番外編競作 その花の名前は 参加作品

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 ムーンピラーズ番外編

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Choosing of girl -何でも屋の日常

Kimy

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 1人の少女が、人込みの中を歩いていた。
 年の頃は、12、3歳か。長い栗色の髪を2つに束ねた少女は、アーチロードからゲートに向かう大人たちの姿の波に逆らって歩いていた。ゲートに向かう者たちは、技術者やパイロット、あるいは旅行客など――立場は違えど、最も安全と言われる大規模宇宙ステーション、シグナ・ステーションに立ち寄った航宙機のクルーには違いない。
 今は、ステーション内は昼間ではなかった。はるか頭上の人工太陽の光量が、一番減少している時間帯である。
 このような深夜でも、子どもが活動しているのは珍しくない。様々な軌道や自転速度の惑星から、その住人がやってくるのだ。昼夜など、あってなきがごとし、である。
 しかし、注意深い者が見ていたら、少女の挙動が少しおかしいことに気づいただろう。
 少女は、きょろきょろと辺りを気にしながら、早足で人の流れから遠ざかっていく。
 より、人の気配のない、闇の深いほうへ。
 彼女は、完全に他の人間の足音の聞こえない狭い通路に入ると、少し歩くスピードを緩めた。
 だが、すべての存在が彼女を忘れ去ることはない。ここは、最先端のステーションなのだ。
『やあ、迷子かな?』
 通路の壁から、静けさをできるだけ破らないように配慮した、控えめな声がかかった。
 突然の声に、少女はびくっと肩を震わせ、足を止める。そして、彼女はすぐに思い出す――このステーションを管理するシステム、個性を持った最高の人工知能、シグナの存在を。
「迷子じゃないよ。放っておいて」
 冷たく言い、彼女は再び、早足で歩き始める。
『つれないね……私なら、きみのお役に立てると思うよ。どこに行きたいんだい? 案内できると思うよ』
 少女は、薄暗い通路の奥に向かう足を速める。
 だが、声はどこまでもついて来た。当然だ。このステーション全体が、シグナの管轄下なのだから。
『そんなに急いで、大事な用事でもあるのかね? 家族の人は?』
 逃げられない、と悟って、少女は溜め息を洩らした。
「行きたいところがある」
『それはどこだね』
 息を吐き出すと同時にぽつりと言うと、シグナは即座に食いついてくる。
「あんたがいないとこ」
 そう少女が答えると、ステーションの管理システムは黙った。
 さすがに、少女は胸の奥で罪悪感を感じる。だが、コンピュータが傷つくことはないだろう、ここの管理システムがどうなろうが知ったことじゃない、と心の中で自分に対する言い訳を並べて、感情を誤魔化す。
 その誤魔化しも、シグナの沈黙が長くなるにつれて揺らいでいった。本当のところは、誰かと話していなければ心細くて仕方がないのだ。
 彼女が声をかけようか迷い始めたとき、シグナは突然沈黙を破った。
『伏せて!』
 思いがけないことばに反応できたのは、心がまえと、多少の慣れのおかげだった。少女は膝を折り、身を伏せる。
 そこまでの動きは危なげなかったものの、頭上を行き過ぎた光線の軌跡を見てしまうと、鼓動が激しくなり、膝が震えた。
『大丈夫? 今、警備隊を呼んだところだ……逃げるんだ!』
 シグナの声を聞きながら、少女は必死に身体を起こそうとした。だが、腕に力が入らない。
 這って逃げようとする背後に、男の野太い声がかかる。
「惨めだな、マルシェ。結局、お前には才能がなかったのさ。大人しくオレたちのエサになりな」
 男がマルシェ、と呼んだ少女は、振り返りたくなかった。ただ必死に、身体を引きずって逃れようとする。振り返らずとも、男の顔が、男が手にしたレーザーガンの銃口が、はっきりと想像できた。
『何をする! 撃つな!』
 シグナがわめくが、無駄だろう、とマルシェは思った。
 逃げ出したのは、初めてではない。だが、今回は以前とは事情が違う。逃亡者を処分するのは、捕まえるより簡単だろう。
 這いずる少女の背中は、男にとって狙いやすい標的に過ぎる。
 そうして、音もなく、いつの間にかトリガーが引かれ――
 金属が擦れるような音が、耳のそばを行き過ぎた。
 何も聞こえず、いつの間にか撃ち抜かれているはずだ。そして、唐突に記憶の連鎖が終わるのだ。痛みも感じないなら、それはそれでいいか、などと思い始めていた少女に、しかし、終わりは訪れなかった。
「〈黒の薔薇〉だね」
 裏世界の極一部でのみ通用する犯罪組織の名を告げる、その短いことばに身体が震えるような衝撃を受けて、マルシェは顔を上げた。
 黒いフード付マントを着込んだ、見慣れない姿。その、男とも女ともつかない存在が、澄んだ声で、組織の名を告げていた。フードの隙間からのぞく漆黒の瞳は真っ直ぐ組織の男を見据えている。
「なんだ……貴様!」
 マルシェは初めて男を振り返った。今なら怖くない……そう思った。
 そして、予想通り、怖くはない。組織の中でも最も強面の大男が、異質な存在を前にした畏怖にも似た表情を浮かべている。
 それでも、大男はレーザーガンを向けた。否、身を守るための反射的な行動か。
 黒マントは、軽く右の袖を持ち上げた。すると、チャリーンという、先ほどと同じような音が鳴った。夜目が利くマルシェは、視界の端に一瞬その音の主の形状を見る。それは、鎖だった。
 その鎖が、大男の手からレーザーガンを弾き飛ばす。
『《時詠み》……』
 シグナが、黒マントの名を呼んだ。
 その噂は、ステーションの外にも広がっている。シグナ・ステーションを中心に姿を見せる、神出鬼没の謎の人物がいると。
「お前が……」
 大男も、その噂を知っていたらしい。
 彼は舌打ちすると、背中を向けた。《時詠み》は後を追わず、相手が角の向こうに見えなくなるまで、微動だにせず見送った。
『助かったよ。ありがとう』
 シグナが、ほっとした声で礼を言った。マルシェは、なぜ彼が礼を言うのだろうと思う余裕もなく、なんとなく会話を聞いている。
「たまたま目についただけだ。礼を言われることはしていないさ」
 《時詠み》は淡々と言い、身体ごと振り返る。その目は、少女を捉えた。見下ろされて、マルシェは金縛りにでもあったかのように、身動きができなくなる。
「きみは……」
 《時詠み》が自分に注目している、と思うだけで、少女は強烈な緊張感を感じた。先ほどのような死の危機の緊張とも違う、次元の違う存在の審判を待つような心境だ。
「きみも組織の一員だね。マルシェ……」
 特に感情のこもっていない声だが、マルシェはドキリとした。
「あ……あたしは、もう組織の一員じゃない! 戻りたくもない!」
「……それで、さっきのがきみを〈処分〉しに? しかし、きみ1人くらい、放置しておいてもよさそうなものだが」
 疑問を口にする《時詠み》に、少女は、一瞬口ごもってから吐き出すように言った。
「あいつら、あたしの親がGPの刑事だから、あたしが使いづらくなったんだ。邪魔になったんだよ!」
「ふうん……」
 《時詠み》は、納得したのか興味がないのかよくわからない調子で鼻を鳴らした。
 そして、マントのすそをひるがえし、完全にマルシェに背中を向ける。
「もしここから脱出する気があるなら……それに、己の過去と向き合う勇気があるなら、明日の朝、第2ゲートを訪ねてみるといい。彼女らは、おそらく、きみの手伝いをしてくれるだろう」
 そう言い終えるなり、彼は通路の脇の塀の上に跳び乗った。まるで見えない翼でも生えているかのような、人間離れした身軽さだった。マルシェが彼のことばを問いただす暇もなく、黒ずくめの姿は消え失せる。
 取り残され、茫然としていた少女を、シグナの電子的な響きを帯びた声が我に返らせた。
『マルシェ、彼の言う通りにするにせよしないにせよ、今は私たちに任せてくれないか。そのほうが安全だよ』
 言われるまでもない。マルシェにはもう、1人で他人の目に触れない寝床を探し出し、そこで一夜を過ごすだけの気力はなかった。
 間もなく、マルシェは近づいて来る複数の足音に、安堵の溜め息を洩らした。

『目的地まで、あと3分30秒。メインドライヴ停止。慣性航行中』
 白を基調としたブリッジに、中性的かつ芸術的な男性音声が響いた。
 その声が向けられた相手は、ただ1人の人間である。十の席の中で唯一埋まっている艦長席に座っているのは、一見美少年と見違う、ベレー帽にベージュのベストという芸術家風の服装をした女性、キイ・マスターだった。彼女は何でも屋として、それに人工知能搭載宇宙船のオーナーとして、それなりに有名である。
『そろそろ、読書の時間は終わりですよ、キイ』
 船と同名の統制システム、XEX――ゼクロスが、艦長席の相棒に忠告する。
「あっという間の旅だったねえ」
 キイはぼやきながら、読んでいた本をパタンと閉じた。本の表紙には、『これであなたも女王様! 魅せます・言葉責め100選』という題字が躍っている。
『これでも、ゆっくり来たほうですけどね。まあ、読書はいずれステーションのホテルでできるでしょう』
「ホテルの豪華な部屋で読書なんて、もったいない。ここで時間つぶしに読むから無駄が出ないんだよ」
『あなたの時間節約術はよくわかりませんよ、まったく』
 あきれた声を洩らしてから、ゼクロスは一旦黙る。
 左右に2つずつのサブモニターに囲まれたメインモニターには、青と緑、その上を覆う雲の白を散りばめた惑星と、それを背景にゆっくりと自転している大規模宇宙ステーションの、鈍い銀色の姿が映し出されていた。
 惑星オリヴンに劣らぬ文明レベルを持つ、平和な惑星エルソン。そのエルソンのステーションが、宇宙一安全で便利だと言われる宇宙ステーション、シグナ・ステーションだ。
 青い光が明滅するゲートのひとつに、小型宇宙船ゼクロスは吸い寄せられるように近づいていく。あてがわれたのは、特等席の第2ゲートだった。
 ゲートの入口がメインモニター全面に広がると同時に、ゼクロスが束の間の沈黙を破った。
『キイ、メッセージが入っています』
「へえ、誰から?」
 何気ない問いに、ゼクロスは少しだけためらうような間を置き、
『それが、発信源が特定できません。シグナ・ステーションからだと思いますが……。内容は、〈訪問者を届けよ〉だけです』
 腑に落ちなそうに言うのに、キイはピンと来たらしかった。
「わかった。シグナが詳しい事情を知ってるだろう。きいてみるといい」
 ゼクロスは彼女のことばに従い、シグナと連絡をとった。
 シグナは、昨夜のマルシェという少女の身に起こったできごとの一部始終を、映像付でゼクロスに説明した。ゼクロスは転送されて来たデータから、ある1コマの画像を選び出して表示する。
 そこには、少女と大男の間に立ち塞がる、黒ずくめの姿があった。
「なるほどね」
 予想通りの展開だったらしく、キイは気のない様子で言った。
「ま、別の仕事も入ってるから、モノのついでに引き受けてやるさ」
『これくらいの厄介ごと、いつものことですしね』
 間もなく、ゼクロスはトンネル状の第2ゲートに飲み込まれた。
 補給などの必要はなく、もともとすぐに出発する予定だった。そのスケジュールは、シグナたちも理解している。
 マルシェ、という少女は、ステーションの女性職員とともに、第2ゲートに姿を現わした。少女は、プラットフォームに降りたキイを、横目で見る。伏せた顔で鋭く光る目に、キイは、彼女が温かい家庭で普通に育った少女でないことを察知していた。
「ルーギアに届けるだけでよいのですね?」
 ルーギアは、GP――ギャラクシー・ポリスの本部がある惑星だ。住人はほとんどGPの関係者で、観光などとは無縁の惑星である。ただ、その安全性はまれなものだった。犯罪者が入りこむのは容易ではない。
『ああ、頼んだよ、キイ。先方にはすでに連絡してある。依頼料は、ルーギアで顔を合わせた段階で払うというから』
「それはいいけども。昨日、別の依頼も受けたんだ。その人と一緒でもいいなら、乗せていくよ」
 女性職員に代わって答えたシグナに、キイは気楽な調子で応じる。
『ああ、レベリーさんだね。今、そこに入るよ』
 シグナが言うなり、第2ゲートのドアがスライドした。
 現われたのは、最初、リアカーに積まれ、布をかけられたカゴの山のように見えた。それが押されて近づいてくると、陰に、黄色い三角帽子を深くかぶった、40歳前後の赤毛の男性が姿をのぞかせる。
「やあ、皆さん。ご機嫌うるわしゅう。あなたがキイさんですね?」
「ええ、よろしくお願いします。あちらは、途中まで同行することになった、マルシェさんです」
 キイが紹介すると、レベリーは少女に目を向けた。人の良さそうなその顔が一瞬、かすかにかげる。だが、それに気づいたのはキイだけのようだった。
「よろしく、マルシェちゃん」
 即座に陽気な表情に戻り、レベリーは気安げに声をかける。
 一方のマルシェは、最初にキイを一瞥した後には、誰とも目を合わせようともしなかった。

 ゼクロスは来た時のようにゆっくりと、ゲートから離れた。メインモニターでは、シグナ・ステーションが遠ざかっていく。サブモニターのひとつには、船の外観がコンピュータ・グラフィックスにより描き出されていた。羽根飾りのような安定翼を持つ紺と白を基調とした機体の周囲に、ゲートに駐機していたときにはなかった、淡く輝く白銀の環がめぐっていた。
 綺麗だ、とマルシェは思った。決して口には出さないが。
「貨物室でお預かりしてもよかったのですが……」
 艦長席のキイが、自分の席のそばに置いた布をかぶせたカゴをのぞいている、レベリーにそう申し出た。しかし、レベリーは大きく首を振った。
「私の可愛い子どもたちですよ。荷物扱いなんてできません」
 そう言って、彼はカゴの上の布を取る。
 それぞれのカゴのなかには、珍しい動物たちが入っていた。白い毛並みの、猫に似た尻尾の長い動物や、一抱えほどもある甲羅を背負ったカエルのようなもの、手のひらサイズの猿など、様々な惑星の小動物を集めたものらしい。
「こんな動物がいるの」
 横目で見ていたマルシェが、思わず身を乗り出した。長い間組織にいた彼女には、動物とのふれあいなど、ずっと昔に一度だけ動物園に連れて行ってもらった、薄らとした記憶があるだけである。
「ああ、きみも興味あるかい?」
 レベリーに笑顔を向けられて、不意に少女は我に返る。
「そっ、そんなんじゃないよ! そんなもの、興味ないね」
 早口で言うと、席を立つ。
「部屋へ行くなら、案内しようか?」
「結構」
 立ち上がりかけたキイの申し出を断って、マルシェは部屋を出た。
 背後でドアが閉まるなり、少女は溜め息を洩らす。
 彼女は、自分が緊張しているのを自覚していた。5年ぶりに肉親と再会するのだから、無理もない。それに、GP刑事が、犯罪組織の一員に成り果てていた娘を受け入れるだろうか、という不安もある。そんな彼女には、レベリーの笑顔は腹立たしいものだった。
 やっと1人になれた、と思った彼女の上に、聞き馴れない、澄んだ綺麗な声が降ってきた。
『動物、見ないんですか? 可愛いのに』
 マルシェは一瞬、驚いたような表情を浮かべた。ゼクロスのことは聞いていたが、突然だったのと、その声が想像していたものと違ったためか。
「……興味ない」
『では、部屋に行きますか? 5時間で到着しますから、到着時間直前になったらお知らせしますよ。飲み物とか、何でも言いつけてください。とりあえず……』
「部屋の位置はわかってる」
 再び歩き出しながら、少女は冷たく言う。
「自分のことは自分でするからほっといて。イチイチ指図されるとイライラする」
 そのことばに、ゼクロスは少しの間黙った。
 マルシェはシグナ・ステーションでの似たような場面を思い出して、しまった、と思う。その気持ちをわずかに表情に表わした彼女に、ゼクロスは今までの楽しげな声とはうって変わった沈んだ声を出した。
『……ごめんなさい』
 悲しげに謝られて、マルシェは内心ドキリとする。
 重い沈黙を引きずったまま、彼女は与えられた部屋に向かった。
 一方、もう1人の客人と愉快な仲間たちは、目的地に到着するまでブリッジで過ごすつもりのようだった。
「そろそろ、エサの時間だなあ」
 キイがいつものように本をめくっていると、しばらく大人しくしていたレベリーが立ち上がり、大きく膨れたバックパックから、小さな箱を取り出した。箱の中からは、カサカサと音がする。
「それ、何です?」
 何か予感があったのか、キイが『これであなたも女王様! 魅せます・言葉責め100選』から顔を上げて尋ねた。箱の蓋を開けながら、レベリーは愛想よく笑顔を向ける。
「アマリワン蛙のジャックのヤツが、本当に好きでね。まあ、ちょっと見た目が悪いかもしれないが」
 と、よそ見をした刹那、何かが箱から落ちた。
「あ」
 キイとレベリーの声が重なる。
 床を這う黒いものはカサカサと音を立てながら、素早くコンソールの下に潜り込んだ。
『あ、あの、エサってまさか……』
 ゼクロスの声に、かすかに震えが走る。
『ゴッ、ゴキ……』
 恐怖に歪む綺麗な声が響くと同時に、その小さな生物は、ブリッジの床を横断した。それを、レベリーが慌てて追う。貴重なエサを逃がした大きな蛙が、カゴの中で一声、ゲロッ、と鳴いた。
 その光景を眺めながら、ゼクロスと、さして動じていないキイがことばを交わす。
『キイ』
「なんだ?」
『気絶してもいいですか?』
「だめ」
 本から視線を外すことなく、オーナー兼パイロットは断言した。
 結局、黒い光沢のある外殻を持つ生物はどこへ行ったかわからなくなり、ジャックは好物を1匹しかもらえなかった。ゼクロスが〈黒い狂気〉と名づけることにした固そうな生物を、ジャックはよだれをたらしながら噛みしめる。
 静寂の中、グチャグチャという音だけが響く。
 それに耐え切れなくなったのか、ゼクロスが再びキイに声をかけた。
『キイ』
「黒い狂気なら放っておけばいい」
『いいえ。どうやら、気絶している場合ではなくなったようです』
 雰囲気が変わったことに気づいたのか、レベリーがわずかに笑顔を曇らせて、キイを見る。キイは本を閉じた。
 船は今、予定針路の半分を過ぎた辺りだった。
「やっと来たか。ちょっと遅かったな」
『ええ。しかし、通りかかる船も少なく電波状況も悪い、襲撃に都合のよい場所であることには変わりありません。これ以上遅いと、GPのパトロール艇に見つかりそうですしね』
「んで、敵艦は?」
『敵影確認。中型戦艦が3機。いずれも魚雷、レーザー、バリア、探査艇、サーチアイなど、最新鋭の装備を搭載しています。所属は不明。おそらく、〈黒の薔薇〉でしょう』
 メインモニターの画像が拡大された。黒に近い紺色の戦艦が3機、背景の闇から浮き出すように大きくなってくる。
『不明戦艦Aが戦闘機動』
「バリア展開」
 幾種類ものバリアが、機体を包み込んだ。その直後に画面上の戦艦の一点が輝き、光点は瞬きの間に飛来してバリアに着弾する。
『光子魚雷です。被害ゼロ。戦艦のうちの1機が大出力のブラスターを搭載していますね。エネルギー充填中のようです』
「油断はできないね」
 キイは溜め息交じりに言う。
 警戒しながらも、何気ない生活の一部として対応する何でも屋を、レベリーはぼんやりと眺めているかに見えた。しかし、洞察力のある者が見れば、彼の視線が最小限の動きでメインモニターとサブモニターを行き来していることに気づいただろう。戦闘、そしてそれに対応する者たちの判断を計算している者の目だった。
『敵艦、前方3キロメートルに接近。ドライヴも最新の物ですね……キイ、〈黒の薔薇〉の頭領、ラミーザと名のる者から通信が入っています』
「接続」
『了解』
 メインモニターの映像がサブモニターのひとつに追いやられ、替わって、灰色のブリッジが画面上に広がる。その中央から鋭い視線を向けているのは、高価そうな宝石つきのアクセサリーを着け、黒いドレスを着た、20代後半ほどの女性だった。飛び抜けて美人というわけではないが、豪奢な雰囲気で人目をひきつけるインパクトがある。〈黒の薔薇〉は、まさに彼女のためにあるようなことばだった。
『あんたが、何でも屋のキイだね』
 前置きもなく、責めるように決めつける。その声には、人に命令し慣れた者が持つ、一種の風格が備わっていた。相手が気弱な者なら、その声とことばだけで屈服できるかもしれない。
『マルシェを出しな。アイツは、あたしが育ててやったんだ。あたしは保護者だよ。嫌だってんなら、タダじゃ済まさない』
『キイ、どうします?』
 ゼクロスが、こちら側にだけ聞こえるように言った。一時的に音声が一方通行になる。
「仕方ないさ。マルシェの部屋とつなげて」
 ゼクロスは少し心配そうだったものの、キイは、マルシェなしで進める気にはならなかった。少女の覚悟を見るためにも。
 マルシェの部屋がネットワークに接続し、縦に分割されたメインモニター上に映し出された。
 アップで現われたのは、憎しみの表情。
『あんた……よくも、よくもあたしの前に顔を見せられたね!』
『何を言ってるの? 途方にくれていたあなたを5年も養ってあげた恩は忘れたの?』
 女頭領は、猫なで声を出した。あまりに嘘臭い、張りぼての母の顔である。
『何が、養ったよ……道具として利用するために、あたしをさらったんじゃない! この人さらい!』
 手が届くなら殴ってやりたい、というかのように、マルシェは紅潮した顔を画面に近づける。握り締めた手は震えていた。
 このままではラチがあかないと見てか、ラミーザはキイに視線を向ける。
『今は動揺しているみたいだけど、本当は家に帰りたくて仕方がないはずよ。さあ、彼女を渡して。でないと、力づくで渡してもらうことになる。いいかい、これはマルシェのためでも、あんたたちのためでもあるんだよ――』
 嘘だ。
 と、マルシェは思った。何もかもが嘘だと。
 だが、ことばにならない。頭が真っ白になっていた。
 しかし、不意に彼女は気がついた。ここでキイが彼女を渡せば、彼女は始末されることになる。目撃者であるキイたちも消されるだろう。そういった容赦のないやり方を、少女は幾度となく見てきた。
 逆に、キイがマルシェを渡さなかったとしても――。
 彼女が抜け道のない思考の迷路に入りきる前に、澄んだ声が、ラミーザが並べ立てる脅しのような説得のことばを遮った。
『あなたの言うことばには、論理的証拠がありませんね』
 淡々とした声だった。突然の美しい声に一瞬目を見開いたものの、ラミーザは怒りをあらわにする。
『何だって!? せっかく下手に出てりゃ、チャンスをフイにする気かい!』
『マルシェの心拍数、表情、ことば、仕草、どれをとってもあなたに対する怒りと恐れしか見当たりません。それに、あなたには瞳孔の収縮が見られますね。嘘をついています』
『こいつ……!』
 ラミーザは、舌戦での不利を悟ったようだった。
 唐突に、通信が切れる。3機の戦艦のうち、2機がそれぞれ左右に陣取る。
 終わった、と思うと、マルシェは不意に身体の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。どこか遠くで、ゼクロスの声が聞こえる。
『キイ、ごめんなさい』
 人工知能は、勝手に口出ししたことを謝った。しかし、後悔している風ではない。
「謝ることはないよ。どうせこうなったさ」
 キイも気にしていない様子で言って、映像に集中する。
「ブラスターが来るかな。戦闘機動開始ってことで」
 左右の戦艦がレーザーと魚雷を撃ち始めた。それに紛れ、攻撃機能を持つ探査艇も射出される。闇に溶け込む全長数メートルほどの円柱が、不気味にゼクロスの周囲を探った。だが、それも白銀に輝く環、CSリングの内側には侵入できない。
 ブラスター充填の時間稼ぎのためか、左右の戦艦は集中砲火を浴びせる。それもすべて、バリアに阻まれるが。
 そんな中、一旦退いた探査艇が接近してきた。それも、周囲を漂っていた3機すべてだ。
『どういうつもりでしょうか?』
「ああ……罠を仕掛ける気か。後退」
 CSリングで機体後方の探査艇を叩き壊しながら、ゼクロスは後退する。
 だが、キイはサブモニターの映像を注視していて気づく。CSリングが触れる直前、探査艇は自ら爆散した。
 視界が遮られて、ゼクロスは後退しながら、とっさに機体を回転させる。部屋のモニターで外の映像を見ていたマルシェは目を回しかけた。
 その隙に、ブラスターが発射される。蒼白い光が画面を染め上げた。
 直後、横殴りの衝撃。一瞬照明が消える。
 ベッドに座っていたマルシェは、無意識のうちに、シーツを握りしめていた。
「大丈夫なの……?」
 元通りに明るくなった部屋を見回し、少女は心細げに問い掛ける。
『ええ。尾部、小破。ちょっと油断しましたかね。探査艇はこのために用意された特注品でしょう。やはり、最初からやる気だったようです』
 自らを分解した探査艇は、あらゆる方法でセンサーを妨害しようとした。太いブラスターをなんとかかわし、耐え切ったゼクロスは、細かな立方体の群れが漂う領域から、一旦大きく離れて間をとる。
 勝てるのだろうか、とマルシェは思った。相手は戦艦であり、3機である。質も量も向こうが上に思えた。彼女は、5年もの間、〈黒の薔薇〉の戦艦の威力を目にしてきたのだ。
 それでも、大丈夫、と思わせるものが、キイとゼクロスにはある。
『再充填には時間がかかるだろう。今のうちに終わらせようか』
 キイが、余り緊張感のない声で指示するのを、少女は耳にする。
『そうですね。時間と労力が惜しい』
 自らのパートナーにそう答えると、ゼクロスは頭領の戦艦を見下ろすような位置に滑り込んだ。そして、狙いを定め、角度を変えて急降下。
 衝撃が敵艦を震わせた。リングが戦艦の兵装に食い込み、大きな亀裂を走らせた。4門あるレーザー砲の半数が砕け、ブラスターの接続部に黒い穴が口を空ける。敵艦の状態をスキャンすると、紺の翼の船は火花を尾のように引きながら、CSリングごと後退する。
『敵艦、完全に戦術システムを停止しました。戦闘機能以外に損傷はありません』
 終わった、とマルシェは思った。この戦いが始まった時に思ったのとは、別の意味で。
 そして、自分の世界が今までどれだけ狭かったかを知る。彼女の世界で唯一絶対の存在だった〈黒の薔薇〉も、しょせんはこの程度のものだったというのだろうか。
 あるいは、何でも屋が数段上なのか。
『キイ。逃げるつもりのようですよ』
 ゼクロスの声が、茫然としていたマルシェを現実に引き戻した。
 画面上で、傷ついた闇色の戦艦が後退していく。このまま逃げられては、またマルシェが狙われることになるかもしれない。
 キイは指示を下そうと、口を開きかけ――閉じた。
 彼女の視線の先、画面の端に、いつの間にか、灰色の中型船が現われていた。そして、似たような船が、小惑星の陰から次々と現われてくる。
 その船は、どれも同じ紋章を刻んでいる。
『GP、ですか。ずいぶん手回しがいいですね』
 そう不思議がるゼクロスをよそに、キイは、画面を真剣なまなざしで凝視しているレベリーを盗み見ていた。

 結局のところ、何でも屋にとって、この仕事など多くの日常的な仕事のひとつに過ぎないのだ、とマルシェは思った。犯罪組織のなかにいたことも普通ではないが、そこにあるのは閉じた世界であり、彼女は、外界との差を知る機会がなかった。
 その、彼女の世界が開かれる。薄らと面影を覚えているだけの、父との接触によって。
『GP刑事が時間に遅れるとは思いませんが……』
 GP本部のある惑星ルーギアのパーキング・エリアは、淡く緑色がかった太陽の光に染められていた。〈黒の薔薇〉とそれを捕えたGP戦艦は別の専用エリアに着陸したため、このエリアに存在する人間は現在、ゼクロスに乗船していた3人だけである。
「仕事で忘れられたのかもね」
 マルシェは、自嘲気味に言った。
 犯罪者に組みしていた娘のことなど、表沙汰にしたくないに違いない。見捨てられても仕方がない、と彼女は思った。
「まさか」
 と否定したのは、レベリーである。彼は帽子を取ってマルシェに向き直り、
「子どもの顔を忘れるわけないじゃないか」
 そう言って、少女を見た。
 少女は、その視線を受け止め、目を丸くして見返す。
 忘れ得ない、脳裏に刻まれた顔だった。
 組織に連れ込まれてしばらくの間は、必死に忘れようとしていた顔。もう決して会うことはできないとあきらめていた相手。
「父さん……」
 マルシェはただ、立ち尽くしていた。涙も出てこなかった。相手に駆け寄って触れたくても、身体が動かない。
 それでも、彼女のしたいことを、相手がすべてやってくれた。

『キイ、レベリーさんのこと、気づいていたんですか?』
 シグナ・ステーションに引き返す艦の中で、ゼクロスは疑問を口にした。
 賑やかだったブリッジも、今は唯一のクルーの姿のみとなっていた。ずっとブリッジの映像を見続けているゼクロスにとっては、いつもの、変わりない光景。
 行きに読んでいた本は読み終わったのか、キイは、今は『必殺必虫! 知って得する害虫駆除』と題された本をめくっている。
「ああ、依頼のタイミングと、《時詠み》のことばを聞いてなんとなくね。《時詠み》は私たちがステーションによることと、すぐ出発することを知ってただろう。つまり、父親が我々に依頼することも知っていたんだろうな」
『なるほど……。でも、GPがよく、あれだけの人数を割きましたね』
「人情ってヤツだね」
 それだけの人望がある父親なら大丈夫だろう、と、キイは小さく付け加えた。
『とにかく、よかったですね。安心しました。これでマルシェも……』
 言いかけた声が強張った。
 カサカサという音がかすかに鳴り、ブリッジの白い床を、黒光りする生物が横断する。
『く、黒い狂気……』
 と、息も絶え絶えな調子で言い残して、ゼクロスは黙った。
 平然と本を読んでいたキイが苦笑したかに見えた直後、本を丸めてしゃがみ込み、コンソールの下を叩く。
 ひっくり返った黒の狂気を摘み上げると、キイはそれをじっと眺める。その手の知識のある者なら、奇妙に光る部分や不自然な穴から、それがカメラと盗聴器のついた自律型探査機の一種であると見抜いただろう。
「間違ってもう一匹の……本物のほうを落とされたらどうしようかと思ったよ」
 誰も聞いていないのをいいことに、彼女はそう呟いた。

FIN


Copyright (C) 2003 Kimy. All rights reserved.

その花の名前は

短編

  Choosing of girl -何でも屋の日常-

 Kimy

番外編紹介:

 何でも屋のキイ・マスターとその相棒の宇宙船ゼクロスは、犯罪組織から抜け出した少女を送り届ける依頼を受ける。少女は、組織に追われていて――。読切SF短編。

注意事項:

注意事項なし

(本編連載中)

(本編注意事項なし)

◇ ◇ ◇

本編:

ムーンピラーズ

サイト名:

Satrdust Station


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