PM9:11 アーチロード
フォーシュは朝と同じように、ゲートへの出入り口を見張っていた。朝と同様、人の気配はない。
しかし、雰囲気はまったく違う。彼女は、あるはずのない風を感じた。神経を過敏にさせる、あまり気持ちのよくない風だ。それに、気温も少し肌寒いくらいだ。空調が故障しているのか、とシグナにきくが、もちろんそんなはずはなかった。
『私も何かが起こる予感はしている。フォーシュはさすがだね、カンが鋭い』
「お互い様ね」
小声でつぶやき、淡い灰色の通路に視線を戻す。
そこに、1人の男がいた。男は一瞬笑みを浮かべると、横手の通路に消えていく。
「待ちなさい!」
男の笑みは、フォーシュのカンに触れた。
それに、その目も。普通ではない光をたたえた。
男は走り出していた。走りながら、彼は懐からレーザーガンを抜く。フォーシュはコルトパイソンを。
『すでに警備員には通報している。でも、彼は住宅街に向かっているようだ……うまく挟み撃ちにするのは難しいな』
1人で結構、と言いたげに、フォーシュは鼻を鳴らした。レーザーが飛び来るが、ほとんど気にしていない。相手も、当てる気はなさそうだ。
ダン!
重い音に、空気が震えた。フォーシュからの発砲。これは相手を誘導するためのものである。男は仕方なく、分かれ道を左へ。
フォーシュは当然、ステーション内を知り尽くしている。彼女は相手をより狭く入り組んだ通路へと導いていく。
やがて、男の前に、高い壁が立ち塞がった。
「ここまでよ。レーザーガンを投げなさい」
背を向けて壁を見上げている男に銃口をむけ、慎重に歩み寄る。
『さすがだねえ』
耳もとでシグナが感嘆する。
しかし、男が振り返ったとき、状況は変わった。
男はまた、笑っていた。
「追いかけっこはここまでだ」
笑顔のまま、跳ぶ。
フォーシュは油断していない。膝をつきながら銃口を上に向け、手足を狙っての素早い3度の発砲。狙いは外れなかった。
「……何!?」
彼女は珍しく驚きを表す。
銃弾は外れなかったが、当たらなかった。男は平然と、フォーシュを跳び越す。
『……銃弾が見えない何かに弾かれたように見える』
多少緊張気味に、シグナ。
男は、逃げる気はないらしい。素早くフォーシュに向き直り、突進をかける。
ダダダンッ!
連続した破裂音を少し遅れて引き連れた、フォーシュの発砲。しかし、男はやはり平然と突進してくる。その高速の突進から何とか身をかわし、フォーシュは間を取った。さらに、追撃のレーザーを転がってよける。
そのときには、相手はすでに詰めて来ている。銃弾は足止めにもならないと見て、フォーシュは拳銃自体を投げつけた。そして、自ら相手に突撃。
「ふっ」
息を吐きながら、横に跳び込みながら手刀を繰り出す。相手の首筋を狙った一撃だ。
しかし当たったと見るや、フォーシュは手首を押さえて飛び退いた。相手はまたもや、平然とした笑顔のまま。
「効かないねえ、何もかも。他に手はあるかい?」
男は完全に、この格闘戦を楽しんでいる。
フォーシュは1度だけシグナの名を呼び、後退った。いつの間にか男と位置が入れ替わっている。彼女は間もなく、冷たい壁を背にする。
「もう打ち止めか。もう少し楽しみたかったな」
男はゆっくり歩み寄ってくる。そして、レーザーガンの銃口を上げた。女探偵の頭を狙って。
そのとき、頭上でブチンッ、というような、大きな音がした。
見上げる男の上に、黒い塊が落下する。フォーシュの目の前で轟音が響き、一部破損した人工太陽装置のパーツの黒い破片が舞う。
それは男の両足首から下を下敷きにしていた。倒れたときに頭を打ったのか、気絶したらしい。
『警備員ももうすぐ来るころだろう。医療班も向かわせている』
「助かったわ」
一瞬、その口調が和らぐ。死闘の後で、さすがにほっとしたようだ。
しかし次の瞬間、黒いガレキの山が盛り上がった!
『そんな……』
フォーシュはコルトパイソンを拾い上げ、狙いをつける。無駄だとわかってはいたが。
男には傷一つなかった。
「無駄だと言っただろう?」
そう言われずとも知りながら、発砲。彼女は1度だけで、拳銃を捨てた。
「それで、あれの正体はわかったの?」
彼女は、できるだけシグナが解析するためのデータを集めていた。決してあきらめることはない。
『一種の結界のようなものだ……でも、ずっと結界を張っているなら、いくらなんでも私ももっと早く気づいているし、詳しく分析できただろう。攻撃されるほんの一瞬、壁を作るみたいだな』
フォーシュは懐から、3本の小さなナイフを投げ放った。タイミングも場所も微妙にずらしたナイフは、相手に触れる直前、弾かれたように落下する。
「わかったわ……」
何がわかったのか、フォーシュは相手に向かった。真正面から、痛めた右手ではなく、左手を伸ばす。攻撃ではなく、ただ、触ろうとするかのように。
触れようとする瞬間、彼女は確かに壁を感じた。
「私ときみとの間には、決して破れない壁がある」
男はレーザーガンのトリガーを引いた。
レーザーの、かすかな発射音。虹色の閃光がフォーシュの肩を貫いた。
『フォーシュ……?』
フォーシュと男は同時に倒れる。倒れながらも、フォーシュは左手を離さなかった。
その左手には、手のひらに隠れそうな、投げ用のナイフが握られていた。男がトリガーを引いた一瞬だけ、壁の感触が消えたのだ。彼女はその時を狙っていた。レーザーガンの狙いを心臓からそらしつつ、左手のナイフをねじ込んだのだ。
「わりに合わないわ……」
溜め息混じりに言い、男の手からレーザーガンをもぎ取る。
ナイフの一撃は、確実に相手の意識を奪ったはずだ。
しかし、今度こそ、フォーシュは驚愕した。
男はまだ、笑っていた。
PM9:30 アーチロード
「とんでもないことになったな」
クラインは溜め息交じりに言い、副長と並んでアーチロードに入った。
そのとき、目の前を、慌てた様子の警備員たちが走り抜けていく。
「厄日だな。ステーション全体の」
しばらく茫然と見送っていたノードが言う。
彼らはメインストリートの、あるホテルに泊まっていた。しかし、それが滅多にないことに、火事に見舞われたのである。
幸い間もなく火は鎮火され、負傷者も数人程度だったものの、大多数の客が宿を移ることになった。が、クラインとノードはそれを断り、船に戻ることにしたのだ。
警備員たちがいなくなると、相変わらずこの時間帯のアーチロードは静かだ。
しかし、間もなく、別の人影が現れた。
見覚えのない、しかし1度目にすると忘れられない姿。金髪で色の白い、一見穏和そうな青年。
「……どなたかな?」
警戒しつつ、クラインは問う。ノードは密かにレーザーガンに手を伸ばした。
青年は1度ほほ笑むと、身をひるがえした。まるで、ついて来いと言っているかのように。
「シグナ、今のは誰だ?」
クラインは目だけで相手の姿を追いつつ、管理コンピュータと交信する。
『今の、とは? お2人の他に人の姿はありませんが』
シグナは不思議そうに応じる。
クラインとノードは顔を見合わせた。
再び視線を戻すと、青年はゲートのひとつに入っていった。
そのゲートは……
「シグナ!」
クラインとノードは急激に危機感がつのるのを感じた。
「監視を強化しろ。ルータを起こしてくれ!」
『ジェインもいるはずですが……』
わけがわからない、という調子ながらも、シグナはことばに従った。
青年が入っていったのは1番ゲートだった。
PM9:28 住宅街
ナイフを胸につきたてたまま、男はゆらりと立ち上がった。フォーシュは体を引きずるように離れる。
男も、ダメージを受けていないわけではない。
「生身の人間がここまでやるとは思わなかったぞ……楽しめたが、そろそろ遊びは終わりの時間だ。やるべきことがある」
男は跳んだ。壁の上へ。人間の跳躍力ではない。
しかし、そこにはいつの間にか、先客がいた。黒い翼のような物が男の足もとを払う。男は落下して背中を打ち、うめく。
フォーシュは見上げた。
「あなた……《時詠み》……」
黒いフードつきのマント。その小柄な体のほとんどが黒一色に包まれているが、わずかにのぞく目もとは白く、精悍だった。
神出鬼没の、謎の人物。それが、《時詠み》と名のる存在。
「バンゼルか……。AS使いとここまで渡り合うとは、さすがだね」
男か女か、判断に困る声。彼――彼女かもしれないが――はふわり、と、地面に降り立ち、這いつくばっている男に歩み寄った。その動きは体重を感じないほど軽快である。
「でも、調整者や司祭の1番いい攻略方法は、こうだと思うよ」
彼は白い手を伸ばし、指先で服の上から男の右手首を押した。ピンッ、と小さく音がなる。
「まあ、知らなければ無理もない。これはボクが預かっておくよ」
腕輪のような物をもぎ取り、そろそろ朦朧としてきたフォーシュを振り返る。
フォーシュはじっと見ていた。調整者については、彼女もチラッとだけ耳にしたことがある。最大惑星フォートレットを中心に各地で暗躍し、中央世界の外側、誰も近づかないような領域を本拠地にしているという……。
『それをどうするつもり……?』
「まあ、コレクションにでも加えるさ」
シグナに答えると、《時詠み》はふわりと壁を飛び越え、闇に消えた。
薄れていく意識の中で、フォーシュは警備員たちの足音を聞いた気がした。
PM9:32 1番ゲート
ルータは起きなかった。
シグナとクライン艦長、ノード副長……それに居合わせたジェインは焦りを覚えた。原因もまったく不明のままなのだ。
今となっては、あの青年の姿は誰にも見えない。
その場にいない、あるものをのぞいては。
『何をしているのです?』
ゼクロスは見ていた。その青年を。
「やあ、きみには見えるのかい?」
と、その声も、他の者には聞こえていないらしい。
ゼクロスは有無を言わさず断定した。
『調整者ですね……許しませんよ!』
壁を透過しての攻撃。シグナは不意に気づくが、他の者にはどうなっているのかわからない。ただ、並べられていた貨物の1部が吹き飛ぶのを、茫然と見つめる。
「調整者じゃない。ただの司祭なのにな」
紙のように吹き飛ばされながらも、青年は笑っていた。
その実、彼は相手との距離、方角などを測っている。そうと知れたのは、彼の直後の行動のためだ。
次の瞬間、ゼクロスはかすかな衝撃を感じた。
『……?』
一瞬のブレのようなものの他には、痛みという警告信号もウイルスなどの気配も何も感じない。それでも、〈何かをされた〉という確信だけはあった。
「もう時間だ。さようなら」
警戒しながらもかまわず攻撃を続けるゼクロスの捕捉から逃れて、青年は完全に姿を消した。
PM9:43 コントロールセンター前
そこには、4つの人影があった。
ひとつは、憔悴しきった老人。そのとなりに、赤い髪と瞳の少女。
向かいにはゆったりとした服に身を包んだ銀髪の青年と、体格のいい、色黒の男。
さらに、忽然と現れた金髪の青年が合流した。
「うまくいったか?」
「もちろんだよ。後は実行するかどうかだね」
銀髪の青年のことばに答え、彼もまた、相手方に目をやる。
「で、どうするの?」
軽い調子の相手とは逆に、スターリン博士とアルファの表情は暗かった。アルファはすでに、司祭たちの大部分を追い払っている。しかし、金髪の青年は別として、今目の前にいる2人は調整者だ。
博士はシグナとの交信を切っていた。ここでの会話は一切聞かれたくない。
アルファは博士を見た。決断は任せると言うことか。
「……ああ……」
――ついに、博士はかくりとうなずいた。
Day3 AM6:47 12番ゲート
深夜に戻ってきたキイは、船の中で短い睡眠をとった。
「本当に宿が火事になるとは思わなかったよ」
帰って来た時、キイは苦笑してそう言った。
そして、1度艦内を見回すなり、わずかに顔色を変える。
「何があった?」
『……べつに、何もありません。街のほうが騒がしかったようですが、そちらこそ大変だったのではありませんか?』
「べつに、何も。……そんなわけはないだろう。何があった?」
『……大変だったのは、むしろルータですよ』
ゼクロスはモニターのひとつをに灯を入れた。まるで話題をそらそうとしているようだが、キイは大人しくモニターに目をやった。
――司祭らしき青年が消えた後、ゼクロスはクラインらに当り障りのない範囲で事情を説明した。そして間もなく、ルータは目覚める。
『……あれ? 皆さんおそろいで、何があったのですか?』
起きるなり、ルータは平然と、不思議そうに言った。
その後の検査でも異常は見られなかったものの、より精密な検査を受けるため、次の任務は数日延期される。
結局のところ、ギャラクシーポリスに通報し、すべての事件は終了したように見えた。すべての事件を把握している者はいないが。
『しかし、なぜここに調整者が……? ASを狙ってのことでしょうか』
「かもしれないね……」
キイは何かを考え込んだ様子で天井を見上げた。
AM7:26 コントロールセンター前
いつも通り朝の点検を終えたスターリン博士は、ジェインとともにメインストリートへ出るところだった。
そこに、1日で無理矢理病院を出てきたフォーシュが現れる。
「おはようございます、博士」
「ああ、おはよう。フォーシュ、もういいのか?」
フォーシュは左手で髪をかきあげた。いつも通りの無表情。
「ええ。それで、博士。今日はお別れを言いに」
いつも通り過ぎる言いように、博士とジェインは愕然とした。それに、シグナも。
「お別れって、どういうことなんだ?」
「フォートレットに行くわ」
あっさりと言う。
何のために行くのかは、言わずと知れていた。
『1人で? いや、何人で行くにしても危険すぎる。馬鹿なことはやめたまえ』
「もう決めたことだから」
フォーシュは取り付く島もない調子だった。実際、決して自分の決断を変えることはないだろう。
「そういう人なんだな、あんたは。オレじゃあ手も届きそうにない……」
あきらめたようなジェインのことばに、フォーシュは笑った。滅多に見せない、優しいほほ笑み。
しかしそれはすぐに消え、彼女は背を向けた。
「それじゃ」
短いことばだけ残し、その姿は消えていく。
もう2度と会えないような気がしながらも、誰も声すらかけられなかった。
フォーシュは1人、メインストリートを歩いていた。
その前方に、小さな人影が現れる。彼女はかまわず、その横をすれ違う。
「行かせてもらうわ……」
「好きにするといい」
振り返りもせず、フォーシュとアルファは逆方向へ歩み去った。
AM9:00 1番ゲート
『全システム異常なし。とりあえず自己診断では。……目的地、母星エルソン。補助ドライヴ始動』
『ゲート解放。良い旅を』
シグナは相変わらず素っ気なくルータを送り出した。
精密検査のため、ルータとそのクルーたちは一旦エルソンに帰ることになっていた。最もシグナ・ステーションに近い惑星でもあり、この旅は短い。
「メイン・ドライヴ起動。軌道修正。……相変わらずだな」
クライン艦長は思わず溜め息を洩らした。
『相変わらずって、シグナですか? 嫌われているわけではないとは思いますが……』
ルータは元気のない声で言った。この話題になった時にはいつものことで、昨日のことでダメージがあったわけではないらしい。が、いつも明るいのに慣れている分、クルーはどこか病気のような声に感じてしまう。
「もちろんそうだろう。昨日も散々心配していたし……」
ルータの異常を知ってからゼクロスが説明するまでの間、クラインとノード、ジェインとともに、シグナは焦っていた。実際には中途半端に司祭の存在を感じていたため、より不安だったに違いない。
不意に、ノード副長が苦笑した。
「シグナはいつもルータを気にかけていますよ。ルータはいつもクルーがいなくなって5分後には休んでいると言っていたでしょう。つまり、ルータが眠っている間に見守っているんですね」
クラインは目を見張った。ルータも同じ気持ちだったに違いない。
AM9:03 アーチロード
博士はジェインと別れた後も、しばらくの間、アーチロードを行ったり来たりしていた。
何度もその口をついて出るのは、悔恨の念か。
「許してくれ……」