My Best
氏の作品はいつも印象深い。 わくわくとさせ脳裏にしみ込み、心地よさが継続する。
挿絵・月刊誌の戦記もの・そしてプラスチックモデルのボックスアート。 一体どのくらいの作品が生み出されたのであろうか。
ボックスアートに限ってもその全容を解明するのは困難なことだ。
氏のボックスアートを初めて見たのは、田宮模型の 「パンサー・タンク」 の箱絵であった。 これは氏のプラスチックモデル
最初の作品でもありました。
突然、学校の坂を下ったいつもの模型屋のショーウィンドーにそれは出現した。
その箱に描かれていた絵は、それまで知っている箱絵とはまったく違っていた。 勇ましくはあるが対象単独で美しく描かれて
いる、というのがそれまでの箱絵の常であった。
ショーウィンドーに現われたその箱には、火を吹く主砲 うなる機銃 火達磨となり断末魔の叫びをあげ墜落していく敵戦闘機、
という実に恐ろしいものであった。
躍動感に溢れた大胆な構図、艶やかな色彩。 この世界が少年たちの心に炸裂しないわけがなかった。
毎日々々、学校の帰り道 飽くこともなくただ立ちつくし見つめていた。
パンサーの隣にはアンモナイトの化石が置かれ、買えもしないその夢の2品のどちらを手に入れたものかと真剣に悩んだりもした。
その 田宮模型 「パンサー・タンク」 小松崎 茂画 の箱絵が決定的に印象づけたのは ”戦車こそ地上最強の兵器である”
という事であった。
戦車の前では戦闘機など常に風前の灯、何とか地平の果てを発見されないことを祈りながら逃げ隠れするものである、と何の疑問も
なくこの箱絵は見事に納得させたのであった。
この確信ともいうべき現実は、ずっと私の心に刻み込まれ疑うことすらなかった。
それから何年かたち次第にテレビという媒体が家庭にも進出し、海外のドラマなども放映されるようになった。
その中で特に 「コンバット」 という戦争もののドラマが凄く好きで、父親もこの手のもをよく見ていたため多少放送時間が遅くはあった
が黙認されていた。 コンバットは単に戦争アクションを売りにするドラマではなく、ストーリーの中にヒューマニズム・戦うことの無情さなど
を折込、見終わったとき心が温かくなり戦闘シーンはカッコよかったけれど、殺しあうことの本質は悪であるといつも教えてくれていた。
大好きだったコンバットを見ていたある日のシーンで、身体が凍て付き激しい落胆に襲われたことがあった。
一本の道を行軍するドイツ軍戦車群に、米軍戦闘機が襲いかかり次々と戦車を破壊する、というまったく信じられないシーンだった。
落胆したのは自分の思い込みに対してではなく、このような嘘っぱちをよりによってコンバットがえがいてしまったからである。
あれほど好きで楽しみにしていたドラマだけに、残念で悔しくてならなかった。
それから、コンバットは長い間見なくなった、というより見たくなくなったのだ。
私が氏の呪縛から開放されるのは、70年代に入ってからのことであった。
大滝製作所 1/250
小松崎 茂 画 護衛艦 ”あきづき” 大滝製作所
氏の多くの作品の中からベストを選ぶという行為は無謀で困難な作業である。 まして、選者が美術的センスが欠如しているなら
なおさらのことであり、作品の全てを把握しているわけでもない。
ただ、それが自分自身のベスト作品というのであれば、はきりといえる。
個人的に選んだのは、この ”あきづき” である。
大滝製作所のために描かれ、艦艇モデルという事もあり 横470mm 縦245mmという かなりの大作となっている。
あきづきは米国が資金援助して建造された護衛艦で、海上自衛隊初の2、000トンを超える艦で昭和36年に海上自衛隊
旗艦として就任した。
旗艦となると子供のイメージ的には長門・大和と並び、今からすると僅か2,350トンという旧連合艦隊からすると見る影もないが
本当に誇らしいものであった。
この作品は左から回り込む ”あきづき” 後方にはもう一隻の僚艦 そして右上には機首のを覗かせる P2対潜哨戒機。
比類なき色彩の美しさに、特に泡立つ海面の美しさは言葉もない。
まさに、小松崎ワールドである。
当時、この箱絵を見た時まず目に留まったのが、艦橋前の正体不明の砲の存在であった。 ロケットラチャ-らしいのだが情報
少なかった時代、ゴジラで見たメーサー砲をついにわが国は装備するに至ったか・・・・・。
決して豊ではなかった日々の生活の中、本当に本当に誇らしく思ったものです。
my best この作品を選ばせていただきました。
本来、作品自体は素晴らしい美しさを描き上げているのに
主役のヒーローがあまり知られていなかったり、発売メーカー
がマイナーだったりして、一般的に世の中から正当な評価を
受けられなかった作品がある。
これは、ボックスアートの宿命として避けられない定め。
そんな作品として 永大の ”合成鳥人 コンドールマン” が
ある。 プラスチックモデル自体はとりわけどうのというレベルで
はない。
数多く出版されている氏の画集・作品集を見てもこの作品を
取り上げているものをあまり知らない。 氏の描かれてきた主な
ジャンルの一つにSFものがあり、その代表格にサンダーバード
などがある。
この箱絵をはじめてみた時、誰にも知られていない孤高のヒー
ロー コンドールマン、逆巻く海 砕ける波しぶき、ヒーローをささ
える僅かな岩場。
氏が最初に目指したという日本画の、秘めたる美しさにふれた
ような気がした。
今でも、この気持ちにゆるぎはない。
株式会社 永 大
<モデルは太股から下がスケルトン・タイプ。
箱絵もその辺をふまえた表現になっている>
ここで取り上げるボックスアートは 小松崎 茂氏 に関係
するものでは有りません。
1960年代前半の工作誌や飛行機・艦艇雑誌の終りには
ラジオ工具セットとかラジオキット・鉄道模型などを販売する
いわゆる通信販売のページが設けられていた。 むろん、プラ
スチック模型なども取り扱われていた。
まだ、地方の模型店では品揃えという面では寂しいものがあり
見たこともない模型たちがそれら雑誌には、ところ狭ましと並ん
でいた。
そんな中で、絶対に買えないとわかってはいても、どうし
ても気になってしょうがなかった模型に この ”ミズリー”
があった。
特にこの箱絵に描かれた新鋭戦艦の迫力ある姿は、小さな
紙面の更に小さな写真からも十分に推察できた。
その頃は子供で買うことは出来ようはずもなかったが、少し時間がたち自力で買えそうになったころ、再びこの ”ミズリー” を
探そうとしたのだがそこには大きな問題があった。
一つは時間のたちすぎで、すでに雑誌の掲載から外れていた・・・・・・といっても、10年以上も後では当然であったが。
そして、最大の問題点は60年当時のこのような雑誌のカタログは、一般的に 「○○出版社のミズリー号」 といったように
本来の製造メーカーを明記しないのが一般的で、どのメーカーの商品なのかが全く分からなかった。
その後も調べたり現物がないものかと探し回ったが、全く手がかりすら掴めなかった。
一生分からずじまいで終わるんだろうな、などと半分諦めてはいたが心のどこか納得できない思いもあった。
そして何と30年以上を経たある日、突然目の前にその姿を現した。
それは、あの時羨望の思いで見つめていた、大迫力の ”ミズリー” に間違いなかったのだ。 同時にさまざまな疑問も振り
払らわれることとなった。
一番驚いたのは何といっても ”ミズリー” がプラスチックモデルではなく、ソリッドモデルであったということだ。 これは正直
意表を突かれた。 同じ欄に 日本模型 伊号潜水艦があったので、てっきりこちらもプラスチック製と思い込んでいたのである。
プラスチックモデルをいくら探しても見つからなかったわけだと、納得した。
そして、大変興味のあったメーカーは驚いたことに 田宮模型製であった。 ソリッドならあり得た選択だったのだが・・・・。
何にしても 心のもやもやは完全に消え、迫力あるボックスアートを目の当たりに出来、本当に嬉しい出来事であった。