DRAGON BLEST 番外編
優しい絆
written by Kimy
無数の太い四角柱が、天空に向かって乱立している。今日は霧が出ているためか、石柱の先端は白いもやに隠れて見えなかった。
神聖フィアリニア王国南部の、石柱林。数多い遺跡を内包する、秘境の地である。この神秘的な風景の中を、二人の、それに相応しい容姿の旅人が歩いていた。
「古文書によると、大体この辺りなんだけどな」
ラベンダー色の長い髪に、鮮やかな赤い瞳。整った顔立ちの青年が、石柱を見上げる。マントをまとった背中には、竪琴と、美しい装飾が施された槍を背負っている。
「シリス、本当に、まだ光神樹が残ってると思うの?」
石柱の陰に隠れていた若い女が、相手に歩み寄りながら吟遊詩人の名を呼んだ。
深い海を思わせる蒼く長い髪に、健康的ながら白い肌。白い涼しげなワンピースは、女神の姿そのものを思わせる。両耳の雫型のイヤリングが、飾り気のない服装に華を添えていた。もっとも、それも必要ないほどに、彼女の容姿は人目を引かずにはいられないものだったが。
「ああ、リンファ。最後の一本だろうけどね。現に、オレはその魔力を感じてるよ」
「魔力は、わたしも感じてるけど、ここは魔法の遺跡が多過ぎて何の魔力かわからないの」
何せ、フィアリニアは魔法大国である。超魔法文明時代の遺跡が多いナーサラ大陸の中でも、もっとも魔法に関連した遺跡が多く出土している。
「でも、光神樹は、人が近づくと守護者である聖霊が現われるはずね」
光神樹。今では神話の中にしか見ることができないという、魔力をまとった木だ。年月をかけて自然の霊力と大気の魔力を吸い上げた光神樹に成る実は多くの病を治し、生命に活力を与えるという。そして、その種は魔術師が魔法を使うときに消費する精神力を助ける魔力の結晶、魔力石となる。
二人の狙いは、その、魔力石だった。
「でも……その聖霊が、大人しく魔力石を渡してくれるかな」
言いながら、不意に、シリスが背中の槍の柄に手をかけた。リンファが羽音につられて見上げると、黒い鳥が頭上を飛び去っていく。
それを見届けると、吟遊詩人は、ふう、とひとつ息を吐く。
だが、急に手を引かれて、その表情に再び緊張が走った。
「お兄ちゃんたち、冒険者の人?」
一方、後ろからかけられた声は、緊張感の欠片もないものだった。
振り返ったシリスの視界に、十歳前後の少年の姿が映る。三角帽子をかぶり、茶色の巻き毛から先のとがった耳をのぞかせたその姿、そしてこのような場所に一人でいることからしても、人間ではないらしい。
「そんなところだけど……きみは、聖霊なのかい?」
シリスの問いに、少年は首をかしげる。
「ぼくは、エランだよ。聖霊って、木についてる人のこと?」
「そう、光神樹の守護者よ」
リンファが歩み寄り、油断なく少年の動作を見守りながら言う。
エランと名のる少年は、彼女の警戒に気づいた様子もない。
「そっか。その人なら知ってるよ。ついてきて」
シリスの手を放すと、石柱の間を歩き出し、手招きする。それに従い、シリスとリンファは一度目を見合わせてから、追いかける。
二人には、周囲の景色をぼやけさせる霧が、徐々に濃くなってきたように思えた。
エランが迷いのない足取りで進んでいくのについていくうち、周囲の石柱がまばらになる。
「あれがそうか」
行く手の石柱の向こうから蒼白い光が洩れているのを見て、シリスがつぶやいた。三角帽子の少年は、光が見えると、その元へ向かって一直線に駆けていく。
それを、慌てて足を速め追って間もなく、視界が開けた。
小さな、蒼く光る泉の中心に、枯れかけた木が根を張っていた。枯れかけてはいるものの、その幹は黄金色で、周囲の石柱を圧倒する存在感を放っている。
その幹の前に、半透明な、長い髪の少女の姿があった。彼女はシリスとリンファの姿を見ると、一瞬、緊張したように表情を硬くする。
「あなたたちは、誰?」
警戒の色がにじむ、頭の中に直接響くような声。
「あ……オレはシリス。こっちはリンファ。旅の者だよ」
リンファが何か言いかけるなり、シリスがそれを制して名を名のる。
「きみは、この光神樹の聖霊なのかい?」
「駄目!」
突然、少女の表情が一変した。彼女の目は、自身の背後に向けられている。
そこには、ぼんやりとした表情で立ち尽くす、エランの姿があった。一見、考えごとでもしているかのように空中を眺めているだけだが、その身体にまとった奇妙な瘴気に、旅人たちは気づいていた。そして、人間、それにもともと人間より高い魔力を誇る妖精でも持ち得ない、ほどの魔力が少年に収束していく。
「なに……? 魔族? どういうことかしら?」
胡散臭そうな目を向けていたリンファがエランの魔力の高まりを感じ取り、腰に吊るした細身の剣、レイピアをスラリと抜く。
「エランは……はるか昔、〈千年の魔術師〉と呼ばれる人に記憶と魔力を封じられたの。そして、わたしは時間をかけて、エランの魔族としての力を浄化しようと……」
「それも、まだ完全じゃないと」
聖霊に言いかけたところで、シリスは背中に手をやりながら、一歩、跳び退く。
エランが強力な跳躍力を見せ、吟遊詩人の目の前の大地に手刀を見舞った。地面がえぐれ、土くれが飛び散る。相手からさらに間合いを取りながら、シリスは背中から、蒼白く輝く槍を跳ね上げた。先端に、刃のついた翼を背中にした女神像がついた、デウスと言う名の封魔槍である。
エランが喉の奥から人のものとは思えない雄たけびを上げ、シリスに突進する。その目からは、理性の光が消えていた。
「魔族として与えられた本能が残ってるの。それで、自分に関係のあることばを聞くと、魔族としての使命を果たそうとするみたい……彼の意思じゃない、殺さないで!」
祈るように手を組み合わせて、聖霊が叫ぶ。
一二〇〇年ほど前、大天神ルテと邪神セイリスが、それぞれの軍勢を率いて戦い争った。セイリスに〈不老の秘宝〉の欠片を与えられた者が、魔族として戦線に加わった者だ。
一方、光神樹は魔族とは相容れないもの――のはずである。
それでも、この聖霊の少女は、本気でエランの身を案じているらしかった。
「殺さないよ」
苦笑交じりに言い、槍の石突きでエランのみぞおちを突く。少年の軽い身体は簡単に跳ね飛ばされるが、まるで猫のように宙で身をひねり、隙を見せることなく着地した。
注意を引き付けるために、今度は自ら近づくシリスの背後で、リンファが防御魔法を解放する。
「〈マナウォール〉」
半透明な光の膜が広がり、丁度エランが左手で投げ放った赤い光球が、吸収されるようにして消滅する。
「今までもこうなったこと、あるんでしょう? 止める方法はないの?」
レイピアをかまえたまま、リンファが聖霊の少女に目をやる。
「ええ……一度眠らせて、起きた時には元に戻っていました。今までは、わたしが木の魔力を使って眠らせましたが……この木は、もうほとんど魔力が尽きて……」
「そう」
短く答え、女魔術師は視線を移す。
シリスは何度もエランに打撃を加えるが、魔法や体術で寸前のところで急所を外されているらしく、気絶させることはできていない。魔族だけあって、肉体の耐久力自体もかなりのものだ。
ここは、心を鬼にして少し強力な一撃を加えなくてはならない。相手の実力を測って、シリスもそのことに気づいているのだろうが、彼にはどうも、少年を本気で攻撃することができないらしい。
ここはわたしの出番、と内心確信して、リンファは密かに苦笑する。その笑みから読み取れる感情は、決して、嫌なものではない。
だが、すぐに無表情に近い顔に戻り、素早く呪文を唱え、破壊と魔を司る緋の月の力を導く。
「〈エアボミング〉」
爆風が少年を襲う。狙いを外さないため、シリスはぎりぎりまで少年を足止めして、後ろに跳んでから地面を転がる。
エランは背中から石柱に激突し、地面に落下して動きを止めた。その額から、血が流れ落ちる。
「エラン!」
聖霊が心配そうに、倒れた少年の名を呼ぶ。彼女は、光神樹のそばを離れられないらしい。
「今、治療を……」
シリスがよろめきながら立ち上がり、少年のそばに屈みこむ。呪文を唱え、再生と癒しを司る蒼の月の力を借りた魔法でも代表的な神聖魔法、〈ヒーリング〉を解放する。
あたたかい光がエランの身体を包み、その負傷を癒す。治療が終わると、シリスは少年を楽な姿勢に横たえ、脈を確かめた。
「これで大丈夫のはずだね」
ほっと息を洩らし、聖霊に目をやる。
少女は、小さくうなずいた。
「ごめんなさい……でも、悪気はないの」
「いや、オレたちが来なければ、こうはならなかったんだろうし」
と、シリスが苦笑交じりにパートナーに目をやると、絶世の美女が顔をそむけた。
「ところで、きみは? まだ、自己紹介してなかったな……オレはシリス、こっちはリンファ。やはり、聖霊かい?」
「ええ。わたしの名前は……わたしは、名前無きもの。光神樹の聖霊の、最後の生き残りです。シリスさん、リンファさん、ありがとうございました。何か、お礼をできればいいのですけど」
少女は改めて、頭を下げた。
「礼には及ばないよ。こっちがお詫びしないといけないくらいだし……ま、せめて早く退散しようか。どうしようもないからね」
光神樹の実も、魔力石も期待できそうになかった。それどころか、もうすぐ、この木は魔力を失い、枯れるだろう。
そうなると、エランは浄化されず、魔族の本能に支配されるのではないだろうか。
ふと気づいて、吟遊詩人は口を開く。
「リンファ……エランの魔族としての本能を封じる方法、他に知らないか? もしかしたら、この木が枯れて……」
「何せ、伝説にも記された〈千年の魔術師〉の封印がされてるんだもの、それ以上の方法はないと思うの」
魔術師が言うと、シリスは明らかに落胆した様子で、溜め息を洩らす。
それをしっかり眺めてから、リンファは続けた。
「でも、その封印を二重にすることで、強化することくらいは可能よ。記憶を呼び戻す要素を減らすことはできる。でも、この木が滅びれば、結果は同じかもね」
「それじゃあ……」
「ま、わたしたちの魔力を分けてあげれば、数年は持つんじゃない? そうすれば、エランの浄化もだいぶ進んではいるみたいだし、希望はあるかもね」
聖霊が、思いがけないことばに驚愕の表情を浮かべる。その一方で、シリスは満足そうにほほ笑んだ。
「いくらでも分けるよ。数年後にまた来れば、枯れることもないし」
何の躊躇もなく手をかざし、精神を集中して魔力を引き出す。彼とは違い、リンファは仕方なさそうな表情を隠さないまま、枯れかけた木に魔力を注いだ。
「ありがとう……」
礼を口にしながら、少女は一滴、透明な涙を流した。
「なんだか、疲れただけだったみたいね」
徐々に霧の晴れてきた石柱林を歩きながら、リンファがあくび交じりに言う。
実際、魔力を限界近くまで分け与えたことで、二人は疲労感を感じていた。もっとも、まったく実入りがなかったことで肩を落としているリンファと違い、シリスのほうは心地よい疲労を感じている風体だが。
「まあ、これでエランも浄化されて、何にも支配されない人に戻れるようになるさ。禁じられたことばさえ耳にしなければ」
「……もっとも禁じられてることばは」
言いかけて、リンファは黙った。
シリスは先を歩きながら、何も言わず、彼女のことばの続きを待つ。
「彼女の名前でしょうね」
「それって……」
ことばの続きを受け、吟遊詩人はわずかに振り返る。
「彼の魔族としての使命が、あの木を滅ぼすことだから?」
「でしょうね。だから、一番、エランの魔族としての本能を呼び起こすことばが、彼女の名前なの」
「何だか、哀しい絆だね」
聖霊の少女は、自分を滅ぼしに来た魔族の少年を浄化する。だが、彼女は決して、自らの名を名のることはできない。
彼女は長い間、偽りの名と物語で、少年をつなぎ留めてきたのだろう。その宿り木の魔力と自分の命を削りながら。そうまでしてでも、彼と離れたくなかったに違いない。忘れられた光神樹に宿る、永遠に近い時を生きる聖霊の孤独は、限られた生命には想像できない。
「でも、浄化が終われば、本当の名前で向き合えるさ」
若い旅人はほほ笑み、石柱の輪郭を頂きに向け、目で追う。
晴れた霧と雲の隙間から、あたたかい陽の筋が差し込んだ。
FIN.
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本編情報 |
作品名 |
DRAGON BLEST
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作者名 |
Kimy |
掲載サイト |
Stardust Station
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注意事項 |
年齢制限なし / 性別注意事項なし / 暴力表現あり / 連載中
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紹介 |
消魔大戦で四つに分かれた世界、セルティストの〈フォース〉を旅する者たちの異世界ファンタジー。吟遊詩人シリスと魔術師リンファは、最近発生している魔族襲撃事件に関心を持つ。そんな中、傭兵ザンベルと少年魔術師ロイエに出会い、同行することに。
彼らの行く先に、源竜魂(ドラゴンブレスト)をめぐり、聖獣王ゼピュトルや〈千年の魔術師〉セヴァリーなど、異質な者の気配が見え隠れする。果たして、事件の真相は。 |