番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

ムーンピラーズ 番外編

cradle of will -最期の聖句

written by Kimy
 惑星、クラクス。常に灰色の雲に覆われた薄暗い空の下で、暗い雰囲気を吹き飛ばそうというかのように、最大都市レレクを始めとする街はきらびやかな光に彩られ、昼も夜も、数多い店と出入りする客で賑わっている。
 広い通りには露店が多く、それに合わせ、見回りの制服姿も多い。管理局の徹底した安全対策のおかげか、このレレクの治安は他の都市に比べてもよかった。
『まあ、普通なら仕事で訪れることはなさそうな惑星ですね』
 露店で買ったフランクフルトにかじりついているキイの耳に、イヤリングから、美しい合成音声が響く。
 襟元にリボンがついたシャツにベージュのベストとベレー帽。少年芸術家のような黒目黒髪の若い女何でも屋は、相棒の声も聞こえているのかいないのかわからない風体で、買い物袋を抱えている。
 露店と露店の間によけ、彼女は、行き交う人々を見渡す。
「いいところだねえ、賑やかで。でも、ちょっとギスギスしてるな」
 人の流れの中に、度々制服姿が見え隠れする。この惑星は警官も親しみやすいと評判だが、キイが目にする警官の顔は、酷く険しかった。
「ゼクロス。最近、この辺で何か変わったことでもあったのかい?」
『良くぞきいてくれました』
 中央スペースポートで機体を休める人工知能搭載小型宇宙船XEX――ゼクロスは、やっと相手が反応したので、嬉しそうに応答した。
『何を隠そう、ここ最近、十年ほど前にうち揚げられた人工衛星が巷を騒がせているそうですよ。つい1ヶ月前に開発者のラスリン・アイロトープ博士が何者かに殺されて、人工衛星CAS404iに強力な兵器が搭載されていることがわかったのです』
「へえ……怪しいな。でもそんなことがわかったんなら、もう軍に分解されるなりしてるんじゃないか?」
『それが、強力な防衛能力を持っていて、近づけないそうです。博士の遺書によれば、特定の人物だけが生体スキャンをかいくぐり、パスワードで衛星を操れるそうですが』
「ふうん……」
 漆黒の瞳をかげらせ、キイは大通りを行く警官の姿を見送る。
「強力な兵器を手に入れたいのは軍だけじゃないだろうからな。警戒して当然か」
『ご名答。学術界に関係した犯罪組織などが暗躍しているようですよ』
「技術と知識の取り合いか」
 フランクフルトを食べ終えると、キイはようやく歩き出し、人の流れに合流した。中央区へ向かう方向だ。
 そろそろ陽が沈み、厚い雲を抜けてわずかに地上を暖めていた光も、すっかり失せてしまう。この惑星の平均気温は、他の似た惑星に比べてもかなり低い。
 ホテルには泊まらず、宇宙船内で一夜を過ごそうと考えたキイは、間もなくスペースポートが見える中心部に辿り着いた。
 この辺りまで進めば、人通りも落ち着く。キイはほっと息を吐くと、普段は壁も扉もない、天井が内部の柱に支えられているだけに見える、スペースポートの外周エリアに歩き出す。
 しかし、天井の下に入る前に、彼女は足を止めた。その耳に、通りの向こうから響く、怒声が届く。
「待て! 痛い目見たいか!」
 建物と建物の間から、黒いコートの青年と、それを追う2人の制服姿が現われた。道行く人々は驚き、慌てて追跡劇から離れる。コートの青年は、その手に小型の麻痺銃――スタナーを握っていた。
「食い逃げ……には見えないな」
 左手で紙製の買い物袋を抱え、右手を自由にしながら、彼女も一応、端によける。
 警官の1人が、銃を撃った。それも、数種類のエネルギー弾を放つことができるレイガンの、麻痺光線だろう。
 青白い光線が一瞬、走る青年の脇を過ぎた。青年はまだあどけなさの残る横顔で背後を一瞥すると、どういうわけか、少年のようにも見える小柄な女に突進する。
「へ?」
 眉をひそめる彼女の手をつかみ、青年は後ろに回りこむ。
「お前、外の星の者だな?」
「はあ」
 気の抜けた声を出すキイの頭に、青年はスタナーの銃口を突きつける。
「お前の航宙機に案内しろ。下手な真似はするな」
「はあ……」
 さらに曖昧な返事をするキイに銃を突きつけたまま、彼女の手を引きその身を盾にして、青年は走り出す。警官たちはスペースポートの手前で足を止め、銃の狙いをつけたが、そのまま撃てないでいる。
 他の客が遠巻きに見送る中、2人は、ワープゲートに入った。ワープが始まる前に、青年は慣れた手つきで懐から握り拳大の端末を取り出し、コードを打ち込んで開いたコントロールパネルを操作する。
「ゲートは何番だ?」
 ワープの移動先を操作されないよう、固定するつもりのようだ、と、キイは理解した。
「……Cの16番」
 嘘を言っても仕方がない。彼女は、素直に答える。
『キイ……人質にとられちゃったんですか?』
 彼女だけに聞こえる中性的な音声が、少しだけ不安げにつぶやいた。

 ワープゲートを出ると、遠くの喧騒も遮断された、灰色で筒状の空間が広がる。壁にはここがCの16番ゲートであることを表わす標識が刻まれていた。
 その標識には気づきもせず、麻痺銃を手にした青年は、一瞬そこに収められた小型宇宙船に目を奪われる。
 紺の翼に、白い機体。羽飾りのような安定翼を持つ、あきらかに大量生産のメーカー製ではない船だ。
「一緒に来てもらうぞ。ハッチを開けろ」
 銃口を押し付けられ、キイはプラットフォームから腕につけた通信セットでハッチを開けた。側面ハッチがスライドし、内部の床からラダーが降ろされる。
「お前……キイ・マスターだな」
 ブリッジに向かう通路の途中で、青年は、一部ではそれなりに知られた何でも屋の名を呼んだ。
 スタナーを突きつけられても平然としていたキイは、少し驚き、青年の碧眼を見上げた。
「へえ……知っていて私を狙ったのか」
「この船を見てわかった。オレも科学者の端くれだからな。オリヴンのラボ〈リグニオン〉に製作されたゼクロス……AI搭載船だろう」
 通路が途切れ、ドアが左右にスライドする。十の席がしつらえられた半円形のブリッジが広がった。正面の壁にはめ込まれたメインモニターとその左右に2つずつのサブモニターは、今は何も映していない。
『……それがわかったところで、どうするつもりです?』
 抑揚のない調子で、機械的な響きのある声がブリッジに流れた。
 この船のすべての機能は、制御システムであるゼクロスに任されている。いくら人質をとっているとはいえ、青年は周囲すべてを敵に回しているも同然だ。
 青年は銃口をキイに向けたまま、一歩、相手から離れる。
「なに、ちょっと軌道上に行ってもらうだけだ。もうお前たちは奴らにマークされたはずだ。オレを放り出したところで無駄だぜ」
「ヤツら?」
「ああ。オヤジの遺産を狙う連中だ」
 青年は、どこか疲れたように笑い、ようやく麻痺銃をコートの内ポケットに収める。
『あなたは……カウン・アイロトープ博士ですね』
 ゼクロスのことばに答えず、青年はシートのひとつに腰を下ろした。否定しないということは図星らしい。キイは、カウンの話から、彼はどうやらラスリン博士の息子らしい、と見当をつける。
『ああ、ええと……何だか、このスペースポートの上空に、巡視船が集まって来ているようなんですが……』
「発進だ!」
 立ち上がり、カウンが叫ぶ。
 ゲートに閉じ込められるのはまっぴらなので、キイもゼクロスも、とりあえずそれに賛成した。

 メインモニターに、灰色の空が映し出されていた。その空を背景にして、ゆっくりと移動する銀色の姿が3つ。それは天井が2つに割れたゲートから浮かび上がる宇宙船の行く手を阻もうとするが、ゼクロスが速度を上げると、衝突を避けて針路から退ける。
 メインモニターに、近づく雲が映る。サブモニター上では、遠ざかる都市の光がちらついていた。
「さすがに攻撃はしてこないか。惑星ネットワークじゃどうなってる?」
 小声で相棒に声をかけながら、艦長席の肘掛で頬杖をつき、チラリと後方の席で携帯用コンピュータ端末をいじっているカウンを見る。彼女の意図を察して、AIはブリッジのスピーカーではなく、イヤリングのスピーカーから応答した。
『とりあえず、強盗が外来客を人質に宇宙船を乗っ取ったというニュースが流れていますが……ああ、私の映像が。何だか情けない〜』
「まあ情けないのはいつものことな気がするが」
『気のせいです。いつもいつも貧乏くじを引くのはですね、あなたの仕事選択が悪いか、あなたの判断が悪いか、あなたの私に対する扱いが悪いんです』
「おいおい」
 と、力説するゼクロスにキイが反論する間もなく、音声出力がブリッジ内スピーカーに切り替えられる。
『地上数百メートルから攻撃。回避します』
 すでに、機体は厚い雲の層に突入していた。メインモニターは灰色のみを映し、サブモニターのひとつに映し出されたワイヤーフレームの距離相関図だけが、攻撃の存在を表わしている。
 わずかに速度を落とし、機体を傾けたところで、視界が晴れる。一瞬、きらめく光の筋がそばをかすめた。
「警察が撃って来るとは思えないな」
 メインモニターから視線を逸らし、キイは再び、カウンを振り向く。
 青年は肩をすくめた。
「遺産を狙う連中さ……レレク中央大学の天文学の教授、カシオスの一派だ。強力な兵器を手に入れてそれをフォートレットに売り込もうって魂胆の、まあ、マッドサイエンテストってやつだな」
 フォートレットは、周辺の文明領域でも中心的な惑星だ。権力や財産を望むものなら、フォートレットで働くことを夢見るだろう。
『あなたを追っていた警官たちも偽者でしょう。あなたが人工衛星の鍵を握っていて、それをそのカシオス教授とやらが狙っているのですね』
「自分の研究成果の財産は、やっぱり息子あてか」
「厄介な財産だ」
 顔を逸らして、カウンは吐き捨てるように言う。
「オヤジがあんな遺書を残して死んでから、何度襲撃されたか。カシオスだけじゃない、軍も警察もオレを捕らえようとする。まったく、とんだ遺産だよ」
 彼は、コートを脱いで背もたれにかけた。その左手が、包帯に覆われているのが見える。襲撃で負った怪我らしい。
「それで……人工衛星に行って、どうするつもりだい?」
 間もなく、ゼクロスは大気圏を離脱した。深遠の闇に包まれると、機体を中心に白銀色の環が展開される。星々を背景に、ほとんどを黒に閉ざされたメインモニター上を、時折人工物が横切っていく。クラクスの赤道上空には、数多くの人工衛星がめぐっている。
「誰も使えないようにするのさ。あんなもの、存在しないほうがいい。いずれ、もっと大きな争いを呼ぶだろう」
『それは一理ありますが……良いのですか? あなたのお父さんが研究して、あなたのために遺した衛星なのでしょう?』
 人工知能がそう告げると、青年は、にらむようにして天井を見上げた。
「そんな物、手に入れて何になるってんだ。おれと母さんをほっといて研究に打ち込んで、母さんが病死した時も顔も見せなかった。そして、自分が死んだときにはこれだ。あのオヤジはおれから何もかも奪ったんだよ」
『……』
「せっかく、自分の研究に打ち込んで、やっと明日のメシの心配もしなくていい……ささやかな日常を手に入れたってのに」
 彼は目を床に向けると、長い溜め息を洩らす。
 強力な兵器が存在するなら、軍も、科学者も、国や銀河警察でものどから手が出るほど欲しいと思うだろう。それが、その力を与えられた家族にとっては、重荷でしかなかった。それが、カウンの目を見、あるいは声を聞いた者になら、容易に想像できる。
 これ以上話しても、カウンの目的に何か影響を与えることができるわけでもない。
 ゼクロスは人工衛星CAS404iに針路をとりながら、センサーで別の宇宙船の存在を感知する。
『キイ……』
 彼は再び、個人回線で自らのオーナーに呼びかけた。キイはというと、コンソールの上に載せてあった、読みかけの、『性格でわかるあなたの前世』という本をパラパラめくっていた。
『あなたにしてはまともな本ですね……とはいえ、読んでいる時間はありませんよ。戦艦が1機接近中。こちらの到着が早いでしょうが』
「ああ、注意しておこう」
 軽くうなずきを返すと、彼女は正面の画面に目をやる。十字架をいくつか組み合わせたような形の、つややかな青銅色の人工物が横から滑り込んでくる。
 その人工物とスピードを合わせ、ハッチに機体を近づける。
『CSリング解除。接続ゲート下降。空気注入完了』
「行くか」
 軽い金属音を最後に、船の動きが停まる。カウンはコートを取り、ハッチに向かうキイの後を追った。
 側面ハッチからのびたチューブ上のドッキング用接続ゲートを渡り、さらに広いチューブの中に降りる。内部の機能は活きているらしく、充分な酸素で満たされ、重力制御もされていた。
 衛星の中に降り立って間もなく、キイとカウンは、半透明な接続ゲート越しに、光がふたつそばを行き過ぎるのを見て、何が起きているかを知った。
『キイ、私、盾になりましょうか? それとも、ここに待機したほうがよいでしょうか』
 追跡者の目的が人工衛星の中にある以上、衛星が破壊される可能性は少ないだろうが、他人に利用されるくらいなら相手ごと破壊しようと考えるなど、万が一の場合もある。
 だが、ゼクロスが離れると、その隙に侵入される可能性も高くなる。
「ドッキングを維持だ。用事はすぐに済むさ」
『了解』
 キイの右手首の腕輪型端末のスピーカーを使って答え、何でも屋は一旦交信を止める。
 点々と壁に並ぶ青緑のライトに照らされた赤土色のチューブは、少し奥に進んだところで、円形の白い扉で閉ざされる。扉のそばの壁には、いくつもボタンの並んだ装置が備え付けられていた。
 それを一瞥すると、カウンは首にかけていたロケットを取り出した。その表面に彫られたナンバーを、素早く打ち込む。
 それを壁に寄りかかって見ていたキイは、密かに舌を巻く。
「生体照合システムもあるそうだけど、私も中に入れるのかい?」
 扉が上下に割れて開いたところで、カウンは小柄な変わり者の何でも屋を見る。
「そんな風に設定すればな。でも、あんたにはこれ以上付き合う理由がないはずだ」
 彼の言うとおり、この人工衛星に送り届けるという彼の目的はクリアしている。キイとゼクロスは、ここを離れてしまいさえすれば、巻き込まれて攻撃されることもないだろう。
 キイが肩をすくめ、口を開きかけたとき、かすかな金属音がハッチの方向から響いた。2人は一斉に振り返る。
「ゼクロス?」
 同時に襟元に仕込んだマイクに声をかけるキイの目に、天井から散る火花が映る。
『キイ、すみません、侵入を許しました。宇宙服で自力遊泳しているのを叩き落すわけにも……』
「わかった。いい」
 通路の上部が、丸く切り抜かれた。切り抜く前に携帯用空間シールドで穴の周囲を覆っていたらしく、侵入者たちが転がり込んでも、空気は流出しない。
 白い宇宙服姿が3つ、通路に降り立つ。そのうちの2つが、素早く手にした麻痺銃をかまえた。
「カシオスか?」
 若い研究者が眉をひそめるのに、宇宙服姿のうち小柄なひとりが、ヘルメットを取って応えた。無造作に伸ばされた髪が完全に白く染まった、壮年のやつれた顔がのぞく。
「パスワードを教えてもらおうか、カウンくん。でなければ、きみだけでなく、お嬢さんも痛い目を見ることになるぞ」
 カシオスの左右に立つ、金で雇われたらしい体格のよい男2人が、銃口をそれぞれキイとカシオスの額にポイントしていた。
「関係ないヤツを巻き込むな!」
「だったらさっさと教えることだな。自分の意志で言いたくなければ、無理矢理にでも吐いていただくが」
 優越感に満ちた笑みで口もとを歪め、青年を見やる。
「恨むなら、お父上を恨むのだね。ラスリンは、研究仲間である我々を裏切ったんだ。そして、我々の研究からヒントを得て研究を完成させた……本来、私にもこの人工衛星の所有権はあるのだよ」
「誰がそんなこと……!」
 認めるか。
 そう言いかけた刹那、彼は首筋に冷たい物を感じる。
 その正体を知ると、カウンの目が見開かれた。いや、彼だけでなく、カシオスとその取り巻きの目も。
 いつの間に取り出したのか、キイが手にする大型ナイフが、カウンの首の頚動脈に当てられていた。
「動くな! 動くと大事な遺産の手がかりが消えるぞ」
「なっ、馬鹿なこと……」
「利用されただけの流れの何でも屋が、情にほだされると思うか?」
 お互いに違法行為を行っているのだから、何でも屋がここでどう動こうと、彼女が捕まることもない。儲けを考えるなら、この人工衛星を手に入れようとしても不思議はない。
 カシオスは対応に困り、素早くカウンを壁の装置に引っ張るキイを茫然と見るしかない。カウンもキイが本気かどうかわからないまま、指示されたとおり、キイの生体スキャンを行い、その結果を侵入許可人物に登録するほかない。
「少しでも動けば容赦はしないぞ。くくく……」
『キイ……』
 ゼクロスの呆れの声を耳にしながら、堂に入った悪人らしい笑い声と邪悪な笑みを残し、キイはカウンの手を引いて、通路の奥の闇に消えた。

 扉を解除した地点から少し進んだところで、通路が途切れた。キイとカウンは、上下左右にモニターが設置された、球形の空間に出る。足場は金網で、下のモニターが透けて見えた。
 モニターはそれぞれ、外の宇宙空間を映す。そのうちのひとつはゼクロスの紺の翼を、別のひとつは灰色の惑星を捉えている。
「ほら、ここに来たかったんだろう」
 手を放し、キイは振り返った。
 青年は、複雑な表情を浮かべている。やっと辿り着けた達成感と、これから起こることへの恐れ。それとは、また別のことへのおそれも。
 いつまでも、とまどっているわけにはいかない――。
 大きく息を吸い込むと、彼は、声を張り上げた。
「暗証番号、NV0187763。利用可能な動作は?」
『暗証番号受理。利用可能な動作を表示します』
 どこからかゼクロスより機械的で平坦な女の声が流れ、直後、空中に半透明な青の画面が浮かび上がる。画面上には、人工衛星の機能を示す文字列が並んでいた。
 それを読まず、カウンは間髪入れずに続ける。
「コード14番」
『14番は通常時の起動が禁止されています。起動させるには、パスワードを入力してください』
 抑揚のない声が告げると、カウンは、少し離れたところで成り行きを見守るキイを振り返る。
「もうあんたが見るべきものはない。死にたくなければ、ここを離れたほうがいいぜ」
「……何をする気だい」
 大体予想がついているのか、何気ない調子で、何でも屋は問う。
「ここを破壊するんだよ。あんたも巻き込まれるぞ」
『カウンさん、あなたも逃げないと……キイ、クラクス軍が異変を察知して周囲を包囲しつつあります。時間がありません』
 キイの通信機を通して、ゼクロスが警告を発する。
 続いて、再びカウンが警告した。
「オレが言おうとしているパスワードは、オヤジからの手紙にどうしようもなくなった時に言えと書いてあったものだ。少なくとも、この人工衛星は壊れるだろうな。それでも、ここに残るか?」
「私はしたいようにするだけだよ」
 漆黒の瞳で、真っ直ぐに青年の視線を見返す。
 もともと、どうしても出て行って欲しいわけではないのか。
 視線を逸らすと、覚悟を決めた様子で、カウンは告げた。
「XD937648D」
『カウンさん!』
 カウンがパスワードを告げると、それに応えるように、モニターが暗転した。照明が薄くなり、周囲の雰囲気が変わる。
 そして、どこからともなく声が流れ出す。ゼクロスとも、先ほどのナビゲーションとも違う、人間の声。
『そのパスワードが告げられるときは、おそらく私の遺産が消えるときになるだろう。そして、そのパスワードを口にすることができるのは1人だけだ』
「オヤジ……」
 意外な声を耳にして、その声の主の息子は茫然と天井を見上げた。
『この人工衛星は、いずれ必ず消えることになる。おそらく、この衛星が打ち揚げられてから13年と10週間後に』
 半透明な画面の内容が変化する。
「これは……」
 ある、天体の分析結果と、軌道予想。今から約1年後に現実世界で再現されるシュミレーション上、ゆるやかな曲線で表わされた線は、点で表わされた惑星クラクスと交わっている。
『この人工衛星は、彗星N791を破壊できるだけの兵器を搭載している。役目を果たした後には、この衛星の全機能が停止する。この機能を利用する場合、〈プロジェクト0起動開始〉を指示してくれ……カウン、すまない。私が家族を守るための最善の方法として思いつくのは、これくらいしかなかった。宇宙の源の祝福がお前とともにあるよう祈る』
 それが、生前には息子に届くことのなかった、父親の最後のことばだった。
「オヤジ……」
 指示を待つようにチラつく画面を前に、カウンは立ち尽くした。
 動くもののない薄暗い空間で、沈黙のときが流れていく。その静寂の中で、青年の心の中の何かが埋められ、何かが切れた。
「……起動停止。待機」
『了解』
 空中の画面が消え、照明とモニターが元に戻る。モニターには、ゼクロスのほか、何機もの中型戦艦が捉えられていた。戦艦は、側面にクラクス軍の紋章を刻んでいる。
「これで、脱出できるのか?」
 軍も、この人工衛星の兵器を狙っている。それに、通路にはまだ、カシオスたちがいるはずだった。
「この兵器を、彗星破壊以外のことに利用できなくすればいいんだね。では、そのほかの目的で使うと自爆するようにプログラムしよう」
『お安い御用です。そちらから、こちらのチャンネルにつなげてください』
 キイの右手首からの声に言われるままに、カウンは人工衛星のシステムにゼクロスへのチャンネルを開いた。カウンのことばを記憶していたゼクロスはパスワードを使い、即座に一部のプログラムを書き換える。
『そして、先ほどの彗星衝突データを軍に送りましょう』
「それだけじゃあ、カウンさんのこの先の扱いが心配だ。ギャラクシーポリスとクラクスの一般ネットワークにも流してしまえ。これで無碍には扱えまい。カシオスも退くに退けない状況だし、逮捕されるだろう」
 電脳空間で実際に行われている情報の流れは見えないが、カウンには、彼の運命が変えられたのがわかった。
「恐ろしいヤツらだ」
 ここを、生きて帰るつもりはなかった。後には何も残さず処分するはずだった。それが、今はこの人工衛星の使い道も、彼の安全も保障されている。
 彼は、自分は人質を選ぶ見る目はある、と思い、小さく笑った。

 灰色の雲に、ギャラクシーポリスの白い宇宙船が吸い込まれていく。それと入れ替わりに、紺の翼が闇色の宇宙空間へ飛び出した。
 XEXの名を白い側面に刻んだ小型宇宙船は、1泊するだけの予定だったクラクスを、3日ぶりに離れる。
『よかったですね、丸く収まって……失った時間は大きくても、これでカウンさんは、新しいときを始められるはず』
「ああ……」
 退屈な移動時間の暇つぶしのため、キイは読みかけの『性格でわかるあなたの前世』を開く。その様子を見て、AIはあきれたような声を洩らした。
『人間は妙なことを想像しますね。まあ、私には関係のないことですが』
「そうかい? これ、人工知能に対応してるよ」
『本当に? そんな本が存在しているとは信じられませんねえ』
 天井を見上げるパイロット兼オーナーに、ゼクロスは驚嘆の声を返す。その名を知られている、人間と変わらない自我を持つA級人工知能の数は、まだ、十基にも満たない。
 キイはかまわず、本の内容を読み上げる。
「ええと、まず、次のうちあなたの一番苦手なものをお答えください。1、辺境惑星のジャングルで1週間1人きり。2、狭くて騒がしくてむさ苦しい、悪臭漂う密閉空間に3日間ぎゅうぎゅう詰め。3、今にも倒れそうな高い塔の上で身動きできず一晩」
『う〜ん、1番ですね』
「じゃあ……朝、友だちの大切な人が亡くなったことを本人より先に知った。その日は、丁度友人がずっと前から楽しみにしていた旅行の日だ。さて、どうしますか。1、旅行が終わるまで黙っている。2、すぐに亡くなったことを言う。3、黙って亡くなった人の家に連れて行く」
『ええ……と……2でしょうかね』
 質問は、全部で十問あった。ゼクロスがそのすべてに答えると、キイは結果のページを読み上げる。
「あなたは少々優柔不断なところがありますが、行動や信念に筋は通った人です。あなたは、他のものの心をなごませ、綺麗にする力を持っています」
『はあ……』
「というわけで……あなたの前世は、おそらく〈タワシ〉です」
『……あ』
 わずかに生まれた沈黙の間に、キイがパタンと本を閉じ――
『あんまりだぁ〜!』
 続いて、ブリッジに、静寂を破る哀れな叫びが響いたのだった。

   FIN.
本編情報
作品名 ムーンピラーズ
作者名 Kimy
掲載サイト Stardust Station
注意事項 年齢制限なし / 性別注意事項なし / 暴力表現あり / 連載中
紹介  何でも屋のキイ・マスターは、人工知能搭載宇宙船XEX(ゼクロス)と宇宙を翔る。その周囲では神出鬼没、正体不明の《時詠み》や、歴史を操ってきたという〈調整者〉らが暗躍し――。
 隠されしキイの目的、ゼクロスの正体、多くの者に関わる封じられた記憶とは。笑いと涙を交えつつ(?)陰謀渦巻く長編連載SF。
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