ミュートは早足で、風の荒れ狂う暗い世界を歩いた。あれほど心の安らぐ場所だった、劇団のキャンプのあった場所から、今はできるだけ遠くに行きたかった。徐々に強まってきた風に煽られながら、ルータは黙ってそれについて行く。
一時間ほど歩いた後、ようやく少女は足を止め、振り返る。
一体、何をやっているんだろう?
彼女は急に、そんな基本的な疑問を思い出した。
今まで見たこともないような荒れ果てた世界を歩き、最新鋭の宇宙船のAIが積まれているらしい超小型探査艇を連れて、息苦しい思いをして。
強風で溜め息をつくのが難しいので、代わりに肩をすくめ、風に吹き飛ばされそうに見えるルータを捕まえる。まるでぬいぐるみと小動物の中間のような、奇妙なぬくもりが手に伝わる。現実世界では感じたことのない感覚だ。
それに、ぬくもりと同時に読み取れる表情のようなものも。
「大丈夫かい?」
ぐったりしたような気配を読み取って、ミュートは両腕の中の存在を見下ろした。感情を動かされると、薄れていた〈仮想の現実感〉が戻ってくる。
『……たぶん』
つぶやくように言って、少女の唯一の話し相手は黙り込んだ。
唯一、意志の疎通ができる相手。少なくともこの世界にいる間は、常に運命をともにする存在。そのことを改めて思い、もっと大事にしなければ、と思う。もう2度と、心を預けた相手を失わないために。そして、自分が自分でいるために。
少女が再び意志を強く持とうとする一方、その腕の中で眠りかけていたルータが、一気に覚醒する。
『何かいる』
少女の手が、袖口に仕込んだナイフに伸びる。彼女もまた、背後に生まれた気配を察知していた。
「誰だ!」
一瞬の判断さえ終わればいつでもナイフを投げ放てる姿勢で、身体ごと振り返る。
しかし、ミュートが目を向けたそこにあった姿には、少しも、敵意や殺気といった気配がなかった。何か異質なものを感じさせるものの、それが悪いものとは思えなかった。
紅の、かげりのある目。普通の赤毛とは違う、鮮やかな朱の長い髪。身長も年齢も、だいたいミュートとそれほど変わらないくらいの少女だ。
「きみは……」
敵か、そのほかか。それすらも計りかねて、黒髪の少女は問う。
法衣のような変わった服をまとった赤毛の少女は、苦悩と決意が交じり合ったような表情を向ける。
「私は……アルファだ」
外見から見て取れる年齢とは不釣合いな、落ち着いた物腰だった。その周囲にまとった雰囲気からしても、ただの人間の少女ではないことがわかる。
「きみ……ただの人間じゃないね」
まだナイフの柄に手をかけたまま、ミュートは見たままの印象を述べる。
「ああ……私は、調整者。だが、きみたちの敵ではない」
「それで? 調整者がなぜここに……私たちに、何の用事が?」
強い警戒を込めて言う少女に、調整者は哀しげな目を向けた。
「私はもう、調整者をやめたいのだよ。しかし、今はまだ……やらねばならないことがある。投げ出すことはできない……そして、このままでもいけない。だから、頼みたいことがある」
「その頼みを断ったらどうするの?」
「どうもしない。頼みを聞いてくれたら……できるかどうかは別として、やってみると約束してくれたら、きみたちにとっては有力な情報が手に入るだろう」
怪しげな、常に裏のある連中。調整者ということばにそういった印象を抱くミュートが相手の真意を疑ったとしても、仕方のない話だった。
だが、この相手は――今目の前にいる赤毛の少女は、今まで少しでも接触してきた調整者とは違う。そう、ミュートは直感した。
「それで、その頼みっていうのは?」
ようやく、彼女はナイフから手を放す。
アルファはかすかに笑みを浮かべ、ある方向にうずたかく積みあがった瓦礫の丘を目で示した。
「あの丘の向こうに町がある。生き残った人々の町だ。そして、さらに進めばもうふたつ、町があるだろう」
『町……?』
すぐには信じられない話に、ルータが問い返す。
「行ってみればわかるだろう……私の頼みも、行ってみなければわからないものだ。3つ目の……最後の町。その町で、事件が起こる。そこで、調整者の船からASを奪って欲しい」
「そんな難しいこと……」
「お膳立てはしておく。ただ、後々追っ手はかかるだろうが、それもこちらでなんとかしよう。しかし、きみなら大抵のことは大丈夫だろう……ミュート」
アルファは、まだ名のってもいない少女の名を呼んだ。
それから少しの間黙り込んでいた少女たちだが、やがて、ミュートが肩をすくめた。
「いいだろう。その町とやらがあるなら、言う通りにしよう。期待したとおりになるかどうかはわからないけどね」
赤毛の少女は、わずかに相好を崩す。
「ありがとう……こちらも努力しよう」
少女の姿が薄れ、背景に溶け込み始める。
「気をつけて」
冷たい風が吹き過ぎていく。アルファの声は、風の音に流されていった。あとには、足跡も何も残されはしない。
『良かったの?』
「もう情報聞いたし……それで引き受けないのって、なんだか寝覚めが悪そうだ。どうにしろ、町があったらの話だけどね」
言いながらも、ミュートはアルファのことばを疑ってはいなかった。直感と、嘘をつく理由が見当たらないためだ。罠を仕掛けるくらいないら、ここで仕掛けてくるだろう。ナイフを手にしている間も、彼女はアルファの物腰から見て取れる実力の底知れなさに内心恐れを抱いていたほどである。
それほどの実力者が頼みごとをするというのはよほどの事情があるだろう、そして、そういった者が簡単に嘘をつく可能性も低い、とミュートは考える。
「早速、町があるかどうか見てみましょうか」
生きた人間がいると保障され、沈んでいた気分が浮上するのを自覚しながら、彼女は歩き出す。紅の少女が先を示した、瓦礫の丘をめざして。
砂埃を含んだ強風も、不気味な暗い空と破滅的な地上の風景も、今は気にならなかった。
その町は、くぼ地の底に広がっていた。北には小高い丘がいくつもそびえ、町からは山のように見える。そして、丘の周囲には底の見えない穴がいくつも開いていた。それを監視するように、そばにいくつかの建物が連なっている。
それも、長い階段を降りて街並みの中に入ってしまえば、見ることはできない。
「よく、調整者に滅ぼされなかったなあ」
通りに入ると、ミュートは警戒を怠らず、周囲を見回す。特に門番がいるわけでもなく、警官や自警団が見回っている姿もない。
『規模から言って、人口は数千人か……人がいればだけどね』
家々はどれも木造で、泥や炭のようなもので汚れていた。いかにも、その辺りに落ちていた板や柱を組み合わせてできている様子だった。
そのどこかいびつな家のひとつ、すぐ脇の建てつけの悪そうなドアから、布に穴を開けただけのような服を来た、金髪の少年が現われた。その、普通なら何の変哲もない姿に、ミュートに抱かれたままのルータは愕然とした。
『ひ、人がいるー!』
驚きの声に、少年はむっとしたような表情を浮かべて振り向いた。
「当たり前だ! いて悪いか」
と、歩み寄って声の主を見るなり、今度は少年が愕然として仰け反った。
「変な機械がしゃべってるー!」
『変な機械じゃない!』
指をさして声を上げる少年に、ルータは抗議の声を上げる。
『私は、ルータ。惑星エルソンの最新の人工知能だよ。とても由緒正しい機械だよ!』
「ふうん。そういえば、どっかで聞いたような名前だな……。オレはルイス。由緒正しい人間さ」
意地を張り合う2人のやり取りに、ミュートは笑った。
「私はミュート。由緒正しいかどうかはわからないけど、人間だよ。……この町に、お店とかはあるの?」
「ああ。ここのところは、休んでるとこも多いけどな。ついて来いよ、案内してやる」
ルイスは嬉しそうに言い、軽い足取りでミュートの前を歩き始める。
「いつもなら、もう開店してるはずなんだけどな……3日前ランシェ婆さんの孫がヘカレルにやられて、そろそろ亡くなりそうだから……あいにく、雑貨屋は閉まってるだろうな」
通りを歩きながら、彼は説明する。
「あとは、食べ物屋と食堂、服屋に本屋にジャンク屋か。ジャンク屋は、祭の準備で閉まってるかもな」
『祭?』
意外なことばに、ルータが声を上げる。
「ああ、ジャンク屋のオヤジが1人でやってやるんだって気を吐いててな。でも、ヘカレルの襲撃が頻繁なこの時期に、祭なんてやれるんだか」
「……その、ヘカレルって一体何なの?」
襲撃、ということばに眉をひそめ、ミュートは尋ねた。彼女は、通りにやけに人の姿が少ないことに気づいている。
「ああ……町に来る途中、穴を見なかったか? その中のひとつに住んでる。時々町を襲いに出てくるんだ。それを、なんとか監視して食い止めてるんだけど、だんだん犠牲者が増えてきていて……」
『町を移動させたら?』
「もう何回もしてるよ。でも、地中を追ってくるんだ。そして新しい巣を作る。あいつにとって、この町はエサ場みたいなものだ」
どこか投げやりに言い、彼は角を曲がった。そこに、数少ない店の並びがある。半数以上は閉まっていたが。
「雑貨屋もジャンク屋も開いてないなら、食べ物屋かな。でも……お金は持ってないよ」
急に重大な事実に思い当たり、ミュートは顔色を変えた。
『そういえば……そうだよね』
2人は、深刻そうに考え込む。
その様子を見て、ルイスは吹き出した。
「金なんて、このご時世じゃ役に立たねえって。この町じゃ、買い物っていうのは物々交換よ」
なるほど、と納得すると、ミュートはポーチから、折りたたみ式のナイフを取り出した。
「ちょっと錆びてるけど、充分切れる。これなら、食べ物を切る程度のことには不自由しないんじゃないかな」
「食べ物を切る程度って、それ以外の何に使うんだよ。……まあ、そのナイフなら、何かと交換はできるだろ」
言ってルイスは、1本の釘でドアの横に打ち付けられ傾いた、『バーンの食べ物屋』と書かれた看板のある店に入ろうとする。
しかし、錆び付いたドアノブに手をかけたところで、彼は動きを止めた。
その原因は、ミュートにもルータにもわかっている。カンカン、という金属音が、地上に比べいく分穏やかな風に混じっていた。
「ヘカレルだ……防衛線を破られたか! 逃げるぞ!」
答えも待たず、少年は少女の手をつかんだ。ミュートは慌てて、探査艇を片手に持ち直す。
「防衛線って、上の建物の……」
「ああ。どっから降りてくるかわからないけど、中央広場の石倉に避難するんだ。近くに洞穴を掘って避難所にしてるとこもあるが、あそこが一番近い」
手をつないで走る2人の周囲、通りの脇の家からも、人間たちが姿を見せた。どこか遠くで、悲鳴が上がる。逃げる人々が悲鳴や何かが崩れ落ちる音を耳にすると、一瞬足を止めてそちらを振り仰ぎ、何名かは逃げる方向を変える。
逃げ惑って時間を潰す訳にはいかないと腹をくくり、ルイスは真っ直ぐ中央広場を目ざす。
だが、広場が見えてきた頃、近づく喧騒に痺れを切らし、ルータがミュートの手から離れて飛び上がった。
「ダメだ、戻れ!」
ルイスが足を止めて叫んだときには、超小型探査艇は町の上空にまで上昇している。
『北西に茶色い山のような生き物が見える……』
奇妙な姿が民家を破壊しているのを確認すると、ルータは音声の出力を最大まで上げた。
『東だ! みんな、南東に逃げるんだ!』
一体、何者の声か、と人々は足を止める。だが、もともとどちらに逃げるべきかもわからないのだ。これぞ天の助けかもしれない、と思ったか、ほとんどの者は南東に進路を変えた。
「おい、早く降りて来い!」
上空のルータが安堵する一方で、地上ではルイスが声に焦りをにじませる。
その声が届いたか、探査艇が機首を下に向けた瞬間、何かが空を横切った。
ミュートとルイスは見る。地上のどこかから放たれた白っぽい銃弾のようなものが、残像の尾を引きながら鏡のようにつややかな探査艇の腹に吸い込まれるのを。
直後、その小さな姿は落下を始めた。かすかに悲鳴を聞いた気がしながら、ミュートは真下へと走る。高度は地上数十メートル程度で、ルータ自身も小さく軽いとはいえ、地面に直撃すれば無事ではすまない。
幸い、地上十メートル程度で1度コントロールを取り戻し、落下スピードにブレーキがかけられた。そうして再び地面に落ちていくのを、ミュートが難なく受け止める。
「ルータ!」
気を失ったのか、AIは反応を示さなかった。その、かすかなぬくもりをはらんだ表面に亀裂が走り、四方に延びたひびの中央には、1センチメートル足らずの穴が開いている。
「こいつ……」
ルイスが何度か息をのみ、ためらいがちに言う。
「死ぬぞ……」
少年のことばを聞きながら、ミュートは暗い目で探査艇を見つめた。
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