マルサン・ラベール
 ラベールとは、無論 REVELL社のことです。

 レベル・・・・・よりは、 ラベ〜ルの方がイングリッシュぽいが?

 後にラベール社と提携することとなるグンゼ産業時代には、レベル社となっています。
 の謎?
 60年代に入り、プラモデル人気はいよいよ本格的なものとなり、ソリッドモデル
(木製模型)は、市場から次第に駆逐されていく。

この状況を機に敏なる他のメーカーが見逃す訳もなく、次々と新商品が発売さ
れることとなる。
後発メーカーは当然のことながら、現行商品にはない新しいギミックやアイデア
を組み込んでくる。

 ”日本初のプラスチックモデルメーカー”というフレーズ  だけでは、もはや生き
残っていけない状況となってきた。
 
 そこで一つの選択肢として、マルサンは当時アメリカの大手模型メーカーで
あったラベール社との業務提携を模索した。
 このような国際的な提携は業界初の試みである。

 この国際業務提携は見事に成功し、プラモデルはマルサン商店の主力商品と
なっていくのであった。

それでは、いつ頃この提携はなったのであろうか?

文藝春秋社  くじたかし氏著”マルサン-ブルマァクの仕事”  によると

  1960年3月・・・・・交渉開始  その4ヵ月後契約実現 となっている。

 この説でいくとチョットおかしなことになる。

右のマルサン広告によると、60年5月号のこの広告には
はっきりと ”提携して、プラスチック模型を売り出します”
と明示されている。
5月号ということは、4月に発売 (確かその当時は○号=
         発売月、だったような記憶もあるが?)

原稿など広告の準備なども当然必要であるとすると、3月
頃には提携または内諾がされていないと、おかしなことと
なると思うのだが・・・・。

今でこそ、このような国際的な業務提携はそれほど珍し
い事ではなくなったが、プラスチックモデルを発売して間
もないそれも本国アメリカメーカーの違法コピーが中心と
もいえなくもないラインナップのマルサンが、堂々と提携
話を持ち込んで実現させてしまうとは、現在でも見習わな
ければならない交渉術ではある。

最初の MARUMAN・REVELL 提携品は何か?

 ”F-104 スターファイターA”  ART・NO7501

 であったようだ。
 
 


マルサン・ラベール提携品 ”F-104A”
のインスト
このモデルがいかに初期のものかわかる。

マルサン・ラベール  GIANT BOMBER
国際業務提携
Giant Bonmber といっても、マルサンの
シリーズでもなければ、ラベールのシリーズ
ものでもない。

この雄大な大型機の箱絵が実に素晴らしい
というだけの事です。

F-104のインストは表がラベールのコピーで
裏がマルサンオリジナルとなっているが、後
のモデルは大方レベルのものをそのまま使用
している例が多い。
このマルサンラベールの製品で、特に重要と思われることに 価格の明示 がある。 現在のモデルは箱の側面などに、何気なく数字の
一部として表されているが、箱に直接印刷されているものはあまり見かけない。
ボックストップだろうがサイドだろうが、記載内容がわかればいいのだから特に問題はないように感じられるが、ここで問題になるのは
メーカーが現物の箱に定価を明示したことにある。
モノを売るには販売価格が決められていなければ成立しない。 現在ではまったく当たり前となっていることが、1960年前半においては
そうではなかった事の一例として ”全国で同じ値段で売っている” こんな些細な常識とも思われることがそうではなかった時代があった。
それは、現代ほど流通が発展していなかったために どうしても運送コストを製品に加算しないと採算が取れないということであった。
いわゆる地方価格と呼ばれたもので、これは何もプラスチックモデルに限ったことではなく、車なども同じように地方で買うと運賃分高
かった。
こんな時代 マルサン商店が目指した ”全国統一価格” なる当時としては常識はずれの戦略があった。
マルサンのプラスチックモデルはどの店でも自由に販売できたわけではなく、契約に基づく指定の契約金を納めてはじめて実現したのだ。
パイオニア・・・・マルサン商店には実績に裏打ちされた自負があった。

そのあらわれが マルサン・ラベールのボックストップに印刷された ”全国統一価格” だったのであろう。

Ford Pickup
 56年型 フォード・ピックアップ

 1/24 ではなく 1/25.。
 タミヤMMのように、背景がない箱絵が美しい。

 ドア・ボンネット・リヤゲートが開閉する。

 エンジンは2種類用意され、どちらでもビルトオ
ンできる。

 オプションパーツも豊富に付属し、ホイール・荷
台のパイプ・テールランプ・、そしてアメリカらしい
サーフボードらしき物まで付いている。

 それにしても、¥950は恐ろしく高い。
‘57年型 CHEVY  1/25 

 こちらも ¥950 価格は驚くべきものだが、パー
 ツは山のようにある。
マルサン・オリジナル又は和工樹脂製のダットサン
などと、おそらく同時期の製品であるが、プラスチック
成型・箱・箱絵・インスト・・・・そのどれをとっても残念
であるが、日本製は遠く及ぶものではない。

追いつき 追い越せ! そんなフレーズが心に浮かぶ
それは、きっと困難な道のりであったことだろう。

戦艦 ペンシルベニア
 1/429 という中途半端な箱スケールの ペンシルベニア
 
                 マルサン表示価格   ¥950

 古いラベールのキットのロゴには

 Authentic Kit という表示があった。

 Aという文字がコンパスになっており、この表記のあるボックス
 アートはでれも溜息が出るほど    美しい!

 後に、この記述は廃止となる。

 

ラベールといえば、矢張り飛行機機類が充実していた そんな印象が残っている。

もし、どなたかが ”あなたにとって 一番記憶に残るプラスチックモデルはなんでしたか?”
と、質問されたら 迷うことなく 「マルサン・ラベールのボックスサイドの絵です」  と答えるだろう。

現物のモデルではなく、箱絵? それも箱の横に描かれていた ただの小さな絵?

舶来品と当時呼ばれていた外国製の製品。 ラベールなどのプラスチックモデルも、その舶来品以外のナニモノでもなかった。
マルサン商店とRevell社との提携が成り大幅に製品が安くなったといっても、どのモデルもおいそれと子供であった私にとって、
とても手の出るような値段ではなかったが、父親はよく隣町の模型屋から買ってきては組み立てていた。

20円かよくて30円位のモノしか買うことができなかった子供にとって、それらのモデルは羨望の的以外の代物ではなかった。

父親は忙しい仕事の中、月に一度ほどのペースでそれらを組み立てていた。 机にそれを置き蓋を開く、そして袋を開けるとパーツの確認
を済ませ組説に目をとうす。 机に向かう父の顔は日々見せている厳しいモノではなく温和な表情だったと記憶している。
パーツをランナーから外し組立てに入る。 外れてしまっているモノ、セットで外したパーツを上箱の中に丁寧に置いていく。

当たり前のことで驚くことでもないが ”アッ そうか、箱の中に入れておけば部品はどっかにいかない!”  目からうろこである。
30円前後の手に入るモデルには、残念なことにその蓋がなかった。 ほとんどのモノがキャラメルボックスだったのである。
作るのは廊下だったり、畳の上やひどい時は外で組立てたりしていた。 そこから多くの部品が行方不明になったりしていたのだが、
まあ、どうせ最後には壊される運命の飛行機なのだ、あまり気にしたこともなかった。

次に父が出してきたのは、以前に組み立ててしまった上箱に入れた プラカラーであった。 これこそが、大人と子供の最大の違いだった。
父はゆっくりと色を塗り、そして慎重にくみ上げていった。

ラベールの箱は、非常に厚手で宝箱のように美しかった。 組立て終わり箱が要らなくなったころ、父に頼んでそれをもらう。
ボックストップの上箱が欲しかったのではなく、その箱の横にあったスライド(ネガの確認や幻灯機で映し出すためのフィルム)のような絵が
ほしかったのだ。

それを切り取っては カードのようフィルムのようにして貯めていたのだ。

マルサン・ラベールの張り箱は 今でもキラキラと光り輝く  永遠の宝物なのである。

 <TYPE ”S” シリーズ  スパッド

 パイロットと整備員2名が付属している。

 エンジン・コクピットが当時なりではあるが、よく再現

 されている。

 価格は ¥950 と かなりの高価。

その他の提携
 マルサン はその他にも

・  S N A P  

・  P Y R O  

・  ア ト ラ ス  
              などともその後、業務提携していくこととなる。