葛飾柴又の旅
寅さん
2004年東京の下町、葛飾柴又の寅さんの故郷を訪ねた時のブログです。
2012年7月14日土曜日夕方、異常気象で西日本の記録的で今まで経験のない大雨と気象庁がいう1ヶ月にもなる豪雨と東京や山陰の33℃から36℃にもなる猛暑の中、車を走らせていた時にラジオで寅さんの映画が大好きで息子さんを寅とよびたくて寅にしてしまった方が寅さん映画の魅力は山田監督の厳しさと出演者の演技の素晴らしさであると語られていました。
葛飾柴又といえば、映画「男はつらいよ」の寅さんの故郷として有名ですよね。
柴又駅前には、寅さんの像が建ち、京成柴又駅から柴又帝釈天まで続く門前町があります。帝釈天への参道脇には、映画監督 山田洋次氏の自筆で「私生れも育ちも葛飾柴又です」と記された碑があります。遠く外国からの客人にも人気が高く、古き時代の面影を感じさせる帝釈天への参道は賑やかな活気に溢れています。
参道は、 団子屋をはじめ、飴屋、漬け物屋、土産物屋や江戸民芸品店、料理屋など、あまたの店がびっしりと軒を連ね、帝釈天までいたる歩みが留まることもしばしば。茶屋(団子屋)で一串買った草だんごを食べながら、店を覗いてぶらぶら歩くのも良いものです。
庚申の縁日には露店も出て、参道は文字どおり人の波。これだけの賑やかさと雰囲気、柴又っ子の気持ちよさに肩を並べる門前町は、日本広しといえども、そうめったにあるものではございません。
旅する寅さんが帰ってくる場所は、故郷の葛飾・柴又なのでありました。
柴又のもうひとつの象徴は柴又帝釈天こと日蓮宗の名刹・経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)。柴又帝釈天(題経寺)は、東京の東部、千葉県との境を流れる江戸川の傍らに、いまから300年程前の寛永年間に開創されたと伝わります。
帝釈天と呼ばれるいわれは、日蓮上人が刻んだと伝えられる板本尊の一面に、右手に剣を持ち左手を開いた怒りの相をあらわした帝釈天が彫られていることによる。
建物を見ると、柴又駅からここを訪れる観光客が必ずくぐる二天門は、明治29年(1896)の完成。境内に入ると、寅さんが産湯に使ったことになっている御神水があり、その右手に本堂の祖師堂、左手に帝釈堂が、祖師堂の奥に大客殿が明治中期から昭和初期にかけて建て直され、年代的にはそう古いものではないが祖師堂と帝釈堂が総欅づくり、大客殿が檜づくりの重厚な構えを見せている。
ことに大客殿頂経の間には、直径が30センチほどもある南天の床柱があり、 これは日本一だという。
また帝釈堂内陣外壁の三面には、法華経の説話から題材を選び、完成が大正末期から昭和9年までかかったという10枚の胴羽目彫刻が、まさに彫刻ギャラリーといった趣で見られる。彫刻を施した1枚の板の大きさは、タテ1.27メートル、ヨコ2.27メートル、厚さ20センチの欅材という見事なもの。葛飾区の登録有形民俗文化財になっている絵馬も展示されている。
大客殿に接して邃渓園(すいけいえん)と名付けられた回廊式の大庭園もあり、帝釈堂内陣、大客殿とともに有料で公開されている。
帝釈天の裏手には、由緒ある山本亭という日本家屋がありました。
山本亭:
大正末期から昭和初期にかけて建築されたという和洋折衷の邸宅、山本亭は、大正末期から昭和初期の時代の建学の精神が反映された建物で、和洋折衷の建物と書院づくりの和室、モダンな洋室がよく調和し、純和風の築山のある庭園とともに大正ロマンを彷彿とさせる。
この建物の持ち主であった山本家は、もともと浅草に住んでいましたが、大正12年の関東大震災で被害を受け、その直後に柴又のこの地に移転してきたそうです。
建物は、木造瓦葺き2階建てで、床面積は1階120坪、2階15坪に地下室、土蔵、長屋門等からなっています。
庭園は、縁先近くに池泉が、背後には緑濃い植え込みと筑山が配置され、滝を池に落とすという、270坪もの贅沢な書院庭園に仕上げられています。縁側に座って、庭園を眺めながら抹茶をいただくなど、すぱらしいリフレッシュタイムが期待できます。
映画「男はつらいよ」に出てくる寅さんがよく佇んでいた江戸川の土手、金町浄水場の取水塔、そして伊藤左千夫の野菊の墓に出てくる矢切りの渡し 等も見ることができます。
おしまい。
趣味の写真館へ