第二章 光亡き街


  六、闇を訪れる者


 剣士に襲いかかっていた一同は、愕然と少年魔術師に目を向ける。
「なんだと……!?」
 リーダー格らしい男が、憮然とした顔でナナカマドの杖の先を向けている少年を見つけ、驚きの声を上げた。そして、剣士に視線を戻し、叫ぶ。
「まさかてめえに、魔術師を雇う金があったとはな……お前ら、退け! ここは一旦出直すぜ!」
 何を勘違いしたのか、リーダー格の男がそう号令をかけると、波が引くように、その部下たちともども走り去っていく。律儀に怪我人や馬も運んでいったため、道はすっかり片付いた。何度も襲撃を繰り返し、慣れているのだろう。
 巻き添えを恐れて隠れていた者たちもようやく安心し、遠巻きに眺めていた命知らずな野次馬たちはつまらなそうに散っていく。
……余計なことを」
 剣をおさめ、振り返ると、剣士は非難の色を含んだ碧眼を少年魔術師に向けた。
 ロイエのほうは、いわれのないことだと言いたげに、細い肩をすくめて見せる。
「助けたわけじゃないよ……邪魔だから吹き飛ばしただけ」
 そのロイエの顔を見ると、若者は何を思ったか歩み寄る。
「お前……この街の者じゃないだろう。どうやって出入口を知った?」
 その、妙な警戒の気配がこもった声に不思議そうな顔をしながらも、ロイエは当たり障りのないことだけをすぐに答えた。
「知り合いに教えてもらったんだよ。お金払ってね。それがどうかしたの?」
「好きでこんなとこに来る理由があるのか? 悪い病気をもらうだけだぞ」
 これには、ロイエは少し顔をしかめた。
「なに、あんたもぼくの邪魔をする気?」
「違う。誰かに貸しを作ったままというのが嫌いなだけだ。一つだけ、お前の目的を手伝おうと思ってな。イヤならいいが」
 こういった申し出も、いつもならロイエは断るだろう。
 しかし、ここでは地元に慣れた者がいたほうがいい。そう考えたロイエは、この申し出を、おおいに利用させてもらうことにした。
「じゃあ、情報収集を手伝ってよ。足手まといにはならないでね」
 剣士は、レナスと名のった。彼は今、少しだけ手伝うことにしたのを後悔した。

 もともと暗かったグラスタの空が、あっという問に黒雲に埋め尽くされた。
 雲は短い間にさらに動きを活発にし、雨を落とし始めた。ポツリ、ポツリと降り始めた雨は、一気にバケツを引っ繰り返したような豪雨へと転じる。大粒の雫が悪意をもった生きもののように、いつも以上に暗いグラスタに叩きつけた。
「こんなところまで追ってくるのですか……
 雨を避けてか、街に人の姿はない。汚れた通りに立つ者は、ただ一人だった。
 白い法衣の、銀髪にアメジストの瞳の魔術師。目立つ彼にとって、この雨はむしろ恵みの雨のはずだった。彼――〈千年の魔術師〉セヴァリーにとっては。
 しかし、彼は今、雨を呪わずにはいられなかった。
「もっと早くに来てくれればいいものを……
 溜め息混じりにぼやきながらも、彼はそれが不可能なことだと悟っていた。敵にとっては、このチャンスを逃す理由はないだろう。この水浸しの街の中では、セヴァリーが得意とする雷系の魔法が使いにくいのだ。使えば、周囲の建物などにも被害が及ぶだろう。
 彼は再び溜め息を洩らすと、その手に光の大鎌を握った。
 その目の前に、金髪の美女が浮かんでいた。神秘的だが、虚ろな目と表情のない顔が、無機質な印象を与える。敵意も闘気もないが、セヴァリーが彼女を味方だと思うことはまったくありえなかった。
 美女は静かに、人さし指を突き出した右手を持ち上げた。それが真っすぐ自分をさす前に、セヴァリーは大きく跳びすさる。
 ビシュツ!
 美女の指先から放たれた赤い光線が、セヴァリーの動きの軌道を追いかけた。
 セヴァリーは光線をかわしながら回りこみ、後ろから大鎌をふるった。美女の姿が、急にふいっ、と消え失せる。
 だが、セヴァリーは視ていた。美女は大鎌の刃が接触する寸前に、自分の意志で消えたのだ。
 彼は油断なく、呪文を唱えながら辺りを伺う。そして、視界に相手の姿を認めないうちに、完成したばかりの魔法を放つ。
「〈ホーリーレイ〉!」
 無数の光の束が、背後の空問を貫いた。
 気配のようなものがないので、ほとんどカンで撃ったようなものだ。しかし、振り返ると美女が消える姿があったので、一応当たったらしい。しかしまだ、致命傷ではない。
 再び辺りを見回しつつ、セヴァリーは呪文を唱え始める。
 しかし今度は、美女は間を置かずに現われた。
この瞬問に決着をつけようと、セヴァリーは振り向いて魔法を放とうとし、
……!」
 そこには、美女の他に、もうひとつの人影があった。
 驚き、穴の空いた傘を落とした、少女の姿、十歳ほどで、貧しい中での大切なお使いの帰りなのだろう。傘は放してしまったものの、小さな包みを大事そうに抱えている。
 目撃者は殺すように設定されているのか……美女はセヴァリーより、近くにいる少女のほうを向いた。人さし指が、少女を差し示す。
 セヴァリーは慌てて駆け寄り、その前へ滑り込む。
 赤い光線が、彼の背中から腹へ抜けた。当然急所は外したが、それでも軽い傷ではない。その負傷と引き換えに光線は角度を変え、少女から逸れたが。
 傷を左手で押さえ、セヴァリーは大鎌を後ろに投げた。
 振り返ると、そこにはなにもない。何の確認のしようもないが、とりあえず、ここは退けることができたようだ……
 と、セヴァリーは感じた。
 彼がほっとしたその時も、少女は怯えていた。
「もう、大丈夫。早くお帰りなさい」
 傘を拾い、返してやる。それを受け取る少女の顔は、まだ引きつっている。視線が、血のにじむセヴァリーの左手の下にうちつけられていた。
 それに気付くと、セヴァリーは屈んで少女と視線の高さを合わせ、蒼白な顔にほほえみを浮かべた。
「大丈夫ですよ、わたしは治癒魔法も使えますしね。自分で治せますから……。気をつけて帰るのですよ」
 ようやく、少女はその場を離れた。彼女が手を振るのに、セヴァリーも振り返す。
 小さな姿が見えなくなると、彼は治療魔法を使った、失血も思ったより少なく、跡が残るほどのものでもない。
 それでも、このまま雨に当たっているのは身体に良くないだろう。彼はどこか雨宿りできるところを探そうと、よろめきながらも立ち上がる。
 と、そのとき。
 水飛沫をあげ、勢いよく突進してくる姿があった。セヴァリーが怪訝そうに目を凝らすと、接近してくる姿は、軽く武装した少年だった。金髪に青い瞳で、身なりからして、どうやら地元の者ではなさそうだった。
 彼は一気にセヴァリーの前に近づくと、
「ああああっ! なんということでしょう! 感動しました、師匠!」
 思わず後退るセヴァリーの手を、しっかりとつかんでそう叫ぶ。その目には敵意も悪意もなく、まだあどけなさが残る顔には、ひたすら感激の色が伺える。
 セヴァリーはわずかな問、考え込んだ。
……どなたです?」
「ええと、ぼく、工ーリャ公国ユニコーン騎士団見習いの、ナシェル・ド・フィラマンテです。それにしても、我が身を呈して弱きを守るなんて……素晴らしいです! さすがは騎士の鏡!」
 冷たい雨でもさめやらない熱意が、彼のなかでは燃えたぎっているらしかった。
 が、しかし。
「わたしは剣技を知りませんし……あなたの名にも顔にも覚えはありません。人違いではないですか?」
「ええっ、また!?」
「またって……
 驚憎するナシェル以上に、セヴァリーは驚きを通り越して茫然と立ち尽くす。
「ぼく、物忘れが激しいんです、しっかぁし! あなたの行動が騎士道の鏡と言えるものであることに違いはありません! 今からでも師匠と呼ばせてください!」
「そう言われましても……
 即座に驚きから立ち直って力一杯叫ぶナシェルを前に、セヴァリーはめまいを覚えた。だが、いつまでもここで雨にうたれているわけにはいかない。
「何だかよくわかりませんが……早く雨宿りできるところに移動したほうが良さそうですね。ついてくる気なら勝手についてきてください」
「はいっ、ありがとうございます!」
 仕方がなさそうに言うセヴァリーに、ナシェルは威勢よく応じた。