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光のプレリュード
「やっとここに帰ってこれたか……」
万感の思いを込めて、シェアトは黒くくすんだ時計台の文字盤を見上げた。
そして、銀色のハシゴに足をかける。細く、錆びの目立つハシゴは今にも折れてしまいそうだが、彼女は気にすることなく、猫のように俊敏に登っていく。
幼いころ、何度ここを登っただろうか。
一番の親友――ミナとともに。
ミナはこの時計台の管理人の娘で、シェアトと一緒に、いつもここを遊び場にしていた。三年前、シェアトが少し離れたところにある別の町へ引っ越すまで、毎日のようにここに通ったものだ。
――この町が野党に襲撃され、焼き払われたことを知ったのは、つい三日前のことだった。旅の傭兵となっていた彼女は、急いでここに駆けつけた。
すべてが、遅すぎたが。
ハシゴを登りきり、「X」の下のライオンのレリーフが彫られた小さな扉を開くと、シェアトは機械室の中に滑り込んだ。焦げ臭いのを我慢しながら、一度、出入り口を振り返る。
四角い、小さな出入り口の向こうに、黒く煤けて廃墟と化した街並みが一望できる。そのさらに向こうには、森が広がっていた。
部屋の奥に視線を戻し、目が暗闇に慣れるのを待ちながら、シェアトは懐から手のひらにのるくらいの小箱を取り出した。宝石箱のような、きれいな箱だ。
この時計台は1時間を刻むごとに、美しい鐘の音でそれぞれ違うメロディを響かせる。
『シェアトは12月生まれだから、12時の曲、《光のプレリュード》だね』
丁度5年前の今日、シェアトの12回目の誕生日の日、ミナは彼女にオルゴールを手渡した。
オルゴールのふたを開けると、テンポの速い、勇気を鼓舞するようなメロディが流れる。シェアトが一番好きな曲だった。
『昔、戦いが始まる前に演奏された曲なんだって。男の子みたいなシェアトにはぴったりだね』
そう言って、幼い日のミナとシェアトは笑い合う。
懐かしい日々を思い出しながら、シェアトは小箱のふたを開けた。美しく勇ましい……そして、どこか切ないメロディがこぼれ始める。
その瞬間、彼女は電撃に撃たれたかのようなショックを受けた。
歯車が勝手に回り始めたかと思うと、オルゴールの音に共鳴したかのように、廃墟の町を包む空気を震わせる。死んだように静まり返っていた町に、一時だけ、かつての活気がよみがえった――そんな気がした。
町を見つめていたシェアトは再び部屋の奥に目をやる。
「今……、帰ったよ」
回り続ける歯車に声をかける。懐かしさとむなしさがこみ上げる。
しかし、その時、彼女は不思議なものを目にした。
歯車の陰から、自分と同年くらいの、一人の少女が現れたのだ。
「ミナ……?」
忘れるはずはない。その顔には、思い出の中の面影がはっきり残っている。
「お帰り、シェアト」
シェアトは目を丸くする。彼女の無二の親友は、笑顔で彼女を迎え、説明した。
――野党の襲撃を受ける直前、ミナはここにいて、町の外の異変に気づいた。彼女は、とっさに町中にメロディを流したという。人々はそれを聞いて間一髪森に逃れた。
「《光のプレリュード》が、みんなの命を救ったのよ。ここは焼けてしまったけど、みんな生きてる。それに、この鐘の音も死んではいない」
メロディは、今だ町に響き渡っている……
「行こう、シェアト。みんな待ってる」
ミナが手を差し出す。シェアトはその手を取った。
「守ってくれたんだね」
彼女は鐘を見上げ、つぶやく。
「ありがとう」
※文字書きさんに100のお題「壊れた時計」回答