#DOWN
少年の旅(1)
少年は、ベッドの上に横たわっていた。
その肌は陽にあたったことがないかのように白く、その身体は何かを支えることができそうもないほど細い。顔色は青ざめていた。
部屋は質素で、壁や天井から察するに、建物自体、古いもののようだった。室内には、少年の他に、もう一人人間がいる。長い黒髪に黒いローブとマントを羽織った人間はベッドのそばの丸椅子に座り、少年の口もとに耳を近づける。
少年は話し始めた。
彼がしてきた旅を。
ぼくは、ある日、魔女と出会った。
それは、おだやかな春の午後だ。ぼくはいつも通り窓を開けて、日光浴をしながら庭先の木にとまる鳥たちを眺めていた。ここは三階だから、遠くの山並みも見えて景色がいい。
そうしていたら、突然、ぼくの頭のなかに声が聞こえてきた。
(そこの部屋にいる方、あなたはどなたですか?)
ぼくはしばらくの間驚いて辺りを見回したりしていた。でも、部屋にはぼくの他に誰もいない。
だから、少し間抜けな感じだったけど、とりあえず声に出して答えてみた。
「あなたは誰? どこから話し掛けてるの?」
それは、一応相手に通じたらしい。男か女かもわからない、声ではないことばが直接頭に返って来た。
(わたしは、旅の魔術師。〈テレパシー〉という魔法で、あなたに話し掛けています。今、窓の下にいますよ)
ぼくはそっと、窓の下をのぞいて見た。
家のドアの近くに、魔術師のローブを着た女性の姿があった。一見したところでは、二〇歳前後くらいか。長い黒髪が風になびいている。
ふと彼女が見上げたとき、その顔が見えた。色白で、漆黒の瞳が印象的な、綺麗な人だった。まるで、美しい精霊のようでもありながら……ぼくには、彼女は死神のようにも見えた。
その姿に見とれていたぼくは、彼女と目が合いそうになって、慌てて首を引っ込めた。
(わたしの姿を見ていただけましたか?)
(はい。あの、なぜぼくに?)
ぼくは、彼女のように頭の中で話し掛けるように努めた。届いているだろうか?
(わたしは、見聞を広めるために旅をしているんです。街の片隅に、他の人々が住人の姿を見ないと言う家があるというので、どのような方が住んでいるのかと気になって来てみました)
(色々な所を旅しているの?)
ぼくは、彼女のことばに強くひかれた。一週間に一度やってくるお使いの女性の他にことばを交わしたのは、もう、何年前のことか。
ぼくはもともと好奇心旺盛なほうで、できることならあちこちを旅してみたいと思っていたけど、もうこの身体も弱り、残された時間も少なくなってしまった。
(ええ。わたしの記憶に在る風景を、〈ビジョン〉という魔法でお見せしましょう。目を閉じてください)
ぼくは、言われるままに目を閉じた。
頭のなかに、ぼくが見たことがないような映像が浮かんでは消える。岡の上に並ぶ風車に、船からの海原の光景、知らない種類の鳥が飛び交う谷に、太陽に向かってそびえたつ三角錐型の遺跡。どこも、まるで本の中の一ページのようだ。憧憬と羨望が、胸の奥から突き上げる。
ああ、ぼくもあの風景を見たい。ただの映像じゃなくて、あの風景のなかを歩いている視界を共有したい。人が動いて、雲が流れて、歩くリズムにあわせて揺れる視界を。
(……きみは、今見ている風景を伝えることもできる?)
(ええ。やってみましょうか?)
彼女はこともなげに答えて、ことばの通りのことを実行した。
いつも窓から見える街並みが脳裏に浮かぶ。活気のある商店街に、向こう側にある岡に建つ、目立つ二階建ての家。通りを歩く人々や、空を横切る鳥が、よどみない動きを見せる。いつも見ているのと同じ、でも、角度も高さも違う光景。ぼくはそこにいないはずなのに、彼女とともに建物の外に立っているような錯覚に陥る。
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