クグツガリ

とおりゃんせ 二

 奈美と別れて帰宅した二人の少女は、中庭から出て行く黒い塊が視界を横切るのを見る。周囲は徐々に暗くなっている時間帯だが、その形を見まごうほどではない。
「あ、メテオ」
「変な猫」
 美佐子の呼びかけにも答えず、奇妙な目で見送る桐紗に対抗するように一瞥をくれたあと、音もなく道の脇を歩み去っていく。
「毎日のように来ては帰っていくのよね。なんか、この家が学校か仕事場みたい」
「へえ、お勤めご苦労さんだねえ」
 話しながら縁側に上がる。すでに道場での稽古は終わっており、二人の話し声と小さく聞こえるテレビの音声だけが聞こえている。
 縁側の真ん中には、藍染の浴衣姿が転がっていた。
 桐紗がそれをまたぐふりをして踏みつけようとするが、静見は身を捻って避ける。
「やっぱり起きてんじゃん」
 声をかけられても、青年は目を開きもしない。
「あら、おかえりなさい。今日は遅かったわね」
 夕食の準備を始めていたらしい光江が少女たちに気付き、台所から顔を出す。美佐子は食事の準備を手伝おうと、急いで着替えるため階段に向かった。
 それに続こうとして、桐紗は足を止めた。
 振り返った目に映るのは、変わらず身動きしない青年の姿。
「あのさ、静見ちゃん。ききたいことがあるんだけど」
 声をかけて少し待つものの、予想通り反応はない。
「もしかして、何か知ってるかなーっと思って……聞いてる?」
「いや」
 即答したことばに、桐紗はドンドンと足を鳴らして近づき再び踏みつけようとするが、また簡単にかわされる。
「儂に問うようなことなら、誰が聞いているともわからぬ今、問うべきではあるまい。時間はまだある」
 焦ることはないと、そう告げているようだ。
 光江は再び台所に姿を消し、大治や他の居候たちは自室にいるだろうが、確かに誰かが顔を出して会話を聞かれるとも限らない。
「へえ、思ったより秘密主義なんだね」
「長くこの場にいるために」
 答えの返らないと予想していたからかいのことばに、短いいらえがあった。
 それに少し驚いてから、少女は納得する。長くこの家にいるためには守らなければならない秘密がある。
 それは、彼女も同じことだったから。
「それじゃ、今夜」
 言い残して、背中を向ける。
 傀儡狩りが安心して会話することのできる時間帯は、安心して狩りができる時間帯でもある、街の寝静まった真夜中だ。
 やがて、楽駕町にも濃い夜闇が訪れる。昼間の晴天がどこへ消えたのか、夜が更けるにつれ空に雲が広がり月と星の明りを遮った。
 いつも以上に暗い深夜は、異界のように不気味で実際の気温よりも冷たく感じられる空気が流れる。それも幾夜もの間狩りを続けてきた傀儡狩りたちにとっては慣れたものだ。
 神代家の屋根の上で、二人は妖気を探りながら座り込んでいた。
「それでさ、その橋ってのが変な噂のある橋らしくって」
 何の返事もない相手に、少女は一方的に説明している。まるで石に向かって話しかけているようなものだが、彼女はめげなかった。
「えーと、なんって言ってたかな、あの橋の通り名みたいなもの……トウモロコシの橋、じゃないや、トウセンボの橋でもないし……
……トオラセンの橋」
 ぼそっとつぶやいた青年のことばに手を打とうとして、桐紗は握った手を静見の顔に突き出した。
 それをかわして相手は立ち上がる。
「仕事だ」
「話はあと、ってわけね」
「本来は儂一人でいいのだが」
「いいじゃん別にー」
 のんびりとすら思える調子で話しながら、二人は素早く、そして静かに屋根を伝い駆ける。
 途中で屋根を降り超人的な脚力と体力で走り続ける桐紗に対し、静見は飛ぶように建物の間を移動した。彼の指先から行く手めがけ、細い糸が伸びては消える。
 神代家から近いとは言えない目的地が間もなく迫ると、桐紗が眉をひそめる。
「ここって……
 昼間も見た光景だ。暗く沈んではいるが、街灯の頼りない明かりに照らし出されるのは確かに平凡なあの橋。
 橋の手前で立ち止まると、桐紗は妖気を感じる一点を注視する。手は上着のポケットに入れてきた木片を握り込む。
 欄干を越え橋の下から飛び出したのは、飽きるくらいに見慣れた白く不気味な姿。
「昨日も、一昨日もここに傀儡が現われた」
 少し遅れて現場に到着した静見が、端的に説明しながら歩み寄ってくる。
「儂が初めてこの橋を目にした頃にはここに確かに女子の霊がいたが、以後見ていない」
「なるほどっ……と!」
 傀儡が跳んだ。
 桐紗は少し体勢を崩しながら横に跳ぶ。
 静見が何かを辿るように軽く手を上げる。まだ宙を落下していた白い身体が弾け、白い煙を噴き出して消滅した。
 それだけなら、いつもの狩りと変わらない。ただ、静見の目が軽く驚きに見開かれていた。
……おかしなことだ」
「やっぱり?」
 桐紗の声も、その事実を確かなものにしたくないかのように潜められている。
「この傀儡……速い」
 もうすでに消滅した、その一体だけが他の傀儡より速いだけなら問題はない。しかし一体がそうなら他にも同じような固体がいてもおかしくはないということだ。
「昨日や一昨日はどうだったのさ?」
「普通と変わらぬ個体だった」
「あたしの方も、別に変わりはなかったな……
 昨日と一昨日、桐紗は静見と分かれて狩りを行っていた。どちらも、いつもとなんら変わりない相手だった。
「まさか、進化してるとか」
 言いかけて、少女は街のあちこちにいくつかの禍々しい気を感じ取る。
「考えるのはあとにしよ。これで他のも速いヤツだったら進化してる、そうでないならたまたまってコトで」
 駆け出す少女の背中が闇に消えていく。
「たまたま、で終われば良いが……
 かすかなつぶやきを残し、残された姿も一陣の風のように去っていった。

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