マルサン商店というと ”日本で最初のプラモデルメーカー” という事を思い起こされるが、
マルサンは決してプラスチックモデル専門メーカーという訳ではありません。
会社設立は1950年で当初はセルロイド製玩具やお土産などで売られている双眼鏡のような
玩具を中心に取り扱っていました。その後、大型で実車に極めて近いプロポーションを持った
ブリキ製の自動車などを世に送り出していました。
そして、1958年12月 ノーチラス号を発売することになります。
1950年代マルサン商店の取り扱い商品は多種にわたり、プラスチックモデルメーカーという
より総合玩具メーカーという表現が適切かもしれない。
今回はそんなマルサン商店のプラスチックモデル以外の商品の一部を紹介したいと思います。
ホームサーキットはスロットカーレーシングの家庭版である。
海外では1950年代後半あたりから存在していたようであるが
日本では1965年以降のスロットレーシングブームと同時にブー
ムになっていきました。
主にHO・1/32・1/24というスケールがあり、1/24はサーキット
場と同じマシンでは走らせることが出来ました。
コグレ・マルサン・ニチモなどスロットに参戦していたメーカーは
この部門にも参入していました。手軽で家庭でもサーキット場の
スリルが味わえ、菓子メーカーの懸賞にもなっていたこともあり
人気を博していましたが、スピードを争う事に醍醐味があるスロ
ットカーにあってそのコースの短さは致命的で早々に廃れていっ
てしまいました。
このモデルは元々米アトラス社の製品ですが、ロゴを見ていた
だけるとお分りになると思いますが PLASTIC MODEL KIT
となっています。
このロゴはマルサンの初期のモデルにしか使用されておらず、
後の物は PLAMODEL という表示に変更になります。
ブルドッグをメインキャラにした
ブルドッグトイのロゴ
「壊れないオモチャ」 というのが、ブルドックトイのコピー
でした。1955年発売。
0.8mmというブリキとは比べ物にならない厚さを実現し
子供達が多少乱暴に扱っても壊れる事がないほど頑丈な
玩具でした。
トラック・郵便車・クレーン車・ミキサー・ダンプ・救急車・消防車
パトカー・木材車・ピックアップトラックなど、あらゆる種類の
クルマがそのシリーズに収められていた。
30点以上もあったようです。
繊細さという面ではブリキ玩具には敵いませんが、子供達が
乗用したりガンガン遊ぶには最適の玩具でした。
貯金箱はブリキを使用したマルサン商店の隠れたヒット商品でした。
最初はこのような金庫型のものでしたが、ヒットしたため五重塔型・お城型・水車小屋がたなど特徴ある貯金箱が発売されました。
これらのピストルはミニガンなどと比べると
本格的なものであった。
撃鉄など主要部品は金属が使用され、持った時の
ズッシリ感はプラスチック製のものとは存在感を
異にしていた。
輸出もされていたようで、箱絵のガンマンの
顔はいかにも怪しい。
ピストル=コルト そんな時代でした。
プラシャインは箱単位で市販されていたものではなく、中の一本一本で販売されていた
もの。 これは店頭用ディスプレイ箱。
銀のプラカラーを塗って乾いたら、布切れにプラシャインを小量つけて 上から磨くと、金属
のような重量感のある輝きが出るというもの。
こちらのモデルは 上のロードレーシングセット とは反対に
マルザン時代 つまりマルサン商店最後期に発売されたもの
です。
60年代初期のプラスチックモデル
を組むとき おおかた成型された
まま組み上げ 転写マークをはっ
て終了というパタ−ンが一般的で
した。
しっかりとしたスケールモデルが登
場してから塗が、はじまりました。
これを推進したのも パイオニア・
マルサン商店であったと思われま
す。
”プラカラー”という名称もプラモデル
と同じように マルサン商店の登録
商標でした。
旧ロゴの上に マルザンのシール
が上から貼られている。
プラカラーより後発と思われるが ”プラカラー・エアースプレイ”
も発売されていた。
古い時代のスプレー缶
左から マルサン・長谷川・郡是
メーカーが製品を製造し問屋に卸す。 これがプラスチックモデルが世に流通する最初のステップです。
その時当然それらを包み配送するための箱が必要になります。 通常は購入者にはあまり関係のない
ことですが、時が進むとそんなダンボール箱もいろいろな情報を伝えてくれます。
箱上部 今ではあまりないのだろうが取扱注意の文字がずれている
封をするガムテープ(紙製)もマルサン
商店オリジナルのもの。
”プラモデル”とマルサンロゴが交互に
印刷されている。
現存しているならい一巻欲しいものであ
る。
モデルの箱からいって横に2列並べて、
梱包したのではないだろうか。
このダンボール箱が
ART.NO 463 零戦52型
のものだった事が分かる。
”大人も子供の楽しめる
プラモデル”
と、当時のマルサンのコンセ
プト伝わってくる。
ゼロセン 1/100は ¥50で
した。
こちらは、反対側側面です。
送り先住所などを書き込むよう
です。
この箱には、なんと1/100モデル
240個が梱包されていた。
さすがに、当時とはいえ一般の
小売店でさばくには大変かも。
箱の側面側にはマルサン商店の
発送用のラベルが貼られています。
送り先の住所・発送年月日等を記
入できるようになっている。
たまたまですが、この箱の送り先が ”今井科学KK” となっており 発送日が
昭和37年12月12日との記入があります。 住所も清水市ですので、イマイに
間違いないと思います。
今井科学がプラスチックモデルを発売して、まだそれほど時間がたっていない時期
いったい マルサン商店からライバルであろう今井科学に何が送られたのでしょうか?
今 考えるよりずっと大らかな時代であったのでしょう。
ちょっとした歴史の裏舞台をのぞき見たようで興味がわいてくるところです。