
少しばかり西に戻って、本物の追分道標と、これも二年ぶりのご対面。
『左 中仙道美のぢ』の文字に気持ちが引き締まる。
さあ、行くか。 走行開始は14時と少々遅めだ。
 草津追分 今回は中仙道(左)へ走行開始

天井川となっている草津川をトンネルで越すと、少しの間アーケードの下を走ることになる。
旧中仙道は草津駅の東側で、一旦東海道線の北側に出るのだが、
どこかで曲がり角を間違えたようで、住宅地に迷いこんでしまった。
八百屋で道を尋ねて、事なきを得る。
いやはや、いきなり道を間違えるとは。

ほどなく守山宿に入り、ようやく街道筋らしい雰囲気になってきた。
 守山宿

武佐宿を過ぎ、近江商人発祥の地、五個荘(ごかしょ)を通る。
ここは中仙道の宿場ではないが、商人の町らしく
板塀が長く続く大きな屋敷が多い。
武家屋敷とはまた違った格式の高さがある。
 五個荘絵図(サドルの上あたりが現在地)

愛知川にかかる御幸橋を渡ると、間もなく愛知川(えちがわ)宿。
往時の様子は広重の中仙道絵図にも描かれている。
絵には恵智川とあるが、越知川とも記していたらしい。
 愛知川宿

間の宿石畑を過ぎ、高宮宿。
宿場のはずれを流れる犬上川には高宮橋がかかっている。
たもとにあるのは『むちんはし』の石碑。
天保年間に町民たちの寄付によって架橋され、旅人にも
無料で開放されたことに由来する。
ちなみに広重の描いた愛知川の橋も『無賃橋』であった。
 高宮橋『無賃橋』

ここでちょうど日没時刻。あたりが一気に暗くなってきた。

中仙道の宿場は、高宮宿の次が鳥居本宿となっているのだが、
手前に彦根宿と称される場所がある。
中仙道から彦根城下へ延びる彦根道との、ちょうど追分にあたる場所にあり
ほぼ宿場と同等の機能を持っていたらしい。

すっかり日も暮れて、往来の無い真っ暗な宿場を一人走るのは
薄気味悪かったが、高宮から30分ほどで無事本日の宿に到着だ。

本日の走行距離:50キロ

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