NO.04 闇からの訪問者たち

 警報が廊下にも、各部屋にも響き渡った。
 ラティアはとっさに少女の手を引いて机の下に隠れる。ムーンベースはバリアに守られているが、それでも突き上げられるような震動は何度か届いた。机の上のカップがスプーンと擦れてカチャカチャと耳障りな音を立てる。
「大丈夫よ、すぐに終わるから」
 それは疑いようのない事実だが、自分に言い聞かせるように口にする。わかってはいてもどうしても不安はこみあげてしまう。
 やがて数分のうちに震動は止み、警報も止まる。ここ30時間のうちに5度ほど繰り返したように。
 我に返ると、ラティアは少女の手を握りしめていたことに気がつきその手を放す。
「地球は、私たちを寝かさないつもりなのかしら……昼ならいいというわけでもないけど。ちょっと、外の様子を見てこようか」
 うん、と少女も答えて机の下を出る。スーヤという名のこの少女は怯えた様子もなく、ラティアより落ち着いてさえ見えた。
 2人はラティアの部屋を出る。廊下にも端に寄りかかって揺れが収まるのを待っていたらしい姿や、ほっとした様子で顔を見合わせる者もいた。
 そんな中でとりあえず食堂に向かおうかと足を踏み出したとき、
「早く、着陸準備だ」
「急がないと。損害が出ていないといいが」
 そんなことばを交わしながら急いで駆けていく5人ほどの集団が行き過ぎていく。
 そういえば、と彼女は思い出す。そろそろエルソンからの増員がここへやってくる頃だ。もしかしたら今回の攻撃はその増員の航宙機を狙ったものだったのかもしれない。
 足を止めるとスーヤが見上げる。
「行ってみる?」
 どうやら彼女も興味を抱いたようだ。好奇心に輝く大きな目で見上げて、うん、とうなずく。
「ええ、行きましょう。気になるもの」

 銀河連合の追加要員により、このムーンベースが乗っ取られるのではないか――そうエステル司令官は心配していたが、とりあえずのところはその心配はないらしかった。これは様子見の増員なのか、エルソンが先に気を回して増員を用意したのかは不明だが。
「我々は司令官の指揮下に入ります。なんなりとお申し付けください」
 増員は百名余り。浅黒い顔のイヴァン・ラウグという男がこの一団の団長だった。輸送船らしき大型船が3機、多少の損傷を受けたもののほぼ無事にプラットフォームの脇に並んでいる。
 その正体もすでに、出迎えた側は知らされていた。大きな輸送船の外殻はフェイクであり、3機とも戦艦だ。
「頼もしいですね、ラウグ隊長。あなたたちを心より歓迎します」
「あ、ありがとうございます。光栄です」
 それほど女性に慣れていないのか、ラウグは口ごもりながら応じる。演技にも見えず悪い人物ではなさそうだ、とエステルはわずかに頬を緩めた。
「それにしても、よくエルソンは新任で実力もよくわからない私の指揮下に戦力を置く気になりましたね。命を預けられるなら、もちろん全力は尽くしますが」
「エステル司令は信用のおけるかただ、とエルソンのラッセル・ノード長官もおっしゃられておりましたから。別の増員部隊も少ししてやってくる予定です」
 彼のことばにエステルは少しだけ驚いたような顔をする。
 その意味を、出迎えに来た職員たちも見物に来たラティアらも知る由もなかった。
 出迎えが終わると増員はまず主要な施設を案内されてから、それぞれに部屋を割り当てられる。昔は数千人規模の基地だったのが縮小され現在の人数になったので、部屋の数には余裕があるのだ。
 これ以後、基地のあちらこちらでエルソン人を見かけることになる。ラティアらも初日のうちに道を尋ねられるなど何度か交流を持つが、エルソン人へのイメージそのまま皆礼儀正しく、親切だった。
 しかし、百名余りの中にはそうでない者もいるだろう、と漠然と彼女は思っていた。そしてそれは、ある意味で的中する。
……ほう」
 暗がりに向けて声を上げたのは、エステル・ラーズ。彼女は展望室から、闇に浮かぶ地球を眺めているところだった。すでに基地内時間で夜中の時刻を回っており、周囲に人の姿も気配もない。
『変装、というか変身して増員にまぎれ込んでいたらしい。こちらへ向かっているようだ。会話の通じる相手だといいね』
 司令官の袖に覆われた左手首のあたりから、肉声とは違った響きの声が告げる。
「相手がどんな目的であれ、対処するのみさ」
 漆黒の目は宇宙の闇の横に向けられ、見えないなにかを追うように視線の先は壁と天井をさまよう。
 やがて、それはドアに向けられたところで止まる。
 ドアは自動的にスライドし、その向こうの姿をさらけ出した。
 そこにいたのは灰色の男だ。まるで画像に色を消去する処理を加えたかのように肌は白く目や服は灰色の一色である。目は黒に近く、髪だけはくすんだ緑色だ。
「ここのボスだな?」
 音もなく、すり足のような独特の歩き方で足を進める。
「ええ、エステル・ラーズです。ここの新任司令官」
 目は相手の動きを注意深く見守りながら、彼女はにこやかに迎えた。
「ようこそ、ムーンベースへ」
 一方の男の顔には表情らしきものはなく、灰色が無機質な印象をさらに濃くする。
 彼は唐突に形を変えた。ただ立ち止まったかに見えた瞬間、右肩と脇の間あたりから細長い刺を生やす。鋭いレイピアの剣先に似たそれが向かい合う相手の眉間を狙っていた。
「お名前くらい名のればよろしいのに」
 エステルは口調を変えない。見えない壁が灰色の刺がそれ以上伸びることを阻んだ。
『残念ながら会話の通じる相手ではないか。暗殺者、ってやつかな』
 合成音声は溜め息を真似た。
 その姿なき声に疑問を持つこともなく、男はさらに何本も刺を打ち出す。まるで巨大な剣山のように。
 それらすべてを防がれながら、刺を一本、さらに細く伸ばして足もとから背後に回らせ、背中に奇襲をかける。しかし、それも壁を打ち破ることはできない。
「ふん……不意を討つ、っていうのは不可能らしいな」
 能動的に発動する防御機能ではないらしい。確認して、男は別の攻撃手段に出る。
 その左腕が大砲に似た筒状に変化した。筒の中から黒いもやに似たなにかが吐き出される。
『毒ガスだ。それは私が浄化しておこう』
 吐き出されたものの成分が瞬時に解析され分解される。合成音声の主はエステルの補佐として優秀な機能を発揮していた。
 それでも、男も簡単にあきらめるということをしない。瞬時に次の攻撃手段に変える。
 微動だにしなかった司令官がわずかに足の位置を変えた。床に小さくひびが入り、重い音を立てて震動を始める。
 重力が操作されているのだ。それをすぐに彼女も察知していた。
「なかなかやるじゃないか」
『のん気なことを……バリアを完全透過されていたらとっくにペチャンコだよ』
 2人がのんびりと会話する間に、灰色の男は力を注ぎ入れて重力を操っていた。全身から滝のように汗がしたたる。本当ならば発動の一瞬後には床ごと圧し潰しているはずの攻撃だ。しかし相手は少し足もとの不安定さを気にしているくらいで平然としている。
 しかしじっとしているのも飽きたらしい。
「もういいよ。欲しい情報は手に入ったし」
 彼女は軽く右手を挙げて手のひらを男に向ける。
「出力はこちらが上。改良はされているようだけれど、やはりその内蔵ASはまがいものだ」
『量産型らしいね。機能よりそのものの扱いやすさを優先している部分がある』
 男は死期を悟った様子だが、表情はないままだった。
「やはり……キイ・マスター。お前が最初の」
 ことばを最後まで紡ぐことなく、その身は一筋の煙となって消える。
 血肉も骨もない。人工造体の量産型ASの器。感情も個性も与えられていないロボットのようなものが、灰色の男の正体だった。
「暗殺者、というより小手調べの先兵かな。ここでの情報は伝えられているかもね」
『確かに、我々の知らない通信手段も持っているかもしれない』
 会話を続けようとして、エステルは口を閉ざす。ドアの向こうから近づく気配に気がついたのだ。
 しばらくして足音が明確に届く。慌ただしく駆けつけるものが3つ。
「エステル司令官?」
「ええ、なんでしょう?」
 ロットとテリッサ、それにフォーシュ。臨戦態勢に見える様子で声をかけてくるのへ、エステルはあくまで緊張感なく答えた。3人は少し拍子抜けしたような顔をする。
「ここでなにか、怪しい人物はいなかったか? もしくは事故とか」
 問いかけながら視線は周囲に油断なく向けられる。見る者が見ればわかる、警戒し慣れた仕草。
「少なくとも、私がいる間にはありませんでしたよ。なにかあれば警報が作動しますし。こんな夜中ですから、ちょっとしたことでも神経質になるのはわかりますけどね」
 と、彼女は苦笑する。
「私ももう休みます。おやすみなさい」
「はあ……
 あくび交じりに言い残してドアの向こうへ去っていく背中を、三人は止めることばも見つからずにただ見送る。
 しかしそのすぐに後、3人は床に不自然な細かいひび割れを見つけ、顔を見合わせるのだった。

 翌日早朝、アーミラが連絡を受けて速足で到着したときには、すでにいつものように司令官は定位置についていた。壁の大型モニターにはポート01のハッチの外部カメラからの映像が表示されている。
 動くものは中央の一機の航宙機。翼のある鳥を模したような形だが、飾り気のない黒と灰色の迷彩に塗り染められている。それは新しく追加された塗装であることは、ある程度接近すれば人の目にも明らかだ。ただ、遠方では闇に埋没してしまうだろうが。
 慣性飛行でゆっくりとポートに近づくそれを、ハッチを開けて迎え入れる。画面には文字列で所属が表記されていた。エルソンの輸送船だ。おそらく、ルウグの言っていた追加の応援だろう。
「この一機だけ? これも戦艦なんでしょうか」
 席に着くと、アーミラは疑わしそうにモニターを凝視する。
「今時の戦闘、数が多ければいいというものではないもの。高い能力を持つ頭脳が人でも人工物でもひとつあれば、ほかの多くのものを操れる」
「それはそうですが……
 理論ではわかっていても、感情的に納得はできなかった。画面に映るあの輸送船は先に訪れた2機よりも一回り以上つ小さく見える。
「出迎えましょう。そのうち、あなたにもわかるでしょう」
 上官が立ち上がりドアへ向かうと、慌ててアーミラもそれに続く。
 しかし彼女は、ポートに駐機した輸送船がハッチを開いてラダーを下ろしプラットフォームに年若いクルーたちを見ると、さらに疑念だけでなく驚きを深くしたのだった。

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