Day 10 収束する道

 時折響く悲鳴とそれに対応したやり取りのほかは、人々は皆、無口だった。隔離棟の中で主に動いているのは医者と看護婦、見張り番で、患者や時折見に来るその家族は、ただ息を詰めて時が過ぎるのを待つばかりだった。ギイギイという風が建物の壁をわずかに歪める音が、やけに耳につく。
「もう1時間か……
 布の上に横たわり、自分の腕を枕にしたジャンク屋の主人が、独り言のように小声でつぶやく。そのそばで、壁を背にあぐらをかき、プラモデルのような小型探査艇を抱えている少年が、チラリとジャンク屋を見た。
 だが、そのまま何も言わず、目を閉じる。
 それもすぐに、再び見開かれることになった。彼の腕の中の気配が、わずかに動く。
 同時に、かすかな足音が聞こえた。布のドアの向こうからの、風の音に消されてしまいそうな、かすかな衣擦れのような音だ。
 まさか、と思いながら、少年は出入口を見つめた。
『ミュート?』
 目覚めたルータが、出入口の向こうに声をかける。
 そして、見守る一同の前で、布が押し上げられた。入ってきたのは、街の見張り番でも、患者の家族でもない。ジャンク屋の主人にとっては、初対面の少女だ。
「失礼するよ」
 そう声をかけて隔離棟に入った黒目黒髪の少女は、即座に見慣れた探査艇とそれを抱える少年を見つけ、歩み寄る。
「ミュート……戻ってきたか」
 信じられない、という風体のルイスの腕から、戻ってくるのを当然として受け止めている探査艇が飛び出した。ミュートは苦笑してそれを受け止める。
『ミュート、怪我をしている? 大丈夫?』
「かすり傷だよ。それよりまず、きみのほうをどうにかしないとね」
 彼女は左手で探査艇の尾部を捕まえ、右手でポーチから、黒い六角形の、宝石のようなものを取り出す。目を見開く医師や患者たちをよそに、右手の指先でつまんだそれを、探査艇の亀裂に近づけた。
 途端に、黒い実が光、亀裂に吸い込まれるように消えた。少女の手の中でルータが軽く震える。
『うっ……痛みが消えたみたい』
 張り詰めた表情で見つめていたミュートたちは、とりあえずのところ、ほっとする。
 ミュートはポーチに入れてきた残りの実を医者に渡すと、探査艇を抱えたまま、ルイスのとなりに腰を降ろした。
 少年は、尊敬すら含んだ目で、少女を見る。
「大したもんだよ……ヘカレルからそれを取って来るなんて」
「運が良かっただけだよ」
 少女は、照れたように笑った。

 隔離棟で一夜を過ごしたミュートはルータを連れて、早朝、くぼ地の底に広がる街に向かった。小屋を出る前に見回したほかの患者たちは、だいぶ顔色も良くなっている。
 ただ、小屋のなかには、ジャンク屋とルイスの姿はなかった。ミュートより早起きして街に降りたらしい。
『お祭りの準備でもしてるかな』
 遠回りして大きな階段を使い、街の通りに向かうミュートの腕の中で、ルータが浮かれたような声を上げる。
「そりゃ、ヘカレルもいなくなったしね。たぶん、街の人もみんな協力してくれると思うよ」
 階段から見渡せる街並みは、昨日までとは違う雰囲気をまとっていた。すでに起きて動いている人影がいくつもあり、ある者は破壊された建物を修理し、ある者は店の看板を出し、ある者は公園や軒先で知人と顔を合わせて談笑している。
 しかし、彼らはこの世界本来の人々なのだ。ミュートやルータとは違う。
 そう思うと、ミュートは少し複雑な気分になる。
『花火も打ち揚げるって言ってたけれど、あの円盤に見つからないかな?』
「さあ、ここは大丈夫なんじゃない? 今までだってきっと見つかってたはず」
 明るい声に、ミュートは気を取り直した。そして、探査艇の表面についたままの傷を、指先で軽くなぞる。
「こういうのも、ASで直せるはずなんだけど。それって、構造を知らないと駄目だよねえ」
『もう少ししたら、自分で直せるよ。ミュートの傷も治してあげる。しかし、ASは消耗が激しいからね、きちんと気力を充実させておかないとね』
 ルータが妙に専門家ぶって言った。
 ミュートが口を開きかけ、階段の最後の段を降りると、木の棒をいびつに組み合わせた物干し竿に洗濯物を干していた女性が、目を向けてきた。
 黙って通りを中心部に向け歩き始めると、その女性が声をかけてくる。
「あなた、街の外から来た人だね?」
「はい、そうですが」
 一抹の不安を覚えながら、少女は足を止める。街の外、が、この世界の外、という意味ならばどうだろうか、と、想像をめぐらせる。この荒れ果てた世界に住む人々が、ミュートたちが外の世界の人間だと知ったとき、どう思うだろうか、と。
 幸い、と言うべきか。女性は、そこまでのことは知らないようだった。
「実は、昨日、旅の者だって言う3人組が来てね。今朝、あんたたちが来る1時間くらい前に出発してったよ。そのうちの1人が、しゃべる飛行物体みたいなのがこっちに来てるはずだと言って捜してたんだけどねえ」
『ええっ!』
 ルータは驚き、少女の腕のなかで跳ねた。それを見て、女性のほうも仰天する。
「いやあ、驚いた。でも、ということは、やっぱりあんたたちを捜してたんだろうね。あの人たち、他の街に行ってみるって言ってたから、たぶん北に向かったんだろうね。早く会えるといいね」
「はい。ありがとうございます」
『ありがとう』
 嬉々として礼を言い、ミュートは歩き出す。街の中央を通り抜ければ、そのまま北の階段に辿り着く。
 ミュートはその前に、食べ物屋で食糧とナイフを交換し、祭の様子を覗いていくつもりだった。だが、食べ物屋でパンと缶詰を手に入れた後、ミュートの腕の中で、ルータが声を抑えて言う。
『ミュート……すぐにこの街を出よう。私たちは、ここに留まっていてはいけない』
「え、もう行くのかい? お祭、楽しみにしてたんじゃなかったのかい」
 いくら捜している相手に早く会いたいからって急ぎ過ぎなんじゃ、と続けようとして、少女はことばを途切れさせた。どうやら、早くここを去りたい理由は別にあるらしい、と気づいたためだ。
 ふと、ヘカレルの中身のことを思い出しながら、ミュートは北に足を向けた。
 北の通りの両脇では、屋台の準備が始まっていた。すでに商品が並べられた店もあり、それだけで、見ている者の目を楽しませる。
『いつか、一緒にこういう祭を見てみようね』
「そうだね……もとの世界に戻ったら」
 元の世界。当たり前だった日々が、もう何年も昔に思える。実際は、この荒涼とした世界に来てから、一週間足らずしか経っていないというのに。
 間もなく階段に辿り着き、黙々と、一段一段を確かめるように登る。
 登りきると振り返って、広がる街並みの上にルイスとジャンク屋の姿を思い出し、心の中で別れを告げてから、歩き出す。生き物の気配のない、荒れ果てた大地へ。
 街の中ではそよ風程度だった風が、砂を運びながら、荒々しく小柄な少女をなぶる。ミュートは改めてジャケットのチャックを端まで引き、襟を立てた。
……いい街だったね」
 町があるくぼみが、ほとんど周囲の稜線と一体化してわからなくなるくらいまで離れて、少女は言った。もっとも、彼女は一度も振り返らなかったが。
『ああ……そうだね。ルイスも、あのおじさんも、他の人も、皆、懸命に生き続けようとしていた。そして、お互いを大切に想い、助け合うことを知っている……
 そんな人たちを、少しでも危険な目に合わせてはいけない。
 そう思い、ミュートは足を速める。
 そのとき、遠くで、破裂音が鳴った。
「何だ?」
 警戒し、左の袖口に右手をかけながら振り返る。同時に、ルータがその頭上に飛び出した。
『あれ……!』
 暗く、赤黒い、不気味なだけだった空に。
 ほんの数秒間だけ、蒼い、光の花が咲いた。
「ああ……
 半ば茫然としながら、少女は見上げる。
 遠く破裂音と風の切るような音が鳴り、彼女の深い漆黒の目に、鮮やかな赤の花が咲く。
『いつか、また来たいね』
 街を出る1人と1機を元気付けるような花火を見ながら、ことばを交わす。
「きっとまた会えるさ」
 それは、彼女の予想というより、希望だった。

 赤茶色に汚れた白衣の裾が、強風に煽られる。
 汚れに気づいた青年は、溜め息混じりに手ではたいた。白無地についた砂埃は完全には取れないが、それが今できる、最大限の抵抗である。
「汚れるのが嫌なら、脱いで持ってたらどうですか? ここは現実じゃないし、気にしなくてもいいと思いますけど」
 栗色の髪の若い女が、苦笑交じりにアドバイスする。が、白衣の青年はその上着を脱ぐ気はないらしく、肩をすくめた。
「たとえ架空のものでも、私が今これを脱いだらより寒くなりそうだと感じていることは、まぎれもない事実さ」
「同感です。仮想現実でも神経に加わる刺激は現実と変わりませんし、感覚が壊れることもありえますからね」
 レーザーガンを手に、油断なく周囲をうかがいながら先頭を行くエルソン人が、科学者に同意する。
「とりあえず、充分な食糧が手に入っただけでも僥倖です。あとは、何とか他の皆と合流できればいいのですが」
「それと、ここであった惨劇の詳しいことも知りたいな」
 科学者は、その職業らしいことを口にした。
「地球が、彼が言った通りになったにしても、調整者の狙いが予想できない。できれば後学の為にも知っておきたいからな」
 彼は、この世界に来たときのことを思い出す。
 彼ら3人と、現在は別行動をとっている2人は、自分の身が今までとは違う状況下にあることに気づくと同時に、見覚えのない男に助けられた。《時詠み》と名のる彼は、5人にとりあえず一休みできる場所を提供すると、外に出る。
 人心地ついた科学者は、他の4人から離れ、《時詠み》を追って外に出た。真理を追究する彼の中では、異変に対する驚きと恐怖が過ぎ去ると、好奇心が頭をもたげてくる。
 彼らがいるのは、白い、奇妙な建造物だった。扉が破壊されたらしい空間内から、手すりもないテラスの上に出ると、空が黒に染まっていた。馴れ親しんだ夜空ではない、近過ぎる宇宙の闇。月もまたたく星もなく、ただひとつ、赤黒い惑星の姿だけがはっきりと浮かんでいた。
「あれは……
「あれは地球だ。かつて地球だった……と言うべきか」
 出入口の横に身を潜めていた黒のフード付マント姿が、見上げながら言う。
 答があったことより、答の内容が思いがけず、科学者は目を見開いて振り返った。
「地球……? とても、そうは思えないが。まるで死の星だ。何があった……?」
「ああ。戦いと炎に焼き尽くされた、地球」
 フードの奥で、彼は苦笑したらしかった。
「いつだったか……。太陽の異状活動により黒点が増え、やがて、すべてが黒に染まったのは。地球上にも異状が起き始め、連邦政府はかねてより極秘裏に進められていた計画の進行を早めることにした。このままでは、氷河期が推測より早く来てしまうからね」
「ルシフェル計画……
 かつてSF小説でも何度となく書かれたことがあるその計画の名を、科学者は、古い天文学の資料で目にしたことがあった。それは、木星を新たな太陽に変化させるという一大計画である。新たなエネルギー源を得、そして、地球と同じような環境を木星衛星上に作り出すこともできる。
 最も、重力制御装置と耐久力やコストパフォーマンスに優れた形状記憶合金が実用化され、テラフォーミングも容易になった現在では、そのようなややこしい真似をする必要はない。
「彼らには、まだ、別の惑星にすべての人類を送るだけの技術がなかった……それに時間もね。だから、選ばれた者たちだけが新星に渡った。残された者の間には混乱が、ホロコーストが起きた」
……滅びるまであと少し、だろうからな。自暴自棄になるのも無理はない」
「ああ。残り少ない寿命をせめて少しでも楽しく暮らそうと、略奪や身勝手な犯罪が横行し、地上は荒れた。だが、そこに、手を差し伸べた者たちがいた……異星人さ。しかし、そのなかには、元凶たる調整者も紛れ込んでいた」
 調整者、とは何か。このときはまだ、科学者は知らなかったが、口を挟まず聞いていた。
「まず、太陽の異状も、調整者の計画通りだった。そして、木星を太陽化したのも。選ばれし者たちが新天地へ旅立つ前に、すでに木星は太陽化し始めていたんだ……何の処置も講じていないのに。そして、人類を滅ぼすために、彼らは人と人との対立を深めるために、様々な勢力を誘導した」
 その戦いの末、地上がどうなったのか。
 それは、空に浮かぶ不気味な姿を見れば、一目瞭然だった。
「それが、この世界で起こった過去……のか?」
 血の色の海を見上げながら、白衣の青年はつぶやく。
 対照的な黒いマント姿は、再び、苦笑した。だが、その目元は、どこか哀しげな影を落としている。
「それが、過去とは限らないよ。未来とも限らないが……
 逃げるようにマントをひるがえして闇に消える、黒ずくめのはっきりしないことばに、科学者は肩をすくめ、立ち尽くした。
 だが、今なら少しは《時詠み》の言うこともわかる。赤茶けた大地を行きながら、彼は思う。
 ここは、未来と過去の交錯した世界。彼の記憶にはない歴史の流れる、仮想現実。
 それが何を意味するのか。VRDを制御しているはずのシグナは、あるいはそれを操る者は、何のために、何を見せようとしているのか。
「もう少しかしら……?」
 次の町が待ち遠しい様子で背伸びをする仲間の声で我に返る。
 足を止めて顔を上げた白衣の科学者は、遠くから、小さな破裂音が聞こえた気がした。

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