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> ほう、それが正体か
エアカーは、ある宇宙船の側面に停止した。この手軽さは屋内のきちんとした港に無いものだな、と思いながら、キイは客人たちを側面ハッチから降ろされたラダーに先導する。当の客人たちはというと、ラダーが降りきるまでの間、じっと宇宙船に見とれていた。周囲の飾り気のない船に比べて余りに目立ちすぎる船だ。無理もない話である。
キイがラダーを登り始めると、慌てて3人も後を追った。
機内に入りきると、自動的にラダーが引き上げられ、ハッチが閉まる。それほど大きな音ではないが、ハッチが閉まりきった音に、カレンはビクッと振り返った。
通路は、大人2人が並べる程度の幅はある。屋敷に比べるとますます落ち着いた印象を受ける通路を歩き出して間もなく、どこからともなく響いた美しい声に、客人たちは再び不意を突かれる。
『皆さん、宇宙船ゼクロスへようこそ。私はこの船の制御システムです。どうぞ、船の名で、ゼクロスとお呼びください』
「……話には聞いていたが、ここまでのものとはね」
驚きが去ると、イルクは感嘆を表わした。スレイも、口笛を吹く。
『皆さんのお部屋はすぐそこです。何かあれば、私にお尋ねください』
3人は、それぞれクルー用の個室に案内される。どの部屋も、一般的なホテルの部屋に比べて遜色なかった。バイラーグの屋敷の部屋に比べると少し狭いが、必要は充分満たしている。
「ごゆっくり。私はブリッジにいるので、何かあればどうぞ」
客人たちが船に慣れる時間を与えるのと、自身が少し仕事から解放されたいというのもあって、キイは3人組から離れた。向かう先はことば通り、ブリッジだ。
彼女は艦長席に座ると、針路を確認する。すでに船は大気圏外だ。音も振動もなく、客人たちは発進したことに気づかなかっただろう。
レブリオ29までは、通常ドライヴモードで18時間ほどだ。急ぐこともないので、船内で一泊しながら向かうことにする。
「レブリオ29か……聞いたことのない星だけど、何かあるのかい?」
機体にも異常がないことを確認すると、キイは頭の後ろで手を組み、視線を天井に向けた。
彼女のことばに反応が返るまで、数秒の間が空く。
『ええ……どうやら、遺跡と、その研究施設があるようですね。寒冷な惑星で、長らく放って置かれていましたが、4年前に遺跡が発見されてから、多少は注目されています。……とはいえ、専門家以外は、あまり関心を持っていないようですが』
「街もないのか……」
一体、そのようなところに何をしに行くのか。3人の客人たちは、探検家にも、研究者にも見えなかった。荷物も、数日ホテルに泊まる程度のものだ。
だが、それは詮索することもない。何でも屋は、依頼された仕事だけをやっていればいい。
溜め息を洩らし、キイは組んでいた手を下ろして姿勢を正した。
「それはいいとして……ゼクロス。どこか異常でも?」
『え……』
戸惑ったように少しの間沈黙してから、彼は声を落ち着かせてようやく応じる。
『大丈夫ですよ。少し疲れているだけです』
「仕事はまだ、始まったばかりだよ。待ってる間に疲れたのかな」
『初めて訪れた惑星ですから、無意識のうちに緊張していたのですよ』
あんなに気に入っていたくせに……と思いながらも、キイは深く追求しなかった。
誤魔化すようなタイミングで、ゼクロスは客人からの要望を取り次ぐ。
『キイ、イルクさんがブリッジを見学したいそうです。許可しますか?』
「あいよ」
キイは思考に時間を使うことなく、即答した。
間もなくブリッジのドアがスライドし、通路で待っていたハンサムな青年が踏み込んでくる。それを、キイは立ち上がって迎えた。
端正な顔をした青年は、屋敷にいたときよりも動きやすそうな服に着替えていた。白い服に、金髪がどことなく高貴な雰囲気を漂わせている。
「お邪魔してすみません。最先端を行く宇宙船というのを、是非色々と見てみたくて」
「どうぞ、気が済むまでご覧ください。質問があれば、答えられる範囲でお答えしますよ」
「それはありがたい」
イルクは笑顔を見せ、まず、グルリとブリッジ全体を見回す。
「シンプルなのは、やはり自律制御のためでしょう。それにしても、席の数の割にモニターは少なめですね」
「予備モニターは4つ、壁に内蔵されていますよ。まあ、実際はクルーは私だけなのだし、足りなくなることもないでしょう。全面モニターの展望室もありますし」
「展望室か。後で是非、見学したいな」
彼の申し出に、キイは、いいですよ、と軽く請合った。
イルクは次に、モニターとその表示の見方を質問した。キイは素直に答え、青年は表示を読めるようになると、手動入力操作について質問する。船のオーナーはこれについては少し慎重になったものの、重要なところはうまくぼかして、丁寧に教えてやる。
「まあ、大抵は最終判断を下すのは中枢だし、入力も手動ではなくことばでこと足りるから、余り使わないんですがね」
逆に、決してゼクロスが逆らえない入力の方法も存在する。だが、さすがにそれを教えることはしない。
「戦艦ではないと聞きましたが、なかなかの兵装を備えておられる……すべて、最新のものですか。〈リグニオン〉の技術が惜しみなく使われているのでしょうね」
「まあ、予算の関係もありますし、進歩の速い分野では世代の遅れてしまったものもありますよ」
「例えば?」
「例えば……」
何気なく訊かれて、キイは一瞬目を細め、
「演算装置とか」
溜め息と同時に吐き出すように言う。
「ほう。確かに、進歩の速い分野ですね。計算自体高速化していますし……。じゃあ、そろそろ私は、展望室を見学してみたいな。案内、頼めるかい?」
イルクは、視線を上に向けた。一瞬の間を置いて、感情の稀薄な声が応答する。
『はい、もちろんです』
その答を聞くと、青年は愛想のよい笑みを浮かべて、「じゃあ、これで」とキイに軽く手を上げて見せ、ドアに向かう。
「おっと」
ドアは、ブリッジの中央部より、ほんのわずかに高いところにあった。ドアの手前にある小さな段差に運悪くつまづいたのか、イルクは転びかけ、踏みとどまる。
同時に、彼の懐から、1枚のハンカチが落ちた。いくつもの石像が周囲を囲み、中心に紋章のようなものが描かれた、なかなか見かけないようなデザインだった。
「大丈夫ですか?」
イルクはキイが歩み寄る前に、少し慌しくハンカチを拾い、ポケットに突っ込む。そして、一見今までと変わりない笑顔を作った。
「ええ、大丈夫です。ありがとう。それでは、また後で」
青年は少し早口に言い、今度こそ、ドアの向こうに姿を消す。
客人がいなくなると、キイは艦長席に戻り、身体を預ける。
「ゼクロス?」
『……何の御用ですか』
「まさか、世代遅れだと言ったのを怒ってるのか」
『いいえ。本気で言ったわけではないでしょう。あなたは、彼の振る舞いに何か普通ではないものを感じていましたね』
いつもと様子の違うゼクロスだったが、その能力が低下しているわけではないらしい。当然、世代遅れの演算装置でそういった思考をしているはずもない。
キイはほっとしたのか、不満なのか、よくわからない溜め息を洩らした。
「尋問されている気がしたよ」
『何か、仕掛けているようですね、彼は。……キイ、あの紋章を見ましたか?』
「いいや、何も」
『あれは、異人館の正当な所有者に与えられる紋章ですよ。確か、息子がいるとは聞いていましたが……』
キイは、少しだけ目を見開く。だが、表情の変化はそれだけだった。
「怪しい。警戒し過ぎて損はない」
『慌てぶりを見ると、知られてまずいことでもあるのでしょうか』
「あるいは、逆かもしれないよ」
独り言のようにぼやき、キイは頭の後ろで手を組む。
彼女のことばを、いつもと違って、ゼクロスは追及しなかった。
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> 変人は誰だ
出発してから、10時間余りが経過した。出発後数時間以内に、3人の客人たちは眠りについていた。そろそろ、皆起き出すくらいの時間帯である。
キイも、軽く仮眠を取っている様子だった。艦長席の背もたれを倒して、顔に開いたままの本を載せている。
そうして人間たちが意識を夢の彼方にやっている間も、船はわずかなずれもなく、予定された航路を辿っていく。それは宇宙船の航法コンピュータに与えられた極基本的な機能であり、何か異常を察知した場合はともかく、普段は、ゼクロスというパーソナリティ特有の能力を使うまでもない。
しかし、今回は、ゼクロスは眠っていなかった。
『……キイ、起きてますか?』
一見したところ、キイは熟睡している。だが、彼女がいつも外見を裏切ることを、ゼクロスは経験上知っていた。
そして、案の定、即座に反応が返る。
「あいよ。何かあったかい?」
キイは明瞭な声で答えると、本を手にとって身を起こした。
『スレイさんと、イルクさんが部屋にいません。おふたりとも、通路をうろうろしていますが』
「変だな。ケンカしてるわけではないんだね?」
『ええ、別行動です。居場所を表示しますか?』
「頼むよ」
キイがうなずくと、モニターの映像が切り替わる。機内の略図に、2人の位置が点で表わされていた。
「ふーん、なるほど」
スレイがうろついてるのは、貨物室の前だった。そして、イルクがうろついているのは、ドックの前である。
「ゼクロス、とりあえずスレイと接続」
『どうぞ』
「どうしました、スレイさん? 用事があるなら、言ってくださればいいのに」
メインモニターの映像が、通路のスレイに変わっていた。スレイは、天井からの声にビクッと驚き、目を見開く。
『い、いやちょっとな……食い物を探して』
『それなら、私にお申しつけください。そのほうが、手間がかかりませんよ』
『ああ……慣れてないもので』
ゼクロスのことばに、スレイは頭を掻くと、自室に戻っていく。冷蔵室の食料は、どの部屋にも配送できる。
間もなく、通路との接続が切られた。
『ドリンクやファーストフードの配送くらいは、宇宙バスなどでも珍しくないはずですが……変ですね』
「だな……嘘をつける人には見えないが。ま、問題は次だ」
と、キイが言うなり、ゼクロスが声の調子を変えて告げる。
『そのことなのですが、キイ。イルクさんが、ドッグの見学許可を求めています』
キイは、一度答えかけてから口を閉ざし、じっくりと考えをめぐらせた。
そして、首を横に振る。
「企業秘密だから遠慮願いたい、と伝えてくれ」
『そうですか? 見せてしまってもいいと思いますが』
「いいや。却下」
『どうしてです?』
「それは、向こうさんの質問かね」
『いいえ、私のです』
キイは内心、少しだけひやりとしたものを感じる。だが、表面上は平然と、時間を置いて答えた。
「私が嫌だから」
『……わかりました』
納得したのかあきらめたのか、ゼクロスはイルクにキイの意志を伝えたようだった。略図の中で、イルクを表わす点が部屋に帰っていく。
沈黙が、しばらくの間ブリッジを満たし――
『キイ?』
「なに?」
『何をしているんです?』
ゼクロスは怯えていた。その恐怖の対象は、ここではキイの他にあり得ない。
「ゼクロスは敏感すぎてやりにくいや」
キイは、ASを使って機内のシステムに走査を走らせていた。
「疲れていると思って」
『ええ、自分のことくらいわかっていますよ。あなたも疲れているんでしょう、自分でもそう言ってましたしね。いつもと違う意味で、ちょっと変ですよ』
「それじゃあ、私がいつも変みたいじゃないか。まあ、私は」
いつものゼクロスなら、私に怯えるはずがない。こっちが心配になるくほど無防備なくらいなのに、と、笑みの裏でキイは思う。
「変だよ」
でも、いつもと違う意味でなのは、きみのほう。
と、彼女は心の中で付け加えた。
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> 取り返しのつかない失態
出発から、18時間。ようやくメインモニターの闇に白っぽい惑星が浮かび上がってきたころには、3人の客はブリッジに勢ぞろいしていた。
『慣性航行中。レブリオ29第3基地に着陸するまで、あと20分ほどお待ちください』
「意外に早かったな」
スレイが、白い惑星を興味深げに見つめた。
「なんだか、サービスの行き届いた快適な高級ホテルに1泊したみたい。観光業でもやっていけるんじゃないの?」
『ありがとうございます』
カレンの褒めことばに、ゼクロスは上機嫌に応じた。
レブリオの基地には、簡単な滑走路があった。ゼクロスは最も広い滑走路のある第3基地を選んで、慎重に降下していく。大気圏に突入し、間もなく、吹雪が視界を遮った。
それでも、ゼクロスの視界は充分確保されている。強風も、計算された姿勢制御の前には妨げにならない。
「はい、到着。基地内までお送りしましょう」
キイは、今回の依頼の最後の仕上げにかかった。
ドーム状の基地は、意外に大きかった。総勢20人が研究や調査を続けながら暮らしているなかに、3人が加わる。
「どうぞ、お元気で」
「ええ、そちらもね」
「機会があれば、いずれ」
3人は礼を言うと、与えられた部屋に荷物を運んでいく。
キイにとっては、なんてことはない、今までも何度も経験した、依頼達成の瞬間だった。いつもと変わりないはずの。
しかし、彼女は今回、奇妙なものを感じる。今立っている場所を動きたくないような。
彼女が所在無く灰色のドーム内を見回していると、近くにいた、青い制服姿の男が歩み寄ってきた。どうやらガードマンらしい。
「やあ、あなたが何でも屋さんですね。ここが珍しいんですか?」
「……いいえ、ただ、何だか帰りたくなくなる気がして」
キイが素直に応じると、ガードマンは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「閉鎖されている場所だから、家庭的な雰囲気や連帯感が生まれる、ということもありまして。そのせいかな……でも、逆もありますよ」
「逆?」
「外に問題があると、無意識のうちに逃げたくなるんです」
「……そうですか。どうも、ありがとうございました。失礼します」
「いえいえ。気をつけて」
キイは、急いで基地を出た。それでもまだ、急いで戻らなくては、という気持ちと、ここを出てはいけない、という気持ちに挟まれる。
何とか頭を空にして、彼女は、いつものブリッジの席に辿り着いた。直後、差し迫ったような声がかかる。
『キイ、あの、サリアスに戻るんですよね?』
「……ああ、そうだけども」
内心、キイは気が進まなかったが、戻らなければ真の依頼達成ではない。
『どうしても、戻らなければいけませんか?』
ゼクロスのことばに、キイは目を丸くする。
「きみ、あんなに気に入ってたじゃないか」
『ええ、そうなんですが……なんだか、サリアスに近づきたくなくて』
もしかしたら、自分もゼクロスも、ASによって何かの予兆を感じているのかもしれない、と、キイは一瞬思っていた。しかし、キイが〈ここをはなれたくない〉と強く思う一方、ゼクロスのほうは、〈サリアスに行きたくない〉という思いが強いらしい。
「……きっと、我々は疲れているんだ、働き過ぎだ。とっとと終わらせて、バカンスに行こう。ワープモードで戻るよ」
気乗りしないのか、ゼクロスは少し間を空けて、ドライヴを起動した。
『目標、サリアス。大気圏外に脱出後、ワープインします』
紺の翼は吹雪きのなか、ゆっくりと舞い上がっていった。
キイは、バイラーグの屋敷で、早々に依頼達成の確認を済ませ、ゼクロス機内に戻った。
『あの領主さんに確認できました?』
「いや。今、領主が出れないとかで、ミリマが確認してくれた。ところで、例の祭は?」
『そろそろ始まる頃ですが、見ていきますか?』
「すぐ出発しよう」
キイは今までにないほど即断した。ゼクロスも早くこの星を離れたいのか、素直にドライヴを起動する。
サリアスの景色が小さくなっていく間に、キイは、気になっていたことを尋ねてみる。
「今でも、あの音楽が美しいと思うかい?」
彼女の感性には到底合わなかった、儀式の音楽だ。ゼクロスはそれを、いたく気に入っていたはずだった。
だが、今は彼の声は沈んでいた。
『あの時は、そう思ったはずですが……よく、わかりません』
それきり、彼は黙り込む。
キイは行き先を指定していなかった。ゼクロスはとりあえず、通常モードでシグナ・ステーションの方向に向かっている。実際に通常モードで行くには、一週間以上かかるが。
「そうだ……ゼクロス。蛍を見に行こう」
『ホタル?』
興味をひかれたのか、ゼクロスの声が少しだけ、明るさを取りもどす。
「ああ。ラクサ系第5惑星の第6衛星。穴場だよ」
『聞いたことがありません……キイ、どこでそういう知識を仕入れるんです? いつもの怪しい本ですか?』
「年の功だよ」
『いくつなんでしょうね』
あきれながらも、活力のわいてきた声で、答え、針路を再設定する。
何でも屋の、何でもない日常。
そのつもりで、キイとゼクロスはバカンスをとることにした。
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> ちらちらと瞬くひかり
ラクサ系第5惑星には、十もの衛星がある。そのうち、3つが何らかの生命体存在の奇跡を起こしていた。それぞれが独自の美しい自然界を形成しており、位置が〈ミラージュベール〉を目の前にした外れでなければ、すぐに保護指定を受けていただろう。
最も、保護指定がなくとも、ここまで自然を荒らしに来る者はいない。ましてや、ホタルを見るためだけにここを訪れる酔狂な者となれば、なおさらだった。
白い雪のような植物に覆われた大地へ、少々場違いな、直線で結ばれた像が影を落としていく。天から現われた唯一の人工物は聖域を侵すのを恐れるように、静かに、時間をかけて降り立った。
「まだ早かったかな」
外の大地と同じく白を基調としたブリッジに、唯一のクルーの、気だるげな声が響く。キイは艦長席の背もたれを少し倒して、昔ながらの紙でできた本を読んでいた。表紙には、〈必見! 闇討ちスポット100選〉という題字が踊っている。
『まあ、あと数十分もすれば日が沈むでしょう。それにしても、変わったところですね』
かすかな昂揚感を表わした綺麗な声が、そう感想を述べる。
イノーテ、と名づけられたこの惑星には、美しい、それに温かい海があった。その海の大部分と陸上を、白い細かな綿毛を持つ植物がびっしりと覆い尽くしている。大地の凹凸にそって積もり積もった綿毛がそよ風に揺らぎ、綿のカケラを飛ばす様は、幻想的だった。そして、その光景が今、黄昏に染まっている。
時の流れをただ星のめぐりに任せる、のんびりとした時間が過ぎていく。
その長い時間を、キイは背もたれをさらに倒して、天井を見上げるような姿勢で本に目をやりながら、過ごす。しかし、実際は本の内容を読んでいるわけではなかった。
果たして、今回の依頼の真意は何だったのか。
それに、ゼクロスの異常の原因は……。
まだ、けりがついた、という気がしなかった。今も、ただの小休止の時間に過ぎないのかもしれない。
ならば、休める時に休んでおくか、と、彼女は結論づける。
『キイ? そろそろ、日が落ち切るところですよ』
注意を引くことばに、キイは上体を起こして、メインモニターに目をやった。すでに地平線にオレンジ色の光を残すばかりになった陽は、周囲からの紫紺に押し出されるように、見る間に薄くなっていく。
やがて巨大な光源が空から消えると、一気に夜闇が濃くなる。
その闇に、白い光が舞い上がった。
『あれがホタル?』
闇の中に、一筋の乳白色の光が伸びる。
それは、ひとつ、ふたつ、それ以上に増え、大地から天に伸び上がる幾筋もの光線と化した。一定の高度に達したそれらは、夜闇の背景に無数の予測不能な軌道を描く。
『綺麗ですね……まるで、星が踊っているみたい』
〈ミラージュベール〉が近くにあるだけに、上空には、満点の星々が輝いている。だが、地上の光の美しさは、それを圧倒していた。
そのまま、静かな時間が流れる。キイは、今日はここで一夜を過ごそうか、と思い始めていた。
だが、平穏な時間は唐突に終わりを告げる。
『キイ。よくないニュースがあります』
ゼクロスが、仕事中の、普段より張りのある声を響かせた。
『サリアスが宇宙海賊と思われる集団に襲撃された模様です。どうしますか?』
キイは、視線をモニターから外した。彼女の結論は決まっている。
「至急離脱。安全域でワープモード。目標サリアス」
心の奥でわだかまっている疑問を解決するチャンスだった。これを逃す手はない――そう思っていたのは、キイだけではない。
舞い踊る蛍の光に見送られるようにして、宇宙船は天への上昇を開始した。
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> 理由はたったひとつだけ
ワープモードを使用した小型宇宙船は、間もなくサリアスの大気圏外、衛星軌道のやや外に出現する。
『ワープアウト』
澄んだ声が告げる、短いアナウンス。
唯一のクルーは、その声の揺らぎに気づくが、あえて追求しなかった。
「前と同じところに駐機できるか?」
『わかりません……航宙モニターからの応答もないのです。破壊されたのかもしれません』
「海賊は?」
『惑星周辺には感知できません。すでに去った後か、まだ地上か……』
通常の着陸時より急いで、ゼクロスは機体を大気圏に突入させた。スピードを順を追って減退させるのももどかしく、一気にパーキング・エリアに降下する。
そして、地上すれすれでASを使用して重力制御を行い、見えないクッションを置いて着陸する。普段は決してしない、荒業だった。
メインモニターには、荒れた光景が映し出されていた。夜闇に隠されていた、パーキングエリア中に散乱する瓦礫と何かのバラバラになったような部品が、ゼクロスのライトに照らし出される。
いびつな建物の影の向こうが、赤く染まっていた。
『異人館の方角から火が出ている模様です。この辺り一帯にも、まだいくつも生体反応が……早く消火しなければ、巻き込まれます』
「では、雪を降らせようか。炎の上空に移動しよう」
ゼクロスは、心を支配しかけていた恐怖を、人々を助けたいという思いで押しやることに成功したらしかった。キイもそれを察して少し安心すると、モニターで、常備している消火剤の量を確認する。
「間に合いそうか?」
彼女の問いに、ゼクロスは数秒の間をあけ、
『はい……局所的に燃えているようですし、充分です』
自分を勇気づけるように言うと、オレンジ色の炎の真上に移動する。幸い風が強いため、黒い煙に巻かれずにすんだ。
ゴオオ、という大きな音が、下から強風とともに吹き付けてくる。それに耐えながら、消火剤を投下する。
炎がたてていた音が、一気に小さくなった。さらに消火剤を投下し、ゼクロスは完全に鎮火にかかる。
『……キイ? 何か聞こえませんか?』
突然、ゼクロスが不安げに問うた。だが、キイは何も、変わった音を耳に捉えていない。
彼女が口を開きかけた時――
『うっ!?』
キイは床に投げ出された。自ら衝撃の方向に転がって受身をとり、素早く席に戻る。
「被害は?」
『胴体下部中破。昇降装置破損。振動波で一部の回路にひずみが生じています……完全に油断していました。申し訳ありません』
「気にすることはない、迂闊なのはこっちも同じだよ……それで、どこから撃って来た?」
『異人館です』
防衛機能を活性化させながら、ゼクロスは、キイの予想通りの答を返す。
そしてキイはゼクロスの予想通り、異人館への移動を指示する。
異人館は、攻撃を受けたようだった。火の手は上がっていないものの、ところどころが崩壊し、煙を立ち昇らせている。もともと建物らしくないデザインのため、外観上はさして違和感がないが。
異人館に接近しながら、徐々に高度を落としていく。館の内部から、何度か砲撃があった。
『キイ、聞こえませんか? また、あの音が』
「音?」
再び、ゼクロスが奇妙なことを口走る。
『ええ、聞こえます……街のほうからでしょうか。丁度時間ですね。しかし、なぜこのようなときに……』
かすかに、キイの耳に振動が触れた。
それは、色々な耳障りな金属音を重ね合わせたような音だった。どこか悲しげで、そして、どこか、心の底に眠る狂気を呼び覚まそうとするかのような音色。
「ゼクロス。この音を聞くな」
キイは決然として言った。
『なぜです? キイ……この音色は……美しい』
キイは、目を細めた。
だが、異変はそれだけでは終わらない。
『いいえ……違います、こんなはずでは……私は……なぜ……』
ゼクロスの中で、何かと何かが戦っているようだった。彼は少しの間沈黙し、苦しげにことばを続ける。
『キイ……どうか、お願い、を……』
「ああ、何をして欲しい? 何でも言えばいい」
『私を、眠らせてください……決着が、つきません』
決着、というのは、彼の中のふたつの意思の葛藤の結末らしい、とキイは察する。その葛藤によるストレスに耐えられなくなったのだろう。
キイは、滅多に触れないパネルに手を伸ばす。
『ごめんなさい……』
宇宙船制御システムはどこか悲痛な響きを帯びたことばを残し、強制休眠モードに移行する。
キイは溜め息を洩らすと、自ら船の舵をとった。
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> ぬしは逃げた
紺の翼の宇宙船は、異人館の庭に降下した。砲撃はしばらく続いていたが、やがて、館の裏から、側面に紋章の刻まれたつやのない黒の小型船が浮き上がり、空の彼方に飛び去っていく。普段はそれを追跡しながら館の様子を調べられるのだが、今のキイはどちらかを選択するしかない。そして、彼女はすでに選んでいた。
館を取り囲む壁の崩れた部分から、キイは館の内部に侵入した。ガラスの割れた窓から通路に出ると、倒れた警備兵が目に入る。一見したところ外傷はないが、手首をとると、すでに事切れているのがわかった。
何かが焼けるような匂いに顔をしかめながら、大広間を目差す。荒れ果てた通路の天井付近には黒い煙が流れ、ところどころに、警備兵や、それ以外の者――ときには女子どもが倒れていた。
どの遺体も、外傷はないように見える。だが、キイは見逃しやすい、小さな傷に気づいていた。それは、胸やこめかみなどに空いた、極小さな穴だった。おそらく、レーザーによるものだろう。
もう、生き残っている者はいないのか。
人間の気配のなさの余り、キイはわずかに絶望を感じた。すべては、遅かったというのか……?
ここにいる理由を見失いかけたとき、彼女は、かすかな声を耳にした。
ドアが外れた入口から、戦いの跡が残る大広間に飛び込む。階段の裏から、見覚えのある姿が這い出て来た。
「ミリマ!」
メイドのミリマが、目を見開いてキイを見た。少女は左の肩を押さえ、足を引きずりながら、歩み寄ろうとする。
キイの見立てでは、彼女の左腕の骨は折れていた。
「ゼクロス……」
そう呼びかけようとして、キイは彼女のパートナーの意識がないことを思い出した。仕方なく、通信機から自分で通報しようとするが、サリアスの病院が機能しているかどうかは疑問だった。GPにはすでに通報されているだろう。わざわざ連絡するまでもなく、救護班はここを本部にするはずだ。
「ミリマ、すでに海賊は去ったようだし、外にいたほうが安全だよ。すぐに助けが来る。今、応急処置を……」
「私は平気です」
ミリマは、意外にしっかりした調子で言う。
「それより、バイラーグさまが……見つからないんです! 執務室にも、自室にも……あちこち、捜したんですが……」
彼女のことばに、キイは数秒の間、閉口した。今の情況の館を、彼女がミリマ以上に隅々まで捜索できるとは思えなかった。ふと、最初にここを訪れた時にゼクロスが言っていた地下のことを思い浮かべるが、それを見つけ出すのはさらに時間がかかるだろう。
「この情況で見つからないということは、無事な可能性が高いだろう。今は、怪我人の手当てが先だよ。さあ、一緒に来て」
ミリマはさらに何か言いかけるが、口を閉ざし、肩を貸すキイに従った。
ミリマの他にも数人の怪我人をゼクロス機内に乗せ、キイは医務室に案内した。医療システムはある程度独立して機能できるため、キイはモニターのナビゲーションをもとに、負傷者の処置をした。
そうしているうちに、4機のGP船が到着する。そのうちの2機は医療専門部隊のものだ。そして、それらは予想通り、館の広い庭に到着する。キイはゼクロスのとなりに着陸した船の医療チームに、怪我人を引き渡す。
運ばれていくミリマたちを見送ると、キイは機内に引き返そうとする。
「待ってくれ、キイ」
聞き覚えのある、若い男の声が背後からかけられる。振り返ると、茶色のコートの襟にギャラクシーポリスの刑事であることを示すバッジを着けた青年が、早足で近づいて来る。
「ロッティ警部。ランキムじゃないなんて、珍しい」
何度か顔を合わせている刑事に、キイはそう応じた。彼女が今まで出会ってきたこの刑事は、いつもGPNO.2の船に乗っていたはずだった。
「ああ、何者かの妨害でね、出られなかったんだよ。デザイアズもな」
彼はそう言うと、意味ありげに、紺の翼と白を基調にした機体を見やる。
「ところで、ゼクロスと話をしたいんだが。それに、いくつか聞きたいことがある」
早速仕事にかかるロッティに、キイはわずかな間沈黙して、小さく首を振る。
「ゼクロスと話をするなら、この星を離れなければ無理だね。今は休眠中」
「どういうことだ……?」
眉をひそめる彼のもとに、同僚の刑事が歩み寄ってきた。キイより少し遅れてそれに気づき、ロッティは仲間に目をやる。
「ロット。船が何機か、レブリオ29に向かったそうだ。目撃者の話によると、少し遅れて異人館から出て行った船は、この屋敷のものらしい」
ロットより少し年配の刑事のことばで、キイは、砲撃してきた船の側面に、見覚えのある紋章があったのを思い出す。
もしかしたら、バイラーグがレブリオの息子の元へ向かったのか。しかし、それならばなぜ、攻撃してきたのか?
新たな疑問を抱きながらも、キイはラダーを駆け登り始めた。
「キイ! レブリオへ行く気か?」
ロッティの問いに、キイは一度足を止める。
「ああ。尋問がしたいなら、一緒に来ればいい。逃げも隠れもしない」
それだけ言って、機内に入る。
刑事の決断を待っているのか、ラダーは降ろされたままだ。若い刑事は、先輩刑事を振り返る。
「行って来い。こっちもすぐに後を追う」
「ああ……ニコラス、頼む」
そう言い残して、ロッティはキイに続いてゼクロスに乗り込んだ。
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