ソメイヨシノ(染井吉野)
ソメイヨシノ(染井吉野)はオオシマザクラとエドヒガンザクラとの交配種で、江戸末期から明治期に、染井(現在の豊島区駒込)の植木屋が吉野桜の名で全国各地に売り出し、のちに染井吉野と名付けたものと言われています。
雑種のため育成が早く花が美しいので急速に普及し各地に植樹されています。
駒込染井は、豊島区の北東部、駒込6・7丁目の地で、江戸中期から明治期にかけて植木職が多く栄えた所です。今は、閑静な住宅地となっているが、かつては、江戸の園芸センターとして隆盛をきわめていました。
五街道の一つ、日光御成街道に接するこの染井の里は、古い江戸切絵図にも、「染井、このあたり植木屋多し」の記録が見られます。
江戸時代においては、伊藤伊兵衛の輩出によって江戸園芸の中心的役割を果たした事で有名であり、また明治期においては、ソメイヨシノの供給地としても有名でした。とくに、ソメイヨシノの出現は、全国に染井の名を高めたと言えます。
染井の植木屋とサクラとの関係は、古からあったといえる。江戸近郊における植木屋の成り立ちについては、明暦3年の
大火以降将軍家をはじめ、大名・上級武士や豪商らが江戸に屋敷や寮を構え、庭園を築造した事があげられます。そして、その屋敷周辺に農家から転じた植木屋が発生したものと考えられます。
下谷・四谷・青山・大久保・巣鴨・駒込に植木屋が多く集中しているのも、その地に拝領屋敷や寮が多くあったためのようです。
なかでも、染井の藤堂家下屋敷や駒込の柳沢家下屋敷(六義園)などは、広大な庭園を構えていたから、しぜんその周辺の植木屋は、隆盛をきわめた訳です。江戸の園芸センターとして、染井の里が発展した経緯は、そのへんにあったものと思われます。
染井銀座商店街サービスセンターHp より。
オオシマザクラ(大島桜)
白い花と緑色の葉がほぼ同時に咲きます。花が大きく純白です。
伊豆諸島(房総、伊豆半島原産)を中心とした固有種のサクラです。もともと海岸近くに自生しているため、潮風に耐え、大木になります。
エドヒガン (江戸彼岸)
日本では本州、四国、九州に分布しています。東京方面で多く栽培されていたこと、彼岸のころに早くも咲いていたこと、落葉高木でしばしば大木になることがあります。花の色は通常淡紅色だが、濃い紅紫色から白色まで、非常に変異が大きいのです。東北地方から南下するにしたがって花の色が淡くなっていく傾向があります。
始めへ。