――夢を……夢を見ていました。
夢の中の私は、ひとりの男の人になっています。
その男の人は、とても強く雄々しく、常に前だけを見つめて真っ直ぐに生き
ようとしています。
どんなに傷ついても。
どんなに辛いことがあっても。
どんなに悲しいことがあっても。
そんな素振りは少しも見せずに、力強く前へ前へと踏み出そうとするのです。
そんな姿を見て、私はそうなりたい――ああ、私もそうなろうと、強く思い
ました。そして願わくば、この人の苦しみを分かち合ってあげられる人がいま
すように、この人の悲しみを和らげてあげられる人がいますようにと、強く願
ったのです。
強く、強く、願ったのです。
☆ Little Dreamer ☆
<s.CRY.ed:Short×2>
−Dream's a dream−
「カズくーん。朝だよー」
ゆさゆさ。
……起きない。
「ねー、カズくーん。起きてよー」
ゆさゆさゆさ。
……全然起きない。
「カズくんってばー」
ゆさゆさゆさゆさゆさ。
……起きないったら起きない。
「……ん……もう……少し…………勘弁……」
「もーーーっ!」
ぷーっと小さく頬を膨らませて、不平の声を上げる少女――由詑かなみ。
生活力絶無の同居人――カズくんことカズマに代わって、若干8才にして家
計のやり繰りから家事一切までを切り盛りする、実質上この家の主である。
「今日は牧場の手伝い、一緒に行ってくれる約束でしょーっ!!」
このグータラ同居人の寝起きの悪さはいつものことだ。約束を守らないチャ
ランポランさもまた然り。それに慣れてしまっている自分自身に、ちょっぴり
の尊敬と――そして、大いなる情けなさを感じつつ毛布を引っ剥がす。
「んー……牧場……?」
「そうだよっ!」
カズマとかなみの住む、今は使われていない診療所。この廃家3歩手前くら
いの物件は、それでもここロストグラウンド――22年前に発生した、大規模
な謎の地殻隆起現象により外界から隔離された地――の未開発地区では破格の
好条件だった。勿論、何某かと取り引きした訳ではなく勝手に住んでいるだけ
なのだが。それがこの荒野では当然だった。
そんな世界で生きていくためには、子供といえども働かなくてはならない。
もしくは非合法な犯罪に手を付けるか。2人きりでともなれば尚更だ。そして、
犯罪者になるつもりは毛頭ないかなみは、ほぼ毎日のように近くの牧場に手伝
いに行き、僅かながらの給金を貰い生活の足しにしている。
「んーな約束したっけ……?」
「したよー! 昨日の夜っ!」
流石にかなみの給金だけでは、2人分の生活費を賄うことは出来ない。その
ため時折カズマが、知り合いの男から紹介された仕事――かなみはその詳しい
内容を聞いたことは一度もない――をこなしてくる。合法か非合法かも不明。
おまけにその仕事のために数日間家を空け、その間かなみが独りきりになるこ
ともしばしばであり、かなみに不満がない訳ではなかったが、その収入がある
からこそなんとか生活していけるのも確かだった。
「もう米も野菜も少ないんだよっ! 働かないと食べていけないんだからね!!」
しかし、カズマの“仕事”もそう頻繁にあるわけではない。どうしようもな
い窮状ともなれば、無理に仕事を回して貰うことも出来るが――まあようする
に現状、中途半端な財政事情なのだ。さりとて食料が残り少なく、懐の余裕も
なくなってきたのも事実だった。だから昨晩、この先数日間は仕事の予定がな
いというカズマに対して、牧場で働くようにという約束を取り付けたのだ。
本来なら、普通に真面目に毎日カズマも一緒に牧場で働いてくれれば、訳の
判らない“仕事”なんてしなくても十分生活していけるのに、とかなみは思う。
自分の目の届くところにいてくれれば、怪我をしていないかとか、ちゃんとご
飯を食べているかなどといらぬ肝を砕くこともないのに。だから、今日のこの
約束は譲れない――そう強く思った。
即ち早い話が、一緒にいて欲しいということなのだが。
もしこのまま自分だけが牧場に働きに行き、帰ってきたらカズマはいません
でした、などという事態になっては堪らない。しかもあり得ない話ではないだ
けに、そんなことを考えると胸のあたりがぎゅっと締め付けられるように苦し
くなる。
「んー……」
そんなかなみの気持ちも露知らず、未だに寝ぼけまなこを擦りながら診療室
の中央に備え付けられたベッド代わりの診察台の上で身じろぐカズマ。流石は
グータラ亭主の名を欲しいままにし、かなみより8才も年上であるにも関わら
ず“保護者”ではなく“同居人”扱いされているだけのことはある。かなみ曰
く『甲斐性なしのロクデナシ』しかも本人ですら『そこにクズとウスノロを足
してもいいよ』などと言う体たらくである。徹頭徹尾尻に敷かれている、まさ
に恐妻家の鏡のような漢であった。ああ、ビバ嬶天下!
「そこまで言われる筋合いねぇよっ!! つーか亭主ってなんだっ!?」
「きゃっ!? ど、どうしたのカズくん?」
いきなり叫びながら跳ね起きて、天に向かい人差し指を突き上げるカズマに、
驚きの声を上げるかなみ。
「いや、なんか激しく侮辱されたような気がしてよ……」
「はぁ……?」
「あーなんでもねぇ」
訳が判らないといった表情で、小首を傾げるかなみにひらひらと手を振って、
診察台から降りると軽く伸びをする。
「さてと……すっかり目も覚めちまった。朝飯にしようぜ、かなみ。んでもっ
て――」
「――牧場!!」
両腕を振り上げて宣言するかなみの頭に軽く手を置くと、目を細めてにっと
笑う。
「りょーかい」
こうして漸く、カズマとかなみの一日が動き出す。
牧場へと続く、舗装もされていない荒れた小道。自分より数歩先を歩くかな
みの、その頭の後ろで結わえられた亜麻色の長い髪が左右に揺れるのを見なが
ら、カズマが思ったことは――
「なんか、羽でも生えて飛んでっちまいそうだな……」
「んー? なんか言った? カズくん」
軽やかに、身体全体でクルリと振り返り、笑顔で小首を傾げる少女にやや呆
れたような、戸惑うような表情を向けるカズマ。
「いや、ムチャクチャ機嫌よさそうだなってさ」
先程の朝食の最中もそうだったが、今も跳ねるように軽やかにスキップしつ
つ、鼻歌まで歌い出したのだからこれで機嫌が悪い訳がない。これで機嫌が悪
いことをアピールしていたのだとしたら、そんな捻れた努力は恐らく一生実ら
ないだろう。
「えへへへ、そうかにゃー?」
「…………」
訂正。どうも浮かれているようだ。
「ほらほら、そんなことより急ぐナリー!」
「おい、なんかキャラ違うぞっ! 酔っぱらってんのかっ!?」
「そんな訳ないでしょー。失礼だなぁ」
「じゃあ、なんでんな浮かれてんだよ」
「だって、カズくんが働いてくれるから」
まるで判らないといった風情で尋ねるカズマに、相変わらずの上機嫌さでそ
う答えるかなみ。その返事の内容に、カズマは苦り切った表情で頭を掻いた。
「俺が働くのが、そんなに珍しいのかよ……つーか、働いてんだろうが。君島
と出掛けて――」
「――そうじゃなくて!」
「あん?」
ぷくっと可愛らしく頬を膨らませて、腰に手を当てカズマの台詞を遮ると、
今度はかなみが判ってないなぁという風情で先を続ける。
「そうじゃなくて。カズくんが、私と一緒に牧場で働いてくれるのが嬉し――
め、珍しいから」
「だから、浮かれてるってか? やっぱよく判んねぇぞ、それ」
なにやら、最後の方は俯いてごにょごにょと聞き取りづらかったが、自分が
牧場に行くから浮かれているらしい。そう、判断して――矢っ張りよく判らな
いなと、理解に苦しむカズマだった。
「い、いいのっ!」
相変わらず、不思議そうな顔で頭を掻いているカズマに、少し慌てたように
背を向けて、再び歩き出すかなみ。今度は先程までとは違って、ややゆっくり
とした歩調で。赤くなった頬は見られなかった筈だ。
「それにね、昨日の夜また見たの。夢を」
一先ず話題を逸らそうと、かなみは昨晩見た夢の話を持ち出した。最近よく
見るようになった、あの人の夢を。
「夢って……前にも言ってた、知らない男になってるとかいうアレ?」
「うん。ソレ」
まだ頬が熱かったので、振り返らずに前を見たまま頷く。
「そんな変な夢見て、嬉しいもんかねぇ?」
「だって、やっぱりその人スッゴク格好いいんだもん!」
カズマの揶揄するような調子に、思わず振り返ろうとして途中で停止する。
いつの間に追いついてきたものか、カズマはかなみの直ぐ横に並んでいた。
「だからさぁ、前にも言ったけど、なんで顔も判らないのに格好いいって判る
訳? やっぱり君、エスパー?」
そのまま回り込みつつ、先程のかなみの真似なのか腰に手を当て顔を覗き込
むように近づけて、意地の悪い笑みを浮かべる。
「だ、だからそれは……」
「そういや前もなんか言いかけたよな? だから――なんなのよ?」
言えない。
「だから、それは……」
「それは?」
言えないったら、言えない。
「えっと……」
「えっと?」
何となく雰囲気がカズくんに似てるから――なんて、言えませんってば。
「だから……」
「だから?」
カズマの笑みが益々強くなる。必死に視線を逸らそうとするかなみを、器用
に追い掛けて逃がさない。
「なんで格好いいって判るんだよ? ホレホレ言ってみ」
「うぅ〜、もーカズくんいぢわるだよーっ! 判ってて言ってるでしょー!?」
「いんや、全然判んねぇ。だから早く教えてくれ、ホレホレ」
つっと人差し指をかなみの顎に添えて、猫でも戯らす様にしゃくる。
「ふぁっ」
「あ……」
なにやら妙に艶っぽい声を上げて、瞳を閉じるかなみ。それを見たカズマは、
思わずしまったという風に顔を顰めるが既に手遅れだった。
「…………」
「…………」
どうしていいか判らず、そのまま固まってしまう2人。道の真ん中で、なん
とも間抜けだが、他人に見られなかっただけよしとすべきか。
「……カズ、くん」
「…………」
上目使いにゆっくりと開かれたその瞳は、心なしか潤んで見えて……顎に添
えられていた指を、そっと頬に触れさせる。しっとりと吸い付く様に滑らかな
その感触と、紅潮した火照りを掌に感じながらカズマはそっとかなみの顔を引
き寄せる。ドキドキと煩いぐらいに高まる心音と、ドクドクと弾けてしまいそ
うなほど駆け巡る血液の脈動を感じて、それが自分の物なのかそれとも掌から
伝わってくるかなみの物なのか、それすらも判然としなくなっていく。
「カズくん……」
再びかなみの唇から、その名が紡ぎ出される。それを聞いて、それを見て、
その小さな唇を見て。カズマの頭の中で、何かが弾けた。そして、その桜色の
唇にそっと顔を寄せて――
「――って、勝手に話進めんなぁーーーっ!!」
「ひゃんっ!?」
いきなりの大声に思わず目を閉じ、首を竦めて驚きの声を上げるかなみ。恐
る恐る再び目を開いた時には、いつの間に移動したものか数メートル先でカズ
マが肩で息を切っていた。
「はぁはぁ、ナ、ナイスセーブ自分っ!!」
「はぁ……?」
「……あーなんでもねぇ。そ、それよりとっとと行こうぜ、牧場。折角、嫌々
……もとい、真面目に働きに来たってのに遅れてどやされたら割に合わねぇ」
そう言って、慌てて回れ右して歩き出すカズマの背中に向かって、かなみは
そっとため息を吐いた。拗ねた様な調子の呟きと共に。
「カズくんの意気地なし」
牧場での仕事は特に変わりなく、いつも通りだった。カズマに関しては。い
つものようにどやされ、いつものように不平の叫びをあげる。いつもと違った
のは、途中で抜け出さなかったことぐらいか。それに比べて、かなみの方は少
々普段と様子が異なっていた。勿論いつもと違って怠けていた、というのでは
ない。その逆で、周りが感心するほど――ともすれば唖然とするほど――目紛
しく動き回っていた。カズマの目には、どう見てもはしゃいでいる様にしか見
えなかったが、別にかなみも遊んでいるわけではないので、余程無茶をしない
限り口出ししようとは思わなかった。当然、何かあればいつでも手助け出来る
よう、常に注意を払ってはいたが。その所為で、余所見するなとどやされ続け
たのはご愛嬌。
「それにしても……」
そして現在、時刻は午後3時を少し回ったところ。
「なんか今日は、振り回されっぱなしだぜ……」
そう言ってカズマは、自分の膝枕で気持ちよさそうに寝息を立てているかな
みの、その額に掛かった柔らかな前髪をそっと払った。
「……ぅん……」
何故こんな状態になっているのかといえば、昼食後いくらもしない内にかな
みがいつものノルマをこなしてしまったからだった。その後も、周りが諌める
のも聞かずに猛然と働き続けたのだが、流石に心配になったカズマにまで止め
られ、少し休憩するということで漸く納得したのだった。そして、積み上げら
れた干草の上に腰を下ろすと、ものの5分もしない内に隣に座っていたカズマ
にもたれ掛かって、すやすやと寝入り始めてしまっていた。因みに何故かカズ
マまで一緒に休んでいるのは、まあご愛嬌。
「へばる直前まで、はっちゃけてんじゃねーよ……」
もたれ掛かって来たかなみを起こさない様、膝枕してやった途端、大人達に
散々からかわれたのを思い出して、憮然とした面持ちを作るがそれも一瞬のこ
と。直ぐに苦笑いに取って代わる。
「ったく、ガキなんだからよう……」
そんな当たり前のことを呟く。そう、まだ子供なのだ、かなみは。そんな子
供に振り回され、その笑顔にどぎまぎして、一生懸命働くその姿から目が離せ
なくなる。そんな自分は一体何なのか。そう思うと、苦笑いに二重の意味が含
まれた。
「ったく……マジでカッコつかねぇ」
そんな言葉とは裏腹に、そっと優しくかなみの髪を梳くと、一房手にとって
くちづける様に、いとおし気に顔を寄せる。柔らかな日向の匂いがするそれは、
カズマの気持ちを無条件で落ち着かせた。こんな場面を見られたら、さっきの
比ではないくらいの物笑いの種になりかねなかったが、そんなことは既に彼の
頭の中からは、綺麗さっぱり消失していた。冷やかされることを気にするより
も、今の自分の気持ちに素直に従うことの方が、余程大事だと思えた。その方
が自分らしいと、そう思った。
自分は、狡い人間なのだから。狡くて我が儘な男なのだから。
かなみに気付かれることのない、こんな時でしか。
こんな時だけ。
甘える様に。縋る様に。
「ホント、マジでカッコつかねぇな」
――夢を……夢を見ていました。
夢の中の私は――いつものあの人は――とても穏やかな心持ちで微睡んでい
ます。そこにいつもの荒々しさや猛々しさは微塵もなく、その胸に温かく灯る
のは――安心感、満足感、充足感、幸福感――そういった類のもの。
この温もりを手放したくない。この時が永遠に続いて欲しい。
たとえそれが叶わぬ願いだったとしても。
今のこの気持ちに偽りはないのだから。
そして唐突に、私は理解したのです。
ああ、この胸に灯るのは……抱いているものは――
私は安心しました。そしてほんの少しだけ……いいえ、とても嫉妬しました。
貴方、ああ、私の貴方。
貴方が想う人が、私だったらいいのに。
貴方の大切な誰かが、私だったらいいのに。
そして……私の大切な貴方が、あの人だったらいいのに。
だから、大事にしてあげて。貴方の大切な誰かを、決して手放さないで。
お願いだから。
一緒に、いてください。
「……み……おい……きろ…………おい……なみ……」
「……んぅ〜……」
「こら、かなみっ!」
「ふにゃっ!?」
カズマの声に、慌てて跳ね起きるかなみ。しかし、急には覚醒しきれなかっ
たのか、フワフワと頭をそして体全体を揺らめかせる。
「ほら、しゃんとしろって」
「あー……カズくん?」
「やっと目ぇさましたか、この寝坊助め」
目を細めて、くしゃりと頭を撫でる。そのカズマの手を、くすぐったそうに
受けて、そこで漸く世界が紅く色付いていることに気が付いた。
「あ、あれれ!? も、もしかしてもう夕方っ!?」
「おう。随分と爆睡したもんだ。でも、そろそろ冷えてくるから帰ろうぜ」
のんびりとした調子で言うカズマに向かって、しかしかなみは青ざめて――
夕焼けの所為で、紅く染まってはいたが恐らく青ざめて――慌てて問い質した。
「か、帰るって、でもでもお仕事はっ!?」
そんなかなみの慌てぶりを見やって、呆れたように頭を掻くカズマ。
「仕事って……あんだけ働いて、まだ働き足りないのかよ」
「そ、そういうことじゃなくて。私ずっと寝てたの?」
「おう。しかも涎垂らして」
「う、うそっ!?」
「うそぐえっ!?」
べっと舌を出したカズマの顎に、かなみのアッパーカットが綺麗に入った。
「な、何しやがんだっ!? 舌噛んだぞ、舌っ!!」
「カズくんこそ、レディーになんてこと言うのよっ!! 舌噛んで死んじゃえ
バカーっ!!」
「バ、バカですと!? バカですか!? バカ言いはりましたかっ!?」
「言ったよっ!! って言うか、なんかキャラ違うよっ!!」
「バカって言う子は、貴方もバカですわよ?」
「だから訳判んないし、キャラ違うってばっ!!」
そうしてひとしきり罵り合ったり、ポカポカはたき合ったりした後、遂に諦
めたのか、かなみが力なくカズマにしな垂れ掛かって来た。
「あぅー……もう、大失態だよぉ……」
そんなかなみの落ち込みぶりが気の毒になったのか、いがみ合いから今度は
一転して慰め出すカズマ。自分でも何やってんだかなーとか頭の隅で思いつつ。
「ま、まあまあ。いつものノルマ以上に仕事こなしてたんだから、別に問題な
いだろ。おばはん達も、休ませとけって言ってたしよ」
「で、でもぉ……」
尚も縋り付きつつ、情けない声を上げるかなみの頭を再びくしゃりと撫でる
と、カズマはその表情を皮肉気に歪めてニヤリと笑った。
「それに、おかげで俺もサボれたしな」
「もう、カズくんたらまたそんなこと言ってー!」
「ははっ、まあそんなに気に病むなら、帰りに一言謝って行けばいいだろ?
俺も付き合うからさ」
そっとかなみを引き離すと、そう言ってくるりと背を向け、頭の後ろで両手
を組んでのんびりと歩き出す。
「さ、行こうぜかなみ。そろそろ腹も減ってきたしよ」
「う、うん」
肩越しに顔を向けたカズマに、そう返事を返すかなみ。その目に、彼の背中
はいつもの様に大きく、そして遠くに在るように見えた。
「ね、ねぇカズくん」
「あん?」
「私が寝てる間、ずっと傍に……居てくれたの?」
「あ……あー……なんだ、その、言ったろサボりって。ま、そのついでだよ、
ついで。かなみが、気にするようなことじゃねぇ」
「カズくん……」
この人はいつもそうだ、とかなみは思う。自分勝手で、私のことなどちっと
も気にしていないように振舞う。けれども、私が落ち込んだとき、困ったとき
には必ず欲しい言葉を掛けてくれる。欲しい想いを、覗かせてくれる。付かず
離れず。それは、とても優しくて。そして、少し残酷だと思う。
幾ら伸ばしても、この手が彼の背に届くことはない。あちらから差し伸べら
れる手は、いつも自分を守ってくれるのに。自分の手は、カズマを支えられな
い。そんな不確かな確信。漠然とした事実。
カズマと暮らすようになって、かなみは世界で生きていく術を学んだ。カズ
マのお陰で、随分と強くなったと思うし、かなみ自身もそうなることを望んで
いた。けれどもそれは、独りで生きていくためでは決してなかった筈なのだ。
強くなりたかったのは、相応しくなりたかったから。
ずっと傍にいられるように。そのために望んだ強さなのに。
なのに貴方は、いつ自分が離れてもいいように。まるで、いつか離れて行っ
てしまう日が来ることを、予期しているかのように。
そんな冷たい、暖かさを。
穏やかな、不安を。
常に貴方から感じるのです。
私の気持ちは、あの日、あのとき、あの雨の日に。貴方と初めて逢ったあの
ときの、私の差し出したあの半分このパンに。全てはあのときに決まっていた
のに。全てはあの過去に、帰結しているのに。
貴方は――
「おい、かなみ?」
「えっ!?」
はっと面を上げると、直ぐ目の前に自分のことを覗き込む、黄金色の瞳があ
った。
「どうした? ぼうっとして」
全てが紅く染まった景色の中で、燃える様に輝くその双眸に魅入られ、その
美しさに息を呑むかなみ。
「かなみ?」
自分のことをじっと見上げたままのかなみに、訝しげにもう一度声を掛けて
遠慮がちにそっと手を伸ばし、その頬に添えるカズマ。そのカズマの掌から伝
わる温もりを感じて、かなみは思い出す。いつも見る夢とは少し違っていた、
先程のあの夢を。
そして、思う。矢張りこの温もりは――
あの温もりは――
「……ねぇ、カズくん」
互いに伝わる、この温もりは――
「ん?」
確かめたい――
添えられたカズマの手を、そっと包むようにして自分の両手を重ねる。
「今夜、一緒に寝よう」
ずごしゃっ!! とか派手な衝撃音と共に、顔面から突っ込んで地面と熱烈
なキスをするカズマ。相変わらず律儀なリアクションをとる漢である。
「大丈夫? カズくん」
無様な体制のまま動かないカズマを、つんつんと突っつくかなみの声が、あ
んまり心配そうでないのは、先程まで感じていたあの蜃気楼のような距離感が
霧散した安心感からであろうか。
「い、いきなり何言い出しやがるっ!!」
「じゃあ、一緒に寝ようって言うよ? 一緒に寝よう」
「そういう意味じゃねぇっっ!!」
「……ダメ、なの?」
「う゛っ……」
終わった。そう思った。
かなみにこの目で見られたら。この仕草で、この声で、囁かれたら。そこで
もう終わりなのだ。自分に抗う術などないことを、抵抗の余地など寸毫もない
ことを、カズマは嫌というほど思い知らされていた。悲しいほどに、理解させ
られていた。
「い、いや、あのな。ダメって言うか、危険って言うか、自信がないって言う
か……」
それでも一応、抵抗の素振りくらいは見せておく。そうでないと、あまりに
も情けなさ過ぎる。カズマの、なけなしのプライドがそう希求していた。
余計に、情けなさを助長しているような気がしないでもなかったが。
「カズくん……」
終わった。再び。
――だから、そんな泣きそうな面で縋られたら、判ったって言うしかねぇじ
ゃねぇかよ。さっきだって、お前を引き離すのにどんだけの理性を注ぎ込んだ
と思ってんだ。人の気も知らねぇで。つーか、こいつ判っててやってねぇか?
なんだ所謂、確信犯ってヤツ? ああもう情けねぇ。まったくこの俺が、シェ
ルブリットのカズマともあろうものが。戦って負けるどころか、戦いにすらな
らねぇ。そもそも、どうやって戦えばいいんだか――刹那の内にそんなことを
思って。ごちゃごちゃと言い訳して。嫌々ながらといった風情で返事を返す。
最初から決まっていた科白を。
「わぁーった。判りました。寝るよ、寝りゃあいいんだろ」
「むぅー! カズくんなんか嫌そう」
「寝る気満々の方が、問題あるだろっ!!」
「私は別にいいけど」
「いいのかよっ!?」
「えへへ……さ、行こう! カズくん!」
これ以上続けているとヘソを曲げそうなので、強引に手を取って歩き出す。
ごめんねカズくん、困らせて――心の中では、そう呟いて。
それでも。
それでも、確かめたいのです。
この温もりが、あの夢の温もりと同じであることを。
あのとき、あの人が抱いていた温もりが、私であることを。
貴方が抱いていた温もりが、他ならぬ私であると。
たとえ夢でも。せめて夢の中だけでも、自惚れていたいのです。
そして、あの温もりが、貴方にとって――
「カズくん! 今日の晩御飯は期待しててねっ! 絶対うまく出来る気がする
のっ!!」
「……あいよ」
貴方にとって、何ものにも代え難い、愛する人なのだと。
−That's all.−
(1st edition : 2002/09/01)
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