徳川氏流鏑馬
馬場は長さ2町である。広さ2杖半ほどのなかに幅1杖の芝をはるか、または縄をはって、中に砂をまいて馬走とする。いちだん掘り下げることもある。両側には埒がある。左を男埒といい、高さは2尺3寸、右側は女埒といい、高さは2尺、木製でもあり、萩でもむすぶ。

的は3箇所にたてる。一の的までは48杖、一の的〜二の的間は38杖、二の的〜三の的間は37杖である。的と馬走との間は3杖であり、上手には5杖、7杖などに的をたてることもある。的は方1尺8寸、厚さ1分ほどのヒノキ板である。的串の長さは3尺5寸ほどで、的をはさみ、頂点を上下に(いわゆるダイヤ型に)たてる。

射手の服装は水干、または鎧直垂を着て、裾および袖をくくり、腰には行縢をつけ、あしに物射沓をはき、左に射小手をつけ、手袋をはめ、右手に鞭をとり、頭には綾藺笠をいただく。太刀を負い、刀をさし、鏑矢を5筋さした箙を負い、弓ならびに鏑矢1筋を左手に持つ。

次第は、射手、諸役ともに神拝がおわって馬場に行き、馬場をひととおり見て回り、射手は馬場末にあつまりならび、ウマを立て、諸役はそれぞれ所定の位置につく。日記役が立ち出て、射手のなかから一番の射手がこれに出向かってひざまづくとき、日記役は「流鏑馬はじめませ」と宣する。

この間、一同の射手は下馬する。一番の射手がこれをうけて立ち帰り、射手に伝え、一同うちそろって乗馬し、馬場元に行き、扇形にウマを立てならぶ。一番の射手がまずウマをすすめて立ち出、祝詞を奏し、おわって中啓を出し、扇捌きをなし、そのままウマを馳せ出し、中啓を前方にたかく投げ揚げ、取りかけて一の的を射る。これを揚扇という。ついで二の的、三の的を射ることはかわらない、射手つぎつぎと射おわり、5騎でも7騎でも、当日最後の射手は老練、上手のものがこれにあたり、まず一の的を射て矢番いし、ただちに右手に鞭をとり、たかくさしあげしずかにこれをおろして取りかけ二の的を射、三の的のまえにも鞭をあげる。これを揚鞭といい、はなはだ困難な技術である。

射手は射おわったものから馬場元にあつまるから、全部終了のときはただちに乗り出して、諸役はそれぞれの位置について支度所にもどる。

射法は、胴造りおよび矢番いに特色がある。ウマを追い出すとともに鞍まわりといって、左右の膝をひらき鐙に立ち上がり、身体は鞍と3寸くらいあくようにする。これを鞍をすかすという。身体は前に伏せ、胸をそらせる。一の矢は番えて出るけれども、二の矢、三の矢は箙からぬいて番える。

流鏑馬では声をかける。式には一の的てまえで「インヨーイ」とみじかくふとくかけ、二の的てまえで「インヨーイインヨーイ」と甲声でややながくかけ、三の的てまえでは「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と甲をやぶってたかくながくかける。略では「ヤアオ」「アララインヨーイ」「ヤーアアオ」「アラアラアラアラーーッ」などとかける。

日記は、当日射手、姓名をしるし、中不をしるす。奉書をながくふたつおりにして、右端を水引でとじてつくる。

もとへ。