日本のプラスチックモデルの祖がマルサン商店なら、模型(模型飛行機)全般
の祖ともいえるのが 「にしき屋飛行機店」 であろう。
そもそも日本に模型飛行機なるものが登場したのは、20世紀に入り早々だっ
たようだ。 はりがねなどでフレームを組み、布張りしたものらしい。
このはりがね飛行機の製造販売に力を入れていたのが ”石川飛行機店” と
いう会社で、その後素材は竹ヒゴなどに変わり フライングスケールモデル に
進化していく。
竹ヒゴはローソクなどで炙ると曲げなどが容易で軽く、つなぎ目は糸などで結
びプロペラで飛ばすというもので、石川商会もこのフライングスケールモデルを
多数発表しています。
石川商会は本来輸出業を生業としていたようだが、模型飛行機が国内でも
広まり始めたのをみて、別会社を設立し国内の販売にも力を入れていく。
その別会社の製品の国内販売を請け負ったのが 「にしき屋飛行機店」 で
した。
1930年代に入るとソリッドモデルが登場し、全国に広まり戦後もプラスチック
製モデルが登場するまでその主役を務め、その先頭に立ち業界をリードしてい
たのが 「にしき屋飛行機店」 でした。
写真の人物は JNMC代表 箕輪 祐康氏。
東京都新宿区若松町(都電停前)
<100式司令部偵察機> 1953年発売
にしき屋飛行機店の ソリッド・モデル
貼り箱で張り紙には新鋭の戦闘機・爆撃機などが
投影され美しい。 サイドはホチキス止めだが、縦に
止めるのではなく針自体を直角に曲げ、その上から
梨地の張り紙をし見えないようにしている。
下箱もボール紙の上に白い化粧紙を覆うという手の
こんだもので、さらに箱のそこは黒い化粧版が敷か
れ高級感が漂っている。
モデル自体は一点一点糸で固定され、プロペラは
金属製で3点で固定・タイヤはゴム製である。
組説も当時としてはめずらしい、多色刷りだ。
上は、にしき屋の広告である。
こちらは、廉価版ともいうべきモデル。 箱は貼り箱ではなくボール紙をそのまま使用し、ホチキス止めはプラスチックモデル同様
縦に止められている。 プロペラも薄い一枚ものとなっている。 箱には¥100の定価シールが確認できる。
なお、上箱に貼られている JNMCのシールはモデルの内容と同一ではない。
ソリッドモデルを主力にした商品展開をしていた にしき屋 であった
が、60年代に入りプラスチックモデルへとマテリアルを変えていく業界
の流れを無視できず、同社もプラスチック製モデルを発売するに至った。
1960年に 1/1200 伊号58型潜水艦 を発売する。
同年 ”JNMC ポケット軍艦シリーズ” と銘打って
NO.1 戦 艦 大 和 1/2630
NO.2 戦 艦 三 笠 1/1400
NO.3 空 母 飛 龍 1/2200
NO.4 重 巡 鳥 海 1/2000
NO.5 重 巡 最 上 1/2000 を、一気に発売する。
これは三共模型のピーナツシリーズなどと発売時期が一致し、
”ポケットシリーズ”が同シリーズを模倣したとはいえないだろう。
ピーナツシリーズとのサイズの差は画像の通りで、ポケットシリーズの
方が一回り大きい。 このサイズはピーナツシリーズの大型機 月光・
天山などとほぼ同サイズで、この大きさのモデルはピーナツシリーズ
では、No.22 ロッキードP-38 が最初であったことを考えると、
サイズだけ見れば ポケットシリーズのほうがオリジナルだ。
なぜ にしき屋がマルサン路線ではなく三共路線の商品展開をした
かは不明である。
ただ、100CMを超える大和などソリッドモデルをもっている にしき屋
からすると、なんとも不釣合いともいえる小さなモデルだ。
その後 ”ポケットシリーズ” は
NO.6 スターヨット NO.7 戦 艦 山 城
NO.8 重 巡 足 柄 NO.9 戦 艦 長 門
NO.10 重 巡 古 鷹 NO.11 戦 艦 霧 島
NO.12 重 巡 青 葉 NO.13 戦 艦 武 蔵
とシリーズ化されていくこととなる。
十数種類の数を誇る ”ポケットシリーズ” であるが、幾種類かの版があったのかもしれない。
上は箱側面の画像で、モデルの概念が微妙に違っている。
上から NO.3 空母 飛 龍 ・ NO.5 重巡 最 上 ・ NO.4 重巡 鳥 海。
「プラスチック精密模型」 「プラスチック精密洋上模型」 「プラスチック精密超小型洋上模型」
どれも1960年発売で 飛 龍 8月 ・ 最 上 11月 ・ 鳥 海 11月 と短期間に世に
出ているのだが、コンセプトを表す表現が違う。
そして、3点とも ロゴ自体も違っている。 会社の顔ともいえるロゴが発売月が同じで違って
いるとは考えにくい。 どれが、一番古いものなのだろうか?
NO.3 空母 飛 龍 に ”登録商標 洋上模型” とあるのも非常に興味深い。
洋上模型という概念は、すでにソリッドモデル時代から存在した形式で、改めてにしき屋が登録
したのだろうか。
こちらは パチもの?
版の存在が確認されているモデルもある。
1/1000 軍艦シリーズの ”伊7型” である。
こちらも同じような、ロゴが違いシリーズ名なども
違っている。
JNMC
1/1000 軍艦シリーズ
として、現在確認されている
ものは
NO.1 潜水艦 伊 7
NO.2 軽 巡 長 良
NO.3 駆逐艦 陽 災
である。
にしき屋のポケットシリーズを取り上げるとき、どうしても触れなければならないものに ASK(渥美産業)の
”1/1000連合艦隊シリーズ” がある。 ASKもソリッド時代から存在していたメーカーで、この時代から1/1000にこだ
わりシリーズ化し プラスチックモデル時代に入ってもこの姿勢は崩れることがなかった。
形態も同じ「洋上模型」でライバル同士あったのだろうが、スケールという概念では大きな違いがあった。
にしき屋はソリッド的な完成品の大きさが先ずあり、そこから自然発生的にスケールがついてくる いわゆる「箱スケール」
概念であったのに対し、ASKは徹底したスケール主義であった。
個人が技量を競うソリッドモデルは対象年齢も大人のものであったのだが、プラスチックという素材が模型界に姿を現すと
年齢層の低下と個人で作れる数も飛躍的に多くなった。
つまり、子供たちでも艦隊化が可能になってきたのだ。 というより、子供たちが集団で(兄弟・仲間)連合艦隊を組織でき
る要素がそろったのである。 この今に続く スケール という概念を最初に取り入れたのが ASK であり、飛行機では
三共模型であったのだ。
ただ、この概念にも欠点がなかったわけではない。 それは、ASKの製品展開を見てもわかるのだが、本来人気の大和や
大型空母が大きさの関係、購入対象者の支払い限度を明らかに超越してしま点などで、開発が困難となってしまうので
ある。
それを踏まえたASKの 究極の到達点はこの 「横須賀軍港」 だったのであろうか。
この航空写真は 美しい・・・・・・ 本当に美しい。
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にしき屋 最後のシリーズものと思われる
”マッハ3スリーシリーズ”
NO.1 ゼネラルダイナミック 1/120 F-111 A
NO.2 ロッキード YF-12A 1/150
当時、戦闘機のスピードははすでにマッハ2に達して
いて、次はマッハ3は当然の成り行き。
1923年 創業 にしき屋飛行機店 は 1968年 40年
にも及ぶその長い歴史に終止符を打つこととなる。
ソリッドモデル時代 業界を常にリードしてきたにしき屋で
あったが、プラスチック時代の波には乗ることができなか
った。
というより、ソリッドモデル・メーカーとして天命を全うした、
という表現の方が適切なのかもしれない。
左の広告には PLASTIC MODEL PISTOL 4種が
掲載され、もっと多くのにしき屋製のプラスチックモデルが
存在している可能性もある。
左の広告は 1968年9月の同社のもので、おそらく最後
のものであろう。
プラスチック模型メーカーとしての ”にしき屋飛行機店” はさほど大きな業績を
残せなかったが、それが模型史における同社の存在意義を危うくするものでは
決してない。
日本模型史に燦然と輝くその歩みを、後世まで確実に伝えていかなければならない。
その他に
*スーパーシリーズ
NO.1 X-15
*世界の戦艦シリーズ
NO.1 ビスマルク
NO.2 プリンス・オブ・ウェールズ
が知られている。