- 200712-

- 12月16日 -
間もなく今年も終わってしまうので、私は自身に起こったこの一年の出来事を思い返しておりました。しかし、人間なかなかいい加減なものでありまして、一年どころか、ここ数日の記憶さえ覚束ない始末。さて、どうしたものかと途方に暮れておりますと、どこからともなく声が聞こえてまいります。

『そんなに思い出したいことでもあるのかい?』と、得体の知れない声。

「そりゃあ、取り立てて思い出したいことはないけれど。しかし、一年を振り返ることがあっても良いじゃないか。何せ、もうすぐそこに新しい一年ってやつが控えてるんだぜ。ところで、この声はどこから聞こえているんだ?この部屋には私しかいないはずだが。」と、私。

『そんな邪推はよしてくれ。話を戻そう。お前は本当にこの一年を思い出そうというんだな。』

「どこの誰か知らないが、君もしつこいな。それに、何か妙に勿体つけるじゃないか。待てよ、その言い方はまるで君は私の抜け落ちている記憶の在り処を知っているような口振りじゃないか。それならば問題だぞ。私の記憶は私のものであって、決して誰も侵してはならない領域であるはずだ。いや、そうでなくてはならないに決まっている。即刻私に返したまえ。」

『む、妙に強気になってしまったな。こいつに声をかけたのは失敗だったかな。』

「何をごちゃごちゃと言っているのだ。このままで済まそうと思ったら大きな間違いだぞ。記憶を返さないのならば、こっちにも考えがある。」

『まあ、待ってくれ。落ち着いてくれ。記憶を戻すのは造作もないことだ。しかし、それには契約が必要だ。』

「勝手に人の記憶をいじっておいてよく言うよ。」

『しかし、そういう決まりなんだ。契約は何も難しいことじゃない。サインをしてくれれば良いんだ。』

「なんだか納得はいかないが、サインだけならば良いだろう。書類はどこだ?」

そう言うと、私の眼前に見たことの無い文字で書かれた書類が現れた。英語でなければ、フランス語でもない、ましてや日本語でもない。まるで見当の付かない文字体が羅列されている。

『さあ、そこの下の余白にサインをくれ。そうすればすぐに記憶を戻してやろう。』

「なんだか気味が悪いな。悪魔の契約とかじゃないだろうな。」

『そう思われても仕方ないが、そうではない。そこのところは安心してくれて良い。』

「そんなものかな。これでどうだ?」

『良し。』

その言葉が聞こえるか聞こえないかの内に、私は目を覚ました。先程までも目を覚ましていたのにも関わらず、「目を覚ます」という表現は不思議かも知れないが。

辺りは見慣れた自分の部屋ではなく、白を基調とした清潔な部屋だ。清潔過ぎて不気味に思うくらい。ふと、自分の体の異変に気付いた。体が全く動かないのである。「固定されている」と表現した方がわかるかも知れない。必死に動こうとしていた矢先、声が聞こえてきた。

『おや、目を覚ましたのかね。君は事故に巻き込まれ、瀕死の重傷となってここに運び込まれてきた。体の方は順調に回復していたが、一年間目を覚まさなかったのだよ。治療してきた甲斐があった。まだ体は自由に動かすことは出来ないがね。』

白衣を着た医者らしき人物は興奮した様子で私に対しこう言った。どうやら、今までの「現実」は、一年という長い期間見続けていた「夢」であったようだ。

私は「夢」の中で出会った数多くの人々を失い、本当の「現実」を手に入れた。しかし、私は一抹の不安を覚えた。これは果たして本当の「現実」なのであろうか。精巧に作られた「現実のような夢」なのではないか。また「目を覚ます」ことがあるのではないか。

私の担当医であろう白衣を着たその人物の声は、あの日、頭で響いたあの声と瓜二つであったからだ。さようなら。

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