惑星エルソンの軌道上に位置する、最高の能力を持つ管理コンピュータに統制された宇宙ステーション、シグナ・ステーション。その中心部にある巨大な空間〈ダイソンホール〉は、多くの人々であふれ返っていた。球形の空間の中心にステージがあり、透明な壁で区切られている。その周囲で、人々は思い思いの体勢で時間を潰していた。客席は、シグナへの指示ひとつで椅子がせり出してくる仕組みになっている。
しかし、ティシア・オベロンのコンサートは、実際にはここで行われるわけではない。ステージには、等身大の立体映像が映し出される手はずになっている。本体の居場所を知るのは、極一部の者だけだった。
『ルータがティシア・オベロンさんと知り合いとは知りませんでした。一体どこで知り合ったのですか?』
人工知能搭載小型宇宙船XEX――ゼクロスが疑問の声を上げたのは、航宙ゲート内ではなかった。シグナ・ステーションの中心部分、球状の外郭の一部に、普段は使われることのない、大きなゲートがある。そこからは、透明なフィールドに包まれた展望台がよく見える。その展望台もまた普段は使用されない、関係者立ち入り禁止の出口の先だ。
『私も知らなかったよ。芸術とは無縁だと思っていたのに』
『失礼な』
シグナのことばに、内容とは逆に嬉々とした声が反論した。その外観自体は芸術品と言われるエルソン船は、今はステーションにはいない。母星エルソンで機体を休めながら、シグナを介して状況を把握している。
『美しいものの周りには美しいものが集まるのだよ。やはり他と違うオーラを発しているのかね。ほら、ゼクロスの声も芸術的だよ。キイの外見も』
「この格好かい?」
キイは、展望台のなかから言った。ベレー帽に長い黒髪を突っ込み、襟元にリボンのついたシャツの上にベージュの上下という姿は、確かに芸術を語るのが似合うかもしれない。
「これは芸術的ではなく、芸術家的ってところだよ。確かにこの格好も私なりの芸術観にもとづいたファッションだがね」
『ファッション? 仮装の間違いでは?』
平然と言ってのけるキイに、ゼクロスが茶々を入れた。
展望台には、キイだけでなく、もともとこのステーションに住む人間たちの姿もあった。女性私立探偵のフォーシュに、彼女を目当てにしてきたのであろうメカニックのジェイン、それに、この展望台の設計にも関わったカント・スターリン博士。
「よく許可してくれましたね、ここを使うなんて」
キイが備付けの椅子に腰を下ろしながら言うと、暗い顔をしていた博士は、何かを決意したように視線を上げた。
「局長は細かいことにこだわらない人だからな……それに、キイ。せめてもの罪滅ぼしなんだ。私は、謝らなくては……」
『いいんですよ、博士』
不意に、ゼクロスの穏やかな声がことばをを挟む。博士は驚いたように、紺の翼を見上げる。
「知っていたのか……」
『気にしないでください。状況からいって仕方がないでしょう? もしあなたが別の決断をしていたら、私は自分を呪いたいほど後悔していたに違いありません。そうなっていたとしたら、あなたたちを危機に陥れたのは私ということになりますから』
量子力学的情報を操る装置、AS――アストラルシステム。その強力な装置を持つがゆえ、ゼクロスもシグナも宇宙の歴史を操る者たち、調整者に狙われていた。その調整者からステーションを守るため、スターリン博士はゼクロスを調整者たちに売ったのだ。ゼクロスはそのために〈宇宙の使徒〉の司祭に罠を仕掛けられ、後のフォートレット出発にまで至る。
もしゼクロスの立場にあったのがシグナだったら、ことはより厄介になっていたかもしれない。
それでも、博士とシグナは、罪悪感を抱いていた。
『何かあったの?』
シグナの罪悪感を感じ取ったのか、ルータが不安げな声を出した。しかし、シグナも博士も黙り込んだままである。
その気まずい沈黙を、ゼクロスは軽く押しのけた。
『大したことではありませんよ。お気になさらず。もともと私のために皆さんを巻き込んだだけかもしれませんから』
「そうそう。日ごろの行いの差だね」
『それは、キイだけには言われたくないですね』
「どういう意味かわからないな」
キイとゼクロスは完全に気にしていない様子でいつも通りの掛け合いを続ける。その様子を見て、博士もシグナも、少しは安心したようだ。
『さ、他の観客もお待ちかねだよ。そろそろコンサートを始めようか』
事情を知らないルータが、どうやら決着がついたらしいと見て、声をかけた。同じく話題に置いていかれていたフォーシュがそれを聞き、待ちくたびれた様子で奥に引っ込む。彼女は、本日の主役の案内役とボディーガードを引き受けていた。
奥のドアから再び姿を現わしたとき、彼女は、白いドレスをまとった、優しげな女性を連れていた。長い金髪を背に流し、色白な顔に、穏やかなほほ笑みを浮かべている。
その唇から紡がれた声もまた穏やかで、美しい。
「お久しぶりね、キイ」
その、ゼクロスにも劣らない声の美しさもともかく、意外なことばに、周囲の者たちは愕然とした。
『キイ、知り合いなんですか……?』
「まあね。ルータが知り合いなくらいなんだから、別におかしくないだろう?」
『芸術とは無縁だと思っていたのに』
「まあ、出会いは不思議なものですもの。キイ、それに皆さん……お会いできて嬉しいです。今日は精一杯歌わせていただきますね」
ほほ笑ましげな表情で周囲の者たちを見渡し、彼女は言った。
準備はすでに完了し、間もなく、シグナがコンサートの開始を告げた。
コンサートは、期待のなか始まった。〈ダイソンホール〉中央のステージにはティシアの映像が映し出され、頭を下げるなり、拍手が起こった。
拍手が収まり、静まるのを待って、彼女は短く挨拶した。それが終わると、早速1曲目に入る。
曲は、全部で4曲だ。2曲目、3曲目と終るたび、盛大な拍手が起こった。
やがて、コンサートはクライマックスに差し掛かる。
「最後の曲になりました。どうぞ、最後までごゆっくりお聞きください」
優しい笑顔のままで、そう告げて、彼女は歌い始めた。
『どうしました、キイ?』
キイは展望台の特等席で、歌を聞いていた。その瞳に映る奇妙な光に気づき、ゼクロスは小声で声をかけた。
「何も。よく聞いておくんだ。きみのためのコンサートなんだからな」
『もちろん聞いています……』
故郷への憧憬と、つらい旅路、そしてその彼方への希望を歌う声が、宇宙の深淵に響く。ネットワークを通じ、そのメロディーは真空をも超える。
その歌の名は『いつかは思い出して』といった。初めて聞いた者も、なぜか懐かしくなるような曲だ……。
歌が終った後も、少しの間、静けさが続いていた。ティシアが短い挨拶を終え、頭を下げた直後、一変してそれは割れんばかりの拍手と歓声に変わる。
『ティシアさん、ありがとうございました。今日ここにいられて本当に嬉しいです!』
「そう言ってもらえて、私も嬉しいわ。あなたが主賓ですもの。準備していただいた方々にも感謝します」
――そして、コンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。
短いコンサートではある。しかし人々は名残を惜しむように、しばらくの間、〈ダイソンホール〉にとどまっていた。だが、やがてあきらめたのか、それぞれの生活の場へと戻っていく。
「あなたなら、私よりうまく歌えるでしょう。私の歌、もう覚えたでしょう?」
『覚えましたけど……本物には決してかなわないでしょう。どれも良い歌ですね。でも、私としては、最後の曲が1番好きです』
「あれは、色々な思いが込められた曲だから……」
ティシアは、意味ありげにキイに目を向ける。キイは神妙な表情でうなずいた。
「ゼクロス、名残惜しいけど帰るぞ。きみはまだ入院中なんだ」
『ええ、もう帰るんですか?』
残念そうな声を出すゼクロスをよそに、キイは展望台の奥に姿を消した。そして、ゼクロスの機体が駐機している航宙ゲートのプラットフォームに現われる。
「気をつけて」
馴れた様子でゼクロスの機内に入るキイに、フォーシュが淡々と声をかけた。スターリン博士は感謝と安心の表情で見送りに並び、ジェインは軽く手を振った。
『まったく、そうせっかちに戻ることもないでしょうに……。ティシアさん、またお会いしましょう。シグナも、ルータも、また』
ゲートからゆっくりと滑り出しながら、エルソンの人工知能たちに声をかける。
『大人しく休みなよ』
『……早く元気になってね』
シグナに遅れて、エルソン本土のルータが思い出したように答えた。
その反応にわずかに疑問を抱きながら、指針を確認し、ゼクロスはメインドライヴを起動した。科学文明の発達した惑星オリヴンのラボ、〈リグニオン〉への帰路を取る。
エルソン系を抜け、宇宙の闇のなかを突っ切りながら、ゼクロスは唯一のクルーに声をかけた。
『ずいぶん静かですね。様子が変でしたし……何かありましたか?』
キイは、艦長席で腕を組み、何やら考え込んでいた。それが顔を上げ、独り言のようにぼやく。
「……まだすべてではない……しかし、あの時、大きなものが変わったんだ」