印象派といわれる画家たちの登場
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19世紀になっても美術界を支えていたのは、
1648年にフランス国王ルイ14世の庇護のもと創設されたアカデミーという組織で古代ギリシャ、ローマの古典的作風の継承を目的として伝統的美術教育をおこなうものであった。アカデミーは官立美術学校(エコール・デ・ボザールと呼ばれた)をもち、サロンという展覧会を主催した。
サロンは一部の審査員による審査制度を通った作品のみ出品された。よってエコール・デ・ボザールへの入学、サロンでの入賞がただ一つの美術界への登竜門であった。
アカデミーでの伝統美術は神話や聖書、古代の歴史を題材に描いた歴史画こそが最も価値のある物とされ、風景画、静物画、日常の生活などを描くことは低俗のことと敬遠されていた。
19世紀になり産業革命とともに市民社会が力を得るようになると、アカデミーにおいても市民社会でもなじみやすい題材が認められるようになり、裸婦像や肖像画などを得意としたアングロがアカデミーの頂点にたつようになった。
一方、 反アカデミズムから始まった古典的規範に必ずしも従わず 自由な力強い作風のドラクロワ、日常生活や自然の風景を主題としたクルーベ、ミレーやバルビゾン派などが登場した。
彼らは18世紀末から自然を崇高なものという評価がたかまってきたイギリスの風景画家カンスタブルやターナーの影響や日本の浮世絵などに影響をうけ自然の風景、ふつうの人々、日常の出来事(都市市民社会の充実により水辺で水浴びをする習慣が生まれセーヌ川沿いの水辺のリゾートでの風景、レジャーの大衆化によりイル・ド・フランスといわれるパリ近郊の森への日帰りのピクニックや一泊旅行などを題材にする、蒸気機関車の発明により鉄道を題材とするなど)など自然と向き合い見たままに描きたいという欲望にめざめた。
印象派の作品によく登場するのは太陽の光のもと表情を変えていく水辺の風景を題材とし、モネ、ルノワール、シスレーといった画家達がセーヌ川に沿った町々に滞在して数々の名作を残した。
フォンテンヌブローの森に接するひなびた農村のバルビゾンには森や田園風景などの自然をありのままに描こうとするミレー、テオドル・ルソーなどの画家達が集まってきた。
画家達はセーヌ川沿いの ジベルニー サン・ジェルマン・アン・レイ バルビゾン フォンテーヌブロー に滞在した。
イル・ド・フランスはパリを取り巻くほぼ半径100kmの地域で、春夏は晴天の日が多く過ごしやすい、秋のおとずれは早く、冬は降雪はほとんどないが底冷えが厳く、セーヌ川やその支流のオワーズ川の流れに沿いみどりの牧草地と深い森につつまれた豊かな土地である。
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参考文献:
印象派美術館 監修 島田紀夫 小学館
セーヌの印象派 著者 島田紀夫 小学館
印象派の水辺 赤瀬川源平 講談社
フォンテンヌブロー見学ガイド
ワールドガイド・パリ、フランス JTBパブリッシング
地球の歩き方 フランス ダイヤモンド社