日本式インド料理の味わい方

第1回 おいしいナーンを定義する

 みなさんがお近くにあるインド料理店を評価するとき、ナーンnaanの味を重要なものさしのひとつにすることが多いのではないだろうか。また、おいしいナーンがどういうものであるかということについても、人それぞれの意見があるに違いない。

 私も個人的に、以前からこれらの事柄にはたいへん興味があった。
 そこで、ナーンはもちろん、インドのパンともいうべき小麦粉食の調理全般に精通し、名人ともいえる腕前を持つインド人シェフたちにこれらの話題で意見を伺ったことがある。

 結果、インドの名料理人の考えるおいしいナーンとは次のような要件を満たすものらしいことが判明した。
@右手指だけでちぎれるようなやわらかさとソフトな弾力を持つ。
Aカレーをつけずに、それだけでもおいしく食べられるような風味と食感が楽しめる。
B具体的にはかみしめたとき、やや甘めになっているのがよい。

 インドのナーンは、精白した小麦粉(通称マイダmaida)に砂糖、塩、卵、牛乳、水、ヨーグルト、オイルなどを加え、よく練ったものを生地にする(じつはおなじ配合で生地をつくろうとしても、そのこね方ひとつでおいしいナーンになったりならなかったりするほど、その練り方には重要なコツがあるのだが、それはあえてここでは割愛する)。現在では、生地を配合する際、焼き上げ時に適度にふくらませるための膨張剤としてベーキングパウダーと重曹を使う。西洋のパンのようにイーストや天然酵母を使うことはふつうしない。

 @は「左手をまったく添えずに」右手指だけでちぎれるというのが、より正確な表現である。
 インド人の場合、ナーンに限らず、チャパティやプーリ、パラタ(ギーたっぷりでクロワッサンのような折り込みのある、幾重にもなった層を持つ薄焼きパン)などそのほかすべてのパンも、すべて右手指だけを使って器用にちぎりながらカレーをつけて食べる(ただしイスラム教徒は左手を添えることも多い)。右手だけでちぎれるやわらかさというのは、ソフトな焼き上がりと適度な弾力やコシをすべて兼ね備えないと無理なのだ。だめなナーンだと焼きたてはやわらかでも、すぐに硬くなってうまくちぎれなくなる。一見かんたんなようで実際はきわめて高いハードルである。

 Aについては比較的わかりやすいだろう。論より証拠で、カレーをつけずに一口ナーンだけを口に入れ、よく味わってみればいい。いくつもの店でナーンを食べていけば、カレーをつけずにおいしいナーンというのが予想以上に少ないことに気づくはずだ。

 Bは意外に思う方がいるかもしれない。実際の味わい方とすればカレーと合わせるのがふつうだから、甘いというのはちょっと変な感じがする。しかし、ナーンだけでおいしいという要件を考えたとき、やや甘めの味つけというのは説得力を持ってくる。それに実際食べるとわかることだが、甘めのナーンをスパイシーなカレーにつけて食べることで、ナーンの甘味がカレーの辛さやコクをうまくひきたてて相乗的なおいしさも生まれてくる。

 これらの基準はあくまで参考である。ナーンに限らず、おいしさというのは基本的にきわめて主観的な感覚による個人的な評価だから。要は自分のお気に入りが見つかればそれでいいのだ。
 ひとつ申し上げれば、私がインドでおいしいと評判のナーンを食べるとき、見事なまでにこれら三つの条件を満たしたものばかりである。私の敬愛する名人たちの視点の的確さに、あらためて敬意を表したい。

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