ハウスキーピング・オペレーション
第6話 社交界デビュー?
この前の偽御者さんはルシーダ様を誘拐するつもりだったみたいです。 |
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「やめて下さい、ルシーダ様。危ないですよ。昨日のことを忘れたんですか?」 「昨日失敗したばかりなのに、今日も誘拐しようなんて普通は考えませんわ。あなたは心配性なのよ」 「犯人さんが普通じゃなかったらどうするんですか。いいえ、普通の人は誰かを誘拐しようなんて考えません。犯人さんは普通じゃない人なんです。普通じゃない人は普通じゃないから今日も誘拐しようと考えるかも知れないんです。だから、わたしの心配は心配性だから心配しているんじゃなくて根拠のある心配だからルシーダ様も心配して下さい!」 わたしはどうにかしてルシーダ様を説得しようとしました。 「わたくしは、一度行くと決めたら必ず行くのよ」 でも、ルシーダ様は、一度行くと決めたら何があっても行く人なんです。わたしだけではとても説得できません。 「マレーネさんからも言って下さい。危ないですよって」 わたしはマレーネさんに応援を頼みました。すると、 「そうですね。ルシーダ様がお一人で行くのであれば、私もお引き止めします」 「えっ? マレーネさんも一緒なんですか?」 それなら安心です。わたしは胸を撫で下ろしました。ルシーダ様と違って引っかかるところがないから簡単に撫で下ろせるんです。 ところが、マレーネさんは首を左右に振りました。 「いいえ。私ではありません」 「それじゃ、ルシーダ様のお友達ですか?」 「メリッサさんも良く知っている、あの方ですよ」 「あの方?」 「ええ。お二人が一緒でしたら何が起こっても心配ありませんよ」 誰でしょう? 心当たりがありません。 「もったいぶるなんてマレーネも意地が悪いですわね。いいわ、あっちも準備が出来たでしょうから、マレーネ、呼んで来てちょうだい」 「はい、承知しました」 マレーネさんは笑いをこらえるようにして、『あの方』を迎えに行きました。 マレーネさんが戻ってきました。 女の人と一緒です。 「用意はできた?」 ルシーダ様がくだけた口ぶりで尋ねると、女の人は自分のドレスを見回してから答えます。 「ええ。久しぶりだから調子がつかめないけれど、こんなものね。……あら、メリッサちゃん。どうしたの?」 「えーと……」 親しげに話しかけられてしまいましたけれど、わたしは、この人が誰なのか思い出せません。きっと初めてお会いしたんだと思います。 だって、こんなに綺麗な人だったら、すれ違っただけでも覚えているはずなんです。 白い素肌は絹のよう。 輝く髪は天の川。 ルシーダ様に勝るとも劣らない美人さんです。 こんな美人さんが近くにいたら、ルシーダ様の美しさが霞んでしまいます。ルシーダ様の一大事です。絶体絶命のピンチです。 「ルシーダ様! お逃げ下さい!」 気が動転したわたしは思わず叫んでいました。 でも、怖いもの知らずのルシーダ様が敵に背を向けるはずがありません。 「あなたは何を言っているの? エミーナでしょう」 「エミーナ様!?」 言われてみれば、エミーナ様に似ています。色白で銀髪なのは同じです。 「本当にエミーナ様ですか?」 「どうして姉さんを私から逃がさないといけないのか分からないけれど、私はエミーナ・S・エスティマ本人よ」 「まさか、錬金術で美人になる薬を完成させていたんですか?」 「お風呂に入って化粧しただけよ。私も姉さんとパーティーに行くから」 わたしは本気と書いてマジと読んでしまうほど本気で驚いてしまいました。 すっかりダメ人間のエミーナ様が本当は美人なのは知っていました。 しかし、わたしはエミーナ様の真の美しさを見誤っていたのです! わたしがこのお屋敷に初めて来た頃には、エミーナ様はもうお風呂嫌いになっていました。お風呂に入ってもカラスの行水で、まともにお化粧したことも数えるほどしかありません。 天国のご主人様、見ていらっしゃいますか? あのエミーナ様がこんなにも美しく変身できたのですよ。 こんなエミーナ様の晴れ姿を目にすることができて、わたしは幸せ者です。これならどんなパーティーでも自信を持って送り出せます。 ……送り出しちゃダメです! 「エミーナ様まで危ないことをしないで下さい! ルシーダ様が誘拐されそうになったんですよ。エミーナ様だって狙われちゃうかもしれないんですよ。パーティーなんて行っちゃダメなんです!」 「メリッサちゃんは心配し過ぎよ。それに、今日のパーティーは夕方まで。暗くなる前に戻ってくるわ」 「暗くたって明るくたって駄目ですよ。一度失敗した犯人さんは何をしでかすか分からないんです。犯人さんは犯罪者さんだから犯罪心理を考えないといけないから一般人のわたしたちには考えの及ばないとんでもない考えを考えているかも知れないって考えないんですか? というか、考えて下さい!」 「私にはメリッサちゃんが何を言っているか分からないわね」 わたしはちょっと暴走してエミーナ様を呆れさせてしまいました。 「うるさいですわよ。そんなに心配ならあなたも一緒に来なさい」 ルシーダ様がちょっと怒ったように言いました。 すると、それを聞いたエミーナ様がうなずきます。 「それは良い考えね。メリッサちゃんにも人生経験をさせておくべきよ」 「えっ?」 「それもそうね。冗談のつもりでしたけれど、それも悪くありませんわ」 なんだか勝手に話が進んでいます。とても嫌な予感がします。 「そうと決まったらメリッサちゃんにもパーティー用のドレスを用意してあげましょう」 「ドレスならありますわ。――この前のドレス、染み抜きは済んでいるのでしょう?」 「はい。それは済ませていますけど……何に使うんですか?」 振り返ったルシーダ様にわたしは恐る恐る尋ねてみました。すると、 「あなたが着るに決まっていますわ。メイド服でパーティーに行ったら使用人と思われるでしょう」 「それに、今日のあなたはメイドのメリッサちゃんじゃないわ。私たちの友人、メリッサ・L・ウィステリアよ」 ルシーダ様もエミーナ様も本気みたいです。 ウィステリアっていうのはわたしのファミリーネームですよ。わたしの実家も貴族なんです。 「で、でも、わたしは、社交界とかぜんぜん似合いませんから」 「だから、あなたを慣れさせるために行くのよ」 「私も社交界は苦手なのよ。それでも慣れておかないとね」 嘘です。ルシーダ様は面白がっているだけです。エミーナ様も研究室を建て直すまでの暇つぶしがしたいだけなんです。 「マレーネさん、助けて下さい」 お二人の説得を断念したわたしはマレーネさんに助けを求めましたけど、 「よろしいのではありませんか? そもそもウィステリア家からあなたをお預かりしたのは淑女としての礼儀作法を身に付けさせることですからね」 マレーネさんからも見捨てられてしまいました。 それどころか、マレーネさんはミズキちゃんを呼んで、わたしがルシーダ様からいただいたドレスを取りに行かせてしまいます。 結局、わたしは四人がかりで着替えさせられてしまいました。 「柱に抱きついて何をしているの。早く行きますわよ」 「わたしはいいんです。お二人だけで行って下さい」 「メリッサちゃんが一緒じゃないと不安なのよ。姉さんが誘拐されそうになったばかりでしょう」 「さっきと言っていることが正反対ですよ」 わたしは玄関ホールで必死の抵抗を試みていました。石の柱にしがみついて離れません。離れなければ馬車に乗れないからパーティーにも行かなくて済むんです。 でも、ルシーダ様とエミーナ様に両側を固められて逃げ場がありません。 後ろではミズキちゃんがくすくす笑っています。マレーネさんも、声は出していませんけど、きっと笑っているんです。 四面楚歌ってこういう状態を言うんですね。 そのとき、騒ぎに気付いたのか、廊下の角からエルクさんが顔を出しました。 「あっ、エルクさん! 助けて下さい!」 「どうしかしたんですか、メリ……ッサさん?」 エルクさんはわたしの姿を見て固まってしまいました。やっぱりわたしがドレスなんて似合わないんです。胸に詰め物をしているのもバレているんです。 「ちょうどいいわ。エルク、あなたも手伝いなさい。見とれていないでメリッサを馬車に乗せるのよ」 「ええと、メリッサさんをどちらへ連れて行かれるのですか?」 「ちょっとしたパーティーですわ。メリッサにいい男を見つけてあげるのよ」 「メリッサさんに、男性を紹介するのですか?」 なんだか話が違います。わたしを社交界に慣れさせるためじゃなかったんですか? ともかく、エルクさんが敵に回らなかったのは不幸中の幸いです。エルクさんは様子を伺っているだけでルシーダ様たちの手伝いはしませんでした。 でも、ルシーダ様は初めらエルクさんを当てにしていなかったみたいです。ルシーダ様はわたしの体を軽々と抱え上げてしまいました。ルシーダ様の腕力はエルクさんの二倍以上あるんです。 「ルシーダ様、やめて下さい」 「いいから急ぎますわよ。もうミルコフを待たせてありますわ」 わたしはルシーダ様に担ぎ上げられたまま手足をばたばたさせましたけど、抵抗むなしく馬車に押し込まれてしまいます。エミーナ様が奥に、わたしが真ん中です。最後にルシーダ様が馬車に乗り込もうとしたとき、エルクさんが声を上げます。 「あ、あの……ルシーダ様! 僕もお供します!」 「何を言っているの? あなたは留守番でしょう」 でも、ルシーダ様はあっさりと却下してしまいました。そして、エルクさんが何か言う前に御者のミルコフさんに告げます。 「いいわ、出してちょうだい」 ミルコフさんはわたしを見て不思議そうな顔をしましたけど、そこは仕事に忠実なミルコフさんです。すぐに馬車を走らせてしまいます。もう逃げられません。 刑務所に運ばれる囚人さんになった気分です。 「おお、ルシーダ嬢だ。相変わらずお美しい」 「それでは、隣の美女は……もしやエミーナ嬢?」 「後ろに隠れているのは侍女かしら?」 パーティー会場に到着したわたしたちを、他の参加者たちが噂します。 でも、遠巻きに見ているだけで話しかけてくる人はいません。 「流石ね、エミーナ。あなたに気後れして誰も近寄って来ませんわ」 給仕の人から取り上げたワイングラスを片手で揺らしながらルシーダ様が言います。ちょっと不機嫌です。エミーナ様が自分より美人と思われていることが面白くないみたいです。 「私がパーティーに出てくるなんて珍しいから様子を伺っているのかしら」 ルシーダ様が不機嫌な理由が良く分かっていないエミーナ様は首をかしげます。エミーナ様は美人の自覚がないんです。 「まったく、エミーナのせいでメリッサにいい男を見付けてあげられないじゃない」 「それは別にいいんですけど」 「失礼します。エスティマ家のルシーダ様とエミーナ様ですね?」 いつの間にか知らない人たちがわたしの後ろに立っていました。 一人は、わたしたちより年上の、おっとりした感じの美人さんです。美人と言ってもエミーナ様の方が美人ですよ。えっへん。……わたしが自慢することじゃありませんね。 もう一人は、他のパーティー参加者と違って大柄な、がっしりした体格の男の人です。髪は短めに刈っていて、ハンサムではないですけど精悍な顔は合格点です。 話しかけてきたのは女の人の方です。 「わたくしはファリア・シュヴィンドリックと申します。こちらはウィッツです。マレーネさんからお話は伺っているかと思います」 「ええ。聞いているわ」 「メリッサちゃんはここで待っていてね」 ルシーダ様とエミーナ様はわたしを壁際に残してその二人とおしゃべりを始めてしまいました。 男の人はマレーネさんに紹介されたお見合い相手でしょうか? 「やあ。一人かい?」 男の人は腕っ節が強そうで、ルシーダ様の好きなタイプですけど、貴族の人じゃなさそうです。 「緊張しているのかな?」 それに、タキシードも着慣れていない感じがします。わたしにドレスが似合わないのと同じです。 「これでも飲んで落ち着いたら?」 「はい。ありがとうございます」 わたしは目の前に差し出されたグラスを傾けて一口だけ……あれ? これ、ジュースじゃなくてワインです。というか、グラスを渡した人は誰でしょう? そんなことを考えている間もなく、わたしの頭は真っ白になってしまいました。 わたしは木陰のベンチで目を覚ましました。 パーティー会場になっているお屋敷の中庭です。窓から会場の様子が見えます。 「気分はどうだい?」 振り向くとわたしの隣に男の人が座っていました。 わたしより一つか二つ年上の、でも、ちょっと可愛い感じの、男の人です。 「たった一口で酔いつぶれるなんて、お酒に弱いんだね」 「すっ、済みません。ご迷惑をおかけしました」 「謝るのは僕の方だよ。お酒に弱いのも知らずにグラスを渡してごめんよ」 そう言って男の人は微笑みました。けっこうハンサムさんです。 「僕はルーク。君は?」 「あ、あの、メリッサ、です」 「メリッサちゃんか。可愛い名前だね」 えーと……。これは、もしかして、ナンパされているんでしょうか? 「良かったら、もう少しだけお話させてもらっていいかな?」 間違いありません。これはナンパです。 ナンパというのは男の人が女の人に声をかけて仲良しさんになることです。女の人が男の人に声をかけるのを逆ナンパというのは男女差別とか言う人がいますけどナンパは男の人から声をかけることだと思うからその逆を逆ナンパ略して逆ナンというのは間違っていないんです。でも軟派という元々の意味に男女の区別がないんだったら逆ナンパはやっぱり差別的な言葉ということになりますけど言葉遊びの揚げ足を取るのを男女差別って騒ぐのは違うんじゃないかと思っちゃったりしちゃうこともあるから世の中は難しくて困ったものなんです。 わたしは頭の中がぐちゃぐちゃになって変なことを考え始めてしまいました。だって、男の人からナンパされるなんて初めてなんです。びっくりしてどうすればいいのか分かりません。 「どうしたの? まだ気分が悪いのかい?」 心配したルークさんがわたしの顔を覗きこみました。今にもキスされてしまいそうです。 「あの、えーと、その……。ごめんなさいっ!」 わたしは手を伸ばしてルークさんを跳ね飛ばそうとしました。 「うわっ。急にどうしたんだい?」 ところが、ルークさんはわたしの腕をサッとかわしてしまいました。 それどころか、ルークさんはバランスを崩したわたしの腰に腕を回して支えてくれました。 いけません。若い男女がこんなにぴったりくっついたら危険です。仲良しさんになっちゃいます。こんなところで知らない人と仲良しさんになったら天国のご主人様に顔向けできません。 お許し下さい、ご主人様。メリッサはもう……。 「メリッサ! 無事ね」 「大丈夫、メリッサちゃん!?」 わたしが諦めかけたその時、ルシーダ様とエミーナ様がテラスから飛び出してきました。 「ルシーダ様! エミーナ様!」 「メリッサちゃん、伏せて」 エミーナ様が投げた球は、ルークさんの顔に当たると破裂して赤い粉を撒き散らしました。香辛料を材料にして錬金術で作った痴漢撃退ボールです。目がツーンとするんですよ。 「メリッサから離れなさい!」 そして、涙とクシャミが止まらないルークさんにルシーダ様がシャイニング・ウィザードをブチかましてしまいます。相手のひざを踏み台にして顔面にひざ蹴りを叩き込む危険な技です。良い子は真似しちゃいけません。 『お二人が一緒でしたら何が起こっても心配ありませんよ』 マレーネさんの言葉は本当でした。 「少し目を離した隙にいなくなるから、もしやと思って探していたのよ。でも、余計なことをしたかしら?」 エミーナ様はわたしの傍に駆け寄って、乱れたスカートを直して下さいました。 「いいえ! 助けて下さって、ありがとうございます」 わたしは顔を上げてエミーナ様に抱きつきました。 すると、エミーナ様はわたしの体をギュッと抱き締めて、頭を撫でて下さいました。ちょっと恥ずかしいです。 「放っておいて悪かったわね」 気絶したルークさんを放り捨てて、ルシーダ様もこちらにやってきます。あのルシーダ様が謝るなんて、珍しくて思わず顔がほころんでしまいます。 「もうこんなことがないように、わたくしが護身術を教えてあげますわ」 「それなら、私からも何か護身用のアイテムをプレゼントするわね」 何事もなくて本当に良かったです。 |
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「結局、メリッサにいい男を見つけてあげられなかったわね」 「だから、わたしは男の人なんて別にいいんです」 「やっぱり、あのまま邪魔しない方が良かったかしら?」 「ミルコフさんも聞いているんですから、もうその話はしないで下さい」 帰りの馬車で、わたしはルシーダ様とエミーナ様にからかわれていました。 「お屋敷に戻ってもしゃべっちゃ駄目ですからね。絶対に秘密ですからね」 わたしは言いましたけど、ルシーダ様は面白おかしく言いふらすに決まっています。きっと明日の夕方には屋敷中に噂が広まっているに違いありません。 「わたしよりルシーダ様の方はどうだったんですか? さっきの背の高い男の人の連絡先とか聞いたんですか?」 「背の高い男? ああ、そういう話じゃないから別にいいのよ」 「そうなんですか?」 どういう話だったんでしょう? 少し気になりましたけど、馬車に揺られているうちにわたしは眠ってしまいました。 |
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