コンゴ民主共和国 キンシャサを行く。

猛暑の暑中お見舞い申し上げます。
パリはもう秋のような風情です。

行ってきましたよ。
暑いときの逆療法でもないのですが
2005年 8月にアフリカの赤道直下のコンゴです、大西洋に近いほうですがキンシャサという首都があります、そこまではパリから直行フライトがでています。
飛行場にはセコハンのアメリカの旧い機種がならんでいるのでまるで飛行機博物館のようであると皆が思いました。新しい機種は欧州系の飛行機会社のみです。

キンシャサは首都であり大都会ですがインフラがまだ出来ていないので定期バスとかはまったくなくて闇タクシー、闇ミニバスが横行して客引きの声がケタタマシく街の不思議な騒音をかもし出しています。

ミニバスでは8名ぐらいの定員のところ数えると20名近くがのっていて、窓からひとがはみ出したり、屋根に乗っていたりで、まさにいわしの缶詰です。(フランスでは常套的にそう言うのです)

写真はキンシャサのホテルのベランダからブラザヴィルの方向を撮影したもので
 コンゴ川が見える。

 
   


奥地のルブンバシまでローカルのおんぼろ飛行機で2000キロをフライトしました。ここはもうタンガニーカ湖に近い。本来は途中で一度止まるのですが大臣が乗っていて彼の時間にあわせてダイレクト・フライトに急遽変更しました。
ここは第二の都会です、かつては地下資源が豊富であり繁栄した街でしたがいまは内乱後の街であり、銅の国際価格の低迷もあり、荒廃した銅の精錬所などを見るとその落剥振りのすさまじさに驚きます。銅の生産ですが一時は日産
800トンの生産でしたが現在では10トン生産できるかどうかという状態です。江戸時代にベルギー経由で大量の銅厚板がかなり日本に輸入されていました。

水力発電および石油があり、エネルギーに恵まれ地下資源(ダイヤ、ゴールド、コバルト、銅など)が豊富であり、とうとうとコンゴ川がながれていてすごい水量なのです。

スタンレイの時代にはこの川を逆行することが困難であったのでなかなか奥地に行けないほどでした。空から見るとまるで道がないのです、川と森林ばかりです。

豊富な水量のコンゴ川の周辺には膨大な森林があり、アフリカの森林の
50%はコンゴ盆地にあるといわれる様に多くの魅力のある国ですが幾度かの内乱および官僚の腐敗などで建国はこれからの国だと思いました。

このルムンバシの近くの鉱山からウランが採掘されてベルギー経由でアメリカに送付され、広島投下の原爆になったのです。広島の原爆のウランがここから運ばれたことを知る現地のひとは誰もいませんでした。

たべものはコンゴ川の魚のあげものとか、鳥などがありますが食欲がわくようなものではなくて おすしとか、おそば、などの和食が脳裏をなやましつづけました。

緊張しておりましたせいか特に健康的には問題なく過ごすことができました。パリにもどったときにはさすがに緊張が解けてしまい、なにもする気力がなくなったほどです。


Y. Ozawa


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コンゴ民主共和国に対する渡航情報(危険情報)の発出(2005/09/01)

●キンシャサ特別州(首都キンシャサを含む)、バ・コンゴ州、ムバンダカ市、
ムブジマイ市、カナンガ市、ルブンバシ市、バンドゥンドゥ市、キクウィット市
「渡航の是非を検討してください。」(継続)

  国旗 コンゴ民主共和国
Democratic Republic of the Congo