相変わらず、風は強く吹いていた。そのなかに、半壊し、もともとのシルエットを留めていない、一見何なのかよくわからない建物から這い出した、ふたつの『生物』と呼べそうな者の姿が身をさらす。
自主性を持って動くものは、その他に見当たらなかった。荒れ果てた、瓦礫の散乱する地平線までの光景のなかには。
「……とにかく、ここにいても仕方がないからね」
黒目黒髪の少女は、思い出したように顔を上げる。だが、同時に白い顔に砂混じりの風が襲いかかり、慌てて顔を左腕で覆った。
「どこかへ行こうか。ここではないどこかへ」
『そうだね、それがいい』
あまり具体的な提案ではないにもかかわらず、一抱えほどの大きさの小型探査艇からの音声が、はっきりと賛成を告げた。
少女アイス・ミュートと、最新の宇宙船に搭載された人工知能ルータ。ミュートは仮想現実体験装置――VRDを通し、ルータは己の情報処理システムでほぼ常に、最高の人工知能にて最高の情報処理システムであるシグナに接続していた。その最中、2人はこの世界に移動していた。
感覚の中に創りあげられた虚構の世界のはずだが、すべては、リアル過ぎるほどに存在感を放っている。踏みしめる、ひび割れたアスファルトの表面のざらつき。吹きつける風の圧力。
その感覚ですら、今までいた建造物のなかよりはマシだ、と、ミュートは感じる。
「忘れ物も何もない。大体の地形もわかったし、とりあえず、街があった場所を巡ってみよう。生き残りがいるかも」
他にどうしようもなかった。希望的観測のもとに動くしかない。
ミュートとルータは、もともとの進行方向と変わらない方向に歩き出した。それは、ルータが得た情報によると『北』だ。わかってもどうにもならない情報でも、ひとつ加わっただけで心強くなる。少なくとも、精神安定剤にはなっていた。
しかし、歩みを再開して間もなく、その安定も無駄になる。
足を止め、ミュートが見渡した一面に、整然とした光景が広がっていた。
土が盛られ、その中心に木の棒を十字に組み合わせただけの、簡素な墓が、何列にも並んでいた。地平線の少し手前までが、その墓の列に埋められている。
『……誰が作ったんだろう』
木の板には、名前が書いているわけではない。ただのオブジェにしては悪趣味が過ぎた。ミュートとルータが最初に思い浮かべたのは、やはり〈宇宙船ルータ〉のクルーのことだった。しかし、ここは元は街のど真ん中のはずなので、住民のものという可能性もある。
さすがに掘り返すわけにもいかないので、確かめる術はない。確かめたくないという思いもある。
「供える花もないけど……」
ミュートは目を閉じた。胸の前で手を合わせて、黙祷を捧げる。
少しの間を置いて、目を開ける。今まで見たことのない墓の羅列は、変わらずそこにあった。
「行こうか。きっと生きている人もいるはず」
自分に言い聞かせるように言って、墓の間を通り抜け始める。
彼女は墓に何か名前が入っているものはないかと見回しながら歩いたが、どれも、他の物と変わりなかった。細い木の幹を2メートル余りの長さに切って丈夫な縄で組み合わせただけのようなもので、コピーされたように幹の木目もすべて同じというものではない。余りに自然な、しかしありえない墓の群れだった。
墓は、数百を数えただろう。長い間その中を歩き続けたミュートは、ただのひび割れたアスファルトの道路に出たとき、ほっと溜め息を洩らした。高度を上げてついて来ていたルータが、少女の頭上数十センチメートルまで降りてくる。
『どれも、人の手によるものではなさそうだけど。量産にしては材質が違うものがあるし。作業用ロボットによるものだろうね』
「墓作り専用のロボットか……政府が指示したのかな」
ことばを交わしながら、ミュートはカーブに差し掛かった道路のど真ん中を歩く。
ルータの見立てでは、この道は海岸線と合流するはずだ。両脇が風除けに土を盛られてできたらしい丘に遮られ、遠くの景色は見えないが、徐々に、風除けのおかげでいくぶん弱まった風に、かすかに今までになかった匂いが混じってきた。決して磯の香りとは形容できない、本当に〈今までになかった〉匂いだったが。
「……ルータは、匂いとか感じるの?」
しばらくの沈黙を、ミュートはそんな問いで破った。鼻から空気を吸わないよう気をつけるあまり、少し変な声になる。
『私の嗅覚センサーは、ナトリウム以外に、本来浜辺に存在しないはずの物の匂いをいくつも補足している』
「人間のようには感じないってことかな……」
『シグナに私に関する知識が少なければ、きみと同じように感じたかもしれないがね。シグナは、私のセンサーの構造をよく知っていたから。でも、あまりいい気はしないのは同じだよ。自分の経験パターンと違う解析結果は不安だし、ストレスになる』
わからないことを解析し続けるとシステムに疲労が、逆にそれをあきらめて中止すると感情機構により不快感が募り、ストレス――負荷になる、とミュートは聞いたことがあった。そのとき、人間でも同じだな、と彼女は思ったものである。何時間も勉強し続けるのは疲れるし、あきらめるとなると悔しい。
あきらめるよりは疲れよう、と彼女は内心改めて意志をかため、歩調を速める。精神的には多少疲れていたが、身体的には充分だった。精神的にも、ルータと話しながらなら気が紛れるだろう。
「ここは、シグナの作り上げた仮想世界である可能性が高いんでしょう?」
『……ああ、今のところはね』
何かに気をとられていたのか、探査艇は数秒の間を置いて応答した。
「じゃあ、これのモデルになった現場のデータとか、あるのかな」
『そりゃ、数え切れないほどあるだろうね』
ルータは元気なく言った。
『いつの世も、星々の多くでは殺し合いは絶えないみたいだしね。この惑星でもそうだった……しかし、この状況はむしろ、大きな災害の後に似ているかもね。惑星に致命的な大きさの隕石が落下したら、は何度もやらされているシミュレートだろう。宇宙域のなかでは、実際に起こったこともある……隕石を破壊できなかった場合でも、大抵は人々が脱出できたが、ここのように、新しい惑星を発見した段階で崩壊していたこともある』
左側の土手に、入り口が見えた。ミュートは駆けるように、そこに近づく。
「その星の海はどうだったの?」
『蒸発してたよ……ミュート』
道路から左に折れた道は、上に向かっていた。焦げた柱のような残骸が1本、頂上の広場に見えた。
『あそこは、もともとは公園だったんだ。この岬はちょっとした観光地だったようだよ』
ミュートは坂を登る途中、一度、足を止めて振り返った。長く続く土手の向こうに、チラリと、並んだ墓と大きな瓦礫の山が見える。
それを振り切るように視線を戻し、彼女は駆け登った。
登りきると、そのまま、柵があったらしい場所まで進み出る。
崖のはるか下で、波が岩に当たって砕けた。岩は黒く、歪んでいた。
「うわ……」
水平線まで満ちたゆらめきに、少女の口から、感嘆ではない声が思わずもれる。
『ああ……海は干上がらなかったけど、死んでしまったんだね』
ルータも、がっかりした調子で言う。
海の水かさは、見たところ変わっていないようだった。だが、その色は、ほぼ完全に透明度を失っていた。大量の墨汁を垂らしたように、黒く染まった水面。それは、生命体というものを拒絶しているかのようだった。おそらく、魚などの海の生物も絶滅して久しいだろう。
「昔、私が住んでいたところで環境破壊が進んでるって言われてたけど、本当に色々な汚いものが海に流れ込むと、こんな風になっちゃうんだね。現実世界の海も、汚すのをやめないとこんな風になるのかな」
『……そうだよ。生きていくには、生きていく場所を守らなきゃ。それに生きていく自分自身も』
ルータはミュートから離れて、広場の側面に回った。ミュートはそれを追い、下への階段を見つける。
『下には洞窟があるみたい。行ってみる?』
「うん、少し休めそうだし」
『階段が急だから、気をつけて』
「もちろん」
ミュートは階段に駆け寄ると、一旦足を止めた。階段は崩れかけ、そして角度が急だった。少し迷った後、彼女は階段に身体を向けたまま、手をついて慎重に降り始める。時々、足や手をかけた部分が崩れ、少女はひやりとした。降りきったとき、ほっと溜め息をつこうとして鼻で空気を吸い、顔をしかめる。
やがて、彼女は岩場に降り立つ。波にあまり晒されない部分の岩は、少し色が黒味ががっている程度だった。
ミュートは、波が叩きつける端に進み出る。
「なんだか、寂しい感じだね。この世界の、どこもそうなのかもしれないけど」
『住んでいた命を失った世界か……でも、これは現実ではないよ?』
ルータが確認するように言うと、少女は笑った。
「わかってるよ」
彼女は、しばらく、そうして立ち尽くしていた。
まるで、何かを確かめるように。
どこまでも広く、何もない、死んだ海。そこには、命と呼べるものは何もない。つい数日前までは、周囲に多くの人の姿があった。ミュートのそばにも、ルータのそばにも。
「すべてが嘘だったらいいのにね」
この非現実に対して、彼女はまだ、現実感がわかなかった。無理のない話である。現実ではないことを理論的に知っているのだから。
だが、これは夢でも幻でもなかった。例え眠って起きたとしても、目の前の光景が変わることはない。
『もとの世界に戻る方法は、あるはずだよ。きみも言っていたじゃない』
少女の頭上から、ルータがぽつりと言った。
「それはつまり……役目を果たす、ってこと?」
『そうだよ。そのために呼ばれたのかもしれない。きみにそのことを伝えた人物に』
ミュートは、反射的に何かを言いかけ、止めた。彼女に〈役目〉を伝えた人物について、知られたくないのだろう。
ルータはそれにかまわず、話を続ける。
『そう仮定すれば、私たちを呼ぶことができたのだから、帰すこともできるはずだ。役目を果たすことができれば、それを条件に、帰してくれるということになる』
それは彼自身のことば通り、〈役目〉を伝えた人物がミュートとルータを呼んだなら、という前提のもとでの望みだった。2人を呼んだのが別人なら、役目を果たしても帰れるとは限らない。〈役目〉など、単に2人を利用するだけのものというのもありえる。
そして、それ以前の問題があることを、2人を知っていた。
「……それで、役目をこなせると思う?」
少し間をおいて、そう問いかける。
ミュートが伝えられた役目は、当然すでにルータにも伝えてある。
『……どうだろうね。実際に目の前にしてみないとわからないんじゃないかな』
「かもね」
ミュートはとりあえず、今は深く追求しないことにした。この世界に存在し続けたい、存在し続けることができる、という、確かな意志力と自信がつくまでは。
「でも、答えたくなければいいけど……私が彼とあっている間のこと」
『なに?』
「ルータもASをもらったんだよね? よくわからないようなこと言ってたけど、相手の姿とかって――」
『ミュート!』
ミュートは相手を見ずに話していた。頭上の探査艇は突然、ミュートが聞いたことのない、動転した声で叫ぶ。内容を聞くと、彼女自身もそれ以上に動転する。
『人がいる!』
「ほ、ほんと!?」
慌てて立ち上がったミュートは、岩の出っ張りに足を引っ掛けて転びかけた。身体を支えるためにゴツゴツした岩をつかんだ手のひらが痛むが、気にならない。素早く、辺りを見回す。
大きな岩の陰に、痩せた手が見えた。ゆっくりと回り込みながら近づくと、少しづつ相手の全身が見えてくる。
ボロきれのような服を身につけ、靴も履いていない、痩せ細った老人だった。今にも倒れ込みそうなその様子に、ミュートは慌てて駆けつける。
「大丈夫ですか!?」
彼女がかがみ込んで声をかけると、老人は濁った目で見上げ、驚愕の表情を浮かべた。
「おお……な、なぜだ、こんな……」
『怪我は? おじいさん、どこか痛いところはない?』
問いかけが聞こえていないのか。老人の目が焦点を結んでいないことに気づきながら、ミュートはとりあえず、老人を洞窟まで連れて行くことにする。
「すまない……すまない……本当に、こんなことになるとは思わなかった。家族が助かるためだと思って……それが、間違いだったんだ」
肩を貸そうとする彼女に、老人は何度も謝罪のことばを繰り返す。
「彼らはただ、我々を粛清すべき害虫としか見ていない……なんということだ……」
ミュートが老人の手をとろうと、それに触れた瞬間――
人1人分の砂が、強風にさらわれ、拡散していった。
『死んでしまったの……?』
そこには、人の姿はない。老人は跡形もなかった。
ミュートは、一瞬、手のひらに目を落とした。老人に触れた、そのわずかな間だけ、確かに感じたのだ。人の体温を。
老人は最後のつぶやきを口にしたとき、空の彼方を眺めていた。
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