2017/11/04−05・12 新地平〜笠取小屋〜柳沢峠〜大菩薩峠 写真左:9:10車窓からの眺め 写真中:9:27登山道入口 写真右:9:27バス停前方に木賊岳 9:26出発。進行方向に沿って進み、右手にある林道に入り、15分ほどでゲートに着く。この先、民間の林業会社の山林らしい。唐松の黄色がいい感じ。30分ほど歩いて餌補給。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:9:40ゲート 写真中:10:26唐松の黄色 写真右:10:28唐松の黄色 1時間ほど歩くと暑くなってきたので、長袖の下着を半袖に着替える。鹿2頭が物珍しげに沢向こうの岸まで近寄ってくる。石を投げると逃げるが15−20m先で振り返へり、そのうちまた近寄ってきたり・・・。 そのあと、後続のバスの乗った方1人に追い抜かれる。20分ぐらい後に着いたとのことで、6人ぐらいが降りたらしい。 さらに進むと大きめの黄緑色のザックを背負った若者に追いつかれ、10分ほど歩きながら話ながら進むが、ペースが違うので先に行ってもらう。 そのうち林道が右岸から左岸に渡る所で最初の徒渉。小石づたいに渡る。前方300mほど先の沢が右に曲がる辺りに、先ほどの黄緑色が歩いていた。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:46対岸に鹿2頭 写真中:10:56黄色の中の緑と赤 写真右:11:32徒渉点(徒渉後振り返る)
その曲がり地点に着くと下山者4−5名とすれ違う。「徒渉地点は?」と問えば、『「目の前」と。』 ここはヒューム管の上を難なく徒渉。その後も4−5回渡る。10名ほどの団体、3人連れなどとすれ違う。 沢の水が少なくなり、木の根元から水がわき出す所で小休止。 歩き出すと、木の上手にはまだ沢が有ったりする。 なんのことはない。単に沢が移動して、たまたま木の下を流れるようになっただけの地点だった。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:37曲がり地点 写真中:11:44上流の徒渉点 写真右:11:58休憩場所 その先で、道は右手の沢沿いを進む登山地図とは異なり、左手の沢に直進する。 が、直ぐに右手に曲がり山腹を巻くように右手の沢の高見を進む。やがて草原地帯に変わり、峠手前に水場がある。ただ、汲み上げるには少々難しい場所。 最初の一滴を見に足を伸ばすが、土の中から浸み出すように流れ出ており、今一場所が判らず。 そこから数分で峠着。 あの黄緑色と再会。仲間とも合流できたらしく、将監小屋にて幕営とか。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:24休憩場所付近を俯瞰 写真中:12:31峠の木(もうすぐ雁峠) 写真右:12:36雁峠 頭上の空は、黒目の雲に覆われ、延々と西空に繋がっていてどうも危なくなりそうな雰囲気。先を急ぐ。 途中、薄い道が左手に別れ、これを辿るとピークには「小さな分水嶺」という3分水嶺の碑。まあ、比較的大きな川の。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:48 3分水嶺(荒川・多摩川・富士川の3つ 後方は燕山) 写真中:3つの面 写真右:解説 ここから視る笠取山は指呼の間。とりあえず登ってみるかと鞍部の分岐点に荷物をデポし、水と餌のナップサックで頂上を目指す。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:3分水嶺・後方は笠取山 写真中:13:04鞍部付近から 写真右:13:18山頂まであと3分の地点から3分水嶺を。 山梨百名山である山頂には10名ほどの団体がカップ麺で食事中。東は木がじゃまするが南〜西〜北は見通し良し。残念ながらこの山には三角点は無いようだ。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:21笠取山山頂から西方の黒い雲 写真中:13:33東のピーク 石柱はあるが三角点では無い 写真右:13:41木漏れ陽が・・・ 南方には明日の歩行ルート。左手の三角形の山は大菩薩嶺、中央手前の凹みは柳沢峠、中央右奥の三角形は御坂黒岳、その右後には雲に隠れた富士の裾野がうっすらと。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:13:20明日の歩行ルート。右手最手前の山腹を巻き、一つ右奥の稜線付近を進み、もう一つ奥の稜線を 柳沢峠まで。そこから大菩薩嶺の右手のピークを越えるルートを行く予定だったが・・。 山頂で会った単独行者と一緒に東のピークを越え、稜線道と山腹道の(上の)分岐点まで同行、将監小屋まで行く単独行者と別れる。 そこには、単独行者の話通り、山腹道は「復旧工事で通行止め。稜線沿いに進め」とある。 そこから1分ほど下ると(下の)分岐点着。左に向かうと山腹を進む道に合流するが通行止めの案内が通せんぼ。 そうこうしていると、あの黄緑色ザックと再び再会。小屋で聞いて稜線を進むべく登ってきたのだそう。 まあ、笠取−将監峠間は、山腹=3:10、稜線=3:30と、ほとんど所要時間は同じだし。 二人と別れ、帰路に着く。数分で水干の謂われを書いた看板のある水神社着。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:50(上の)分岐点標識 写真中:13:52(下の)分岐点標識 写真右:13:56水神社全景と水干標識 数10m進むと水場の案内があったので、その源流点に降りてみる。7−8分下り着。 結構な水が流れ落ち、源流点は?と高見に進むと岩の下から涌いている。味良し。 その岩の上流は?とさらに進むと3−4m先に石の下から多めのチョロチョロと。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真上左:13:57水神社から俯瞰、写真下左:俯瞰図:岩A,B付近の拡大:岩C,Dは判別できず 写真下中:14:03もうすぐ水場A付近 岩Bの下流上側に岩A 写真右:14:09水場から仰観。水神社と水干を。 ついでに水干の謂われも。 水場Aは水量が多いが、岩C直下はやや少な目、岩D下ではさらに少な目。途中から涌きだし?? ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:14:04岩Cの下から 写真中:14:05岩Dの下から 写真右:14:06岩Dの上流4−5m 最上流の水源 手元には、76円で買った未開封の700ml入りアメリカの水。中身を捨てて入れ替えるのは忍びず。 そこで、一旦デポ地に戻り、アメリカ水をフレキシブル水筒に移し引き返す。この間30-40分要。後々考えてみれば捨てても良かったのにと・・・・。 やや薄暗く&寒くなってきたので小屋に急ぐ。 15:22今日の宿泊客は3名とか。その第一号で小屋に入る。 小屋は大きな薪ストーブが入口に、その上に10Lほどのやかんが鎮座。すでに沸騰中。部屋を暖めるためとお湯を沸かすため。 「カップ麺などの食事に、このお湯を使って良い」とも。ちなみにカップ麺・ビールは小屋で売っている。 ただ、「使ったお湯の分は追加して欲しい。天幕の方にお湯を提供したが、補給されずに危うく穴を開けるところだった」と。 一晩中燃やしているのだそうで、「寝室の壁寄りが一番暖かい」と助言を貰う。 適当に食事の準備をして、水汲みに出る。備え付けの草履を使って良いとのことで、教えて貰った近道を行くが、草履では 歩きにくい。 水場は、下流から見て、右に水量の多い水、中央に土手から直接樋を掛けたチョロ水場。 左にやや少な目の水の流れ。後で気が付いたが、左の沢は、小屋横のトイレの手洗水が流れ落ちている沢。 洗い物は水量の多い沢:飲用はチョロ水場ということかな。 帰りは登山道経由。大回りだが、草履でも十分安心して登れる。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:15:32水場の風景、 写真右:11/05 4:48宿泊棟 そのうち2人目がやってきた。将監小屋から白石山ピストンでここまで来たとのこと。 東側の窓際近くの布団を広げていたので、西壁がストーブで暖かいよと話すとそちらにうつる。縦に寝てくれるかなと思ったら、壁に沿って横に・・・。 夕食までのひとときを利用して明日の偵察をする。水場の登山道を下ったが、地図とは違いドンドン下っている。地図を確認すると別の道。 一度引き替えし、小屋の西側から分岐する水平道を見つけ、15分ほどでヤブ沢峠の標識を見、さらに上り坂を10分ほど進んで引き返す。 明日、暗い中でも間違うことは無さそう。 小屋に帰ると、トイレ小屋の下方傍に小さな水たまり。ここから水が涌き出していて、その向こうに鹿が2−3頭。薄暗がりの中なので良くわからないが、もう少し居そう。 16時頃、小屋に帰るともう一名が追加。大弛峠から来た(コースタイム12:45)健脚。 小屋人が薪を補充。4時間は持つらしい。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:19:38小屋入口に鎮座するストーブ 写真中:直径15cmほどの薪 写真右:19:46小屋人の車2台 缶ビール500円を飲みながらたわいのないことを話し合う。 薄暗くなったので、食事の準備。外で湯を涌かそうとするが火がつかず、ライターの火で点火。 風が強く、なかなか湯がわかない。イワタニのガスボンベだったのだが。 風を手で塞いだり、合羽で遮ったり。 ようやく沸いた鍋にラーメンと餅2個を放り込み、完成。 食べつつ、焼酎を飲みつつ、如何にフリーズドライ米を美味しく食べるか・・・と、だべりつつ。 大弛からの健脚者は、『追い抜いていった女性が、「ここを予約していると言っていたが、来ていないか?」』とのこと。 小屋人は、小屋にも自宅にも予約はなかったとの弁。 何ともミステリアスな話。まあ、途中の小屋に泊まったのではないかと。 そうこうしつつ、21時頃、部屋の真ん中付近で就寝。明日は3時起きダー。 真夜中に小屋人がストーブの薪追加・・・。目が覚めて、少々寒い。 敷き布団+毛布1枚を下に、毛布1枚と掛け布団1枚だったが、隣の毛布を拝借し、クルマって寝る。 ========================================== ========================================== 11/5 3時前起床。結構寒い。外はもっと寒い。ザックを整理し、出発準備。ストーブはまだ火があるので、お湯を借用。 外に出て、ざくざくの霜柱を踏み締めつつ、テーブルでストーブに火を付けると難なく点火。昨夕付かなかったのは風の為せる業だったか。 食事中に、小屋人がやってきて薪をくべる。どうも4時間置きに投入している。16時、20時、24時、4時と。 直径15−20cmほどの丸太を4−5本放り込む。火勢が弱ると助燃剤を放り込んだりして・・。 「放射冷却でよく冷えた。今日は天気が良さそう」との事。 大急ぎでザックを片づけ、4:50、16夜の月が森に陰る比較的暗めな中出発。予定より20分遅れで。 昨日の偵察でルートは確か。直ぐにヤブ沢峠通過。 左右の視界は暗くて判らないが、小屋前に車が有った通り、小型車が通れる道なので迷うところ無し。 40分も進むと、薄明が始まり、東の空は色が付き始める。もっともずーと樹間越し。 出発から約一時間後、細い道が左手下方に分かれ、林道が左手にわかれたら、前方に閉じたゲートが現れる。 さて道はどっち?としばし調査。ゲートの右手下を照らすとそこには小さく柳沢峠と矢印の標識。小屋人は左手の道から登ってきたということか。 この辺りで日出が撮れるかと、うろついたが、見晴らしは無し。 ゲートの脇をすり抜け、やや細くなった林道を進む。ほとんど手入れがされていない。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:5:34朝焼け?中 写真中:5:42鳥小屋分岐のゲート 写真右:5:59手入れされていない林道 小さな水沢を越え、捨てられた軽トラックの脇を下り気味に進み、雨水でえぐれた道を下る。この辺りは軽トラでも通り抜けできそうもない。 最低鞍部の斉木峠6:25からは緩い登り。東側にお日さまが出ているが、残念ながら山陰で拝めず。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:6:04予定外の水(川)を渡るハメに。写真中:6:08捨てられた軽トラック 写真右:6:09-16夜の月 くねくね曲がり、上下する林道を約1H10mほどで白沢峠の標識を見る。結構ひろめの広場。ほぼ真ん中に木の生えたカーキ色の軽トラック。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:6:15相変わらずの荒れ道 写真中:6:49比較的明るい林道 写真右:7:08白沢峠 銃痕があるので、戦時中のものか? ネットによると戦後払い下げられた米軍の車とか。 右手には狩り払われた高見。枯葉で足が滑べる登りに閉口しつつ、その頂で餌補給。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:7:14高見から見た奥秩父の山並み 写真右:7:16南方の大菩薩峠 黄色がピンクに変わる風景 峠の広場を横切り、林道沿いに進むが、すぐに刈り払われた防火帯が現れる。 この高見に防火帯沿いのルートと三角点印があるのでこちらを選択。 うっすらと踏み跡が見えたので楽勝かとおもったが、表土流出防止の丈夫な草が植えられていて、実に堅くかつ滑り安く、難儀するはめに(軽アイゼン必須?)。 丈夫な草のため、痕跡程度の道にしかならないようだ。 その歩きにくい幅10数mの帯が延々続く。 登りでも下りでも草で滑り、まるでアイスバーンを歩くような感じで進む。 朝の北斜面は霜柱もあり、南斜面は落ち葉も重なり、滑らさないよう慎重にすすむ。 まあ、所々見晴らしが良いところもあったりはする。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:7:08木の生えた進駐軍軽トラ 写真中:7:45防火帯入り口 写真中下:7:51三角点 写真右:7:54南ア北部遠望 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:7:54登山地図に「尾根越しに踏跡」 写真中:8:35都水道局の境界 写真右:8:35来た道を振り返る 鞍掛山8:54着。山頂の3等三角点確認。樹間越しに広瀬ダム・湖を俯瞰。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:8:35越えた尾根筋からの倉掛山 写真中:8:58山頂からの広瀬ダム 写真右:同左 3等点 倉掛山山頂の20mほど東にある屈曲点(西進→南進に変わる地点)の図。屈曲点から南方の眺め良し。今日は富士がよく見える。これから先の狩り払いも所々見えている。ということは刈り払いから振り返ればここが見えるということ。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 左:8:54山頂手前の屈曲点と後刻見る木(画面中央)中:8:54屈曲点から南方を俯瞰 右:8:54屈曲点から遠望 しかし、北側はどうしても樹枝がじゃま。往路にあった高見から北側がよく見えていたのでそこまで5−6分引き返して撮影。 そこでも奥秩父全体は無理だったが、そこそこに。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:9:12-18燕山〜笠取〜唐松尾〜竜喰〜飛竜の山並み ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:9:16笠取山拡大 9:25頃倉掛山屈曲点発。まずは急降下。草と葉っぱで滑りそうで、慎重に。 直進は危なさそうなので、斜め前方の緩やかなところをめざしてジグザグに進む。緩やかになったと思ったらまた急降下。そうかと思うと登り・・。 そのうち防火帯の一番高い(稜線近く)所を進まず、中腹の水平部分が有る場所を選んで帯を左右しつつピークを踏まないようにショートカットしつつ進む。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 左:9:50防火帯 中:9:58振り返ると倉掛山の屈曲点傍の木(黄矢印)を。右:10:05富士と八木アンテナ 高見を避けて進んだ所、その高見に何かありそう・・・・ということで引き返して登るとコンクリでできた四角の物体が有刺鉄線に囲まれて藪に埋もれている。 ベンチレータみたいなものが付いており、給水塔か。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:15防火帯の先に電波塔が。写真中:10:21人工の加工岩? 写真右:藪中のコンクリ作りの構造物 3−4分稜線を下ると西側が開けた峠みたいな所になり、西側の山=南アルプスがよく見渡せた。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:10:32南ア北部 左から農鳥〜間(以上山梨−静岡県界)、北、手前に鳳凰三山〜アサヨ(以上山梨県):
↓青枠線の絵はクリックすると拡大可奥に千丈、甲斐駒〜鋸(以上長野−静岡県界) 写真:10:36南アルプス南部 左から〜笊〜偃松尾(山梨−静岡県界)〜 上河内〜聖(中央右の目立つ三角形)〜赤石〜悪沢(長野−静岡県界)辺り 稜線の西側はなぜか林道が縦横に走り、別荘地かなにかが有ったよう。 一人とすれ違う。柳沢峠9:20分頃着のバスで来て、新地平まで行くとのこと。 やがて別荘地跡地かと思っていた所につくと、そこには太陽電池(PV)発電のパネルが10数基並ぶ。 後刻ネットで調べると、ここは「深静峡」と呼ばれたリゾート施設が有った場所。 リゾート廃止後しばらくして人が居なくなると、『「心霊スポット」あるいは「廃墟」マニアの集うところ』だったよう。 ピークに有ったコンクリートの建物は給水塔だった可能性あり・・かな。 PVパネルの正面に回る道沿いに進み、下りきったところは10:58板橋峠11:02。 だが、防火帯出口にはバイクや自転車の進入防止用の柵:高さは背丈ほどのコンクリ製疑似木。 通路に当たる疑似木柵間は、幅30−40cm、長さ1.5mほどで、人一人横向きなら通れる幅。 が、30L以上の大きめのザックを背負ったままでは挟まってしまい、実に通行するに難儀。 肩紐の片側を外し、体の横に抱えて横歩きし、やっと通過。 ザックだけ柵の下を通して向こう側から引っ張れば楽だったか。 まあ、バイクで進入する方々を排除するには有効かも知れないが、歩行者を想定していない企業の為せる業。 柵通過ですっかりやる気を失い、急登の手前の鞍部で餌タイム。もたもたと25分も使う。 急登を登り、「藤谷の頭」と木に巻き付けた印が有るところで、二人目とすれ違う。この方は、白石峠を降りるとのこと。 ただ、このピーク(登山地図:大菩薩嶺には「・」ドットマークと「藤谷の頭」で記載)は、2万5千分1地形図上は山名の記載はなく、3つのピークからなる高見らしい。 登山地図には一番高い(約1685m)所を採用したのだろうか。 2万5千分1地図上には、真ん中のピークに三角点1673.1mの印が有ったりする。南端のピークは1675mとほとんど水平に近い緩やかな道。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 左:10:38まだまだ続く防火帯、前方は大菩薩嶺 中:10:52現れたPVパネル 右:12:04藤谷の頭南端ピークの展望所 小さな送信所の脇を抜け、やがて送信塔に着く。少々休み ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:10小さな送信所 写真中:12:15送信塔 写真右:12:16三窪のレンゲツツジ案内 この先、近くにある標識と登山地図との名前が合わず、しばし悩む。 登山地図(下記写真右側)には、現在地の「送信塔」の西南西の位置に「(展望台)ハンゼノ頭」と、その下(南)に「鈴蔵山」と書かれている。 つまり、地図上は、送信塔の位置のやや南西の地点に「ハンゼノ頭」があり、その先に「鈴蔵山」が有るように書かれている。しかし、等高線をみるとハンゼノ頭は山腹に当たる・・・? 疑問に思いながらも登山地図上「ハンゼノ頭」と書かれた方向(=現地の標識は『鈴蔵山→』)に進んでみるが、道は南西方向に進み、展望台らしきは見あたらず。 引き返して「展望台→」と書かれた標識に従って進むと、トイレと東屋。そこにもあった「展望台→」の標識に従うと、道は南東に進んでいる。 この先、右手の眺めの良い水平道を進んだ先の高見に展望所があり、「ハンゼノ頭」着。 現地案内看板と市販登山地図を比較すると、「ハンゼノ頭」と「三窪高原」の位置が異なり、登山地図に従うと間違った方向に進んでしまう。 思うに、「ハンゼノ頭」にこだわらず、「展望台」に沿ってゆけば何のことは無かったのだが。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 左:ハンゼノ頭南(図の現在地●の所)に有った案内看板 右:登山地図の記載(写真左を元に作成。コースタイムは省略) 参考にした登山手帳にも、登山地図にも「ハンゼノ頭」は有るので、ここは、 @登山地図上では すでに、『柳沢峠』と『標高1470m』を結んで、位置と必要な情報を明確にしているので、 『ハンゼノ頭』−『●(1686m点のマーク=○に米の天望マークの下)』を線で結んでおけば済む話か。 Aあるいは、登山地図で、『ハンゼノ頭』と『三窪高原』を入れ替えるか、 B送信塔近くの標識を「展望台→」⇒「展望台(ハンゼノ頭)→」に変更でも。 Cあるいは、現地案内看板を送信塔の所にも設置して置くとか・・・・。最も、北から縦走してくる輩はほとんどいないので無駄なのかも。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:24三窪高原・東屋トイレ方向 写真中:12:27ハンゼノ頭北側の水平道からの眺め 写真右:12:35ハンゼノ頭 このハンゼノ頭からは、西〜南はよく見える。立派な銅板看板には富士〜南ア全域の山々が。9月&10月に登った山もいい感じに見える。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:35案内看板 写真右:12:35南の眺め 12:37出発、ハンゼノ頭と柳沢の頭の鞍部に下ると、現地案内看板が建つ(3つ上の写真左)。しばし登山地図とにらめっこ。 次のピーク柳沢の頭に着く。そこには真新しい二等三角點。なのに、点の時が古い點(正確には「里」と「占」の下に「よんてん」)。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:49ちょっとした広場 写真中:12:50真新しい二等三角點 写真右:12:50案内銅板 そこからノンストップで柳沢峠に下る。やや膝に来る。 最期は急な坂道をショートカットして駐車場に着く。バス停に着くと落合行きのバスが停車中で13:30発。 このバスは、落合着13:50頃、同所発が15:20なので、回送するのかな。 当初予定=柳沢峠12時着が約1.5Hr遅れ。残りの所要時間を計算するとあと4時間要。このままでは登山口着が18時になりそう。 そこで、途中の丸川荘に泊まるべく電話するが、今日(日曜)は用事があって下山するのだとか。まだ11月なのだが・・・。 ほかの小屋を検討する途中で、携帯の電池が無くなり、万事休す。 諦めて、15:40のバスで帰ることに。 売店で甘酒を所望し、次回のルート偵察に。落ち葉の中をがさごそと進む。 日影にはいると気温が低くなり、30分ほど進んで、奥秩父の山波が見渡せる展望台着。 ここから引き返し、15時過ぎ峠に着。バス待ちの間、道路の側壁が太陽で暖められて暖かく、背中を付けて憩う。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:51柳沢の頭からの富士 写真中:15:16柳沢峠から 写真右:15:17柳沢峠から 定刻のバスにて帰路に着く。道は橋とトンネルを組み合わせてゆったりと大回りしながらのワインディングロード。 バイク客が多いのもうなずける。 ついた塩山駅、土産物屋に「缶ビール有ります」の張り紙に惹かれて入る。500ml=350円也。新幹線車内販売よりも高い。 もっともJ塩山駅内の売店で300円だった。 ========================== 11/12 1週間後、再び塩山駅へ。今度は落合行きの8:30発に。乗客は20人ほど。大菩薩峠登山口で先頭の席が空いたので移動し、飽かず眺め撮る・・・・が10分ほどの動画撮影中電池欠で・・・録画されず。 着いた柳沢峠、4−5人が降りる。早速富士の絵を。この時点ではまだ見えていたが・・・・・。今日は25Lザック。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:8:12塩山駅近くから 写真中:9:01バス車中 写真右:9:16柳沢峠手前での富士 くっきりはっきりなのだが・・。 先週仕入れた情報により、コースを多摩川の水源めぐりコース:その最下ルートをたどる。 道はしばし水平。上手に山腹を巻くルートを分け、沢に向けて下る。 沢を渡り、右岸を上り、谷沿いから尾根沿いに変わり、やがて山腹を巻いてきたルートに突き当たり左折。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:9:38水源巡りコース入口付近 写真中:9:45橋を渡り 写真右:9:48もうすぐ合流点 ここで鶏冠山に行く方と遭遇。落合に降りるそうだ。 お先にと、10:10奥秩父の展望台に急ぐ。今日もいい天気。今度はピントが合うように慎重に取る。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:10:11-12奥秩父の眺め 鶏冠山に行く方と六本木峠まで同行。ここで別れる。この先、丸川峠1670mまで標高差はほとんど無い。累積の登りは130−150mを1H20Mのコースタイム。 6割方、土の登山道だが、苔むした岩の上を進む所もあり、梅雨時は楽しめそうな所。 残念なことに、ほとんど樹林帯の中で、葉っぱの落ちたこの時期でも樹間に南アの一部がチラ見程度。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:36六本木峠 写真中:10:55いい眺めの苔生し道 写真右:10:59唐松林?の先に大菩薩嶺 時間的には1時間経過したのでその手前のやや高い所で一休みし、鞍部に降りたところがチェックポイントの寺尾峠。何の変哲もない所。 丸川峠が近づくと左手の沢から水音が聞こえる。滝は無さそうなので、峡谷の音なのかも。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:24寺尾峠手前の高見 写真中:11:33寺尾峠 写真右:11:50稜線に出る手前の岩稜地のハシゴ 着いた丸川峠・・・左手に道らしき踏み跡があるが標識は無い。後で調べると旧道が有るらしい。 丸川荘につき、今回の山行の目的:丸川荘〜雁坂小屋間を連結完了。これで湯河原〜〜笠取小屋〜大日小屋(奥秩父西部)まで連絡を終えた事に。 小屋前に富士を眺める場所。しかし雲が上がり、頂上がかろうじて見える程度までに。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:54泊まり損ねた丸川山荘 写真右:11:55山荘からの眺め 右上:富士の拡大 高みに登れば全体が見えるかと思ったがこんどは山陰に隠れて見えなくなる。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:13 南の空 中央左手の山は御坂黒岳 バックの富士は雲中 写真右:12:14西の空=南の北を 時間的に余裕があったので、45年ぶりに大菩薩嶺まで足を伸ばす。 その道中、峠で見えていた踏み跡は、かなりしっかりした道として合流しているのが判る。 高見で道を外れ、見晴らしに出るが、富士方向・南ア方向共に雲がじゃまする。 元気の良い若い4人組に抜かれ後を追う。道は尾根筋から山腹を巻くようになり、ヘアピンを三つめで尾根沿いになるとすぐに山頂。15人前後がたむろ。 4人組は、写真を撮ったりカップ麺をつくったり。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左: 写真中:15:15山頂標識・三等点 写真右:13:17山頂の眺め 5分ほどで後にし、見晴らしの良い雷岩につく。30人ほどがいたが、風が強めで立ち止まると寒い。 南が見晴らせるが、雲一面で、富士を含め見えるはずのものがまったく見えず。 ここから上日川峠まで直接下れば15:30発のバスには余裕で間に合いそうなので、風影で腰を下ろし餌タイム。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:26雷岩西から東 写真中:同左 東から西 写真右:13:26南方の眺め 時間を調べている内、大菩薩峠経由でも間に合いそうとの感触。急ぎ下る。 着いた賽の河原で時間確認すると、15時発にも間に合いそうなので、さらに急ぐ。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:44雷岩付近から妙見の頭 写真中:13:44賽の河原拡大 写真右:13:59賽の河原頭から雷岩方向 峠では、丹波への下り道が山荘の上手にある。以前は山荘脇を下ったのではと疑問が巻く。峠を14:05発、コースタイムは45分なのでほぼONタイム。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:14:00介山荘(大菩薩峠)を俯瞰 写真中:14:17下り道 写真右:14:59上日川峠バス停 福ちゃん荘で一休み。ここはその昔連合赤軍が泊まったところだったとか想い出しつつ。 その先にある下山道に「裂石」の標識がある。登山地図でその名前を見つけられず、上日川峠とは別方向と判断し、直ぐ下の固い車道に降りて下ることに。 「裂石」ではなく、途中の「上日川峠」か「上日川峠経由裂石」とでも書いてくれれば判りやすかったのだが。 その前に、・・・・45年前の山行はどこから歩き始めたンだっけ・・・・・。当時は、「裂石バス停」だった様だし。 登山道は、車道に沿ってほぼ並行していたので、固いアスファルト歩きで足の疲労が増えただけ。 15分後、眼下に上日川峠の小屋が見えたときに、山道に入り、14:50過ぎ着。 40−50人ほど乗れるバスが3台たむろ。1台は満員、で2台目に乗る。出発間際にほぼ7−8割方乗車。まだ降りてくる方を待ちつつ。 約1時間後、いい感じの紅葉を眺めつつ、甲斐大和駅に着く。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:15:42竜門峡入口 写真中:15:43 田湯付近 いい紅葉の眺め 写真右:15:50 甲斐大和駅着 駅前に土産物屋が無く、経済的ではあるが・・・。それでも、徒歩4−5分先のコンビニでビールを手に入れ帰路に着く。 |