東京都台東区浅草蔵前
昭和39年 翔け抜けました
今はなき初期のプラスチックモデルメーカーについて調べていると、この分野に言及した書物・資料が思いのほか少ないことに気付く。
そして、いわゆる定説と呼ばれている事項の中にも、チョット違うのでは・・・・・そんな思いに突き当たる事もしばしばである。
無論、乏しい資料の中で検証し推論を立ていくわけで、その時点においてはそれこそが定説であり正論ある。
それを批判することは誰にも出来ない。
特定のメーカーに付いて触れるとき、個人的に必ずぶち当たる命題に
”そのメーカーが最初に製作したモデルはいったい何だったのだろう?” とい難問が待ちかまえている。
確かにそのメーカーが数多く発売されたプラスチックモデルのひとつには他ならないのだが、その唯一のモデルには、そのメーカーの
プラスチックモデルに対するスタンスと時代背景が凝縮され、確実に織り込まれている。
ただ、これを解明するという作業は実際困難で、何より強固な意志の継続が必要な作業・・・・・そんな気がする。
三和模型はソリッド時代からこの業界で活躍していた老舗メーカーです。
1959年〜60年初頭には最初のプラスチックモデルを発売しています。
三共模型と同じように、あくまで子供達に密着したプラスチックモデルを発売し続けました。
この両社はほぼ同じ企業スタンスであったといえるでしょう。
2社ともどちらかというとあまり大型のモデルはなく、スケール物という強いイメージもありませんが、
つい子供達の手が伸びる・・・・そんなモデルがメインでした。
60年代初頭ライバル関係にもみえるこの2社は、発売数・その量において完全に他社を圧倒し、
全国隅々までプラスチックモデルを浸透させ、世はまさに三和・三共の時代であったのです。
ただ、このことが残念ではありますが、三和・三共を表舞台から去らせなければならなかった
宿命に追いやった一因あったことも確かなのです。
初めて少年達が触れた新素材の模型 プラスチック・・・・・・、しかし時は次第に子供達により完成度
の高いモデルを欲し認識する目を養っていったのです。
それを育んでくれたのはおそらく、三和・三共であったのでしょう。
1964年まず三共模型が、そして後を追うように三和模型が翔け抜けてていきました。
その後、三共製品は三共ポリマーに、三和製品は東京プラモに引き継がれ、1960年代後半まで
命脈を保つこととなります。
子供達に愛されたこれらモデルの金型は、いったい今どこにあってどんな状態で保管または放置
されているのでしょう。
願わくば朽ち果てることなく、雨風の当たらない薄暗い倉庫の片隅で、永遠の眠るについていてく
れることを・・・・・・・・・・・。
特定のメーカーの作品を系列付ける場合非常に役に立つものに、KIT.NO がある。
残念ながら全てのメーカーが KIT.NO を採用していたわけだはなく、というより稀といった方がいいようです。
三共・大滝・田宮などにしてもシリーズの中のナンバーリングはありましたが、メーカーとして統計的に管理するような
NO はなかったようです。
三和と同じように例外的に ナンバーリングしていたメーカーにマルサンがあり、こちらは ART.NO と名付けていました。
ただマルサンの場合は基本的には発売順だったようで、生産中止などになって空いたNOには次のモデルを当てはめたりもしました。
さて、それでは三和模型の ナンバーリングはどうなっていたのでしょう。
結論からいうと当然発売の早い方が番号は若いのですが、種別に関係なく単純にNOを付けていったマルサンとは違いモデルの種類
によって分割していました。
スタートは NO.101 からです。
NO.101 ・・・・・・・飛行機 Dシリーズ(ダイアモンドシリーズ)・4発シリーズ・ホームプラシリーズ
NO.201 ・・・・・・・戦車・Mシリーズ・世界の名車シリーズ・オートバイ・
NO.301 ・・・・・・・戦艦・モーターボート・潜水艦
NO.401 ・・・・・・・ピストル・灯台・キャノン砲
一般的にいうと三和模型最初のプラスチックモデルは
台紙仕様(ブリスターパック)の セスナ180 ではないかといわれている。
それは右の三和の60年早々の最初期の広告からも想像される。
上の台紙仕様のユンカース Ju 87 スツーカが KIT.NO.104である
ことからも、セスナ 180が NO.101であると思われるからでしょう。
下のマメ・プラ・シリーズと名付けられたものが、このシリーズになるのだが
NOの表示はない。
左が後のカタログに載っているマメ・プラ・シリーズだが、
何故かKIT NO は表示されていない。
このユンカース Ju 87 スツーカは上にある台紙仕様の
箱版ですが、KIT.NOはやはり104。
箱絵とブリスター上部の絵は同じ物。裏箱の組図は下部と
同じである。
はたしてセスナ180が最初だったのだろうか?
前にも触れたが三和の場合種類ごとにKIT.Noの頭の数字が違ってくる。
戦車類は200番台からはじまる。
左の広告は1960年2月のものであるが、この時点でMー24が新発売となり
すでにMー4は発売済みということになる。
ということはMー4は1960年1月以前に発売され、零戦も発売済みだった。
はたして、三和模型最初のプラスチックモデルは・・・・・・・。
三和模型のプラスチックモデルの年代を特定する時役に立つものの一つにに会社形態がある。
有限会社なのか株式会社なのか? 1961年6月か7月に三和模型は ⇒ に移行しています。
したがって、株式会社表示のあるものは箱がえを除けばそれ以降のもとなる。
Mシリーズ・・・・ミリタリ・シリーズと名付けられたHOサイズの小型プラスチックモデルで
アメリカ軍の軍用車両をシリーズ化したもの。 一般的にマイクロタンク・
シリーズと呼ばれている。
シリーズはMー41のKIT.NO205〜はじまっており、初期の時点から
シリーズ化されていたことがわかる。
裏面がカタログになっているタイプ
定番の箱裏組立て図タイプ
箱裏組立て図 英文タイプ/ 輸出版?
MS社 ? 製 いわゆるパチ物
サイズ・デザイン ほぼ同じ
三和模型最初のプラスチックモデルは何だったのか?
セスナ 180が NO.101であるとすると、これが三和模型最初のモデルとなるのであろうか?
しかし、実際のKIT.NO 101 は1/80の零戦に振り当てられているのである。
<KIT.NO 101 零戦>
怪しげな箱絵の零戦 記載は全て英語となっているが組説は通常の
日本語のものである。 モデル自体もご覧のとうり。
いったい、購買層のターゲットの照準は?
<KIT.NO 201 M−4 タンク>
戦車のモデルとしては最初期のモデル。
おそらく、日本で最初のモーターライズ戦車モデルであろう。
三和模型の最初のプラスチックモデルは、この2点のどちらか、
または同時発売ということと思われる。
<KIT.NO 202 M−24 タンク>
KIT.NO202 M-4タンクの直ぐ後に発売されたM-24 TANK
音と火の出る戦車モデル! ”動くオールプラスチックモデル” 第二弾
火が出るといっても豆電球を点灯させるというもの.。
それにしても、この箱はユニークで面白い。
このリモコンシリーズの KIT.NOはすでに290番台となっている。
連番であるかの確認は出来ないが、三和模型はかなり多くのプラ
スチックモデルを発売していた。