第二章 光亡き街


  一、不穏なる出会い


 芸術の都らしく、アーモラティスタの飲食店には、大抵ステージが用意されている。吟遊詩人ゆえの好奇心か、シリスはいつもより豪華な夕食をつつきながら、そちらを気にしていた。
 今、ステージ上では一人の少女が手品を披露していた。ブロンドを肩まで伸ばした少女は、青いリングを上に放りながら、テンポの速い踊りを見せる。リングが少女の手首に落ちたとき、そのリングは赤く変わっていた。
「旅人のみなさんの安全を祈ります」
 少女が輪の中から手を抜くと、その手に色とりどりの布がつながったものが握られていた。
 拍手喝采の前で、彼女は身体の前でその布を振り、一回転する。再び正面を向いたとき、布は彼女の服の一部と化していた。
 一際大きな拍手のなかで、少女は頭を下げ、出し物を終えると、代金を入れるための帽子を抱えて客席を回り始めた。
「なに、ステージに立ちたいの?」
 シリスのとなりから、リンファがいたずらっぽい目を向けていた。彼女が言った通りの願望もあったものの、シリスは首を横に振る。
「いや……なんとなく気になってね」
 少女は帽子を抱え、おひねりを受け取りながら、テーブルの間を回っていた。
 その、楽しげな笑みを浮かべた少女の目が気になる、とシリスは思った。ややきつめの目に宿る、何か底知れない欲望のようなものを感じさせる光が。
「よそ見してると、全部食っちまうぞ。あんなに運動したのに、腹減ってないのか?」
「ザンベルが食べ過ぎなんだよ。もらったお給料、なくなっちゃうんじゃないの?」
 料理を前に手を止めているシリスに言いながら、ザンベルは骨付き肉にかじりつく。その豪快な食べっぷりに、ロイエがあきれたような目を向けた。夕食も頼まずじっとしているロイエの髪を、ザンベルは、くしゃっ、と乱暴になでつける。
「メシ食わねえのか? それ以上痩せたらミイラになっちまうぞ。何なら、オレがおごってやろうか?」
「あっ、わたしも、わたしも」
 この千載一遇のチャンスに、当然便乗しようとするリンファ。
 さらにあきれるロイエの耳に、苦笑しながら、シリスがささやいた。
「明日になったら、ヴァティルさんの屋敷や学者たちを守る結界を強化して、その後情報収集しよう。そのためにも、今は体力を温存しようよ」
「そうするしかないかな……
 ロイエが溜め息を洩らす間にも、ザンベルが適当に注文したメニューが次々運ばれ、テーブルに所狭しと並べられていく。ウェーターとウェイトレス総動員の注文に、他の客もチラチラと視線を向けてくる。
 テーブルには、この店の名物料理が載せられていた。各種ウィンナーにあっさりしたフルーツサラダ、ビーフシチューに名産のマカラ魚のワインソース煮、他にもチーズケーキやラマー果を使ったスフレやアイスなど、デザートも豊富だ。
「こんなに注文して、全部食べられるの?」
 またあきれた声を上げるロイエのことばに、ザンベルは笑い声をあげて、余裕の様子で腹をパンパン、と叩く。
 それとほぼ同時に、その巨体に後ろから、ドン、と誰かがぶつかってきた。
「きゃっ!」
 小さな悲鳴を上げて膝をついたのは、先ほどまでステージ上にいたあの少女だった。おひねりが入れられた帽子は、しっかりと抱えられている。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん? ケガは?」
 椅子から立ち上がり、ザンベルは紳士的に手を差し伸べた。少女は大男に見下ろされるとビクッと震えたが、すぐに愛想笑いを浮かべてたくましい手を取る。
「すっ、すみません、よそ見をしていて……失礼しました!」
 彼女は恥かしそうにまくし立てると、慌てて出口へ走っていく。何かに気がついたのか、シリスが立ち上がって声をかけた。
「待って、きみ!」
 急いで引き止めようとするが、少女は足を止めず、走り去ってしまう。
 シリスの珍しい慌てように、わけのわからない様子で目を丸くするザンベルと、何事もないような調子で、注文したチーズケーキを削っているロイエ。
「何かあったか? あの子がどうしたんだ?」
「まあ、ザンベルがそう言うならいいんじゃない?」
 どこか冷たいロイエのことばに、シリスが何か言いかけるより早く――
 ガタッ。
 唐突に、リンファが立ち上がった。彼女は神妙な面持ちで、頑なに真っ直ぐ前を見つめている。
「ザンベル、持つべきものは友よ。わたしは見捨てないわ、あなたが無銭飲食で捕まりそうなのを!」
「なにぃ!?」
 回りくどい言い方ではあるが、さすがにザンベルにも、なんとなくリンファが言いたいことがわかったらしい。彼は自身の身体のあちこちを探り始め、驚きの声を上げた。
「なっ、ない! オレの財布がないぞ!」
 大声が、店内に響いた。
「あいつめ……許さん!」
 事態を知るなり、彼は怒りに顔を赤くして立ち上がった。
「前金で払っておくから、このテーブル、そのままにしておいてね」
 シリスが苦笑しながら、近くにいたウェイトレスに代金、加えて銀貨一枚を渡す。それも待ちきれずに、ザンベルは夜のとばりのなかへ飛び出した。それに、なぜかやる気満々のリンファ、そして一応、面倒臭そうなロイエも続く。シリスは少し遅れて店を出た。
 通りを歩く者に少女が向かった方向を聞き、ザンベルは全力疾走した。道行く人が何事かと振り向くが、すぐに関わり合いにならないほうがいいと判断し、視線をそらす。
 やがて、北区の閑静な住宅街に入るなり、ついに、狭い小路の奥に目的の姿を発見した。
「お嬢ちゃん、鬼ごっこは終わりだぜ!」
「げっ、ここまで追ってきやがった!」
 少女はギョッとしたように振り返ると、スピードを上げて逃げ出そうとする。彼女は、街の外を目差しているようだった。
「おいこら、待てぇっ!」
 身軽な少女は、見かけによらない脚力で追っ手をまきにかかる。わざと狭い通路を選び、相手の足を止めようと、障害物を利用する。余りに狭い小路では、ザンベルは回り道を強いられ、リンファが先頭になった。
「誰が待つかい! とっととあきらめな!」
 少女は挑戦的に言い、さらに速度を上げた。
 やがて彼女の前方に、街を囲む木製の柵が見えてきた。夜闇のなか街の外に出られては、捜すのが極めて困難になるだろう。
 その勝利の場所へと、少女は身軽に柵を飛び越えて降り立ち――
「あっ、あんたたちは!」
 逃げ出すことも忘れて、彼女はその場に立ち尽くした。
「どうした、観念したか?」
 後から来た四人は、少女の背中に不審の目を向けながらも、柵を越えて、相手に追いつく。そして、目の前の姿に気づいた。
 黒ずくめの男が二人、肩を並べて立っていた。
「五人とも散歩かい? もっと早く出ていれば、こうして顔を合わすこともなく、生き残れただろうが……
 戦斧を手にした体格のいい男が、哀れむように言った。そのとなりの、二本の曲刀を腰に吊るした青年は、ただ感情の見えない目を向けている。
「何者だ、てめえら……例の、八人組の中の二人か?」
 身の危険を感じたのか、ザンベルが剣を抜いて問いかける。シリスとリンファも武器をかまえ、ロイエもまた、少女を庇うように前に出た。
「死にゆく者に答えることもないが……武人の礼儀だ。わたしはシムス。こちらはシルベット。では……準備はよいかな?」
 やるべきことは決まっている、と言う調子で、シムスと名のった男は、戦闘態勢に入っているシリスたちを見回す。
 肯定の沈黙を返す彼らに、闘気が叩きつけた。
 その闘気が解放される以前に、シリスたち魔法の使い手は、目の前の男たちからより強力な気配を感じていた。
 異界より召喚された、魔族の気を。