三共
60年代初頭の各社・ミニプレーン-シリーズ



 58年に発売されたプラモデルは60年代に入り、各社プラモ人口の増加と底辺の拡大を目指し、
より小さな子供達をもそのターゲットに加えていった。 
 しかし、子供(ガキ)達はいかんせん金がなかった。 ¥100ならスパッとあきらめるしかなかったが
¥30なら無性に欲しかった。
 仲間の中に1人は必ず新し物好きでハイカラなやつがいて、そいつが自慢げに見せびらかしはじめると
もういけない。 それは、そいつの手の中で見たこともないオーラに包まれ光り輝いていた。
 かといって金はなく、終いには家の新聞紙を大量に持ち出し、近くの店へ売りにも行った。
結局それでは全く足りず(¥5にしかならなかった)、親のカミナリだけが頭上に落ちた。   本当に欲しかった。
 
 まさかその時はメーカーの術中にはまっているとは露知らず、ただひたすら手に入れる算段のみを考えていた。

<各社の比較>
三共 ピーナツ・シリーズ
         1/150
日模 プラペット・シリーズ
           1/120
マルサン  1/100シリーズ
Bf-109
紫電改
Me-109
ピーナツ VS マルサン     1/150 vs 1/100 
 <マルサン・ミニプレーン>
 マルサンにも1/150モデルが存在していた。
            (ピーナツシリーズに対抗?)

 他に、ダグラスB66デストロイヤーも 1/150だった。

B−25 ミッチェル
 60年代初頭の代表的な各社ミニ・プレーンの対比

 標準的な機体を並べたが各メッサーシュミットに対し、プラペット・紫電改は実機が多少ボリュームがある機体と
なっており考慮が必要。

* 三共 ピーナツ・シリーズは 第一号の零戦をスタートに第二次世界大戦機を中心に展開され、後に最新の
    ジェット戦闘機もそのラインナップに加え50種以上のアイテムを誇った。 スケールは 1/150で統一され
    B−25を最大機種としていたが、三共はこのピーナツ・シリーズとは他に B−24・一式陸攻など大型機
    のみを別のシリーズとして矢張り 1/150 で発売していた。
 
  日模 プラペット・シリーズは、スケール 1/120として日本の大戦機で構成されていた。現在私が確認して
    いる機体は ・零戦 ・隼 ・疾風 ・紫電改 ・飛燕 ・鐘旭 ・銀河 ・二式水戦 の8機種でピーナツ・シリーズ
    に対抗していた。 全てが三共を意識しスケールは1/150⇒1/120に、箱はピーナツ・シリーズが当時らしい
    ヘナヘナした紙を使用していたのに対し、こちらはしっかりとした厚紙で作られ高級感を出していた。
    ただ、いかにも箱は窮屈でマルサン1/100シリーズと比べると箱の大きさの違いが分かる。 見た目の大きさ
    においてかなり損な部分があったというしかない。

  
マルサン 1/100 シリーズは、ピーナツ・シリーズとは一線を画しどちらかというと1/50のスケールダウンの
    感が強い。 60年代初期のプラモの箱は一般にそのパーツが窮屈でも入ればいいという(詰め込む)感じの物
    ガ多かった。キャラメル箱が一因であろう。 その後の再販などのさい、一回り大きいふたのあるボックス形にし
    デラックスなものへと変えられたケースが多かった。
    箱絵・構成などシリーズでよく統一され輸出もされていたためか、マイナーなソ連機などもモデル化されていた。
    当時¥50.。 30種近くが確認されている。
    当サイトのインデックスの背景も、これを使用させてもらっている。

     マルサンにおいて本当のピーナツ・シリーズのライバルというと 
    マッチ箱シリーズということになるかもしれないが、スケールモデル
    としてはいかにも小さく、あえて1/100シリーズを当てた。
    6種が確認されている。
プラペット・シリーズと比べても
その小ささが分かる。
 UPCの輸出版。

 B−24 ミッチェルは ピーナツ・シリーズ最大級の大きさを誇っていた。
戦闘機と違い、機首に詰め物(粘土)をしないと完成後しりもち現象を起こし
無様な姿をさらすこととなる。プロペラは回転する。
 転写マークの劣化が当時をしのばせる。

十八試 試作局地戦闘機
 この異形の戦闘機にあこがれた少年は多かった事だろう。
試作機のみで終戦をむかえてしまい、大戦機というよりSFの世界の戦闘機という受け止めだった。
 同時代タミヤの1/72でもこのシンデンが発売されていたが、この機体を最初に模型化したのは
三共だったと思われる。 

ピーナツ・シリーズ