ハウスキーピング・オペレーション
「お暇をもらいたい?」 「はい」 翌日、わたしはルシーダ様とエミーナ様の元へ、辞表を持って行きました。 「どういうことかしら? 給金が不満というわけではないでしょう?」 「だって……。だって、わたしはご主人様と、ルシーダ様とエミーナ様のお父様と……」 そうです。わたしとご主人様の関係をお二人に知られてしまいました。 わたしがご主人様のことを好きな気持ちは、本当です。本気だったんです。 でも、その気持ちは、メイドとしては失格です。 だから、わたしはもう、このお屋敷に留まることはできないんです……。 「メリッサったら、そんなことを気にしていたの?」 「私たちは少しも気にしていないわ」 ところが、お二人は笑いながら言いました。 「ほ……本当ですか?」 わたしが恐る恐る顔を上げると、 「いいえ、『少しも』というのは嘘よ」 「気にするに決まっていますわ。パパの女性関係が気にならない娘なんていませんわよ」 「やっぱり!」 もう駄目です。わたしはもうお二人に顔向けできません。顔向けできないから辞表なんです。 「でもね、メリッサちゃん」 「わたくしたちは、メリッサに新しいママになってもらえたら嬉しいと思っていたのよ」 「わたしが、ルシーダ様とエミーナ様のママに?」 そんなこと、考えたこともありませんでした。 ご主人様が奥様に先立たれたと同時に、ルシーダ様とエミーナ様は母親を亡くしています。 これまで言葉にも表情にも出していなかったので気にかけていませんでしたけれど、お二人とも母親がいないことを寂しく思っていたのですね。 それなら、わたしは―― 「わ……わたしで良ければ、いつだってママの代わりになりますよ。わたしがママの代わりなんて似合わないかも知れませんけれど」 わたしはルシーダ様とエミーナ様に向かって両腕を広げました。 いくらわたしの胸が小さくても、お二人を抱き締めて甘えさせてあげることができるはずです。たぶん。 「何を言っているの。似合わないからこそ面白いんじゃないの」 「義理の母娘ですもの。友達のような関係でちょうどいいでしょうし」 違いました。ルシーダ様もエミーナ様も、母親がいないことはもう寂しくなかったみたいです。 二人そろってわたしの胸に飛び込んできてくれると思ったのに、これじゃわたしの方が寂しいです。 わたしは広げた腕をこっそり元に戻しました。 コンコン そのとき、部屋の扉がノックされました。 「どうぞ」 「失礼します」 エミーナ様が呼びかけると扉を開けて現れたのは、エルクさんでした。何か手紙のようなものを持っています。 「ルシーダ様、エミーナ様、お話が……」 「あなたの辞表も却下」 「えっ……?」 ルシーダ様に先手を打たれたエルクさんは固まってしまいました。本当に辞表だったみたいです。 「あなたについてはお咎め無しよ」 「し、しかしですね、僕は、僕の父は……」 エルクさんはどうにかして食い下がろうとしましたけれど、でも、エミーナ様はやんわりと、ルシーダ様は意地悪そうに、言います。 「これまで通り働けるのよ。『好きな人の傍で働ける今の生活が良かった』というあなたの言葉は嘘だったのかしら?」 「それとも、昔の男がいると知って心変わりしたとでも言うの?」 すると、エルクさんはチラチラとわたしたちの方を見ながら答えます。 「そんなことはありません! 彼女が今でも想いを寄せている人がいることは、僕も以前から気付いていましたから……」 「だったら素直に喜びなさい」 「はい……分かりました。ただ、一つだけ、お願いしたいことがあります」 「何かしら?」 「……父さんのところへ、面会に行ってもよろしいでしょうか?」 エミーナ様が尋ねると、エルクさんは一呼吸置いてから、言いました。 「あれでも今まで僕を育ててくれた父さんですから。読み書きや計算まで学ばせてくれた、たった一人の父さんですから」 エルクさんからのお願いを聞いたルシーダ様とエミーナ様は、二人で顔を見合わせて、 「ええ、構いませんわ」 「あなたが休日を使って外出する分には、私たちに断る理由はないもの」 「ありがとうございます」 エルクさんは深々と頭を下げました。 「そうそう。今後の仕事はマレーネに指示をもらってちょうだい。マレーネにもあなたの処遇は話してありますわ」 「はい。分かりました。何から何まで、本当にありがとうございます」 そして、エルクさんはもう一度頭を下げて部屋を後にしました。エルクさんみたいないい人がお仕事を辞めることにならなくて良かったです。 わたしも、これからもお屋敷に残って働こうと思います。 こんなにも心が広いお二人のために働けるなら、これほど幸せなことはありません。 わたしは本当に幸せ者です。 「それにしても……エルクさんが好きな人って誰なんでしょう? わたしはルシーダ様かエミーナ様だと思うんですけど」 わたしが言うと、お二人はまた顔を見合わせて、そして、大きな声で笑い出しました。 「本当に、メリッサちゃんがいると楽しいわね」 「ええ。ずっとこの家にいてもらいたいくらいですわ」 何がおかしいんでしょう? ちっとも分かりません。 分かりませんけど、わたしも一緒に笑ってしまいました。 ご主人様、今日もお屋敷は平和です。 |
〔終わり〕 |
おまけ小噺〜或いはご主人様を擁護する試み〜
ル:ところで、メリッサ。メリッサは、パパと何回くらいしていたのかしら? メ:えっ? 何を、何回ですか? ル:もちろんアレのことですわ。 メ:『アレ』じゃ分からないんですけど。 エ:メリッサちゃんはお父様が亡くなるまでの一週間、お父様の寝室に通っていたでしょう? メ:それは……はい。そうですけど。 エ:だから、お父様とメリッサちゃんがどれくらい親密だったのか知りたいのよ、姉さんは。 ル:ちょっと待ちなさい、エミーナ。あなたも知りたいくせにわたくしをダシにするつもり? エ:ほら、姉さんもこんなに知りたがっているわ。教えてあげて、メリッサちゃん。 メ:それって……もしかして、わたしがご主人様としていたアレのことですか? エ:そう、そのアレよ。 ル:そのアレを何回くらいしていたのか、早くエミーナに言ってやりなさい。 メ:そ、それは……。いいえ、言えません! そんなことを聞いてどうするんですか? ル:娘がパパのことを知るのに理由が必要? メ:娘だったら余計に知りたくないと思いますけど。 エ:お父様はもう亡くなっているもの。どんな些細なことでも知っておきたいのよ、姉さんは。 ル:だから、エミーナ。わたくしをダシにするのはやめなさい。 エ:ほら、メリッサちゃん。姉妹の仲がこじれる前に話してあげて。 メ:分かりました。言います。言いますよ。 ル:それで、何回かしら? メ:えーと……百回くらいです。 ル:一週間で!? エ:しかも病気だったのに!? メ:そ、そんな大声出さないで下さい! 恥ずかしいんですから。 ル:誰だって驚きますわよ。パパの意外な一面を見せつけられた気分ですわ。 エ:ええ、驚かされたわね。男性は一度でもかなり疲れると本に書いてあったけれど。 メ:えっ? 男の人は唇をくっつけるだけで疲れるんですか? ル:……なんですって? エ:メリッサちゃん、毎晩それだけだったの? メ:はい。ご主人様のベッドで何度もキス……って、恥ずかしいことを言わせないで下さい! エ:キスの他には、何も? メ:そういうのは結婚してからに決まっているじゃないですか。ご主人様も言っていました。 ル:前言撤回ですわ。パパの度胸無し。 エ:お父様はメリッサちゃんの将来を考えたのでしょうけれど。 メ:もう。ルシーダ様もエミーナ様も、気が早いですよ。 ル:あんな言い方をされたら誰だって誤解しますわ。 エ:ええ。私まですっかり騙されたわ。きっとエネミーも誤解していたのね。 メ:そうですよ。エネミーさんもそそっかしいです。キスだけじゃ赤ちゃんはできないのに。 |
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