13年12月28日 今年の忘年登山 ここから9:00発の急行で一路小川町駅に向かい、八高線の下を潜る。東上線の方が八高線よりも先に敷かれたことが判る。定刻の9:32、1番線着。東武は1〜3番線、JRは7〜8番線のホームに別れているので、かなり大きな駅だったようである。 バス出発はメールでは9:40だが、バス停の案内には42分。TYさんが未着。35分着のJRかな? 出発間際になってもまだ現れず。どうもsuicaのチャージをしていたよう。 バスは我々5人と1−2名。車中、前回(2003年4月)に来た堂平山や桃源郷の話に花が咲く。 目的の橋場バス停で降りると日射しが暖かい。10:10〜13 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:12橋場バス停と地蔵堂:OHさん撮影 中:10:12新田橋の上で一息 右:10:12新田橋から川の眺め 身支度して車道を歩き始める。 やがて、10:27少し高見に出て、堂平山方向の眺めが良くなる。車道をショートカットする山道に入り、約10分後には再び車道歩き。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:27ショートカットの山道近く、銀鱗停というイワナ・ヤマメの釣堀の案内看板:OHさん撮影 中:堂平山方向の眺め:OHさん撮影 右:ショートカットの山道入口:KTさん撮影 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:32ショートカットの山道途中1 中:10:33ショートカットの山道途中2:左&中KTさん撮影 右:10:40ショートカットの出口 少し車道を登り、山道手前にあった「萩の里の良心市」。一袋100円也のミカンをNYさんがGET。10:55 ミカンは山中で食すが、昔の味そのもの。甘み・酸味ともにやや薄い。まあ、食べやすいのではあるが。 最近のミカンはマルチ栽培や塩水噴霧などの手法で、甘み優先&酸味削減で栽培されているし・・・・。まあこっちが好みだが。 10:58民家脇を通り、粥仁田(かゆにた)峠に向かう山道に入る。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:47萩の里集落の車道歩き:OHさん撮影 中:10:52良心市を覗きこむ面々:KTさん撮影 右:10:59峠への分岐点を左に:OHさん撮影 ただ、この山道、幅広で傾斜は緩く普通の山道ではない。荷車が通れそうだと思ったが、はたして11:16馬頭観音があり予想から確信にかわる。 実際、峠に鎮座する石碑の記述を見ると、この峠は秩父と江戸を結ぶ主要な街道との解説があった。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:10:03登り直後の山道:OHさん撮影 中:11:16馬頭観音:KTさん撮影 右:11:20山道から車道歩き 車道歩きを始めてから数分後の11:23、峠に着く。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真:11:23着いた粥新田峠のパノラマの図:OHさん撮影 この峠には東屋や、県&環境省・県&有志作の看板・石碑が多々。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:24大霧山への登山口の眺め:KTさん撮影 中:11:25環境省・県のコース案内:OHさん撮影 右:11:20粥仁田地蔵尊建立記念碑を読む:KTさん撮影 峠にいたる途中の道すがら、11:20頃にOHさんから「登り初めの頃は粥新田峠、峠に近づくにつれ粥仁田峠になっている」との話題提供。 実際、峠の名称を皆さんの写真やWEBで調べると・・・・確かに違う。、 「新」の字を使っているのは、東秩父村観光協会の看板(白石バス停前の看板)、二万五千分の一地形図、良心市近くの案内看板、マジック書き。 「仁」の字を使っているのは、東秩父村観光協会の看板、県の標識、環境省・県の標識、峠の石碑。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左上:橋場バス停前にある新田橋のプレート(新田=赤矢印)、 新田橋にくくり附けられた東秩父村観光協会の看板(仁田=黄矢印) 写真中上:車道ショートカットの登山道の入口と出口(右端の道標)には共に(新田=赤矢印) 写真右上:ミカンを買った「萩の里の良心市」の先の登山道(=旧街道)入口に2種: 石垣の上は(仁田=黄矢印)、石垣の下は(新田=赤矢印) ちなみに、「萩の里の良心市」から200mほど下ったところにあった看板には(新田=赤矢印)。 写真は4ッつ上に掲載。「発砲注意の赤旗」の下にある手書き看板がそれ。 写真左下:粥仁田峠周辺の県と環境省・県の設置した標識や案内看板、有志による石碑は全て(仁田=黄矢印) 写真中下:粥仁田峠から50m登ったところ:県の標識は(仁田=黄矢印)、その下の看板への落書きは(新田=赤矢印) 写真右下:白石バス停にある東秩父村観光協会の観光案内看板は(新田=赤矢印)。 調べてみると、これ以外にも「皆新田峠」・「粥煮田峠」・「甲斐新田」・・・・いろいろあるようで。 地名の多くは発音に合わせて音の合う字を当てて使うのが昔の習慣だったようなので、これ以上の詮索は無意味かも。 11:30出発。稜線沿いに道を進む。 葉っぱの落ちた樹林帯のため、通り過ぎる風が段々と冷たくなり、皆寒そう。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:31植林帯稜線歩き:OHさん撮影 中:11:35雑木&植林帯稜線歩き 右:11:38雑木林帯稜線歩き 進むにつれ、足もとには数日前に降った雪の残骸が現れる。 雪を踏みしめ、滑らないように慎重に登るが、大霧山頂に近づくにつれ、急登と雪で足が滑り、足元がおぼつかなくなる。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:11:50偽ピーク巻き道 中:11:57山頂への急登:左&中OHさん撮影 右:11:58山頂手前:KTさん撮影 12:01それでも、着いた山頂は眺めよし。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:10西〜北〜北東の眺め:OHさん撮影 東〜南側は樹林でNGだが、北東方向に赤城山、北に谷川岳方向、更に西側には浅間、近くには、城峰、両神の山々が一望。北部〜西部の遠くの山はガスっていたりするが、両神山は特徴があるので良く判る。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:24大霧山・山頂で全員集合 中:12:28両神山、右手に見えるはずの八ヶ岳は雲の中 右:12:28ガスを被った浅間山 山頂で腹ごしらえ。新宿・小田急百貨店地下で仕入れた「リュウキュウ」。 塩もみ&湯どうしした自作の酢の物(=とってもすっぱい)を仲間のみならず、居合わせた見ず知らずにも食してもらう。皆すっぱそうな顔。しゃきしゃき感が特徴の夏の食い物:たけのこの漬物などとともに野菜巻き寿司の材料にも使う。 この野菜、その株を入手したが1−2年で枯死。寒さに弱いと思っていたが、今年の5月に近くの団地の庭に1mほどの長さで育っているのを見つけた。温暖化の影響? 聞けば同じ団地に住んでいる「ベトナムから来た方」から分けてもらったらしく、ベトナムでは普通の食べ物のよう。WEBで「野菜 リュウキュウ」を調べると、過去には九州・四国で食されていたようだが、今では栽培は熊本・高知ぐらいらしい。 山頂で40分ほど過ごし、12:32旧定峰峠に向かう。道は下り、左手に有刺鉄線に囲まれた牧場をみつつ歩みを進める。 約30分後、植林でうっそうとした旧定峰峠12:58着。ここも旧街道だったらしく比較的幅広の道が横切る。「ダイダラボッチの伝説」もあったりして。ただ、ここでは羽黒山に行く途中にこの峠に腰掛けたとある。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:12:38牧場と笠山&堂平山:OHさん撮影 中左:12:47、90度屈曲点:OHさん撮影 中右&右:12:58旧定峰峠の標識と看板 ここから直接下の集落に下る道もあるが、今回は定峰峠に向かう。 相変わらずの植林帯だが、登りにかかると雑木林となり、樹間に大霧山が見える。少しして獅子岩なる標識に出くわす13:14。まあ、獅子といえないこともない岩が鎮座する。さらに緩やかになったり、急になったりとしながらも残雪の残る登りが続く。 ↓青枠線の絵はクリックすると拡大可 写真左:13:00植林帯進む 中:13:14獅子岩の図:左&中OHさん撮影 右:13:21本日最後のピークに向けて ピークを超えて下ったところが定峰峠13:32着。車の走る道&茶店あり。田楽を買って食す。仲間内はコーヒーを飲んだりソバを食ったり、土産を買ったりと、しばしレストタイム。 写真左:13:32着いた峠:KTさん撮影 中:13:36茶店の図:OHさん撮影 右:13:49峠の駐車場から笠山(左)と堂平山 お腹もふくらみ、体も温まり13:50過ぎ出発。 途中から車道を離れ、山道を急降下。一度車道を横切り、14:10過ぎ車道に出て、白石バス停に下る。14:25着。 写真左:14:10車道着 中:14:23前方に堂平山を見つつ 右:14:26バスに乗り込む:中&右はOHさん撮影 バスにて小川町駅に戻り、八高線にて八王子着。電話で呼び出したOTさんを交え、TYさんの水虫パルス治療に花を咲かせつつ忘年登山を終えた。 |