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指きりのあと
とにかく、時間を潰したかった。あたしはあてもなく入った本屋で、フラフラと歩き回る。べつに、欲しい本やCDがあるわけじゃない。
ときどき、店員に変な目で見られている気がして、気を引き締める。足もとが頼りないのは、風邪で熱が37.5度もあるからだ。
でも、家で寝ているわけにはいかない。今日でなきゃ駄目なんだ。
そう、今日は、特別な日――のはずだった。
今から思えば、馬鹿馬鹿しくも感じる記憶。
「オレなぁ、来週引っ越すんだ」
小学校卒業が近づいて来たある日の夕方、一緒に遊んだ帰りの川原で、彼は言った。
「え……ほんとに?」
寝耳に水だ。幼稚園からの幼馴染みで、家も近所だから、毎日のように遊んだり、両方の家族でパーティーを開いたり――とにかく、家族の一人みたいに付き合ってたんだから。
いきなり家族の一員のように思ってた人がいなくなる。そう感じて、あたしは泣きそうな顔をしていたに違いない。
「全体会えなくなるわけじゃないんだから、そんな顔すんなよ。オレ、遠くに行くけど……三年後、また会いにくるから。これ、約束のしるし」
そう言って彼がくれたのは、一目でオモチャとわかる指輪だった。当時のあたしには少し大き過ぎたそれが、凄く価値のあるものに思えた。
それ以来、ときには包帯や手袋で隠しながら、ほとんどずっとその指輪をはめていた。この指輪をしている間は、彼と指切りをしているのと同じなんだ。そう思えたから。
そして、待ちに待った三年後が、今日。
約束の時間をを大幅に過ぎるまで、あたしは家で待ち続けた。あたしの家の場所は、ずっと変わっていない。きっと訪ねて来てくれる。そう思ってた。
なのに、彼は来ない。
そりゃそうだ。小学生のたわごとなんて、本気にしたのが間違いだったんだ。
歩き回るうちに、ふと我に返った。いつまでもこうしていたって仕方がない。
立ち止まった場所は、アキバ系の雑誌コーナーの前だ。雑誌の中の一冊の表紙に、『過去を振り切って』というフレーズが見えた。
とりあえず、今日が終わってしまえさえすれば、全部忘れて、なかったことにしてしまえばいい。そう思っていたけど、もう少しはっきり、思い出にさよならしよう。
本屋を出て、小学生のときによく通った道を歩く。
約束をしたあのときのように、夕日が土手の下の川原を染めていた。そこにひとつ、シルエットが浮かんでいる。
まさか。
信じられない……でも、近づくごとに、あたしは確信を深めていく。
――そうだったんだ。彼は昔から、大雑把なあたしとは正反対で、律儀だった。彼はずっと、約束をしたあの場所で待ち続けていたんだ。
やがて、向こうもこちらに気がついたらしい。振り返った顔に驚きが浮かび、それが嬉しそうな笑みに変わる。昔に比べて少し大人っぽくなってるけど、確かに面影が残っている。
ことばはいらない。あたしの小指には、まだあの指輪がある。
あたしは急いで、彼のもとに駆け寄った。
※モノカキさんに30のお題「37.5」回答