2002年1月1日午前4時頃、大事な大事な友達が事故で亡くなりました。
去年のうちにこっちから出してなくて、年賀状を出してくれた方、返事出せなくてごめんなさい。そんな事情がありました。書こうとしても書けませんでした。
そいつと2人で遊んだのは、ビリヤードに行ったときと、ウチに遊びに来てゲームで対戦したときの2度だけです。
ビリヤードは完敗。数ゲーム差で俺が負けた状態で時間的にラストゲームとなったとき、そいつは「これで勝った方が勝ちにしよう」と言ってくれたのに、それに負けた俺。清算後、「またやろう」と言い合った俺らは再戦することがなくなってしまいました。
一方ゲームは圧勝。「特訓するから」と言ったから、俺は「せーぜぇ頑張りな」と、そのゲームを貸していました。あいつがもう戻る事がなくなったあいつの部屋に入ったとき、机の上にポツンと置いてあったそのゲーム。「返してもらってねーよ!ちゃんと返せよ!」と棺に入れました。
知り合ってから3年弱。次の夏に産まれてくる子供を抱いて欲しかったよ。「ほれ、こいつがお前の叔父さんだよ」って子供に言ってやりたかったよ。
そんな義弟は、すっごくシャイですっごく優しいヤツでした。
去年の12/30にやった親父(俺にとっては義父)の還暦誕生会&退職祝いの日、嫁の実家に向かう俺ら夫婦に電話をかけてきて、"ケーキ屋に連れて行け"と言ったあいつ。それは、いつも父親とは挨拶もそこそこでロクに話もしないのに、家族に内緒で予約していた"長い間お勤めご苦労様"とデコレートされたケーキを取りに行くためだった。
その日あいつは、
「数年後からクリスマスは任せておいて。サンタの服あるから」
と、最近買ったというサンタの服を着た格好をして、クリスマスには子供に会いに家に来てくれると笑って言った。あいつの部屋にかけてあったサンタの衣装。それを見たときに涙が止まらなかった。「クリスマスにはちゃんとこれ着てうちに来いよ」と、ゲームと合わせて棺に入れた。
その日あいつは、
「正月は毎年どっかに旅行に行ってるから」
と言い、お年玉をあげることを避けるためだと笑いながら話していた。お年玉どころじゃねーよ。俺らの子供を見ることすらなく死んでちゃ世話ねーよ。
その日あいつは、
買って間もないパソコンを前に、自分の友達が作ったホームページを"お気に入り"に登録する方法を俺に聞いてきた。一度教えた後、「たくさん増えてきたときは、フォルダを階層形式にしてジャンルわけするとわかりやすいよ」という俺に、「そんなに増えないけどね」と笑って言っていた。あいつのお気に入り登録は、その時のたったひとつのサイトだけになってしまった。
その日あいつは、
俺らが家に帰る頃になると、自分も友達と会う約束があると一緒に外に出た。バイクに乗って俺らの先を走っていた。途中まで行って停止したヤツを俺らが追い抜くとき、「じゃーねー」と言い合った。それがあいつとの最後の会話になるなんて、それがあいつの動く姿を見た最後になるなんて、あいつが好きなバイクに乗っている姿を見たのが、それが最初で最後になるなんて、その時はもちろん思いもしなかった。
けれどヤツは、それから約30時間後に、俺らの涙を見る事すらできない姿になった。
自由な生き方が好きだった。周りの心配の声を聞き流す様に、自分の世界を持って生きている姿を尊敬していた。早すぎるって、マジで。あいつのこれからをもっともっと見ていきたかった。
何度見ても今にも動き出しそうなきれいな顔のまま眠る義弟を見て、その度に涙を堪えていた。嫁の実家にいるとき、いつもの様にひょっこり帰って来て「よっ!」「どもっ!」と挨拶してきそうで仕方がなかった。1/6の通夜、1/7の告別式が終わり、写真でしか顔を見る事が出来なくなったとき、それが現実だと言い聞かせた。
返事が来ないとなってから、あいつに聞きたい事、あいつとやりたい事なんかが次々と溢れ出てくる。あいつの分まで頑張るなんて言えないよ。
戻ってこいよ。帰ってこいよ。
こんなこと書ける日が来るなんて思ってなかった。あれからまだ、たった10日しか経ってないのに・・・。時間はある意味優しくて、同じくらい残酷だと思った。今まで決して忘れないと思っていたそのときの感情が今おさまってきてしまった様に、忘れたくないこの気持ちを忘れてしまう前に記しておこうと思った。なにくわぬ顔で、なにもなかったようにこのサイトを続けていく事はやめたかったし、ちゃんとその事実を受け入れて受け止めていきたかった。
勝手な思いばかり書いちゃったから、読んでくれた人にとっては多かれ少なかれ失礼があったかもしれないけど、申し訳ないけど今回ばかりは大目に見てやってください。これから、楽しい事も悲しい事も、書こうと思った事なら全部書いていこうと思います。
どーぞこれからも宜しくお願いします。