NO.10 怪鳥 - 闇からの襲撃

 キイ・マスターは今のところ新しい依頼を受けるつもりが無いのか、オリヴンの安ホテルをねぐらにして、〈リグニオン〉や、彼女自身の他には知りようがないどこかで時間を潰す毎日を送っていた。時折、警備隊の手伝いや知り合いの護衛を引き受けたりはしているが。
 しかし、ここ数日はオリヴンの外に出ることも多かった。そうでなくても、付き合いの長いバントラムらは異変を察知している。
「そろそろ、ということかな」
 辺りは夕焼けに染まっていた。上空の〈リグニオン〉に通じるワープゲートの周囲には、コート姿の老人と、その姿と相対する画家志望の少年のような姿のほかに人間はいない。
「それは、向こうさん次第ですよ。もうだいぶ、こちらのデータもそろっているだろうし」
「では、キイ……それが終わったら」
「それが、契約ですから」
 キイは笑った。どこか寂しげな笑みだ、とバントラムは思った。
 しかし、核心に触れるような会話は交わされることなく、2人はいつもの居場所、いつもの立場に戻る。〈リグニオン〉に帰った所長と、その協力者であり、取引相手でもある何でも屋の女性の立場に。
 夕食にはまだ早く、その日の予定の作業は終了しているという、半端な時間だった。主だったメンバーは、大抵この時間をお茶の時間にしている。
「おかえりなさいませ、所長。キイも、いらっしゃいませ」
 まず最初に2人に気がついたエプロン姿の少女が立ち上がり、笑顔で声をかけた。
「今、お茶を入れますね」
「ああ、ラファサ、ありがとう」
 まるでレストランのような対応だと思いながら、バントラムとキイはパイプ椅子を引きずってきて腰かけた。例によって、アスラードやマリオンといったお馴染みの顔ぶれの一団がオペレーターのエイシアの周囲に集合している。
『おかえりなさい。所長、キイ』
「ただいま」
 ラファサが運んできたハーブティー入りのカップを受け取りながら、バントラムが穏やかな声に応じた。キイは軽く手をあげて答える。
 カップを配り終えると、ラファサが席に戻った。
「お疲れさまです。それで、首尾のほうは?」
 カップを片手に、カート・アスラード博士が所長に顔を向ける。現在、〈リグニオン〉の外郭は透過モードに設定されていて、射し込んだ夕日がその横顔を照らしていた。
「ああ、上手くいったよ。明後日には注文通り、新しいジェネレーターが届くだろう。これで機械部品を切らすことも少なくなる」
「今度は倒産しないといいですがね」
 〈リグニオン〉はその知識と技術の引き換えに、いくつかのパトロンから資金や物資の提供を受けている。しかし、オリヴンの経済は最近厳しく、パトロンのひとつであったコンピュータ会社が倒産してしまったのだ。その代わりとなる新たな企業と契約を結ぶのが、今日のバントラムの仕事だった。
「こちらは、何か変わったことでもあったかね?」
「いいえ。いつも通りですよ」
「いつも何か事件があるから、少しでも目を離すと心配でね。しかし、退屈な1日だったようだね」
「まあ、平和ってことですよ」
 何気ない様子で答えてハーブティーをすするアスラードに、集団の端のほうで椅子に腰かけていたキイが、不意におもしろがるような目を向けた。
「事件を呼び込むことがないから、ですね。トラブルメーカーが大人しくしているから」
『それは、誰のことですか? あなたが仕事をせずに怠けているので、事件に巻き込まれないだけだと判断できますがね』
 すかさず、ゼクロスがスピーカーからことばを挟んだ。周囲の者たちが苦笑する。
「べつに。何も事件がないから、退屈しているかと思っただけさ。明日は散歩にでも連れて行こうか」
『私は犬ではありません。それに、明日は先約があります。孤児院の子どもたちとの約束を果たさなくては』
 かつて、ある研究所の爆発事故により家族を失った子どもたちが、ベルメハンの北の外れに住んでいる。以前、ゼクロスはその子どもたちと、大気圏外にドライヴに連れて行くという約束をしていた。色々あって、それから大分日にちが経つ。
 そのことをすぐに思い出したキイは、ほんの一瞬、表情をかげらせた。しかし、周囲の者は気づかない程度のことだ。
「ま……それじゃあ、私もゆっくりさせてもらうか」
 溜め息交じりに言い、ふと視線をめぐらせる。
 その視線の先で、バントラムが不安げな、しかし何かを覚悟したような表情を浮かべていた。

 翌日、キイはいつもより早く〈リグニオン〉を訪れたが、ゲート内に見慣れた小型宇宙船の姿はなかった。周囲には、膝の上に子猫をのせたオペレーターのエイシアと、ホウキを手に床を掃いているラファサ以外の姿は見当たらない。
 ワープゲートから出てくるキイに気づいて、ラファサが足を止めた。
「おはようございます。ゼクロスなら、すでに出発しましたよ。孤児院の方々が、ずいぶん早くにいらっしゃいましたので」
 それを聞くと、キイは肩をすくめた。
「まったく、せっかちだね……
 溜め息混じりに言い、少し考えた後、彼女は身をひるがえした。スタッフも忙しそうな今、ここに残って邪魔になるようなことは避けたいと考えたのだ。
 しかし、ワープゲートに向かいかけたその背中に、ラファサが声をかけた。
「あの……お願いしたいことがあるんです」
「お願い?」
 足を止めたキイは、意外なことばに、少し驚いたような顔を向けた。
「はい。実は、料理の材料を買いに行こうと思っているんですけど、私、街に行ったことが無くて……。お時間がありましたら、案内、お願いできますか?」
「いいよ」
 キイはあっさりと首を縦に振った。
「今、準備して来ますね」
 一瞬嬉しそうな笑みを浮かべ、しかしすぐにうつむきながら、ラファサはチリトリとホウキでゴミをまとめ、ダストシュートに入れた。掃除用具を片付けると一旦奥の部屋に消え、小さなハンドバッグを持って現われる。そのバッグは、エイシアが何も持っていないラファサにとりあえずあげた、中古品だ。
「じゃ、行こうか」
 ラファサに声をかけ、手を振るエイシアに軽く手を上げて答え、キイはワープゲートに向かった。
 地上のゲートは、工場が多い、ベルメハン東区にある。昼間は人通りの少ない、静かなところだ。しかし、中心街からはそう離れていない。1番近くにある商店街までは、歩いて5分余りだ。
「昼食でも作るのかい?」
 八百屋をのぞくラファサの横で、キイがつまらなそうに言う。
「ええ。皆さん、ほとんどバランス栄養食で済ませているみたいですから、たまにはご馳走を食べていただかないと」
 ラファサは、メイド用アンドロイドである。おそらく、料理の腕も、生まれながらに達人を誇っているだろう。
 彼女は八百屋の次に、肉屋、それに魚屋と回っていった。キイは、荷物持ちをしながら、ただその後をついていく。
 最後に、ラファサは料理用のハーブを買った。
 それを買い物袋に入れて振り返ると、彼女はキイが腕時計を見ているのに気づく。キイの腕時計は通信機でもあるということを思い出し、その大きな目が細められ、鋭くなる。
 しかし、口を開いたとき、その顔にはいつもと違わない、控えめで静かなほほ笑みが浮かんでいた。
「キイさん。どうかしましたか?」
 何気ない問いに、特に異常を感じた様子もなく、キイが顔を上げる。
「いや。今どこにいるのかと思ってね、航宙管理局のデータをダウンロードしてたのさ」
「そうですか……
 ほんのわずかの間、彼女はキイから目をそらした。
 必要な物がそろうと、2人は通りを引き返し始める。今は、丁度朝と昼の中間くらいの時間帯だ。見上げると、雲ひとつない青空に太陽が昇り始めている。暖かな光が、目覚めた街並みを照らしていた。

 早朝、ミライナは急かされて、13人の子どもたちとともにかなり早い時間に〈リグニオン〉を訪れた。キイと連絡が取れず、街のほとんどの者が眠っている時間ということもあって、彼女らはキイと一緒に行くのをあきらめ、数人の研究所スタッフに見送られて出発した。
 半日もあれば、ずいぶん遠くの惑星に行くこともできるが、目的はどこかへ行くことではなく、宇宙に出ることだ。ゼクロスはゆっくりと軌道上を回っていた。
 子どもたちは、モニター越しに見える惑星オリヴンを凝視していた。蒼い母星が闇に浮かび、時々宇宙船やシャトルが行き来する姿が見える。画面の端から現われた鈍い銀色のシャトルが惑星に突き刺さるように消えていき、その一方で、黒い点だったものが巨大化し、灰色の宇宙船となって脇を通り過ぎていく。
『皆、よく飽きませんね。映像では何度も見ているでしょう』
「それでも、実際に宇宙に出て、そこから眺めているという事実が大切なのよ」
 1番奥の席に腰かけたミライナが、苦笑しながら言った。
 機内はGも無く、もし実は宇宙に出ずに映像を見ているだけだったとしても、何も不思議はない。映像も、ゼクロスならば現実と寸分違わないものを用意できるだろう。
 しかし、彼らが今オリヴンの軌道上にいることは、確かな事実だった。
「あなたは、宇宙空間に飽きたりするの?」
『まさか。私は宇宙船搭載コンピュータですよ。飽きることも無ければ、特別な感情を抱いたりもしません。何か……郷愁のようなものを感じるとすれば、それは場所ではなく、その場所で起こったことの記憶でしょう』
「みんな同じよ。記憶……思い出が、場所と人を結びつける」
 生れた惑星。だからこそ、それほどひきつけられるのだろう。サブモニターには惑星エルソンが小さく映っているのだが、そちらはほとんど見向きもされない。
……それより、ミライナ。おききしたいことがあるのですが』
 ゼクロスが子どもたちに聞こえないように声のトーンを落とすと、ミライナは思わず身を硬くする。覚悟はしていたし、いつきかれるか、と思っていたが、実際そのときになってみると、背筋が寒くなる。
 一呼吸だけ置いて、彼女は努めて平静に応じた。
「何かしら?」
 ゼクロスは躊躇するでもなく、即座に言った。
『ルイニーのことです。孤児院に残っていてもよさそうなものですが、今日はホーメット先生はエルソンに出かけていると聞きました。オーサー教授にも色々尋ねましたが、他に預けているという話も聞きませんし、もし病気などなら、約束の日を延期するはず』
 彼は答を知っている、とミライナは思った。いつも通り綺麗な、優しい声からは、その心のうちは読み取れないが。
『やはりそうなのですね? いいんです、言わないで……今は、どこに?』
 ミライナは数秒間のうちに、それが墓のことであると気づく。
……孤児院の裏よ」
『そうですか……
 ミライナとゼクロスの間に重い沈黙がおりた。しかし、それに気づかず、子どもたちはモニターを見ながらことばを交わしている。
「孤児院はどの辺かな?」
「あの真ん中辺りだね」
「あれは別の大陸だろう。ね、ゼクロス?」
 少し間をおいて、ゼクロスは答えた。
『ええ、場所を表示しましょう』
 モニターの映像に赤いカーソルが現われ、ベルメハンの場所を示した。子どもたちがそれを指さしてはしゃぐ。
 しかし、不意に映像が消えて、皆は驚いた。
『航宙管理局ルート表にない巨大な質量を感知……ワープアウト』
 緊張した声が途切れると同時に、オリヴンと替わってメインモニターに映し出された、瞬く星々の光景がぐにゃりと歪む。
 歪み、そして、画面がブラックアウトする。
「ゼクロス?」
 立ち上がるミライナの耳に、切羽詰った声が届いた。
『そんな……遮断される! 緊急システムを――』
 唐突に、ブリッジに響く声が途絶えた。そして、見る間にモニターの映像が、コンソールの灯が消えていく。最後に、不安げな子どもたちの横顔をかろうじて照らしていた照明が消えた。
「どうしたの……?」
 暗いブリッジは、何か冷たい、不吉な印象を与えた。何が起こったのかわからないのはミライナも同じだが、人の常として、安全だという保証が欲しいのだ。ことばのみの保証でも。
「大丈夫よ」
 ミライナは平静を装うのに成功して、力を込めて言う。
 しかし、何も映さないモニターも、灯の入っていないコンソールも、視界のなかにあるものすべてが悪い夢をみているような気分にさせて、なかなか焦点が定まらなかった。

 オリヴン航宙管理局は、不審船が軌道上にワープインしてきたことを即座に感知した。衛星からの映像を拡大し、不審船の正体が、十キロメートル級宇宙戦艦だと知る。不気味な怪鳥を思わせる威圧的な姿とその兵装に、管理局のスタッフたちは、一目見ただけで、恐怖すら抱いた。
 スタッフのうちの1人が、1番近くの船がゼクロスであることに気づき、交信を試みる。
 しかし、応答はなかった。
 宇宙の闇に横たわる漆黒の戦艦は、嘲笑うように、ゼクロスとオリヴンを前にして静止していた。

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