Y M C 商 会 
 
 模型史において、わかっているようで良くわからない事柄に
 YMC  山田模型社 との関係がある
                                              
 YMC(山田模型社 とか 山田模型社ではないYMC とかいろいろな表現をされているが
     実のところ良くわからない      (山田模型社と後の山田模型は別の会社です) 

 今回はこの両社の関係について、少しふれていきたいと思います。


 
 
 有限会社 山田模型社 は1950年代からソリッドモデルを中心に活躍していたメーカーで、飛行機模型
 を数多く世に送り出していました。最初は単に山田模型社という名称でした。
 右の同社広告は50年代初期のもので、山田模型社の名とその略称YMC・そしてトレードマークYMCロゴの
 上に飛行機マークが,簡素ではありますがすでに全て表示されています。

 つまり、YMCという呼称は単に山田模型社の略称であったにすぎないことがわかります。
 青島模型教材社が ABK ・田宮模型が TMK と表示していたのと何ら変りなかった訳です。

 50年代において模型といえばソリッドモデルを指し、たくさんの会社が凌ぎを削っていましたがその中でも
 積極的に業界をリードしていたのが、 YMC 山田模型社 と JNMC 有限会社にしき屋飛行機店 ではな
 かったかと思います。

 ではなぜその山田模型社と単なる略称であったはずのYMCのモデルが世に出たのでしょうか。

1955年の山田模型社の広告。当時の中にあってはセンスが光る。
社名が山田模型社となっている。
こちらも 1955年の広告。すでに自動浮沈のシステムを取り入れていたのがわかる。
ソリッドモデルも輸出されていたようです。
1956年の広告。 一般のソリッドモデル・完成品そして半完成キット
も発売されていたのがわかる。

しかしなんといっても注目すべきは、1956年にはすでにプラスチック
パーツが使用されていたことであろう。
こちらは輸出・外国人を意識した広告。  ドナルドの版権は?

 山田模型社 YMC商会 
 の分離
 
 
 山田模型社とYMCがもともとは同じ会社であった事はおわかりいただけたと思う。
 ではなぜ同一会社だったはずの山田模型社とYMCという会社が後に別に存在
 するようになるのであろうか。

  その答えは、右のYMC商会最初の広告に如実に表れている。内容は今でいう
 分社化という事になるのだが、組立キット・半完成品 ・完成品とあった同社のソ
 リッドモデルの内、組立キット・半完成品をYMC商会が、完成キットのみ山田模
 型社という事になっている。

  広告の右には山田模型社・取締役 山田一男氏による挨拶文もある。
 一見政策的な役割分担による分社化のような印象を受けるのだがどうも実情は
 そうではなかったようである。
 この分割はいかにもYMC商会に有利で、この当時独立して会社を興す動きは
 あったようであるが、会社を割って分社化するような事はあまりなかった。
 文章からも社内の混乱が見て取れる。比較的定期的に出していた山田模型社
 の広告がこの2ヶ月ほど前から休止されていた。

 この広告は 1957年10月 のものである。

 この分裂劇の人間的葛藤がどのようなものであったかは関係者以外知るよしも
 ないが、YMCと山田模型社の分社化が決してスムーズなものではなかったとい
 う事はいえる。

 

 山田模型社(Y M C) であった会社が2社に分裂したその後の流れはというと、
 YMCが意欲的にソリッドモデルの広告を展開していくこととなる。
 しかし、時置かずして大きな時代の波が押し寄せてくる。
 模型業界がソリッドモデルからプラスチックモデルへと模型の素材を大きく変る過渡
 期が訪れるのだ。、そして、プラスチックモデル時代に入るとYMC商会が山田模型社
 を圧倒する勢いで次々とニューモデルを発売していくのである。

 したがって、プラスチックモデル時代にあっては YMC(山田模型社) という構図は
 成り立たないのである。

 
 <ここに模型史を語る上で極めて重要な広告がある

 去R田模型社の 1958年7月の広告。

  ”当社はYMC商会とは何等関係ありません” とカラー版の広告を打ってきたのだ。
 このコピーは山田模型社とYMC商会の分裂が決してスムーズなものでなかった事を示す事例であり、山田模型社がYMCへの決別を
 正式に表明したといえる広告である。 

  山田模型社とYMCとの関係を如実に示す広告ではあるが、極めて重要な広告と書いたのには他の理由がある。

 広告右に書かれた、プラスチック製モデルの発売予告である。

 近日、プラスチック製キット・プラスチック豆完成・プラスチック製完成を発売致します

 こうはっきりと謳われている。3種記載されているのは山田模型社のソリッドと同じ展開であるが、問題はその掲載年月日にある。

 暑中お見舞い申し上げます、となっているように1958年8月夏の広告である。
 日本最初のプラスチックモデルとされるマルサン ノーチラス号の発売が1958年冬 12月クリスマス商戦を見越しての発売であ
 ったことを考えると、この暑中見舞いのプラスチックモデル発売予告は興味を引く。
 一般の人も確認できる国産のプラスチックモデルに関する広告としては、この山田模型社の広告が最初のものかもしれない。

 近日・・・・とは何時の事だったのだろう?
 おそらく現在の感覚と当時の感覚では、近日の意味合いも違ってくるのだろうが普通そう長い時間ではないと想像していいだろう。
 真夏から2ヶ月・3ヶ月・・・・・そして真冬の5ヵ月後・・・・?


 

 空母 サラトガ 
サラトガのYMC広告
部品は各部ごとに丁寧に袋詰されている
船底部艦首部の加工状態。 これを仕上げるには矢張り個人の力量がものをいう
整然と並べられた各パーツ類
サラトガの写真(印刷)が付属する。

ソリッドモデルは製作者の力量によってその完成時の出来ばえが
大きく違ってくる。
それゆえにプラスチックモデルとは比べ物にならないほど図面・
データ−共豊富である。

このYMCサラトガは広告にもあったように橋本 喜久男氏により設計
されている。氏はYMC・マルサンをはじめ多くの模型メーカーを指導し
ていた。

1958年2月 となっている。

 ベビープラスチック 
  創製の YMC 
 
 YMC商会は1959年7月に YMC模型製作所 と社名を変更した。所在地も浅草へと移転している。
 それではYMC模型製作所の最初のプラスチックモデルは何だったかというと、これはハッキリしている。

 上の広告の通り 「ベビー プラスチックシリーズ」と名付けられた一連のミニプラスチックモデルでその第一弾として ロッキード
 Fー104A スターファイター 1/160を発売した。  1959年8月のことである。

 YMCは社名を変更し、これから訪れるであろうプラスチックモデル時代に備えたのであろう。
 三共・三和もまだこの業界に参戦しておらず、マルサンにしても7010のパイパーアパッチまでの10点しか販売されていなかった。
 YMCの参入はかなり早く、このFー104はオリジナル飛行機模型としては日本最初のものだったのかもしれない。
 ベビープラスチックシリーズはその後F104・零戦そしてヘリコプター更に驚いたことにノーチラス号などの潜水艦もそのシリーズに
 加えていくのであるが、シリーズの零戦は日本最初の零戦モデルの可能性がある。


ベビープラスチックシリーズの F-86Dとミグ15

まだ、名称もプラスチック ソリッドモデルとなっている。

ソリッドモデルの影響か組説はこのようなミニモデルとしては
似つかわしくないほど素晴らしいモノである。

左は付属の接着剤ケース。

 複葉機シリーズ 
 <1/100 統一 複葉機シリーズ>

 日本軍の複葉機のみをシリーズ化したもので、スケールは1/100に統一されている。 複葉機というとほとんどが大正時代のもので、
 非常にシリーズとしては秀作なのであろうが、いかにもプラスチックモデルが定着したとはいい難い1961年当時としては何故?と首を
 傾げざるを得ないシリーズ選択である。
 YMCとしてはかなりのハイペースでシリーズ化していった。 それにしても、この複葉機シリーズの広告は何とも素晴らしい内容である。