トレビの泉
トレビの泉ではキリスト教の象徴とローマ神話の神々が仲良く同居している。
教皇の象徴
ローマ神話の神々
海神ネプチューンと半人半魚の海神トリトンの像
紀元前19年にアグリッパ (ユリウス・カエサルの姪アティアの息子として生まれた初代ローマ皇帝アウグストゥスの右腕。カエサルに見出され、軍略の弱いアウグストゥスの補佐的役割を果たすようになっていく。)によってローマまで水を引く運河が建設されたが、その後ローマの崩壊と異民族流入によって水路は破壊されてしまった。
1762年に教皇クレメンティウス12世によって水路を復活させることになり、その記念に造られたトレビの泉のデザインは建築家ニコラ・サルヴィがコンペで選ばれ、担当した。
トレビの泉のデザインにキリスト教とローマ神話の神々が仲良く同居している。
中央には海神ネプチューンと半人半魚の海神トリトンの像がみられる。ネプチューンは、ギリシャ神話の海神ポセイドン、ローマ神話のネプトゥヌスにあたる。トリトンはポセイドンの子供で上半身は人間、下半身は魚形の姿をしている。普段は、海底の宮殿に住んでいるが、海が穏やかなときには、海面に浮かび上がって法螺貝を吹き鳴らすと言う。
古代ローマ帝国が東西に分裂したのが紀元395年。その65年前キリスト教に帰依したコンスタンチヌス大帝が当時は異教都市であったローマから帝都をコンスタンティノープル(現イスタンブール)に遷都してから、東西分裂前の歴代皇帝は東方重視政策をとってきた。とりわけ帝国軍事機構の主力は東に移され帝都西方は(ヨーロッパ)蛮族の驚異にさらされ続けた。
神聖ローマ皇帝の初代はゲルマン部族国家の王で最初にローマ教皇権と結託してローマ皇帝の帝冠を頂いたカール大帝であるという。14世紀には帝国は事実上分裂。16世紀には、神聖ローマ帝国としての国家形態は瓦解しローマ教皇による戴冠も行われなくなり、多くの都市国家、教皇領が乱立していた。
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