== 房総を行く ==

小学校の臨海学校や大学の関係で千葉県の房総や習志野になじみのある私は船橋方面へ行く機会があり最近開発の著しい千葉県ウォーターフロントの少し内陸のまだまだ昭和の雰囲気を残しているその周辺の紹介をしてみようと思います。

首都高から京葉道路に入り、船橋インターの次の花輪インターで降り北に進むと駿河台があり次は吹上という地名がでてきました。

   

    

続いて馬込が来ました。 東京の地名がつけられている。 ドッキリか? そういえば以前キリドさん(桐土さん)という患者さんがいたっけなと思いつつ馬込十字路を右折、木下街道これは”きのした”でなくて”きおろし”という。
をすすむと、
カーナビが、鎌ヶ谷というところに大仏があるという。大仏はどこだ? どこだ? ときょろきょろした結果、バス停の裏に大仏を発見しました。


 

     
バス停裏にひっそりと大仏が座っておられました。

木下街道をさらに進むと 白井市 これも ”しらい” でなく ”しろい” という町に着く。
周辺は一面の梨園。10月には梨狩りでにぎわうとか。そこから2分程度のところに牛が、牧場があるのです。車を降りて携帯を向けるとあっちの方から牛さん達が集まってきました。

千葉県の北部は「北総」といわれる。鎌ケ谷は梨が有名で千葉の北西部にあり、梨の季節は10月で梨狩りの観光バスで賑わっている。江戸から千葉街道を経て、米どころの木下まで続く木下(きおろし)街道の途中の宿場町だった。

成田空港 霞ヶ浦 佐倉城址などに隣接している鎌ヶ谷はまた鎌ヶ谷大仏知られている。
新京成電鉄鎌ヶ谷大仏駅から徒歩2分、バス停の後ろの墓地の入り口にある。

鎌ヶ谷の代名詞ともいえる高さ1.8mの大仏。安永5年(1776年)、繁栄を極めた鎌ヶ谷宿の豪商・大黒屋文右衛門が先祖の霊の冥福を祈る為に、江戸神田の鋳物職人に作らせた。大仏と言っても高さ1.8mしかない。本来の大仏の規定をはるかに下回る小さな像であるため、地元では「鎌ヶ谷ミニ仏」とも呼ばれることもある。

また、鎌ヶ谷大仏駅まで延長した当時の新京成電鉄が行楽客の呼び込みのポスターを張り出したところ、実物を見た行楽客に非難を浴びせられたという面白いエピソードもある。個人の物で現在も個人の敷地内にある。駅前通りの墓地にポツンと座っているだけの存在で、寺院や山門など伽藍もない露座の大仏である。

個人の所有物が地名や駅名になる事もおかしな話であるが、古くから街のシンボルとして愛されている。


趣味の写真館へ。


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