悪魔たちの宴

 夕日に染まった、赤茶色の岩場が続く荒い道を、黒衣の旅人が歩いていた。
 長い黒髪をひとつに束ね、ローブにマントで身を包んだ姿は、一目で魔女と知れた。よどみなく、ほかの部分よりいくらか歩きやすい道筋を見つけていく様子からして、かなり旅慣れているらしい。
 魔女の行く手には、岩に囲まれた、小さな町があるはずだった。崖の影になっていて、昼間でも夜のように暗い町だった。
 町へ向かう途中、魔女はくぼみを見つけた。
 近づいてみると、白いものが山になっているのが見える。
(ああ、セティア、おはよう……って、わっ)
 不意に、セティアと呼ばれた魔女の頭の中に、少年の声が響いた。
 遠方の者と会話する魔法〈テレパシー〉と、遠方の映像を伝える魔法〈ビジョン〉は、併用されることが多い。
「シゼル、おはよう。ずいぶん寝坊したね」
(最近、起きれなくってさ……ところで、これ、何なの?)
 シゼル、と名を呼ばれた声は、一気に目が覚めた様子で、おぞまげな調子で問うた。
 彼が見ている、セティアの目の前にある光景は、積み重なった人骨だった。どれも少し焼け焦げているが、大きさはさまざまで、バラバラになっているもの、砕けているもの、全身の骨格を残しているものもある。
「火葬場かな。その割に、骨も放置されているけれど」
(あーあ、もう少し寝ているんだった……つまり、この辺の人たちには、墓を造る習慣がないのかな)
「その割には、数が少ない。ほかの人たちと一緒には葬れない人たちかもしれないね。何かの病気か、それとも、重い罪を犯したのか」
 魔女は、考えても仕方のないことだと結論付けたのか、すぐにまた、歩き出す。
(この先の町って、どんな町なの? 全然聞いたことがなかったけど)
 歩き続けながら、セティアはシゼルに説明した。
 町と呼べる規模になったのは、ほんの数年前のことだ。もともとは遺跡発掘隊が寝泊りしていた場所で、それが少しずつ人数を増やし、店も出るようになったという。とはいえ、その場所を知る者は少なく、未だ地図にも載っていなかった。
「遺跡は、古い魔術師の住処だったらしい。だから、わたしのところにも昔、情報が入ったんだ」
(なんだ、そうなのか。もっと古代の情緒あふれる、神秘的な遺跡かと思っていたよ)
「魔術師の住処だよ。神秘はあふれていると思うけどね」
 苦笑しながら、岩と岩の狭い隙間に入り、抜け出す。
 そこから先は、夜の世界だった。
 周囲は闇に覆われ、いくつもの茶色いテントの周囲に、かがり火が焚かれていた。奥の崖の近くには、柱を組み合わせた妙な建造物と、円形に文字が刻まれた岩の台が見える。
(あれが遺跡?)
 セティアは、テントの間を歩いて台に近づいた。刻まれた文字は、セティアもシゼルも見たことのないものだった。
「ここで、昔、色々な儀式を行っていたそうですよ」
 テントと同じような、薄茶色の服を着た男が、歩きながら声を掛けてきた。
「見たところ、あなたも魔術師のようだ。どうです? 何かわかりませんか?」
 もうすでに、何度も魔術師の意見は聞いているのだろうが、それでも別の知識を求めて、質問をする。
 セティアはもう一度、台と建造物に目をやった。
「かすかに魔力は感じますが、これ自体は単なる媒介のようですね。この文字は知りませんが、かつてサービア人が使っていた上級サービア語に似ている気がします」
「そうですか。これは、いいことを聞いた」
 新しい情報でも含まれていたのか、男は枯葉紙を取り出し、サービア語、と羽根ペンを走らせる。
「色々な方に話を聞いたのですが、結構意見が分かれますからねえ。まあ、昨日いらっしゃった魔術師の方々の間でも、上級サービア語だという方が多かったのですが」
(へえ……魔術師の遺跡だけに、魔術師がやって来ることが多いんだね)
「そういうことですか」
 内心でシゼルに同意しながら、セティアは顔色を変えることなく、男に応じる。
「ところで、泊まれるところはありますか? 見たところ、宿屋の看板も出ていないようですけど」
「ああ、お客さんは、空いてるテントに泊まってもらうんです」
 男は愛想よく言って、親切に、泊まることのできるテントと、店の場所を教えてくれた。男と別れると、セティアはとりあえず、荷物を空いているテントに置く。
 彼女が選んだ、一番外れにあるテントには、巻かれた布が積み重なって隅に置かれていた。地面にも布が敷かれ、寝るための空間も充分にある。
(こういうところで寝るのもいいね。ぼくはいつも、同じ天井ばかりだからさ)
「常に違う天井、というのも落ち着かないかもしれないよ」
 少ない荷物を置き、大事な物は懐に入れながら、魔女は何気無く言った。
(ぼくは憧れるよ。空がぼくの天井だったらいいなって)
「わたしは空を見て寝るとき、いつも宿屋の天井が恋しいんだけどね」
 苦笑しながら、テントのドア代わりの布に手を掛ける。
 すると、女と男のものらしい声が耳に届いた。
「これで何度目かしら? 次はあなたかもしれないのよ」
「でも、誰かを雇う金なんてないんだぞ」
「それじゃあ、いつかはここから誰もいなくなるかもしれないわ」
 テントを出ると、若い男女と目が合った。二人は、驚いたように振り返る。
「もしかして、来るときに見た骨の山のことですか」
 唐突な質問に、顔を見合わせ、男のほうが困ったように答えた。
「え、ええ……あれは、犠牲者の処分場です。しばらく前から、妙な病気が流行っていて……何の前触れもなく、一夜にして全身が黒く染まり、翌朝には死んでいるんです。昨日なんて、三人も亡くなりました」
「それは本当に病気なのですか? 呪い、のようにも思えるのだけど」
「医者のツェッぺさんが、見たことのある症例だとおっしゃったので……。でも、治しかたはわからないんです」
 完全に自然の病気となると、専門外だった。だが、セティアは、違和感を感じる。
「実物を見てみないことには、何とも言えませんね。明日の昼間まではいる予定なので、またその症状が出た人がいたら、教えてくれませんか?」
「ええ、すぐお知らせします」
 藁にもすがる思いなのだろう。女のほうが、勢い込んでうなずいた。
 二人と別れ、セティアは店に向かって歩いた。
(奇妙な病気もあるものだね。一夜にして死ぬとか苦しんで死ぬとかじゃないんだから、ぼくはまだ、恵まれているほうかもしれないね)
「彼らが言っていたのが、病気とは限らないけど」
(セティアは、呪いだと思ってるの?)
 行く手に、雑貨屋らしきテントが見えてくる。テントの前に布が敷かれ、その上に、ナイフや羽根ペンとインク、コンパスや地図など旅に必要そうな物、色粉やブラシなど発掘に必要そうな物、そして、アクセサリーから葉巻きや飴、果実酒など、人間らしさを忘れないための物が並んでいる。
 売り物のほとんどは、特別、ここでしか買えないような物ではない。
(医者が見た症例というのも、本当は呪いのものだったかもしれないしね)
 思念でシゼルに答えて、店に歩み寄る。
「やあ、いらっしゃい。こんなところまでよく来たねえ」
 店主は、手にしていた葉巻を金属の皿の上に置くと、愛想よく笑みを浮かべた。
「昨日、せっかくたくさんお客さんが来たから、これで売れるぞと思ったのに、あの魔術師さんたちは来てくれなくってね」
「大抵の魔術師は、内にこもりたがるものですからね」
 何か珍しいものはないかと、商品を眺める。特に何もなければ、アクセサリーのひとつか、いくらかの菓子を買って帰れば、悪くは思われないだろう。
 眺めているうちに、彼女は、遺跡の台に刻まれた文字が入った、銀のブローチに気がつく。
「それは、うちの本店の技術者が作ったんだ。記念になるだろう?」
(商売上手だねえ)
 シゼルに賛成しながら、セティアは文字入りのブローチと、連なった豚の腸詰、ハチミツにドライフルーツを入れて固めた飴の包みを買った。
「ありがとう。本店のほうもよろしくね~」
 見送る店主の声を背中に、自分のテントに向かって歩いていく。
 どうやら、夕食を出すような店はないらしい。そろそろ、どこも食事の準備を始めている様子だ。
 歩くセティアの横手で、大き目のテントの布が、少し揺れた。ふと目をやると、蒼白い光の中に、それを取り囲む、いくつものシルエットが見えた。何かの儀式、をしているようにも見える。
(怪しい)
「魔術師としては、それほど珍しいことではないけどね」
 すぐに閉じたテントの出入口を眺めたまま歩き、セティアは自分のテントに帰ると、買ったばかりの腸詰を使い、夕食を作り始めた。

 常に暗いので時間の感覚が薄くなるが、崖の間から、夜空を見上げることができた。雲のかかった空に、わずかに月がのぞいたころに眠ったセティアは、深夜、毛布を跳ね除けて飛び起きる。どこかで、ドスン、と音がした。
(え、なに……って、何、この魔力?)
 シゼルの疑問に答えないまま、セティアはマントを身に着け、急いで外に出た。
 遺跡の台の上に、誰かが倒れている。その周囲に、人々が集まっていた。
「あんたたちが原因だったのか!?」
 セティアが駆け寄ると、そう詰め寄られているのは、黒いローブ姿の一団。倒れているのは、白衣を着た男だった。
「ち、違う、我々は……
 魔術師たちはどう説明するべきか迷うように、周囲の人々を見る。
 彼らのうちの何人かは、周囲の人々にも見向きをせず、台の上を見ていた。台の上に刻まれた文字は妙な光を放っている。
(これってさ、まずくない?)
「まずいぞ! 来る!」
 魔術師のうちの一人が声を上げた。
 彼らに詰め寄っていた者たちも、台の上の変化に気がつく。光の帯が文字から中央に放たれ、火花を散らした。やがて中央に、黒いもの――毛髪のない、光沢のある黒い皮膚を持つ首が、せり出してくる。
「みんな、逃げろ!」
 どこからか声がかかる。悲鳴が上がり、人々は台のそばから散っていく。
「馬鹿な真似を……命を捧げてまでこんなことをするとは」
 年老いた男がつぶやき、杖をローブの内側から取り出して掲げた。同じく、周囲のローブ姿も、杖や水晶球を手に掲げ持つ。
(何をしてるの?)
「召喚を妨害しようとしているのさ」
 声をひそめて答えて、セティアは眉をひそめる。
 パリン、と音がした。ローブ姿のうちの一人が持っていた水晶球が砕け散ったのだ。その持ち主が、驚いて手もとの欠片を見下ろす間に、さらに杖が折れ、魔法の媒介が失われていく。
 束縛が弱くなるごとに、台の中央に現われる黒い姿が下からせり出し、大きくなっていった。
 黒い翼に赤い目。黒に近い灰色の鎧に身を固め、三日月をいびつに組み合わせたような矛先の槍を手にした男が、笑みを浮かべていた。それを見た魔術師たちは、フードの奥の顔を歪ませる。
「馬鹿な……伝説級の悪魔、ラギールだと」
 ラギールという名は、魔術師なら誰でも知っているほど有名だった。かつて、ひとつだった大陸を二つに割ったという悪魔だ。
 悪魔は完全に自由になった。尻餅をつきながら、逃げるわけにもいかず、ローブ姿たちは何とか踏みとどまろうとする。
 悪魔ははばたき、少しだけ、宙に浮いた。
『やっと来たか。この世界を滅ぼせる時が』
 耳が痛くなるほど、幾重にも反響した声が頭の中を占める。ローブ姿たちは、唖然として見上げた。
『待っていたぞ。呼び出される時を……滅びを望んだのは、人間、お前たちだ。さあ、受け取るがいい、報いを!』
 槍の先が光る。それが地上に向けられる。
(セティア!)
 シゼルの声を聞きながら、セティアは横に跳んだ。
 その横を光が駆け抜け、地面が割れる。崖下に、新たな崖が現われた。
「大陸を割ったというのは、誇張でもないらしい」
(そんなこと、言ってる場合じゃないでしょ)
 呆れ声を出すシゼルにも、どこか緊張感がなかった。
「お、終わりだ……
 へたり込んだローブ姿の一人の背後から、セティアは台に近づいた。悪魔の槍の先端は、先ほどより大きな力を集中している様子で、強く輝いている。
 悪魔は、唯一立っている人間が歩み寄ってくるのに気がついたようだった。
『最初に滅ぶのもまた名誉なことかも知れぬな、人間よ』
「そんな名誉はいらないよ。あなたにあげよう」
 見上げる魔女のことばの意味がわからないかのように、悪魔はわずかに、漆黒の首を傾ける。
「もういいでしょ。充分、あなたの意思は顕在したから」
 彼女が手を振ると、悪魔の手から、槍が消えた。
『は……?』
 悪魔は茫然と、手もとを見る。それは、水晶球を失ったときのローブ姿の仕草に似ていた。
「ルザイアの導なき道よ、鋼糸となりて魂魄を縛る檻を編み上げよ」
 右手の二本の指を宙の相手に向けて突きつけて、魔女は唱えた。
 無数の白銀の線が、幾重にも悪魔にからみつく。
『なに……馬鹿な!』
 光の糸に締め付けられ、これ以上分けられないほど細かく切り裂かれて、悪魔は消えた。

 翌朝、予定を早めて、セティアは町を出発した。
 悪魔ラギールが消えた後、町の人々や魔術師たちが医師ツェッぺのテントを探ってみると、様々な呪いの儀式用の道具が出てきた。何度か、一部の道具を目にしていた者はいたものの、医療用の器具だと思っていたのだという。
 魔術師の一団は、奇妙な病気が流行っていることを聞きつけ、国の機関が派遣した調査隊だった。
(それにしても、おもしろかったね)
「シゼルも、肝がすわってきたねえ」
 崖の影を出て、晴れた空の下を歩きながら、セティアは苦笑する。彼女のローブのベルトに通されたポーチの端には、ブローチが留められていた。
(あれほどの悪魔なんて、滅多に目にできないもの。いい経験だったよ。それに、その悪魔を吹っ飛ばす魔女なんてのも、滅多にお目にかかれないし)
「おかげで、悪魔を見るような目で見られたけどね」
 ことばを交わしながら、魔女は歩き続ける。草原の真ん中を、分かれ道も蛇行することもなく、真っ直ぐに伸びた道を。
(そろそろ、お別れも近そうだからね。本当に、貴重な経験ができてよかったよ)
 唐突に、シゼルがしみじみと言った。
「次の町では、もっと貴重な経験ができるといいね」
 答えて、魔女は道から逸れることなく、歩き続けた。